第32話 十兵衛、死闘を制す。
虚空に、漆黒の剣が躍る。
「っし!!」
わしの首に向けられたそれを、刀で跳ね上げる。
・・・重いのう。
細腕に見えるがなんという膂力よ。
これが、本当の吸血鬼か。
「はぁっ!!」
剣を弾き、がら空きになった胴に向けて薙ぐ。
が、なんなく剣で受け止められる。
引き戻しの速度が常識外じゃ。
純粋に、身体能力だけで無理やり動いておる。
人間にはできぬ動きじゃな。
受けた剣で刀を弾こうとするが、それは許さぬ。
いかに力が強かろうと、受け流しと重心移動で対処できる。
「不愉快な、剣を使う・・・!」
思うように剣が動かせず、苛立った様子の吸血鬼。
「すまんのう・・・邪道の極みに付き合ってもらうぞ、吸血鬼」
「ぬかせっ!」
背筋に悪寒が走る。
瞬時に跳び下がりながら、空中で左右を払って着地。
暗闇に火花が散るのが見えた。
・・・魔法か?
何を弾いた、わしは。
暗くてよく見えぬ。
「オオオオオオオオォ!!!」
大上段に振りかぶったまま、わしに向けて跳ぶ吸血鬼。
間隙を突かれたのう。
振り下ろされる斬撃。
それに刀を沿わせて一瞬力を加え、軌道を少しズラす。
狙いを外れ、剣はわしの体を掠めていく。
また、悪寒。
風切り音を頼りに、刀で虚空を二度払う。
散る火花。
・・・見えた!
空中に、剣が浮いておる。
・・・いや、違う。
よくよく見れば柄から魔力の糸のようなものが伸び、それが吸血鬼の背に繋がっている。
「・・・随分とまあ、器用なことじゃな」
驚いた。
魔法にはこういう使い方もあるのか。
「『
吸血鬼が剣を立てると、空中の二刀も揃って天を向く。
・・・今の動き、左右で微妙に違う。
それぞれに別種の動きをさせられるのか・・・面白い。
「人族ごときには辿り着けぬ研鑽の果て・・・味わって死ね」
「ふは、吹きよるわい」
脇差を抜き、剣先を交差させて構える。
「お主が何百年生きたか知らぬが・・・こちらも負けてはおらぬな」
「何・・・?」
怪訝な顔の吸血鬼。
わしは、再び歯を剥き出す。
「斬る、叩く、潰す、投げる、殴る・・・それを連綿と受け継ぎ、それのみを追い求めたのが我が流派よ」
体が軽い。
「理不尽に、不条理に、絶望に・・・抗うために、先人が血反吐を吐きながら練り上げたものが武術よ」
弱いままに死んでいったサグを想う。
強い魂を持ったあやつを。
全身に気力が満ちる。
「お主一人が練り上げた児戯ごとき・・・相手にならぬわ」
はは、負ける気が起きぬわ。
「・・・言うではないか、人族!!!!!!!!!」
吸血鬼が下段に構えて突っ込んでくる。
宙に浮く双剣は、逆に上段に固定されて同時に飛ぶ。
一撃で挟み斬る構えか!!
こちらも迎え撃つように走る。
走りながら刀と脇差を空中で交換。
「オオオオォ!!!」
「あああああああ!!!!」
振り下ろされる二刀を、左手に持つ刀で受け止め。
地面から切り上げられる剣を、足で踏みつける。
「馬鹿が!・・・あ?」
もちろん、素足ではない。
足と草履の隙間に隠した鉄扇じゃ。
・・・先程着地した時に隠しておいた。
「ぬぅん!!!」
「アガ!?」
自由な右手の脇差を、逆手で吸血鬼の腹に突き刺す。
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!!!!!」
裂帛の気合と共に、体から魔力が抜ける。
腹の刺し傷から、勢いよく紫電があふれ出す。
「っぎいいぃ・・・!?ッガアアアアアアアアアアアア!!!!!」
「っご!?」
吸血鬼は吠えながら剣を手放し、わしの胸に向けて手をかざす。
その瞬間、黒い稲妻がわしを吹き飛ばす。
詠唱せずに魔法を、使うとは!
