第8話 踊り子
(あー、だるい)
結局朝帰りということになり、あまり睡眠をとれなかった。
睡魔が朝餉をとる葵を襲う。
「ちょっと、葵。あんた粥に髪がつかってるわよ。食べながら寝ないの!」
「ああ、ごめん。すっごく眠くて」
「まったく。紫水様もあんまりだわ。葵にずっと謎解きさせ続けては、躍らせて。頭が疲れ切ってるわよ」
ねえ、と言いながら、頭を突っつかれる。謎解きを投げかけ続けられて、踊りまくらされた、というのは勿論嘘だが、あながち間違ってはいない気がする。
一応ずっと謎解きはしていた。
(派閥争いに、酒蔵の不正…)
葵は昨日紫水と話したことを思い返す。頭の痛い案件であったことだけは、鮮明に記憶している。
ふうう。葵は大きく息を吐く。皇后の死を探るための潜入が、どうにも違う方向に向いていってしまっているような気がしてならない。
「葵~。大丈夫なの~?今日も舞の練習あるけど、後にして、ちょっと休む~?」
「うん。もうちょっと寝たいかなあ」
葵は気だるげに答える。
(そうか、貴光妃の全快祝いの宴)
そのまま執り行われるのだろうか。
貴光妃があの後どうなったのかは未だ連絡はない。
「杭々」も後始末はついたのだろうか。
考えをめぐらせながら、ボケっと食事をとっていると、パンパンと乾いた音がする。
音の方へ目線をやると、女主が立ち上がって妓女や禿の視線を集めていた。
「今日は新入りが来たから紹介するよ」
そう言って、後ろに居た娘に、前に出るよう指示する。
「自己紹介しな」
すると、前に進み出た娘は丁寧に頭を下げる。
「
上げた顔を見ると、紛れもない椿峰だった。
(何しに来たの、あの子)
やたら幼子が出入りする場所でもない。
(紫水様もえげつないことするわ)
葵は凝った肩を回しながら、朝餉を片付けた。
〇●〇
新しく入った娘は、禿として妓女に付き、教養を身に付ける。その間は、妓女がその面倒を見るのがしきたりだ。
「蘭世小姐につくことになりました。よろしくおねがいします。」
椿峰が瑠璃の間にやって来たのは、あれから半刻ほど経った頃だった。
自室で仮眠をとっていた葵は、寝ぼけまなこで椿峰を見る。
(あれ、この子…)
やっぱりどこかで見たことがある気がする。
頭がぼんやりしているからか、判断がはっきりしない。あくびをすると、椿峰に蔑むような目で睨まれた。
「えっと、蘭世小姐につくのよね?」
幼子のくせに、送ってくる視線が痛い。背筋が伸びる心地がする。
(女主に似てるのかな)
葵の思考回路を読み取っているのか、椿峰の眉間のしわがどんどん濃くなっている。
(いや、怖いわこの子)
すると、椿峰が葵のいる方にやって来て、真正面に座る。
「…。」
今から何が始まるのか分からず、葵は話そうにも、何を話せばいいのか分からない。幼子の考えることは分からないものである。
「きのうのけんですが、」
椿峰は声をひそめて話し出す。
「きこうひさまは、あやまってじじょにとりにいかせたきのこをくちにいれてしまい、しょくあたりをおこした、ということでかたがつきました。「くいくい」のこともうまくせつめいしておきましたので、しんぱいむようです」
この位の年の子がこんなにはきはき話すことがあるだろうか。
「ねえ、椿ほ…あ、椿梓。あの、あなた一体どこで「食あたり」なんて言葉覚えたの」
「そこですか」
冷静な突っ込みである。話し方はあどけないのに、内容がはっきりしているので、なんだか妙な違和感がある。
椿峰は少しうつむいた後、葵をじっと見つめる。
何だろう、と思って見つめ返していると、突然頭を下げられる。
「ち、椿梓?」
「…ありがとうございました。」
「?」
葵が何のことだろう、と首を傾げていると、椿峰が頭を上げて葵を見る。
「わたしのははは、このあいだかわでおぼれたこをたすけようとして、しんでしまいました。みんなにぎぜんしゃだといわれ、とてもつらかったです。」
椿峰は今までとは打って変わって、悲しそうな表情を浮かべる。
「川で溺れたって、あの小江と天河の?」
