6.底にあるのは夢ばかり


 巨大な、ボロボロの帆船。

 そこかしこに穴が空き、藻が生え、破片が散らばっている。しかしその帆を支える柱や、船首に飾られた乙女の像がその船がかつて雄大な姿で海を進んでいたことを想起させる。


 沈没船というのは財宝が眠るロマンとよく言うが、前世の沈没船といえば大戦で沈められた戦艦なんかの残骸で、宝物や金銀宝石というイメージは浮かばない。

 軍艦というのも歴史のうえで大切なものなんだろうが、中にあるのは砲弾と魚雷くらいだろう。

 だから、今こうして目の前に物語で語られる沈没船があるというのは、俺の冒険心を擽る格好のエサだった。


 倒れた船の横、大きく穴が空いた船底から中に入り込む。

 こういう昔の帆船の間取りには詳しくないが、中は広く立派だ。昔は名のある船だったのではないだろうか。

 クラゲを先導させて船内を照らしながら、探索する。


 壊れた椅子やテーブル、ハンモックに樽……。

 やはり中も水によって侵食され、ボロボロだ。少し押したら崩れるほど脆く、痛み腐っている。

 しかし魚が棲家にしているかと思ったら、そうでもない。というか不気味なほどに生き物の気配が無い。

 こんな船、魚にとっては絶好の隠れ家になりそうなものなのに。


 不思議に思いつつ、船の探索を続ける。船員の部屋が並ぶ地帯、一際大きな部屋が奥にあった。船長の部屋だろうか。

 軋むドアをゆっくりと開け、中に入る。

 海図や、船旅で使う道具たちが散乱している。隅には大量の酒瓶、酒樽まである。

 ふと視線を壁に向けると、そこには派手なドクロマークが。

 海賊船だったのか。


 かろうじて残っていたのは机で、そこには劣化した手帳のようなものが置いてある。船長の手記だろうか?

 気になった俺は、その中を検めようと手を伸ばした。


「人の日記を読むたぁ、感心しないな、嬢ちゃん」


 誰もいなかったはずなのに、背後から声をかけられた。

 驚いて振り向くと、そこには黒のアイパッチが特徴的なおじさんが。

 ドクロマークの刻まれた帽子に、腰につけたサーベル……この船の船長だろうか、生きていた……のか?


「へぇ、人魚か……ここまで深いところには来ないはずなんだが、迷子にでもなったのか?」

「いや、俺は元からひとりなんだ。盗み見しようとしたことは謝るよ、船長さん」


 ふむ、人魚はあまり深い海には生息しないらしい。リベルタも最初驚いていたし、その反応はよくあるリアクションなのだろう。

 俺が勘で呼んだ「船長」という言葉は当たっていたらしい、相手はニカっと豪快に顔を歪めた。


「船長なんて呼ばれるのは何百年ぶりだろうなぁ! 船が沈んでこうして独り、永遠に船が朽ちるのを待つのみかと思いきや。死してなお新しい奴に会えるってのは、亡霊の特権か!」

