鶯谷のダンジョンを攻略して全てを手に入れろと女神は言った

千石穂積

第1話 クアッド・スキル

 凶悪な威力を孕んで振り下ろされる巨大な両刃斧の側面を、事も無げに右拳で殴り付けた大希だいきは、怯むこと無く敵との距離を詰めた。


「おらぁあ!」


 雄叫びのような掛け声とともに、大希の左フックが敵の顎を狙って放たれる。

 かろうじて大希の左フックを躱した敵が、後方に跳躍して大希との距離を取った。


「へえ……今のを躱すかよ。将軍の名は伊達じゃないってとこか」


 大希が戦っている敵は豚頭人身のモンスターであるオークの上位種で、オーク・ジェネラルという名を持った第三階層のイベントボスだった。

 二メートルを優に越える巨躯を誇るオーク・ジェネラルは、隆々とした筋肉を有す腕の先に黒光りする両刃斧を握っている。


「グルルル……」


 大希を威嚇するように、オーク・ジェネラルが下顎から突き出た牙を剥きだしにして唸る。


「次は外さねえぞ?」


 大希は不敵な笑みを浮かべてみせた。

 命を賭けた戦いの最中にあって、大量に分泌されているであろうアドレナリンによる興奮すら、大希は俯瞰的に愉しむ冷静さを保っていた。


「クアッド・スキルを味わう覚悟はできたか?」


 選ばれし者にのみ与えられた神からの恩恵であり、今では神の制縛でもあるユニークスキル。そのユニークスキルを四つ保有する唯一の攻略士であるという自負と使命感が、特異な状況にあってなお大希に覇気を与えていた。

 東京都台東区根岸に出現したゲートが繋ぐ異空間。その異空間に存在する広大なダンジョン。大希が立つダンジョンは、地下でありながらも発光する苔のような植物がビッシリと天井や壁面に自生しており充分に明るかった。

 現実を見失いそうになる空間で、凶悪なモンスターと生身の身体で戦うという理不尽な状況にありながら、大希は不安を振り払う術を身に着けていた。


「……うらあぁあ!」


 自らを鼓舞する掛け声とともに、大希が地面を蹴った。

 ユニークスキル「バイブラント・マッスル」によって尋常ならざる筋力と敏捷性を発揮する大希が、物凄まじい速さでオーク・ジェネラルとの距離を一気に詰める。


「ゥルガアァ!」


 咆哮とともにオーク・ジェネラルが両刃斧を振り下ろす。


「ワンパターンだなっ!」


 ユニークスキル「アダマント・フィスト」によって無二の強度を誇る右拳で、両刃斧の側面を殴り付ける大希。

 一度目よりも大きな衝撃音がダンジョン内に響き渡る。

 たまらず体勢を崩したオーク・ジェネラルの隙を大希は見過ごさなかった。

 大希の左アッパーカットがオーク・ジェネラルの顎を狙う。

 ユニークスキル「マキシマム・アタッカー」によって全ての攻撃がクリティカルヒットになる大希の、左アッパーカットの軌跡に鮮やかな水色の光が重なる。

 大希の左拳がオーク・ジェネラルの顎を捉え、鈍い打撃音とともに顎を砕く。

 脳震とうを起こしながら仰け反るオーク・ジェネラルの腹部に、右拳でボディーブローを見舞う大希。

 強烈な打撃によってオーク・ジェネラルの筋肉と脂肪がみっしりと詰まった腹部が大きく凹む。


「ゴバアァ……!」


 その巨躯をくの字に曲げたオーク・ジェネラルの頭部に、大希が左フックを打ち込む。

 頭蓋骨にめり込む左拳をそのまま振り抜く大希。

 頭部を歪に変形させたオーク・ジェネラルが、力なくドサリと倒れた。

 オーク・ジェネラルの頭上に表示されているモンスター名が赤く明滅し、ふっつりと消える。

 音もなく紫色の微細な粒子となって霧散するオーク・ジェネラル。

 【Congratulations!】という明るいオレンジ色の表示ウインドウが、オーク・ジェネラルの霧散した地点に現れる。

 表示が切り替わる。

 【猪頭将軍を討伐しました】

 表示ウインドウは三回交互に表示を繰り返して消えた。


「よし……!」


 視界の左上に現れた【レベルが上がりました】という表示ウインドウを一瞥する大希。

 レベルアップで得たステータスポイントの振り分けを後回しにして、大希はドロップアイテムを回収することにした。

 ビー玉ほどの大きさで純白に輝く球状の物体と、鶏卵の形状で紫色をしたイースターエッグのような物体を拾い上げる大希。


「お疲れ様。余裕だったね」


 大希に声をかけたのは、長い黒髪をポニーテールに纏めた女性だった。右手には長さが百二十センチほどの短槍を握っている。


「余裕ってわけじゃないけど、まあ瑠衣るいの短槍を使うほどの相手じゃなかったよ」

「これまでのオークと同じで、攻撃特化型だったね」

「イベントボスがこれなら、階層のボスも問題なさそうだ」

「だね。週明けにでも行ってみようか」

「そうだな……頃合いだと思う。タイムリミットまで余裕がある訳でもないし」

「うん。蒼志そうしたちも反対しないと思うよ」

「だな……」


 大希はウエストバッグにドロップアイテムを仕舞うと、ダンジョン内では時計かカメラでしかないスマートフォンを取り出して時間を確認した。

 二〇二三年九月一日、十六時三十四分。


「まあ、きょうはもう帰ろうか。稼ぎも充分だし」


 大希の提案に、快活な笑みを浮かべた瑠衣が頷く。


「うん。オーク・カーネルも結構な数、倒したもんね。今夜はなに食べよっか」

「金曜日だから予約してあるよ」

「そうなの? なに?」

「このところ肉が続いたから、寿司。かっぱ橋の近くだから歩いても二十分ぐらいかな」

「おっ、いいね。じゃ、帰ろ」


 地黒の肌に映える白い八重歯を覗かせて同意した瑠衣が、上機嫌を隠さずに軽快な足取りで歩き出す。

 大希も瑠衣を追いかけるようにして帰路を歩いた。

 瑠衣の背中を見ながら、大希はふと何も持っていなかった過去の自分を思い出した。

 二〇二三年八月九日。

 全てを失ったと感じた、あの日の自分を。

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