第9話 暁笙 前編

宮中に呼ばれる日が近づいている。


…というのに、夜の仕事は尽きることなく。


毒を盛られた武官とやらも仕事に復帰しているらしく、蝶天閣も徐々に客足が戻ってきている。


となると、当然話題はそちらに向くようで。



「だからさあ、葵。分かるか?後から来るあの気持ち悪さと、めまい。もう絶対死ぬと思ったね」


「いやいや、んなことはなかったよ。そりゃまあ多少はしんどかったけどよ、案外すぐに引いて元気になったし」


「何言ってんだ、お前。お前が一番吐いてたじゃねえか」


「ばーか。毒を食ったらまず吐くんだよ、毒物を吐いた方がその後の直りが早いんだから」


「ばかとはなんだ、ばかとは」


さっきからずっとこの調子である。



蘭世小姐ランヨねえさん、おとこのみなさんは、あつまるとこうもばかになるのですか」


蘭世の着物の裾をついついと引っ張り、椿峰チュンホウは小声で尋ねる。


椿梓チュンツー。御客様の前でそんなこと言わないの。はい、あんたはもう休む時間。」


辺りはすっかり暗くなっている。幼子はもうとっくに寝る時間だ。


椿峰は騒ぎ続ける男たちを蔑むような目で一瞥すると、黙って部屋を出て行った。


「あの子、賢いのに毒舌なのよねえ。あれじゃ御客が寄ってこないかもしれないわ」


蘭世が困ったように葵に話す。


「あら、小姐。意外とああいうのを好む人も多いのよ。なんか下に見られると逆に燃えるんだとか」


「変わった好事家もいるもんだね」


二人の視線は男たちに向いたままである。男たちだけで盛り上がっているのでこちらがどうしていようと、視界に映らない。


「ねえ、葵」


「ん?」


「あたし眠いわ」


「あたしもよ」


昼間は舞の稽古に追われるので、体力が尽きはじめている。


二人そろってボケーっとしていると、いつの間にか話を振られる。


「んで、葵。分かったか?俺たちが盛られた毒がなんなのか」


(いや、分かるわけないやろ)


気持ち悪かったとか、吐いたとかはよくある症状の一つだ。それをやたらめったら強調されたところで、葵は医官ではないし、毒に詳しいわけでもないので、これと指し示すことはできない。


ふと御客の顔を見ると、どうだ、分からないだろう、降参か、といった期待に満ちた表情をしている。


普段葵に持って来た謎が解けなかったことは一度もないので、葵になんとかして勝ちたいと思う輩は多い。優越感というのが一番しっくりくる表現だろう。


もっとも葵は全くと言っていいほど興味はないのだが。


とはいえ、ここで白旗を上げるにも、なぜかその男たちのにやけ顔が癪に障るので、意地を張ってしまいそうになる。


「気持ち悪さとめまいねえ…」


しかしながら、分かるはずもなく。


するといよいよ男たちの調子も上がって来て、分からないのか、などと尋ねてくる。


葵は疲れているのも相まって、相手にするのが益々面倒になり、蘭世に任せてその場を離れようとすると、ふいに肩を叩かれる。


振り返ると、見たことのない男が葵を見下ろしていた。


「ちょっとどきな」


男は葵を少し横に追いやると、どかっと座り込む。


「なんだかよく知らないが、毒のことやらなんやらを素人に聞くべきじゃない。それに、どこで盛られたとか定かじゃないことを外でベラベラ話すべきでもない。このねえさんも困っているだろう」