胸元の衣が爆ぜたように吹き飛び、熱した鉄を押し付けられたように痛む。
体が痺れる・・・!これが、魔法を喰らうということか!!
なんとか躱そうとしたが、軽く掠っただけでこれとは・・・!
「ジュウベッ!?」
ラギの声が聞こえた気がする。
そのまま後ろ向きに吹き飛び、背中から地面に叩きつけられる。
「がっは!?・・・ぐうう、ううう!」
視界に火花が飛んでおるが、今の背中の痛みで痺れが取れたわい。
呼吸を意識しながら跳ね起き、構える。
脇差は、奴の腹に置いてきた。
気合を込める時間が短かったようじゃ、殺し切れてはいない。
体は動く、手足も無事じゃ。
胸元の傷だけが、息をする度にじくじくと痛む。
かなりひどい火傷を負ったようじゃ。
肋骨にもヒビくらい入っておるやもしれんの。
ふむ・・・まあ、軽傷じゃな。
これくらい無視できるしの。
「ぐうう、あぁあ!!きさ、貴様、女神、女神の・・・使徒、か!?」
腹から脇差を抜き、足元に放った吸血鬼が吠える。
大きく開いた腹の傷は・・・焦げたようになっていて塞がらぬな。
女神様の加護とやらが阻害しておるのかのう。
今抜くのに柄を握った手も、火傷のようになっておる。
「さあ、て。知り合いじゃがそんな色気のある間柄ではない、わい!!」
足に力を込め、大地を蹴る。
回復力に長けるのは向こう。
長引けばそれだけ不利となる。
「戯言おぉっ!!」
血を吐くような叫びに、双剣が飛ぶ。
軌道は、左右。
わしを挟み斬るつもりか。
走る、走る、走る。
両側から剣が迫る。
・・・軌道が左右同じ。
いける!
刀を寝かせ、大きく振る。
左を弾き、右を弾く。
弾かれた剣が再び向かうのが見えるが、気にせず加速する。
正面には吸血鬼。
背後には、わしを追う双剣の気配。
「グウウウオオオオ!!!」
吸血鬼が片手で剣を振り上げる。
右手で持つ刀を担ぎ、懐から十字手裏剣を4枚、左手の指に挟んで取り出す。
そのまま、腕を二振り。
時間差で2枚ずつ放つ。
「ギガッ!?」
回転する手裏剣が、奴の顔面と喉に突き刺さる。
両目、もろうたわ!!
「っしゃああああっ!!!!」
奴の傍らをすり抜けながら、下段の一閃。
「ガアアアアアアアア!?」
奴の右足を、膝下から斬り飛ばしつつ背後に抜ける。
すかさず振り向き、追ってきた双剣を気合を込めて斬り払う。
双剣は先ほどと違い、真ん中あたりから砕け散った。
破片は、重力に逆らわずに力なく地面に落ちる。
片足を失い、地面に倒れた吸血鬼に向けて走る。
足と違い、手裏剣の傷は治癒が早かろう。
ここでトドメを刺しておかねば。
「っし!!」
大地を擦るように振るった刃が、倒れた奴の首に向かう。
「グア・・・、く、屈辱だ。人族にこれを、使わねばならぬ、とは!!」
刃が首にかかる瞬間、奴の額に残っていた無事な目が深紅に輝いた。
暗闇が紅く染まる。
刀も、手も、体も。
紅く。
体が。
自由、に。
動か、ぬ。
・
・
・
・
『田宮さん、田宮さん』
声が聞こえる。
優しい、声がする。
ああ、この声。
すっと聞きたかった、声だ。
目を開けると、夕暮れの公園が見える。
どうやらベンチに座ったまま眠ってしまったようだ。
『無理しすぎですよ、田宮さん』
くすり、と微笑みながら誰かが言う。
『そりゃあ、あなたは丈夫でしょうけど・・・いくらなんでも風邪引いちゃいますよ?』
夕日の中に立つ人影。
逆光で顔が見えない。
風にそよぐ黒髪が美しい。
「・・・由美」
口を開くと、自然に声が出た。
ああ、ああ。
由美だ。
なんで、そんな簡単なことを忘れていたんだろう。
「長い、長い夢を見ていた気がするなあ」
『あら、いい夢でしたか?』
