第1話 謎を解く妓女

日が落ち、辺りが暗くなってきた頃、その街は灯りを灯し始める。


甘い香の香りと、女の蜜に誘われ、男は今宵も戸を叩く。


通称・花街。


心地良い音楽が響き、笑い声の轟くその街に、他のどの妓楼よりも高く、大きい立派な門構えのその妓楼は一際輝いている。


それもそのはず、高官や豪商など、上流階級の人間が足蹴に通う由緒ある店で、一晩の売り上げは小さな妓楼一年分を裕に越すとされている。


その名を蝶天閣、故に最高級の妓楼と称されている。


その妓楼の一室に少し変わった才を売りにする妓女がいる。


その妓女の名をクイという。


その見た目は決して華美でなく、とりわけ美人というわけでもないが、精錬された身のこなし、ミステリアスな空気を纏う、落ち着いた大人の女に客は夢中になり、蝶天閣の妓女の中でも最上級と呼ばれる三人の妓女の一人に選ばれている。


彼女の売りは、嫋やかな舞、そしてなにより、幅広い知識と冴えわたる頭脳による聡明さ。


故に、彼女に謎を解き明かしてもらおうと、高官でなくとも、集う男は多い。



そして今宵もまた彼女の元に一人の男がやってくる。彼は上流階級の人間ではなく、市井で暮らす、ごく普通の男だ。



〇●〇



「どうしてこんなことに…」


そう言って男はまた嗚咽を上げる。


これで一体何度目だろうか。解いて欲しい謎があるというから客として迎え入れたというのに、部屋に入ってきてからずっと泣いてばかりで、口を開いたかと思えば、「なぜだ、なぜだ」と騒ぎ始める。


それでいて、この蝶天閣で酒を、増してや最高級の妓女に注いでもらうとなると、財布からいくら飛ぶやら恐ろしいので、酒は飲まないと言う。


(いい迷惑だ、早く帰ってくれないかしら)


葵がいい加減その場を立ち去ろうとすると、後ろに控えていた禿に着物の裾を引っ張られる。


訳が分からず、禿の顔を覗き込むと、なぜか禿も泣いている。


(いや、なんでだよ)


どうやら同情してしまったらしい。


同情するもなにも、事情さえ分からないので涙どころか、言葉さえ出てくるものはない。


葵は呆れて男の方を見る。


泣き止んで落ち着くのを待とうと思ったが、限界である。


「ちょいと旦那さん。泣いてばっかりいられたってなんにも解決できないじゃないか。用がないんなら、あたしはこれで失礼するよ。」


葵が少し食い気味に言うと、男ははっと我に返ったような顔をして、葵に向かって頭を下げる。


「申し訳ない。ちょっと辛いことがあったもんで…あんたに解いてもらいたいことと関係があるんだが…」


そう言って男は鼻をすする。


「婚約者に逃げられた、とか、女を口説く方法を教えてくれって言うんじゃないだろうね」


たまにいるのだ、そういう輩が。そんなことは葵にはどうしようもない。葵からすれば、婚約者がいるのなら、そもそも妓楼に通うことをやめることから始めろ、と思う。


「いや、断じてそんなんじゃねえ。あんたには情けないところを見せたが、女とは関係がないんだ。」


「じゃあ、どうしたんだい?」


葵が気を取り直して尋ねると、男は悲痛な面持ちで口を開く。


「俺の娘が、まだ八つになったばかりの娘なんだが…この間死んだんだ。」


なんともまあ暗い話である。葵は、男女関係のことかと疑ってしまったことを少し後悔した。


「それで、お嬢さんは何故?」


「溺れたんだ。そこの小川で。おかしいと思わないか?」


これだけ聞けば、別に大した謎ではない。ただし、ある一点を除けば。


「そこの小川っていうのは、小江ショウコウのことかい?」


葵の問いに男は静かに頷く。


葵の後ろに居る禿たちも不思議な顔をしている。


それもそのはず、小江はその名の通り、本当に小さい川だ。流れは穏やかで、非常に浅く、八歳の子供が入っても、せいぜい脛がつかるかどうかほどの高さだろう。


溺れるなんてことはまず聞かないし、あり得ないと思う。


「それに、娘と遊んでいた同い年くらいの子も一緒に溺れ死んでいて…助けに入った人までも…」


男の目にはまた涙が浮かび上がっている。


不運だったとしか言いようがないような気もするが、当事者からすれば受け入れがたい事実だろう。


すると、後ろから禿がついついと葵の着物を引っ張ってくる。


「あたしも聞いたことがあります。それ。女の子が二人溺れてて、大人の女性が助けに入ったんだけど、結局三人とも亡くなったって。小江は以前も子供が溺れて亡くなったことがあって、その子の霊が帯び寄せているって言われているらしいけれど。」


