真剣勝負

増田朋美

真剣勝負

夢路君が、製鉄所を訪れるようになって数ヶ月がたった。しかしながら、夢路君のお母さんに当たる人物が一向に現れてくれないので、ジョチさんや、いつもは平気な顔をしている伊達五月さんまでもが、焦りの色が濃くなり始めていた。

「少なくとも、50日は経ってますね。本当に夢路君のことを捨てるつもりなんでしょうか?」

ジョチさんが伊達五月さんに言った。その間にも夢路くんは中鉢優子さんのバイオリンにあわせて歌い続けている。

「ええ、少なくとも、警察には手分けして彼の母親を探すように言っていますが、、、。先程警察さんから電話がありました。一生懸命捜査しているそうですが、手がかりはまったくないそうです。もしかしたら、海外へ逃げてしまった可能性があるのではないかということです。」

伊達五月さんは権力者らしく言った。

「それでもどうしても母親を見つけなければならないですよね。これだけのことをしたわけですから、ちゃんと日本の法律で裁いてもらわないと。」

とジョチさんがそう言うと、

「刑事事件として、立件してもいいと思ってるんですが、警察も死者が出たとか、そういうわけでは無いのですから、あまり力を入れてくれるような態度を見せてくれないんです。」

伊達五月さんが言った。確かに日本の警察はそれが甘いというか、困ってしまうところがある。死者が出たとか、けが人が出たとか、そういうことが起きてしまう前に、事件を解決してほしいものであるが、そういうことは難しいものである。

それと同時にジョチさんのスマートフォンが鳴った。

「はい。曾我です、ああ小久保さん。ええ、ああそうですか。それではもう逃亡を続けることは無理だと思ったんですかね。なるほど、それでは、彼女を逮捕して、裁判を受けさせるということは可能なんでしょうか。ええ、ええ。ああそうですか。わかりました。とにかく、その女性は、ちゃんと裁判してもらわないとだめですからね。裁判は、できるだけ彼女を厳しくさばいてくれるようにしてくれるといいですけどね。まあ、相手が子供だけに、難しいですか。そうですか。わかりました。」

電話の相手は弁護士の小久保さんだった。伊達五月さんがどうしたのと聞くと、

「なんでも、夢路くんの母親、竹中千鶴さんが捕まったそうです。」

とジョチさんは言った。

「どこで捕まったんでしょうか?」

伊達五月さんがいうと、

「ええ、危機一髪だったそうです。関西国際空港で、飛行機に搭乗しようとしていたところを、捕まったとか。まあ、警察が、やっと執念を出してくれました。それは良かったんですけど、本当に必要なことはこれからなんじゃないですか。これから、母親としての自覚を持ち直してくれて、構成してくれるか、それが鍵でしょ。」

ジョチさんは、やれやれと頭をかじりながら言った。

「そうですか、それじゃあ、彼女、つまり夢路くんのお母さんは、一人で捕まったのでしょうか?それとも、誰か交際相手と一緒だったとか?」

伊達五月さんが聞くと、

「ええ、当然のことながら後者の方だったそうです。まあ言ってみれば、夢路くんを捨てて、海外に逃亡しようと言うわけですから、全く、母親というよりただの女というべきなのかもしれません。」

と、ジョチさんは答えた。

「そうですか。そんな女性を、夢路君に合わせるわけには行きませんね。しかしその女性も、変なところがあるものですわね。自分の子供を愛さないで、男と一緒に住んでしまうなんて。」

「まあそうですね。きっと抱きしめたいという気持ちも、まったくないと思いますよ。まあ、いずれにしてもこういう母親が出てしまうのも時代の流れ。イシュメイルさんや、優子さんなどの貧しい国家から来たから、えらく叱ってもらう必要がありそうですね。」

「ええ、ほんとに!」

二人の大人がそう言い合っている間、夢路くんは、にこやかに笑って、水穂さんのピアノに合わせて歌っていた。それを飾る様に、優子さんが、バイオリンを弾いていた。

「それにしても私は思うのですが、彼を学校にもう一度行かせることはできないものでしょうか?それができれば彼の才能も、発揮できるのではないでしょうか。今の時代ですから、重い事情がある生徒さんを通わせられる学校だってあるのではないかしら。彼には歌の才能があると思うんです。もちろんあたしは、音楽の専門家ではありませんけど、でも彼の歌はとても美しいといいますかなんといいますか、、、。」