「さてねえ、お前がいなかったからなあ・・・いい夢じゃなかったんだろうな」
ベンチの横に座った由美に、手を回す。
肩を掴み、こちらへ引き寄せる。
『・・・それは、嬉しいですね』
肩に、由美の頭が乗る。
風に乗って、ふわりといい匂いがする。
「そうか?」
『ふふ、田宮さんとは夢でも一緒にいたいですから』
照れ隠しのようにぐりぐりと肩に乗せた頭が動く。
『ねえ、田宮さん』
「なんだ?」
顔を向けると、やっと由美の顔が見えた。
その悪戯っぽい目が、俺を見つめている。
『ずうっと、一緒にいましょうね?』
きゅ、と。
俺のシャツの胸元を由美が握る。
「・・・そうだなあ」
『そうですよ、ね?』
夕暮れの空を見上げ、ふと視線を前に戻す。
・・・誰かがいる。
公園の中央で、誰かが俺を見つめている。
若い男のような、老人のような。
誰かが、そこにいる。
俺を射貫くような、目で。
『いいじゃないですか、ずうっとここにいれば』
由美が、きつく俺を抱きしめる。
『ここで、ずうっと一緒にいましょう?』
まるで、俺を縫い留めるように。
『嫌なことも、苦しいことも、みいんな・・・みいんな、忘れて』
「由美・・・」
そっと囁く。
風にかき消されるような小声で。
『はい、田宮さん』
「お前は、由美ではない」
ベンチから立ち上がり、歩く。
正面の誰かが、『わし』に向けて何かを放る。
夕暮れを切り裂くように回転するそれを、しっかり掴んだ。
ずしりとした感触。
手になじんだ感触。
『田宮さん・・・?』
腰に差し、具合を確かめる。
『やめて!行かないで!ずうっとここにいて!!』
わしの前に、由美が現れる。
「すまんのう・・・美人の頼みは聞いてやりたいが、無理じゃ」
左手で鯉口を切る。
柄に右手を滑らせる。
『やめ』
横一文字に、由美ごと空間を切り裂いた。
「失せよ、悪鬼」
・
・
・
・
「何故、だ」
視界が戻って来た。
夢の中のように振り抜いた刀が、吸血鬼の胸を真一文字に切り裂いておる。
奴の手には、折れた剣。
いつの間にやられたのか、左腕に折れた剣の先が突き刺さっている。
「斬った、のか・・・貴様の・・・心の中にある、最も愛しきもの、を」
胸元の切り口は紫電を放ち、奴の体を内側から焼いているようじゃ。
「あれは紛い物じゃ、形だけ似せただけの・・・のう」
「な、にぃ・・・」
振り抜いた刀を納刀し、腰を落とす。
「あやつはのう、常に前を向いておったよ」
精神を統一し、息を吐く。
「苦しくとも、辛くとも、前に進む女じゃったよ」
鯉口を切る。
「決して、逃げて留まろうとする女ではなかった」
右手を柄に。
「よくもあやつを、侮辱してくれたのう」
まるで、雷鳴のような風切り音。
紫電を纏った愛刀が、コマ落としのような速度で奴の首を通り抜けた。
驚愕の顔つきをへばりつかせたまま、吸血鬼の首が跳ね飛ぶ。
「ば、かな」
空中で首の根元から紫電が迸り、首を覆う。
「馬鹿なアアアアアアアアアアア!!!」
悲鳴が終わると、もうそこに首はなかった。
南雲流居合、唯一の奥伝『紫電』
初めて、納得のいく形で放てたわい。
音すら置き去りにするほどの神速の抜刀術。
その頂の根元くらいには、どうにか到達できたかの。
「こふっ」
ほう、血を吐くのは久しぶりじゃ。
肺が痛んだか。
肋骨の傷の影響か、のう。
納刀すると同時に、がくりと膝が落ちる。
ぬう、情けない。
これしきの事で・・・
何故だが知らぬが、酷く頭が重い。
「ジュウベ!ジュウベ!!」
泣き声が聞こえる。
まるで、幼子の、よう、な・・・
誰かに抱き留められる感触を感じながら、わしの意識は途切れた。
『普通に勝つな!十兵衛!!』
なにやら立腹のリトス様が見える。
ふむ、あれしきのことで死んだか・・・?