「以前溺れた子供っていくつだったの?」


「確か十はもう過ぎてたような…十二くらいだったと思います。」


葵は男に向き直ると、いくつか気になる点を聞いてみる。


「旦那さん、お嬢さんが遊んでいたのはどの辺り?あと、その溺れた三人が見つかったのはどこ?そしていつ?」


「娘がいつも遊んでいたのは小江でも比較的浅いところだよ。川の中流くらいかな。三人が見つかったのは、それよりも少し下った、天河との合流地点を少し過ぎたあたりだったね。見つかった時にはもう三人共意識はなくて…俺がその知らせを受けたのは、娘が家を出てから、一刻にじかんほど経ってたと思うよ。」


天河というのは、小江と似たような小さな川である。小江と中流を少し下った辺りで合流する。西の方の文字で表すと、Yの字になっている。



一刻もあれば溺れ死ぬことは決して珍しいことではない。ただ、どうやって溺れたのか。酒に酔っていたとか、意識が朦朧としている人間が、雨が降った後の水たまりで

溺死するなんて話は聞かなくもないが、今回は子供である。


そう、子供だ。


(子供?そして、助けに入った大人…浅瀬…流れは緩やか…合流地点を少し過ぎた辺り…)


葵は紙と筆を用意する。


男はそれを黙って見つめている。


「分かったのですか?」


禿の一人が尋ねると、葵は小さく頷いた。


葵は紙に簡単な絵を描いて男に見せる。


「なんだこれは?」


男が問う。


「川の断面図です。左が小江、右が天河。そして…」


葵は先ほどの絵の下にもう一つ絵を描く。そして先程と同じように男に見せる。


「これが小江と天河の合流地点の辺りの断面図です。」


川幅は小江と天河を足したくらいで、大して広くはない。ただ…。


「川の合流地点というのは、二つの川の流れがぶつかることで、激しい衝撃を生み出す。そしてその衝撃は、川底の土や石を侵食する。」


「つまり…」


男は衝撃を受けたような顔をしている。


「恐らく、この地点だけ他と比べて底が深くなっているんだろうね。皆この川は浅瀬だと思っていたから、助けに入った大人も浅瀬なら問題ないと踏んだのでしょう。」


思った以上に底が深ければ、時にパニックを引き起こし、冷静な判断を下せなくなる。


結果的にこのようなことになってしまったのだろう。


「じゃあ、娘は…」


「大体、足が膝くらいまで浸かってしまっていると、水の流れには逆らい辛いと言われています。子供であれば尚更でしょう。こけたか、もしくは、下流に下っていこうとしていたか。深くなっていることに気付いた時にはもう、自力では戻れなくなってしまった可能性が高いと思います。」


男は俯いて一つ、また一つと自分の着物に染みを付けていく。


先程までとは異なる、深い悲しみだろう。


「俺が付いて行ってあげれば…早くに迎えに行ってやれていれば…」


後悔が尽きることはない。葵にはどうしてやることもできない。ただし。


「旦那さん。別に無理にっていうわけじゃないんだけどね。」


葵が口を開くと、男は葵に向かってぐちゃぐちゃになった顔を上げる。


「これを役所に届ける気はないかい?」


「役所?」


葵は力なく笑う。


「あたしはそこの川で遊んでいたわけではないし、実際どうなっているかは知らないからね。役所に掛け合ってみたら調べてくれるかもしれない。そうしたら…。」


そこで葵は口をつぐむ。


今、この男にそれを言ってしまうことは少し酷なことかもしれない。


それでも。


調べることで、同じ被害に遭う人は少なからず減るに違いない。



男は葵の言いたいことを悟ったのか、深々と頭を下げ、懐に手を入れると、財布ごと床に置く。


「それじゃあ失礼するよ。」


男は来た時よりも少しだけ晴れやかな表情で立ち上がる。


次いで、葵も立ち上がる。


「お送り致します。」


そう言って、男の後ろに立つと、部屋を出る。


●〇



店先で男が別れを告げて歩き出す。


すると、葵に忘れ物だと叫ばれる。


男は忘れ物などした覚えはないが、一応戻る。


「これ。亡くなったお嬢さんへのあたしからの、せめてもの餞別だよ。お嬢さんは本当に良い父親を持ったんだねえ。」


そう言うと、葵は禿を連れて店の中に戻っていく。


帰り道、渡された巾着袋を覗いてみると、そこには大量の飴が入っていた。


男は顔に少しの笑みを浮かべる。


すると、飴の中になにか黒いものが入っていることに気付く。


取り出してみるとそれは、男が置いてきたはずの財布だった。中を開けてみるが、何一つとして変わっているところはなかった。


男は、嬉しいのか悲しいのか、なんだか良く分からないような気分に浸りながら、祈るような想いでもと来た道を振り返る。


その方向に、もう一度深々と頭を下げると、そこからは振り返ることなく帰路についた。

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