「沈没船なんて初めて見たから、ちょっと探索したくなったんだ。勝手に踏み入って悪かったよ」

「いや、俺様の『アルゴーノム号』はどんなやつも拒まねぇのさ! 悪いと思うんなら、ちょっと俺様の昔話を聞いちゃくれねぇか」

「構わない」


 OKを出すと、船長──オデュセーと名乗った──はその船の冒険を語り出した。


 アルゴーノム号はその昔、とある町のゴロツキ集団から始まった海賊だった。

 その名を「トリュオン海賊団」。トリュオン海賊団は冒険と自由とロマンを求めて、大海を旅した。

 時に商船を襲い物資を奪ったり、新しく見つけた島の財宝をぶん取ったり、その島に棲むモンスターと戦ったり……。

 札付きの悪漢の集まりと非難されても、彼らはただ海で自由に生き続けていた。討伐隊や賞金稼ぎを返り討ちにし、壮大な冒険譚を歴史に刻んだ。

 いつしか船長であるオデュセーは“海暴れのオデュセー”と呼ばれるようになり、海賊団の名前は世界に轟いた。


 多くの人を傷つけ、多くの島を見つけ、多くの財宝を探し出した。

 悪名と傷、平穏な生活と引き換えに、彼らはロマンと自由と富を得た。彼らにとって海は自由の象徴で、永遠に飽きない遊び場であった。

 たくさんの船員を従え、島々を、海を冒険するのはとても楽しかった。


 しかしある嵐の日。海賊船は一夜にして沈没する。多くの船員と、オデュセーとともに。

 それは海に棲む魔物、クラーケンの仕業だった。船殺しで有名な強大な魔物で、必死に抵抗したが無力。アルゴーノム号は大破し、竜骨を折られて海に沈んだ。

 嵐の海に投げ出された海賊団は当然皆死んでしまい、今は骨さえどこにあるのか、散らばりすぎてわからない。


 オデュセーも、当たり前だが死んだ。

 世界を怯えさせた大海賊が、一晩で消えるなんてなんて呆気ないのか。しかしそれもまた、好き勝手に生きてきた自分たちの当然の末路だと、受け入れたのだ。

 陸の絞首台に吊るされるより、海に還るほうが余程幸運な死に方だとも。


 しかし彼は今もこうして意識を保っている。

 死後、彼は船幽霊として沈没船内でのみ活動できるようになったのだ。

 変わり果てたかつての愛船と共に、長い、長い時をこの海の中で過ごしていた。

 人魚も来ないこの海底には、陸の人間は当然来れない。

 孤独なまま、かつての冒険をただ思い返すだけ。トリュオン海賊団が消えていくのを、彼はただ受け入れて待っていた。

 そこに、初めての来客が来た。それが俺だ。


「俺様は悪人だが、死ぬ時は潔くって決めてたんだ。だがこのザマだ。天下の海暴れのオデュセーが聞いて呆れるぜ。……こんな未練たらたらと沈没船にしがみついてるなんてな」

「……成仏したいのか?」

「ああ。この船も、もう死んでるんだ。俺様ばっかり、ずーっと留まってるわけにもいかない。それでも俺様は、まだ縛り付けられてる。海の魔物、クラーケンにな」


 憎たらしいったらありゃしねぇ! と吐き捨てて、オデュセーはどこから出したのか酒瓶を煽り始めた。幽霊は酔えるのだろうか。


「クラーケンがまだ生きていることが、未練?」

「未練というより、アイツが俺様の魂を縛り付けてるんだよ。アイツにとっちゃあ遊びなんだろうが、それで何百年も縛られるこっちはたまったモンじゃ無い」


 海に還ることを望んだのに、海の魔物に縛り付けられている。それは、海に裏切られたと思わないのだろうか。

 魔物と海は違うのか。そういえば人魚も一応魔物なんだっけ? しかし俺は、今の彼がひどく哀れに見えた。

 過去は悪逆非道な海賊だったのかもしれないが、今は死人だ。それも何百年も前の。俺に裁く権利は無いけれど、個人の感情で言うなら、もう十分だと思う。独りで一つの場所に縛り付けられるのは、苦痛だろう。

 自由と冒険を愛したなら、尚更。


「クラーケンの居場所はわかる? 俺、退治してくるよ」

「はぁ!? 相手はあのクラーケンだぞ!? 俺様は嬢ちゃんに死んで欲しくねぇよ」

「……俺はさ、海の終わりの子、らしいんだ。だから、あんたが終われずにここに閉じ込められてるってのは、ちょっと嫌でね」

「……勝算はあんのかよ」

「さぁ、俺はクラーケンを知らないし……。でも、多分なんとかなると思う」

「はぁ……とんだじゃじゃ馬人魚姫だぜ」


 呆れながらも、オデュセーはクラーケンの場所を教えてくれた。ここから少し離れた、大規模な岩礁を棲家にしているらしい。

 何百年も生きた魔物、はたしてどれほどのレベルと強さなんだろうか。想像もつかない。

 ただ、海の終わりを持つ子で、孤独の虚しさを知る俺は、放っておくことはできなかった。


 前世、母が語ってくれた父との思い出。

 俺が生まれる前に亡くなった、血の繋がった父親の写真。ニカっと豪快に笑う、あの褪せた写真。

 どこかそれにオデュセーを重ねてしまったような、気がした。


 さぁ、魔物退治といこう。

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