男は突然現れ、騒ぎ立てていた男たちを静かに牽制する。こちらからは横顔しか見えないが、整った顔立ちをしているんじゃないか、と葵は思う。


少なくとも今いる男の中では、一番美形だろう。


男は葵の方を見る。


「あんたも真面目に答えようとするんじゃない。こういうのは個人の判断が一番危険なんだからな」


本来の葵なら、余計なお世話だと言い返していただろう。でもこの時だけは、素直にはい、と答えてしまった。疲れすぎていたのかもしれない。


葵に詰め寄っていた男たちは、気まずそうな顔をして後ずさる。


一部始終を見ていた蘭世はあらあら、と言って立ち上がり、お酒を入れ直しましょうと自ら男たちの相手を買って出てくれた。


去り際、蘭世は葵の耳元で囁く。


「助けてくださったんだから、奉仕サービスしなきゃね」


葵はとても御客には見せられないような顔をするが、蘭世に両頬を挟まれ、かばってくれた男の方に強制的に顔を向けさせられる。


男は一人で手酌をしている。


葵はおもむろに立ち上がり、男の前で手をつく。


「助けてくださってありがとうございました」


「いや、別に」


男はなんてなく答える。


そうされると葵としても話題がなく、会話に困る。


「お名前伺っても?」


男はああ、忘れてたと言うと、盃を置いて葵を見る。


「そうだな…暁笙シャオショウという」


「暁笙様」


そうは言ったものの、会話が続かない、というより、話題がない。


「お一人ですか」


「ああ。その方が気楽で」


「分かります」


小姐や他の妓女たちと話しているのは楽しいが、あんまりワチャワチャし過ぎるのは好きじゃない。我ながら面倒な性格だと思う。


暁笙もその部類に居るのならば、妓楼に来て妓女が相手をしないというのはおかしいような気がしつつ、葵は今はここにいない方が良いのかもしれない、とも思う。


「ではお邪魔しました。失礼いたします」


葵が立ち上がって去ろうとすると、手首をつかまれる。


「相手をしてくれないのか」


「いえ、お一人で楽しみたいこともあるでしょうから」


「ここは妓楼で、お前は妓女だろう」


まあ、ごもっともである。


暁笙が葵に空になった盃を向けてくるので、葵は渋々座り直して酒を注ぐ。


「名はなんという」


暁笙が問う。


葵のことは花街ではよく知れているはずだ。暁笙はあまり花街には来ないのだろうか。


クイと申します」


「ああ、謎解きの」


暁笙は合点がいった、というように頷く。


「毒にも詳しいのか」


「いえ、さほど。御客の中にはたまに、葵ならなんでも解けると勘違いなさっていらっしゃる方もいらっしゃるもので。持病のことを聞かれたこともありました。」


「それは困るな」


「はい、医師か薬師に聞くように諭しました」


暁笙はフハっと笑う。


気が向いたときに話すだけだが、この位の方が気楽だ。


葵は暁笙の隣で妙な懐かしさと安心感を覚えるような気がした。



「質の悪い御客がいるのだな、宮廷内の官であったとしても」


暁笙は情けない、というように呟く。


「人それぞれですから」


葵も呟くように答える。


「ああ、俺のいない間に随分変わってしまった」


(いない間?)


葵が不思議そうな顔をすると、暁笙はあっというような顔をする。


「ああ、あの、話したくなければ構いませんよ。無理に話さなければならないこともありませんから」


人の領域に無理矢理踏み込むつもりはない。葵自身も自分のことについてはあまり話せないのだ。


「…ちょっと事情があってこの国を少し離れていて、この間帰ってきた」


(話さなくていいのに)


葵はそう思いつつも、一応耳を傾ける。


「知らない間に村が廃れていた。活気があるのは都の一部だけ。幼馴染は死んでいた。」


暁笙はひとりごとのようにポツリポツリと言葉を漏らす。


「俺は何をしていたんだろうな」


暁笙は寂しげに言う。


葵には返す言葉がない。暁笙も別に返事を求めているわけではないのだろう。盃をくるくると回している。


しばらくの沈黙の後、葵は口を開く。


「私は先ほどあなたに救われました。小さいことかもしれませんが、嬉しかったです。正直言ってだるいな、と思っていたので。」


すると突然、ハハという笑い声が聞こえる。


隣を見ると、暁笙が必死に笑いをこらえていた。


「なんでしょう」


「いや、正直すぎると思って…客に対してだるい、とは」


「秘密にしてくださいね、商売に関わるので」


葵はうっかり漏らしてしまった少し前の自分を恨みたくなった。売上が下がれば、また女主に怒られる。


暁笙はひとしきり笑い終えると、自分のことも秘密にしてくれと言ってきた。


「ご安心を、あまり覚えておりませんので」


半ば事実を告げると、暁笙はまた笑った。



〇●〇



事が起こったのは、暁笙が帰ろうとしていた時のことだった。


妓女の悲鳴が妓楼に響き渡った。


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