第6話 紫陽花
翌日も前日と仕事内容は変わらないので、着々と仕事をこなす。
時折、他の侍女が見回りにやってくるが、葵の掃除後は文句のつけようがないほどに美しいので、驚くほど何も言ってこない。
「そろそろ休憩しましょ~」
そう言って、侍女の一人、
「
鈴々は甘いものに目がないらしく、パクパクとほおばっている。
「鈴々はいつから貴光様に?」
「うーん、貴光様がご実家にいらっしゃる時からだから十数年になるかなあ。私の母が貴光様のご実家で下女をしていたから、その縁でね」
「貴光様のご実家って?」
「杭々」は、下賤の生まれであるため、情報に疎く、世間知らずという設定なので、基本的なことを尋ねても特に咎められることはない。
「代々主上にお仕えする武官の一族、「
大将軍、と言えば軍の頂点である。それの傍系となれば、大将軍には劣っても、かなりの権力を持つに違いない。
「貴光様の御父上が王の一族で、御母上が主上の御親類なの。」
思ったよりもすごい生まれである。
その貴光妃と主上との間に子ができたとすれば、王の一族は益々発展すること間違いなしである。
葵が感嘆していると、鈴々は笑いながら言う。
「だからね、貴光様が御后様になられる日を皆心待ちにしているの。主上も貴光様のことがお気に入りの御様子で、なにかと気にかけていらっしゃるから。」
なるほど、有望なわけだ。
葵は嬉しそうに話す鈴々を横目に、御菓子をかじる。
由緒ある家柄に生まれ、帝の寵愛も受けている。ともなると、勿論他の妃達や、その妃達の一族からすれば面白くないだろう。
また、元々地位のある王の一族が益々大きく権力を担い始めるとなると、それに抵抗する力も益々大きくなる。
(だから毒を盛った?)
政治的なことまで鑑みなくてはならない、となると、流石に葵の仕事の域を越しているような気がしなくもないが、全ては毒を盛った犯人を見つけるためである。
葵は気の遠くなりそうな案件に、大きなため息をついた。
〇●〇
残っていた仕事を全て終わらせ、宿舎に戻ろうとすると、侍女の一人に呼び止められた。確か、紫陽花を見ていた時に、貴光妃の後ろに付いていた侍女である。
「今晩は主上がいらっしゃることになったから、入り口をもう一度拭いてもらえないかしら?」
葵としては、掃除は別に嫌いではないので、その要望は別になんとも思わないのだが、こんなに早く帝が来るとは思っておらず、思わず持っていた手拭いを落としてしまう。
「あ、はい。分かりました。直ぐに取り掛かります。」
もしも拭いている最中に主上が来たら、気まずいことこの上ない。それに、主上には…。
(ともかく急ごう)
葵は目まぐるしい速さで床を磨いて行く。
すると、隣に黒い影が現れる。
思わず見上げると、
「手伝うよ~」
そう言って、二人共せっせと窓やらなにやらを拭いていく。
時折、椿峰がこっちをじっと見つめてくるので、顔を上げると、フンと鼻を鳴らしてそっぽを向かれる。目が合う度にこの調子なので、葵としてもなんだかもやっとするものである。
(なんなの、あの小童)
葵はなるたけ気にしないようにして、どんどん拭き進めていく。
するとふと、隣にあった青い何かが視界に入る。そちらに目をやると、一株だけ咲いた紫陽花だった。しかも他の木々に埋もれるようにして咲いている。
まるで隠れて咲いているようだ。
(なんでこんなところに?)
確か、貴光妃は広範囲に咲いていた紫陽花を昨日葵と会った場所にだけ移したと言っていた。
(移し忘れかな)
何気なくそちらに手を伸ばすと、僅かな違和感に気付く。
(あれ、これ…)
花の下を覗くと、明らかに葉をちぎり取ったような跡がある。それも一ヶ所ではない。全部で三ヶ所だ。
後ろから視線を感じるので、振り返ると、椿峰がじっと葵を見つめている。まるで目で何かを訴えているようだ。葵にはそれが何かを読み取ることはできない。
ただ、何かが繋がりそうな気がする。
「ふふふ、楽しみだねえ。やっと主上がいらっしゃるのよねえ。」
鈴々が鼻歌交じりに笑顔で拭き掃除をしている。
「やっと?」
葵が聞き返すと、鈴々は不思議そうな顔をした後に、ああ!という顔をする。
「実はね、貴光妃様は入内されてから一年程経つのだけれど、入った当初はまだ月の忌が来ていなかったの。だけど、半年ほど前ようやく月の忌を迎えられて。その矢先に、毒を盛られたでしょ?だから今宵が初めてなの」
何が初めてか、というと紛れもなく夜伽のことだ。
(月の忌が来てすぐに、毒を盛られた…)
『きこうひさまは、ひょうじょうがころころかわるんだよ。ずっとげんきなじょせいのようにみえるけど…。それにね、すごくしんぼうづよいひとなんだよ』
昨日の椿峰の言葉が、脳内に響く。
気付いた時には、葵はもう手拭いを投げ出して走り出していた。鈴々が何かを叫んでいるが、知ったことではない。何故もっと早くに気付けなかったのだろうか。
表情がころころ変わるのは、自分の本当の気持ちを知られないため。ずっと元気なのは、皆に心配をかけないため。辛抱強いのは…。
『このあじさいはね、きこうひさまがあるひとからもらったものなんだって。きこうひさまはそのひとにべつのあじさいをかえしたっていってた。』