『生きとる生きとる』
ほう、ならばこれは一体・・・?
『説教じゃ!説教!』
・・・ふむ?
『まったく、助け船でも出そうかと思ったら普通に勝ちよって・・・我の威厳を見せつける「ちゃんす」だったというのに!』
いつもの様子とは違い、だんだんと地面?を踏みつけて悔しがるリトス様。
これはこれでなかなか・・・おお、眼福じゃ。
『不敬であるぞ!揺れる乳より我を見よ!!!』
素晴らしいものなのでつい・・・
『まったく!まったくう!!・・・まあ、よいわ』
リトス様は呆れたようにわしを見る。
『不本意じゃが愉快であったぞ!これからも楽しみにしておる!!』
これからも・・・
ほう、まだまだあのような手合いと戦える、と?
『いくらでもおるからのう!馬鹿な手合いは!』
はは、それは・・・
素晴らしい。
『ふふふ、いい顔じゃいい顔じゃ!・・・のう、もそっと加護をやるからその目を一つ・・・』
『リトス、時間切れですよ』
物騒な言葉を吐くリトス様を、柔らかい声が遮る。
いつの間にか、もう一人の女神が目の前におった。
ほう、この方はあの時に雲間に見えた・・・
『うふ、やはり気付いていましたか・・・あなたとは長い付き合いになりそうですね?』
『遮るなマァチ!我の空間に土足で踏み込んで来よって!!』
『駄目ですよリトス、十兵衛くんは疲れてるんですから』
『くん!?くんとはなんじゃ気安く呼びよってからに!!』
ううむ、凄まじい美人と凄まじい美人の言い争い・・・
眼福が視界一杯に広がっておる・・・
長生きはするもんじゃなあ・・・
『コラぁ!!不敬の上に不敬であるぞ!!だいたいそなたは・・・』
そんな声を最後に、わしの意識は再び消えた。
目を開けると、見知らぬ天井が見える。
「・・・よく寝たわい」
起き上がると、あちこちが痛む。
包帯が巻かれた胸と左肩。
それに・・・居合の『紫電』の影響じゃな、これは。
あちこちの筋肉がひどく傷んでおる。
ふむ、まだまだ未熟じゃのう。
続け様に放てるように、修行せねばな。
そんなことを考えつつ、ぼうっと虚空を見つめる。
暗闇に目が慣れてくると、傍らに寝ているラギに気付いた。
ここは・・・ラヒ村の家か?
窓からアリオ殿の馬車が見える。
ふうむ、どうやらここまで運ばれたようじゃのう。
我ながら情けない限りじゃわい。
見れば、付きっ切りで看病でもしてくれたんじゃろうな、ラギは。
ふふ、こうして寝顔を見ていると幼い娘にも見え・・・
・・・寝顔?
いつもの仮面が、そこにはない。
枕元に転がっておる。
『結婚する相手にしか見せないんですってぇ』
脳裏に、いつかのライネの言葉が蘇る。
その瞬間、わしは布団に寝転がって目を閉じた。
「う・・・うう~む、うむん」
そのまま寝言とも呻き声ともつかぬ声を上げる。
「ンミュア・・・ジュウベ?起キ・・・!ワ、ワワワ!!!」
傍らのラギが起き、何かに気付いてゴソゴソと動き回る気配がする。
「・・・ヨシ!ダイジョブ!」
との声を聞き、ゆっくり目を開く。
「おおう・・・よく寝たわい、ラギか?」
よし、きちんと仮面を付けておるな。
「ジュ、ジュウベ・・・起キタ!!」
跳ね起きたラギが、外に走り出る。
「ミンナ!ミンナァ!!ジュウベ、起キタ!!起キタァ!!!」
嬉しそうに走り出す足音を聞きつつ、苦笑い。
しかし、リザードの顔とはああいう風になっておるのか・・・
勿体ないのう、仮面などで隠すのは。
にわかに騒がしくなる気配を感じながら、わしは再び目を閉じた。
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