第7話 紫水ともう一つの真実

車は立派なお屋敷の前で止まる。


車から降りると、夜風が涼しい。今宵は満月なので、いつもよりも道が明るく、進む先を照らしてくれる。


「こちらへどうぞ。奥でお待ちです。」


政征に案内され、奥へと進む。甘すぎない、上品な香の香りが鼻を抜ける。


「お連れ致しました。」


奥の戸を開き、中に通される。


「ああ」


屋敷の主は、待ちくたびれたと言わんばかりの欠伸をしながら、葵を見る。


その態度に色々と思うところはあるが、口はつぐんでおくに越したことはない。


「何やら言いたげな顔だな」


「いえ、滅相もございません。ご挨拶が遅れました。お久しゅうございます、紫水様。蝶天閣より参りました、葵にございます。」


葵は改まった様子で、恭しく礼をする。


すると、クスッと笑う声が聞こえるので、なんなのかと顔を上げると、今にも吹き出しそうな顔をしている。


「なんでございましょう?」


葵は少し眉間にしわを寄せながら尋ねる。


「いや、その顔で「葵」だと名乗られてもなあ」


「顔?」


葵は今朝、鏡と向かい合った時のことを思い出す。特に変わったところはなかったように思うが…


(あっ!)


葵は慌てて懐から手拭いを出し、左頬を拭く。火傷化粧をしていたのを忘れていた。


紫水はと言うと、必死に笑いをこらえている。葵は化粧を拭くのも馬鹿馬鹿しくなり、諦めて手拭いをしまう。


「それで、ご報告に上がったのですが、特にする必要もないのであれば帰らせていただきます。」


葵はぶすくれて引き返そうとすると、慌てて呼び止められる。


「いや、見慣れないものですまなかった。ご苦労だった、とりあえず座ってくれ。」


葵は紫水を少しにらみつけながら、出された椅子に腰かける。


「では、貴光妃の件、お前の見解を聞かせてもらおうか」


旦那はどかっと構えて薄い笑みを浮かべている。


(どこまで話すべきかなあ)


貴光妃が本当に添い遂げたかった相手と心中未遂をするために、あるいは下賜されるために自ら紫陽花の葉を口に含みました、なんてことを言うと、妃の今後に関わるだろうし、少なくとも、人を呼ぶな、と言った貴光妃には公にしたくないという意思がある。


だが、それを言わねば紫陽花の話は出来ぬし、、、


葵がだんまりしていると、紫水の方が先に口を開く。


「安心しろ、お前が話すことはお前の推測に過ぎないし、下手に外部に漏らすこともない。それを知るのは、今ここに居る者だけだ。」


葵は口を開きかけて、言い淀む。


「…私には分からないことです。それはきっと貴方様にも。」


偽りはない。貴光妃がどれほどその男のことを想っていたかなど知る由もない。それに、色恋沙汰に興味なしの葵には、尚更である。


葵の意味深な様子で察したのか、紫水は一言、そうか、とだけ呟く。


「一つだけ聞かせてくれ」


「はい。」


「貴光妃は毒を盛られた、のか?」


その問いに葵は考えるような素振りを見せるが、その目がだんだん険しいものになる。


「そのご質問にお答えする前に、いくつか質問しても構いませんか?」


「構わん」


「貴光妃の毒見役はどうなったのでしょう?」


確か、貴光妃が毒を盛られた、という話は、毒見役が遅効性の毒だったためにすぐには気づけなかったことが始まりだ。紫陽花の毒は、妃が自主的に行った事なので、辻褄が合わない。


「政征。」


そう呼ばれると、政征が葵を見て答える。


「亡くなりました。毒を含んで数日後のことです。」


紫陽花の毒は、致死量に至るまでかなりの量を摂取しなければならない。つまり、簡単に死に至る毒ではない。


故に、出される結論は一つ。


「貴光妃は毒を盛られました。それを妃が口に含んだかどうかは別の話ですが。」


葵は静かに告げる。


紫水の表情が明らかに変わる。


「犯人の見立ては?」


「それについてもいくつかお尋ねしたいことが。」


「構わん。話せ。」


「先日の宴会で毒を盛られた高官たちは、殆どが武官だったのではありませんか?」


紫水と政征は顔を見合わせて、そして葵に向き直って答える。


「その通りだ。」


(やっぱり)


葵はより深いところでつながった真相を語る。


「貴光妃は王の一族の傍系と伺いました。王の一族は主に武官に多い。大将軍が王であるからでしょうか。」


「そうだ。宮廷内でも王の一族として、武官は独自の派閥を保っている。」


「王の一族を狙ったとは考えられませんか?これは私の憶測ですが、貴光妃の毒見役と、武官たちが盛られた毒は同じものなのではないですか?」


旦那は目を見開き、政征に視線を送る。


「同じ毒なのかどうかは分かりませんが、似たような症状が出たという報告は受けています。」


「…そうか。」


旦那は椅子の背にもたれかかり、大きく呼吸をする。


「派閥争いの可能性がある、ということか。」


この男にとっては、頭の痛い案件だろう。


「派閥は他にも?」


「ああ。」


紫水はいかにも聞いてくれ、といった表情をしている。


「妃で説明した方が分かりやすいだろう。主上の寵愛を受けている四人の妃が丁度その派閥にはまっていてな。まず、右丞相の娘・李春リチュン妃。次に、左丞相の娘・桃林タオリン妃と麗林リーリン妃。そして、この度の大将軍の家系・貴光キコウ妃だ。」