紫陽花には良い意味もあるが、負の意味もある。
(浮気)
貴光妃は、紫陽花は自分と似ていると言っていた。
貴光妃に紫陽花を送った人間が、仮に貴光妃と恋仲にあったと仮定する。周りの貴光妃に対する期待も大きく、その人とは結ばれない未来しかなかった。だとすれば、この状況からとるであろう行動は一つ。その証として紫陽花を送り合ったのだとしたら。
葵は妃の部屋を豪快に開ける。
中には、驚いた様子で椅子に腰掛けている貴光妃がいる。そしてその手には…。
(お、遅かった)
かじったであろう紫陽花の葉が握られている。
だんだんと貴光妃の顔が赤くなっていく。紫陽花の葉の毒の特徴の一つだ。
「貴光妃様!」
葵は慌てて葉を吐き出させようとする。しかし、妃が抗うので、上手く吐き出させることができない。
「さ、さわがないで、ちょうだい。人が来ない間に、、主上がいらっしゃる、ま、前に、、」
妃は息も絶え絶えに口を開く。
「貴光妃様!吐き出してください。紫陽花の葉は一枚、二枚では死ぬことができません。苦しいだけです。」
「杭々…。貴方には分かる?はぁ…はっ、好いている人と添い遂げられないって辛いのよ。どんなに想っていても、結ばれないの…。だからね…あの世で一緒になろうって…紫陽花の葉は簡単には死なせてくれないんでしょ?…なら、せ、せめて、痙攣でも残ってくれれば…しゅ、主上も諦めてくださると、、思っていたのに…」
ちぎられていた紫陽花の葉は全部で三枚。内一枚はここにある。また半年ほど前に妃が倒れたのもそれが原因と考えて問題なさそうだ。つまり、あと一枚。
その一枚は恐らく…。
「相手の方にも、紫陽花の葉を渡したのですか?」
妃は荒い息を吐きながら頷く。
「半年ほど前に、一緒に…って、、」
妃の意識が遠のいていく。助けを呼びたいところだが、騒いでしまえば、妃の立場が…
(そんなことを考えている場合じゃない)
葵は急いで医官を呼びにいこうとするが、妃に腕を強く握られる。
「っゃめて…お、おね、がい…」
弱々しく請われるが、このままでは中毒症状が出て、もっと厄介なことになる。
葵が扉の方を向くと、小さい影があった。
「椿峰!」
葵は叫ぶ。
「お願い、医官様を呼んできて!御妃様が!」
「ほいほーい。医官様をお呼びかい?」
葵の叫びとは裏腹に、なんとも間抜けな声で男が現れる。
「え?」
「ん?あ、いやあね、さっきそこを通りかかったら、あのお嬢さんに呼ばれたんだよ。妃様が倒れたから助けてくれって」
医官と名乗るその男は、あちゃー、紫陽花かー、などとテキパキ作業を進めている。
「ああ、そんなことより、君、早く逃げた方が良いんじゃないか?さっきあのお嬢さん、入り口で主上に向かって、間違って下女が妃に渡したキノコのせいで、妃が食あたりを起こしたって大声で叫んでたぞ」
「は?」
椿峰の方を見ると、本人はそっぽを向いて知らんふりしている。
「じゃあ、疑われるのって…。」
「今妃と一緒に居た君だろうな。」
一瞬にして全身から血の気が引くのを感じた。
(やばい)
葵は即座に立ち上がって走り出す。
戸まで来ると、椿峰が手招きしている。
(誰があんたのいる方向なんかに!)
そう思って、反対方向に行こうとすると、足音が近づいてくる。どうやら椿峰の指し示す方向にしか逃げ場はないようだ。
「妃は助かりますよね?」
葵は振り返って医官に尋ねる。
「ああ、俺はこの国一の医官だからな。」
医官はこちらに向かってニヤっと笑い、早く行け、と言わんばかりに手を払っている。
「ありがとう!」
葵は叫ぶと、椿峰の後に続く。
進んだ先で、椿峰は地面を軽く掘り、何かの入り口を露にする。
「わたしはあとからいくので、とりあえずさきにいってください。」
そう言うと、椿峰は入り口を開ける。そこには隠し通路があった。
椿峰に色々と聞きたいことはあるが、今は逃げるのが最優先だ。
椿峰に軽く礼を伝え、通路を抜けると、外の路にまでつながっていた。
辺りを入念に警戒しながら外に出る。辺りはシンと静まり返っていた。
葵は身体を外に出し、そっと出口の蓋を閉める。立ち上がろうとしたその時。
「お待ちしておりました」
後ろから突然話しかけられ、思わず体勢を崩してしまう。
「へ?」
間抜けな声を出して振り返ると、立派な官服を来た男が立っていた。
「車をご用意しておりますので、どうぞこちらへ」
腰を抜かしかけた葵に、男は手を差し伸べる。
「あ、ありがとう」
その手を取って葵は立ち上がる。
男の顔が近くなり、その詳細が露になる。
「
葵が問うと、男はゆっくりと頭を下げる。
「さようにございます。驚かせてしまい、申し訳ございません。お役目、誠にご苦労様でした。お疲れのところ申し訳ないのですが、ご報告のため、車に乗っていただきたく…」
そう言われると、葵に断る術はない。
言われるがままに車に乗り込む。
葵が乗ったのを確認すると、車が動き出した。
辺りはすっかり暗くなっていた。
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