伊達五月さんが、夢路くんの顔をながめながら言った。

「そうですね、ただ教科書見て、方程式を覚えてと言う勉強ではなくて、それを必要とはするんですけど、夢路くんのような個性的な子供さんを受け入れてくれる学校に生かせてあげたいですね。なかなか夢路くんのような子供さんが、表舞台に立つことは難しいと思うけど。」

ジョチさんは、大きなため息をついた。

「まあ欧米では、そういう子のために、学校へはいかないで、カヴァネスとかチューターという人に教育を受けて、アビトゥーアとかバカロレアの試験に合格すれば、大学へ行けるっていうふうになってます。他の国の大学へ行ってもいいように、国際バカロレアというのもあるんだそうです。日本では、そういう制度が無いのでちょっと、困りますね。」

「それは伊達さんの仕事ですよ。そういうことができるのは、伊達さんのような人でなければできません。伊達さん、ぜひ、夢路くんのような可哀想な子供を、救済する法律を作ってください。」

ジョチさんは、外国の教育制度を話している伊達さんに、そういうことを言ったのであった。本当は、国会議員さんというのは、そういうことをするためにいるのだということでもある。だけど最近の議員さんは、私利私欲のための活動ばかりしていて、他のことにかまってられない人ばかりいる。

またジョチさんのスマートフォンが鳴ったので、ジョチさんは急いでスマートフォンを取った。すると、伊達五月さんが、それをむしり取って、ジョチさんの代わりに要件を聞き始めた。女性というのは、時々そういう事になってしまうというか、ちょっと感情的になって男性では考えられないようなことをしてしまうのである。

「はいはいもしもし小久保さん。ああそうですか。わかりました。でもですねえ。夢路くんをあわせるのはちょっと、何か身勝手すぎるというかあまりにも都合が良すぎると思うので、ちょっとお断りします。それより、夢路くんは、今、パミール人の優しいおばさんが、一緒に遊んでくれていると伝えてください。悪いけど、あなたの出る幕はもう終幕です。そう彼女に伝えてください。」

そう言って伊達さんは、すぐに電話を切ってしまった。

「あの、それは僕にかけた電話なんですがね。一体何の連絡なんですか?」

ジョチさんが苦笑いをしてそう言うと、

「ええ、全く、身勝手なものです。夢路君のお母さん、竹中千鶴さんというそうですが、何でも警察の取り調べには、夢路くんのことでこんな事件になるとは考えてもいなかったそうなんです。だから私、頭にきてさっきのセリフを言ってしまいました。」

伊達五月さんは、ため息をついた。

「そうですか。竹中千鶴さん。本当にキラキラネームですね。まあ、今の時代の象徴ですかね。きれいな名前なのに、子供へはそういう残忍なことをする。まあ、考えられないようなことを、今の人は平気でしますから。それに、命の大切さとか、そういうことをころっと忘れている。」

「そういうことなら!」

と伊達五月さんが言った。

「あたしの権限で、竹中千鶴さんと、中鉢優子さんを会わせてみる!それで中鉢さんから直に叱ってもらう。これで相当懲りるんじゃないかしらね、竹中千鶴さん。そうすれば反省するきっかけになるんじゃないかしら!」

伊達五月さんは、いきなりそういいだした。何を言うんだとジョチさんは思った。女というのは時々そういう変なことを平気で言うものである。特に権力のある女性は、そうやって、権力にものを言わせて、突拍子もないことを思いつくのである。

「はあ、あわせてどうなりますか。二人は出身国も違うし、心が通じ合うとはどうも思えないんですけどね。」

ジョチさんはそう言ったが、伊達五月さんは、自分の発言に自信を持っているようであった。そういうことなら一度やってみるかとジョチさんも彼女に同意した。

「そうですか。じゃあそうしましょう。」

その間に、水穂さんが奏でているピアノの音は、どんどん大きくなる気がした。もちろん、キラキラ星変奏曲の第12変奏は、とても華やかなところがあるが、それだけでは無いようであった。それと同時に、ドシンという音がした。夢路くんが転んでしまったのである。子供は変なところで転んでしまうこともあるので。ワッとなく声が聞こえてきたのであるが、それと同時に、痛かったねえ、大丈夫よなんていう、優子さんの声が聞こえてきた。それはとても優しそうな声で、とても穏やかだった。

