第10話 暁笙 後編

葵が駆けつけた先には、男が横たわっていた。


既に虫の息である。


医師を呼んではいるが、丁度外で倒れた人が出たために、そちらに出払っているとのこと。このままでは間に合いそうにない。


葵がどうすべきか悩んでいると、葵の後ろに付いてきた暁笙が、すっと前に進み出る。


「脈が乱れているな。ちょっと水を持ってきてくれ。後は…」


「しゃ、暁笙シャオショウ様?」


すると、暁笙はあ、という顔をしつつも、それどころでない、という表情をする。


「えっと、後で説明するんで、ちょっと待ってくれよ」


そういうと、暁笙は懐から何やら取り出し、もらった水で飲ませている。


「後はこのまま真っ直ぐ寝させておいてくれ。無理に歩かせたりしないようにな。悪化しちまうからよ」


葵にはその口調がどこか聞き覚えがあるような気がした。


「すごいですのね。お医者様?」


妓女の一人が暁笙に尋ねる。


「おう」


「あの方は助かりますの?」


悲鳴を上げた妓女が震えながら尋ねる。


「安心しな。俺はこの国一の医官だからな」


(あー!)


葵は思わず叫びそうになるのをこらえる。どこかで聞いたことのある声だと思えば。


(あの時だ、貴光妃が紫陽花の毒を取り込んだ時に、処置していた…)


葵は気づくと同時に、冷や汗をかく。


(え、これってまずいのではなかろうか。私がもしも杭々だとばれてしまったら…)


思わず後ずさりしてしまうが、視線は暁笙に釘付けになっている。逸らそうにも逸らせない。


その間にも暁笙は処置を淡々とこなしていき、あっという間に終えてしまった。


女主おかみさん、この人どっかに寝かしておきたいんだけど、どっか部屋は空いてるかい?」


暁笙は女主の方に目線をやる。


すると女主は訝しげな様子で、倒れた男を見ている。


「移るような病気じゃないだろうね」


確かにそうだ。ここはあくまで妓楼であって、診療所ではない。


「移る、か。まあ、うーん…」


暁笙は言葉を濁す。


「あんた、医官様ならなんとかなるんじゃないのかい、わざわざここにおいておかなくても。」


「そうは言われても…身元も分かんねえしなあ」


暁笙は困ったような表情を見せる。


叫んだ妓女によると、初めての御客だったらしく、名前を聞く間もなく倒れてしまったらしい。


「とりあえず、近くの町医師のところにでも運んでおくか」


暁笙はそう言って、男を抱えて立ち上がる。



立ち上がる時、暁笙が何かを落としたので、葵はそれを拾う。


「あ、悪い。今手が離せないから、ちょっと預かっておいてくれるか?こいつを置いたら、ここにまた戻って来るから」


「しょ、承知しました」


葵は緊張気味に返す。



程なくして暁笙はやや小走りで帰って来た。


「無事預けられたよ、ありがとう」


そう言って、暁笙は葵に笑顔を向ける。青年らしい爽やかさがある。


「いえ、対処していただいて、こちらこそありがとうございました」


葵は軽く頭を下げる。


「差し支えなければ、さっきの人の倒れた理由を伺っても?」


葵は気になっていたことを尋ねる。


「ああ、梅毒だな」


「ば、梅毒…」


花街ではもっとも名の知れた性病だ。


「なにがあってここに来たかは知らないが、まあ事前に分かって良かったよ。妓女に移していたかもしれない。」


倒れた男には申し訳ないが、その通りだ。それが床をとった後だったなら、色々手遅れだっただろう。


「そうですね」


葵はなんとも言えない顔をする。


「ああ、そう言えば」


暁笙は帰ろうとした歩みを止めて、こちらを振り返る。


「あんた、どっかで俺と会ったことないか?」


(あっ、忘れてた!そうだった、まずい)


葵は梅毒の一件で、完全に頭から抜けていたことを思い出す。


暁笙は「杭々」と面識がある、ということを。


(えっと…)


「私は妓女ですから。売られてきた身の私が、貴方様のような高貴な身分な方とご懇意にさせていただいたことなど…」


葵は営業微笑を浮かべる。上手く誤魔化せたろうか。


暁笙は何度か瞬きをすると、首を傾げる。


「何故、俺が高貴な身分だと?」


「先ほど、医官様だとご自身でおっしゃられておられたので。医官になるためのお勉強をするにも、並一通りの出ではできないでしょう」


そうなのだ。家柄というものは直接その身分に値する。民の中には文字の読み書きさえできない者も少なくはない。


「俺が、そんなことを言ったのか?」


暁笙は確かめるように問う。


「はい、先ほどお話してらした時は、随分秘密主義な方だと思っておりましたが、治療されているときにさらっと仰ったので、あら、とは思いましたけど」


すると、暁笙はあちゃー、という顔をする。


「いや、病人とか怪我人を見ると興奮してしまう質でな、つい話してしまった…」


暁笙が上げた顔は、いかにもやってしまった、という表情だ。


「困ることでも?」


「ああ、まあ、うん…」


随分と変な男だ。病人や怪我人を見ると、普通は悲鳴を上げるかパニックを起こすだろうが、興奮するとは、やはり変わった人である。


ふと空を見ると、東が明るくなり始めている。夜明けが近い。


「もうすぐ夜が明けそうです。お気を付けてお帰り下さい。」


葵は自責の念に駆られているのか、うつむき加減に頭を抱える暁笙に告げる。


暁笙は振り切ったのか、じゃあ、と言って帰路に着く。


(ばれなくて良かったあ)


葵は暁笙の背中が見えなくなるのを見送ると、身を翻して、大きな欠伸を一つした。



(やっぱり気のせいか)


暁笙は帰りながら思い返してみる。


それにしても、自ら医官と名乗ってしまうとは、うかつにも程がある。


(またもや父上に𠮟られるな)


葵という女は、あまり深堀りしてこない。どちらかというと、あまり人とは話したくありません、という気を纏っていた。


そういう女の方が気楽で良い。おまけに、頭の回転が速く、賢いと評判だ。


(今後、使えるかもしれない)


そう思いつつ、葵を浮かべる。


記憶に残る微かな面影と葵の姿を重ね、慌てて首を横に振る。


(そんなわけない、あいつは死んだ)


暁笙はフ、と笑うと、暁の空を見上げた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る