第2話 適性

「わたしたち、別れましょ」


 唐突に彼女から別れを切り出された大希は、言葉の意味をすぐに受け取ることができなかった。


「は? どうしたんだよ、急に」

「急じゃないよ。わたしにとってはね」

「え……?」

「わたし、もう悠人と付き合ってるから」

「はぁ!?」


 彼女の口から出た、二人にとって共通の友人である悠人という名前に大希は動転した。


「どういうことだよ洋香! 二股かけてたってことか?」


 動揺する大希に対して、洋香は静かに答えた。


「結果的には、そうなるね」


 洋香の発するあまりに冷淡な答えに、大希は逆上するでもなく消沈した。


「そうなるって……いつからだよ……」

「五月のゴールデンウィーク頃から」

「五月って……俺が落選して落ち込んでた時に、か?」

「そうだよ。まあ、その前から相談には乗ってもらってたけど」

「三ヶ月も……いや、その前から俺を裏切ってたのか?」

「先に裏切ったのは大希でしょ」

「は? なに言ってんだ? 俺は浮気なんかしてない」


 大希の返答を聞いて、洋香は落胆するように小さく息を吐いた。


「大希……大希がわたしに、何て言い続けてきたか忘れたとは言わせないよ」

「え?」

「今度こそ受賞する。絶対にデビューする」

「それは……」

「わたしは六年も待った。同じ言葉を信じ続けて」

「俺は、本気で……」

「女はね、夢があれば生きていけるほど単純じゃないの」


 洋香が突き付けるリアルな言葉の前に、大希は肩を落とすことしかできなかった。


「なんだよそれ……よりによって悠人かよ……」

「ねえ、大希。わたしたち、もう二十五歳だよ?」

「それと悠人と何の関係が?」

「悠人は商社マンだよ」

「それが何だっていうんだ……?」

「大希。自分の立ち位置をまだ理解できてないの?」

「立ち位置って……」

「ハッキリ言うよ。未だに夢を追いかけてるフリーターと、しっかりキャリア形成してる商社マンじゃ、同じ二十五歳でも全く違うの」


 洋香が突き付ける言葉に、大希は何の反論もできなかった。

 小説家になる夢を追うといって就職活動から逃げた自分と、就職活動を勝ち抜いた悠人。

 学生の頃は一緒にバカをやった悠人は今頃、やりがいのある仕事をしているんだろうと大希は思った。

 それに比べて今の自分は、施設警備の当務という二十四時間の勤務が終わった後の、妙に覚醒した頭と疲労と解放感を鎮めるように平日の昼間からビールを飲んでいる。

 大希はリアルを一気に叩き付けられた気がした。


「分かってくれた? 学生の頃とは、わたしも違うの」


 大希は何も言い返せなかった。


「分かってくれたみたいだね。じゃあ、部屋の鍵、返すから」


 洋香が部屋の合鍵をローテーブルに置いて立ち上がる。


「じゃあね。もう、わたしたち会わないほうがいいと思う。さよなら」


 部屋を出て行く洋香に、大希は何の言葉もかけることができなかった。

 独り取り残された部屋で、大希は残った缶ビールを一気に呷った。

 苦いだけのクソ不味い液体に感じた。


「まずいな……」


 この部屋に居ちゃいけない。今の俺には洋香との思い出が詰まった部屋はキツすぎる。

 そう思った大希は、スマートフォンと財布と部屋の鍵だけをジーンズのポケットに入れて部屋を出た。

 大学を卒業してから住み続けているワンルームのアパートは今の自分を投影しているようで、早く離れたいと思った大希は、早足にアパートから井の頭公園を目指した。


「蒸し暑いな……」


 数時間前に降ったにわか雨のせいで湿度の高い井の頭公園を、大希は独り歩いた。

 カップルや家族連れの姿がやけに目に付くように感じた大希は、スマートフォンをジーンズのポケットから取り出した。

 八月九日、水曜日の十四時というホーム画面の日時表示。


「明日は休みだし……呑みにでも行くか……」


 大希は井の頭公園を突っ切り、吉祥寺通り沿いにある居酒屋へ入った。

 焼き鳥で有名な老舗の居酒屋だった。平日の昼間だというのに結構な混み具合で、大希はカウンター席に座った。

 注文したモツ煮込みと生ビールがすぐに出てくる。


「オレ、攻略士になろうと思う」

「はあ? 本気かお前」


 隣の席に座る二人組の会話が、大希の耳に入った。


(またか……まあ、最近じゃ珍しくもない……)