椿峰はこくりとうなずく。
「せいぎかんがむだにつよいだけで、じっさいはなにもできなかったと、ははのわるぐちをいわれました。はははおよげなかったわけではないのに、なぜおぼれたのかわたしにはわからなかったから」
そう言うと、椿峰はもう一度指先を揃えて葵に頭を下げる。
「ときあかしてくれて、ありがとうございました。」
〇●〇
瑠璃の間に一人取り残された葵はゆっくりと腰を上げ、大きく伸びをする。
貴光妃の全快祝いは、あくまで建前だけで、本当はお偉いさんたちがどんちゃん騒ぎしたいだけらしい。
はあ?と思わなくもないが、それでお金がもらえて大儲け、なので文句は言わないことにする。
貴光妃が参加するのかどうかは当日になるまで分からないらしいが、今回の宴には例の大将軍やら右丞相に左丞相、と重鎮達がずらりと並ぶらしい。
(まあ、豪勢なこと)
さらには妃全員がお披露目され、武官も文官も礼官にいたるまで勢揃い、というので、紫水はてんてこ舞いらしく。
(妃同士が顔を合わせれば、揉め事も起こるだろうし、大将軍派と右丞相派と左丞相派も結構な争いになってるらしいし)
葵は手元の鏡に映る自分を見る。そこには、丹念に化粧を施した一人の妓女の姿がある。
昔は化粧が嫌いだった。顔に色々と貼り付けるような煩わしさは、無邪気な一人の少女には似合わなかった。
それが今では、自分を覆い隠すための道具となっている。
かつて、紫水に言った言葉が頭をよぎる。
『今のままでは、私はなにもできません。一人でも生きていく術をください』
(そんなことも言ってたこともあったけなあ)
次の宴で仲の悪い者たちが顔を合わせれば、必ず何かが起こる。椿峰をわざわざこちらによこしたのも、そこに意味があるのだろう。
葵が死力を尽くしてでも守りたいもの。一人一人の願いを全て守ることができる訳ではないことは重々承知している。
だが、理不尽に命を落とさせることだけは許せない。それこそが葵が譲ることの出来ないものだ。
「葵~。今から皆で合わせるんだけど、あんたも一回やっときな~」
葵はもう一度大きく伸びをすると、確かな足取りで丹華のいる方に向かった。
〇●〇
玻璃の盃に映り揺らめく火を見つめる。
かつてはあの美しい女と対になったこの盃で酒を酌み交わしたものだ。
「退屈ですか?」
ふと後ろから声をかけられ振り向くと、踊り子の衣装をまとった女が目に付く。
「ああ、いや、少々考え事をしていてな」
この頃物思いに更けることが多くなったような気がする。年の功だろうか。
「まあ、お疲れですのね。今夜はもうお休みになられてはいかがです?」
女は踊っていた時と同じ、軽い足取りで近づいてくる。
「そう言えば今度、宴を行うのだとか。お妃様方が皆様揃われるのだと伺いました。皆様、さぞ美しい御様子でしょうね」
女は頬をほころばせる。
「そうだな」
それだけ答えると席を立ち、寝所へと足を運ぶ。
よく眠れるように、と最近はほんの少し晩酌をするようになったが、それでもなかなか寝付けない。またもや年の功か。
女はその後ろ姿を見送ると、近くに立つ男にそっと話しかける。
「最近随分とやつれていらっしゃる御様子だけれど、何かあったのですか?」
すると寡黙な男は固い口を開く。
「御妃様のお一人が毒を自ら口にされた。それがもとで、かつての御后様のことを思い出していらっしゃるのだろう」
「ああ、確か数年前に、溺愛してらした姫様に引き続き、此度御后様が亡くなられましたものね。心労が尽きないことです」
玻璃の盃には今にも消えそうな蠟燭の火が、小さく揺らめいている。
「そういえば、寝る前のお酒はあまり睡眠にはよろしくない、と聞いたことがあります。よろしければ是非お伝えくださいませ。」
女はそう言うと、部屋を後にする。
(御妃様の一人が自ら毒を口にした、か)
女は真っ赤に塗られた唇を少し上げると、闇夜に消えていった。
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