「おばちゃんは優しいね。」

と、夢路くんは言った。夢路くんは、優子さんの足に絡みついた。

「どうしたの?夢路君。」

優子さんが優しく言うと、

「だって僕、一度もママに抱っこして貰ったことがないんだもん。どうせ、痛くても放って置かれるだけだよ。」

と夢路くんは言った。優子さんは、そんな夢路くんを見て、彼の言うことは間違いないと確信したのだろうか。夢路くんをそっと抱きしめて、ニコリと笑った。

「夢路君、本当にお母さんに抱っこして貰ったことはなかったの?」

水穂さんが、そう優しく夢路君に聞くと、

「だってママは、本当に毎日毎日怒ってる。だから僕、ママの絵をかいて来いと言われたとき、鬼の絵を描いた。それくらい怖いんだ。何で成績悪いんだとか、何でこんな問題もできないとか、そういうことで、すぐ怒鳴る。」

夢路くんはそう答えるのであった。

「学校の先生はなにか言った?」

と、水穂さんが聞くと、

「なんにも言わない。先生は、忙しいから、僕らのことまで手を出してなんかくれないよ。それにママも学校の先生だし。だから、そういうことをするなんてありえないと言われて。」

と、夢路くんは言った。

「そうなんだね。確かに、学校の先生という職業は、虐待をしているということが、わかりにくい職業でもあるわね。ただでさえ、すごい人って言われちゃうからね。」

「そうかしら?」

水穂さんがそう言うと、優子さんが言った。

「あたしたちから見たら、ただいろんなものを持ってるだけで、何も意味がない人間にしか見えないわ。あたしは、そんな金持ちの国ではないところから来たけれど、果たして、本当に幸せなのか、疑問に思うのだけど?」

「まあ確かにそうかも知れませんね。僕が以前、手伝っていた青柳教授が言ってました。こんな日本社会より、トゥルン族のような原住民のほうが、何十倍も感動する能力があって、優しすぎるくらい優しいって。」

優子さんの話を聞いて水穂さんが言った。

「おばちゃんがママだったらいいな。」

夢路くんは、優子さんの体に抱きつきながら言った。

「何で?」

優子さんが聞くと、

「だっておばちゃんは、優しいし、絶対怒鳴らないし。」

という夢路君。

「もし、本当にそうなれたら、どうしたい?」

水穂さんが聞くと、

「肉じゃがを作ってもらいたい。一度だけ、食べたことがあるの。じゃがいもが本当に美味しかった。でも、食べたのはその時だけ。あとはお湯をかけて食べるご飯しか食べてないから。」

と、夢路くんは答えた。誰に作って貰ったのか聞きたかったが、夢路くんはそれ以上話をしなかった。

「困ったわ。私、肉じゃがなんて作れない。」

優子さんが困った顔でいった。

「大丈夫ですよ。今なら、簡単に作れますから。料理のことなら、杉ちゃんは天才です。ぜひ教えてもらってください。」

水穂さんがそう言うと、優子さんは、ハイと言った。

それから数日後のことである。

「本当にあたしが説得などできるのでしょうか?」

優子さんは車の中で自信がなさそうに言った。

「ええ、ありのままを喋ってくれればいいんです。もちろん、警察の人間では無いのだし、日本の法律にもまだなれてないと思いますが、竹中千鶴さんに母親らしさを取り戻してもらうために、あなたが説得してほしいのです。」

弁護士の小久保さんは、優子さんに言った。

「そうそう。それに、あなたのほうが、母親としては、数段上なのよ。それはわかっていて頂戴。くれぐれも、口のうまさで、竹中優子さんの話に負けちゃだめよ。」

伊達五月さんが、そう優子さんの肩を叩いた。確かに伊達さんの言う通りかもしれないが、でも、優子さんは自信がなさそうであった。

「さあ、ついたわ。じゃあ、頑張りましょうね。間違いなく、真剣勝負よ。」

伊達さんは、優子さんに言って、警察署の前で車を止めさせた。そして、小久保さんと伊達五月さん、そして優子さんの順番で車をおりて、警察署に入っていく。婦人警官に案内されて、三人は接見室へ通された。

接見室というわけだから、アクリル板で隔たれていた。その隔たれたアクリル板の向こう側に、手錠をかけられて座っているのが、竹中千鶴さんという女性だろう。でも、その竹中千鶴さんは、スラッとした感じの美女で、とても子供に暴力を振るうようには見えない感じの女性であった。

「竹中千鶴さんですね。今日も接見させていただくことになりました。今日はよろしくお願いします。今日は、まず初めに、夢路君の生まれたときのことについて話をしてもらいたい。」