 大希は黙って生ビールに口をつけた。


「本気さ。オレはもう、こんな生活うんざりなんだ」

「それにしたって、お前。攻略士って命がけなんだぞ」

「知ってるさ。だけどな、この生活から抜けられるんなら、ダンジョンに潜ってモンスターと戦うぐらい、オレはやってみせる……!」


 隣の席で熱く語る男は中年で、安酒が似合う風体だった。


「まあ、落ち着けって」


 熱く語る男の友人らしき男が、なだめるように苦笑いを浮かべる。


「オレは落ち着いてる。本気なんだ」

「分かった分かった、本気なら止めないけどな、適性があるとは限らんぞ」

「ああ、五千人に一人ってんだろ適性があるのは」

「知ってるなら、まあいいさ。ビッグサイトに行ってみたらどうだ」

「次の休みにでも行ってみる。オレには適性がある。そんな気がするんだ」

「しっかし……モンスターがいるダンジョンなんぞに入りたいとは思えないけどな、俺は」

「オレは、やってやるんだ。ダンジョンで人生を逆転してやる」


 大希は最近よく聞く与太話だと思った。

 今年の春に突如として出現した異空間へのゲートと、ゲートの中に存在するダンジョン。

 ダンジョン内に湧くモンスターを倒せば、高額で売れるアイテムが手に入る。

 適性があって攻略士になれば、一攫千金も夢じゃない。

 失われた三十年と表現される長すぎる不景気や、コロナショックに円安と物価高。疲弊した日本には人生を逆転したいという人間が溢れていた。

 今までの大希なら聞き流していた珍しくもない会話だったはずが、胸に引っ掛かる何かがあった。

 人生を逆転。そんな陳腐な言葉を、大希は笑い飛ばすことができなかった。

 自分の心境の変化に戸惑いを覚えた大希の脳裏に、洋香の笑顔が浮かぶ。

 あの笑顔が俺に向けられることは、もう無い。

 洋香の笑顔の先にいるのは悠人だ。

 寂寞と虚無に襲われた大希は立ち上がった。

 ここも俺の居場所じゃない。

 同時に失った恋人と親友の面影から逃げるように、大希は居酒屋を出た。

 居場所を失った大希は、行くあてもなく吉祥寺という慣れ親しんだはずの街を彷徨った。

 大希がサンロード商店街のアーケードに入った時、スマートフォンがメールの着信を報せた。応募した小説新人賞の運営事務局からのメールだった。

 

「厳正な審査の結果、御応募頂いた作品は落選となりました」


 落選を知った大希は、落選の文字をしばらく見つめてから、メールに添付された評価シートのファイルを開いた。

 酷評だけが大希の胸に突き刺さった。


「主人公に魅力がない。設定や展開がありきたり。文章が稚拙でリズムも悪い。描写が浅く感情移入できない」


 心が折れる音を、大希は聞いた。

 大希が書いた小説を最初に面白いと言ってくれたのは、洋香だった。

 洋香はもういない。


(励まし続けてくれた洋香を裏切ったのは俺だ)


 後悔と自分への怒りが込み上げる。

 自分に向けた怒りだけを脚に伝えて、大希は帰路を歩いた。

 自室に戻った大希はすぐさまパソコンを起動して、攻略士と検索した。大希は躊躇せず攻略士を管轄する特異空間対策庁の応募フォームに必要事項を入力した。

 明日の予約を済ませた大希は立ち上がった。

 

(こんな見込みのない賭けしか俺には残されてない。ただの逃避……だとしても、何もしないよりは……)


 自嘲の笑みを浮かべることさえ上手くいかず、大希は歪んだ表情のままベッドに突っ伏して目を閉じた。

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 翌朝。大希は江東区有明にある東京国際展示場、通称ビッグサイトを訪れた。

 平日だというのに、多くの応募者で広い会場はごった返していた。

 空港にあるようなボディスキャナーのゲートを通り、手荷物検査も済ませた大希は、予約番号と免許証による本人確認を経て、やっとで待合スペースに通された。

 大量の折りたたみ椅子がずらりと並んだ待合スペースで大希が待っていると、若い女性の事務員に呼ばれて個室ブースに案内された。


「本日はご応募ありがとうございます。まず適性の有無から確認させていただきます」


 マニュアル通りといった口調の事務員が、机の上に置かれた薄い石板を指差す。

 大希には解読できない楔形文字のような模様が、びっしりと刻まれている石板だった。


「この石板に右手を乗せてください」


 大希は言われた通りに、石板に右手を乗せた。

 石板が明るい紫色に発光する。

 微笑を浮かべていた事務員の表情が、真顔に変わる。


三代みつしろ大希さん。あなたには、攻略士の適性があります」

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