「つまり、右丞相、左丞相、大将軍の派閥が対立しているということですか。」


「ああ、そうだ」


厄介である。非常に厄介である。


これ以上説明を受けると訳が分からなくなるので、話題を変える。


「犯人の見立てを聞くということは、先日捕えられた、食材選びを担っていた男は犯人ではないということですか?」


葵が尋ねると、紫水は返事代わりにため息をつく。


「では、何を根拠に捕えられたのです?」


すると、政征が前に進み出て、葵に紙を手渡す。


葵は読み終えると、政征に渡した。


「毒草を所持していた、それだけですか」


口調は変わらないが、葵の言葉には、怒気が混じっている。


それに気づいているのか、紫水は少しばつの悪そうな顔をしている。


「そういう芽は早めに摘んでおいた方が良いだろう?なにがあって毒草を所持する?」


「目的は人それぞれです。罪のないかもしれない人間を犯人にでっち上げるのですか」


「俺に言ってどうする」


確かにそうだ。紫水がそれを言ったところで、周りの反感を買うだけだ。少なくとも毒草を所持していたのだから。


葵は心を落ち着けようと深呼吸する。


「ちなみに、なんの毒草ですか?」


すると紫水は机の引き出しを引っ張り、箱を取り出す。蓋を開けてこちらによこすので、そっと覗き込む。


そこには、枯れた茶色い大判の葉が入っていた。


(これは…)


「あじさいのはっぱです」


葵が口を開くよりも先に、足元から声がする。


見下げると、いつの間にか来ていた椿峰チュンホウが立っていた。


「あんた、なんでこんなところに」


葵は驚いて尋ねる。しかし、椿峰はそんな葵を横目に、紫水に向かってただいま戻りました、と礼をしている。


その様子は少し前に覚えのある光景だった。


「…!あんた、まさか!」


「ご苦労だった。いやあ、小さな子供というのは素直なものだな。潜入も適応能力も群を抜いている。」


紫水はそう言って、椿峰を褒め、置いてあった茶菓子を与える。


椿峰はというと、それを受け取り、懐にしまう。あどけないのは、顔つきだけだ。


(椿峰も間諜なのね)


そう思い、葵はもう一度箱の中の葉を見る。


確かに、紫陽花の葉に見えなくもない。


「ねえ、椿峰。これは本当に紫陽花なの?」


椿峰は何度も同じことを言わせるな、と睨みつけてくる。葵はむかつきながらも、それを本当なのだと認識する。


だとすると。この紫陽花の葉はもしかすると…。


「つかまったかたは、きこうひさまがおさないころからしんこうのあったかただときいております。」


椿峰は葵の考えを読み取ったのか、それだけ言うと後ろに下がった。


(そっか)


合点がいく。


この葉は恐らく、貴光妃が想う男に送ったものだ。つまり、今捕らえられている男は、貴光妃の想い人ということになる。


ただ少し引っかかる。


「貴光妃の毒事件があったのは、半年前のことですよね?」


葵は紫水に尋ねる。


「そうだ。」


その割に、この葉にはかじった痕跡も、破いた痕跡もない。


一緒になろう、と言ったのではなかったのか。


葵が険しい顔つきをしていると、紫水が話し始める。


「その男の名は杜利トリという。杜の酒蔵くらいは聞き覚えがあるだろう。そこの主人の弟にあたる。」


杜の酒蔵、と言えば、皇家御用達の酒蔵だ。一般向けの販売はされておらず、一度は飲んでみたいという酒好きも多い。


「それがどうかしたのですか?」


葵が聞くと、紫水は葵に木簡を手渡す。


「酒蔵の脱税疑惑?」


葵が言うと、紫水は額に手をつき、天を仰ぐ。


「ああ。ここ二年で監査が六回入っている。誤差の金の使いどころもつかめていない。そのため、杜の人間には、見張りが付いていた。それで発覚したんだ、杜利が毒草を所持していたことが。」


葵は納得する。と、同時に疑問も生じる。


「その割には時間がかかりすぎてはいませんか?」


恐らく、見張りが付いていたために、貴光妃と同じ時期に毒を含むことは叶わなかったのだろう。しかし、半年前のことだ。それがついこの間捕まった。その間に毒草が見つからなかった、というのも引っかかるところがある。


「ああ、そうだな」


紫水は何か意味ありげに答える。


何としてでも、杜利を犯人に仕立て上げたかった。たとえそれが違う罪であったとしても。


そこまで考えて、葵は首を振る。


(考えすぎだ、頭が疲れているのだ)


紫水はそんな葵を見ながら、遠い目をする。この男もまた、疲れているのだろう。


窓の外を見ると、東の空が明るくなり始めていた。


(帰らないと)


「杭々」の仕事は済んだ。妓楼に戻らねばならない。


「そろそろお暇します」


葵は椅子から立ち上がる。


「もう帰るのか?」


「人の目が多くなれば、貴方様のところに女が来ていた、と話題になるでしょう。そうなれば、かなりお困りでは?もちろん、私も困ります。」


「葵」という人間は未だ床の客を取っていない、いや、取らない。


なんのためにここまで築き上げたのか。


自分を捨てたのか。


「お湯につけた手拭いをいただけると助かります。このまま妓楼に帰ると、色々とめんどくさいので。」


葵はそれだけ言うと、戸口に向かう。


後ろから着替えも用意しておくから車で着替えろ、と聞こえてくる。


葵は紫水に向かって頭を下げる。


(情報が多すぎて、あんまり頭に残ってない)


細かいことは明日考えよう、と葵は屋敷を後にした。


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