と、小久保さんは、メモとペンを出した。

「そんなことを聞いて何になるんですか。それと虐待事件のことは、なにか関係があるんですか?」

竹中千鶴さんが言った。

「でも、産んだのは、間違いなく、あなたですよね?母親というのは、そういうことから母親の意識が起きてくると思うんですけど、それがあったのかなかったのかを調べたいんです。もし、それがありましたら、母親としての責任感はあったということで、少し刑を軽くしてもらうように、できるのではないですかね?」

と小久保さんがいうと、

「そうですね。確かに、産んだときはそれなりに感動しましたけど、それからは覚えてません。仕事が山のように溜まっていて、子供を育てるなんて気持ちもわかなかったんです。」

と、竹中千鶴さんは答える。

「ほら、学校の先生というのは、本当に忙しいでしょう。生徒の世話をして、指導をして、それでは自分の子どものことなんて手が回りません。本当に忙しすぎて。忙しすぎて、しょうがないんです。それは、誰のせいでしょうか?私のせいではありませんよね?」

「忙しすぎるのはどんな職業でも同じなんじゃないですかね?暇な職業なんて世界中のどこを探してもありませんよ。あなたのその言い方を見ると、学校の先生は忙しすぎるのは、私達のせいだといっているようですね。でも、それは、あなたが全てではありませんよ。どんな職業の人でも、忙しくてしょうがないっていうのは、仕方ないじゃないですか?それを理由にしては困るわ。」

と伊達五月さんが、そういったのであるが、

「でも、あたしたちが忙しいのは、他の人の何十倍もありますよ。家に帰っても、学校のプリントを作らなければならないし、生徒の書き取り帳を添削しなければならないし。他にもやることはいっぱいあるんです。体を壊さないように、体力をつけることもしなくちゃ。それに、風邪を引いたって学校は休めない。こんな仕事を作ったのは誰なんでしょうね?」

竹中千鶴さんは、開き直った声で言った。

「でも、忙しいのを、伊達五月さんのせいにしてはいけませんよ。それで、もう一度聞きますが、あなたは、夢路くんを産んだときに、本当に何もしなかったのですか?それより仕事が忙しすぎて、その感動も忘れてしまったのでしょうか?」

小久保さんが改めて聞くと、

「ええ、だから言ってるじゃないの?学校の先生は、忙しすぎて、確かに産んだあとは感動したけどとうの昔に忘れました。それくらい忙しいんです。」

と、竹中千鶴さんは答えた。

「千鶴さん。」

不意に、小さな声で、中鉢優子さんが言った。

「産んだとき、痛くなかったですか?」

千鶴さんは、は?と言う顔をする。

「私自身は、産んだこと無いけど、私の国では、病院なんて、家の近所にあるものではなかったから、仕方なく自宅でするしかなかったの。だから、いろんな女の人が、赤ちゃん産んだときのことを見たけど、みんな痛そうで、苦しそうで、大変そうだったわよ。もちろん、手術とか、そういうことは一切できなかったし、ただ成り行きに任せるだけよ。だから、みんな命がけでやってたわ。産んだあとに、力尽きて死んでしまったこともあるし、その逆もたくさんあった。でも、誰一人として、産んだ子を殺してしまおうとか、そういうことは考えなかった。」

中鉢優子さんはそう千鶴さんに言った。

「はあ貧乏人は、心がきれいとでも?」

と千鶴さんがいうと、

「そういうことじゃないわ。女性であれば、誰だって、その気持になるんじゃないかなと思って言っただけよ。」

優子さんは答えた。

「笑わせるんじゃないわよ。あなたは、あたしたちの仕事が、どれだけ忙しいか、知らないからそういう事言うんだわ。誰も、私には関心を持ってくれなかった。だって、みんな私の事を、偉い人とか、そういう目でみて、私のことは、何も助けてくれなかった。きっと役所とかそういう人たちは、私の事より、貧乏人のことを相手にするのね。そういうことなのよ。」

という千鶴さんの言葉によると、多分千鶴さんはどこかに相談に行ったのかもしれない。それなのに教師という職業で断られてしまった経験もあるようである。

「でも、そうかも知れないけど、夢路くんを50日も放置することは、いけないことです。それを人のせいにしてはいけない。それは、ご自分が一生懸命やらなくちゃいけないことではないですか?」

小久保さんは弁護士らしく言ったのであるが、

「いえ、それは困ります。あたしだってそれなりにやったんだし。それにそんなに悪いことだったかなんてわからなかったんです。」

と千鶴さんは何を言っても糠に釘で、とても夢路くんの母親のようには見えなかった。みんな、本当にそうなのか、と言う顔をしていた。



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真剣勝負 増田朋美 @masubuchi4996

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