三章
第38話 シャロの今と思い出
「やったやったぁ! やっと先輩が戻ってきてくれたっす!」
懐かしい国連の研究室の一角で、ヒサメは子供のようにはしゃいでいた。
昔、私がシンシアと一緒に研究していた場所とは違う。だけど、雰囲気は同じだ。
白亜の壁に包まれた研究棟。室内はどれも小さなドームのように丸くてステンレスの壁からは冷ややかな空気を感じた。触ればつるりとしてひんやりした壁は実際に冷たいし、薬剤を研究する場所では高温にならないように空調も低めに設定されていた。
冷蔵庫の中のモルモットと同じね、とシンシアは毛布に包まりながら言っていた。
きっとそうなのだろう。研究者も、国連からすれば新しいおもちゃを生み出すモルモットに過ぎない。
私は昔からそれで構わないと思っていたし、ヒサメは見た目通りの子供なのだ。
「シャロ先輩♪ コーヒーはあっさりめのブラックでしたっすよね♪」
すりすりと寄って来るヒサメの手には昔愛用していたヒガンバナをあしらったマグカップが握られていた。
芳醇なコーヒーの香りよりも、懐かしさが鼻の奥でつんとする。
「あんたまだこんなもの持っていたの?」
私の私物はすべて捨てていいと言っておいたのに。
「毎日磨いて漂白もバッチリっす! シャロ先輩の荷物はすべてこのヒサメルームに保管されているっすよ」
研究部署に自分の名前を付けるとは、後輩ながらに痛い子だわ。
「このデスクも先輩の使っていたやつっすよ! 座ってくださいっす!」
よく見れば懐かしい木目のデスクが置いてあった。キャスター付きの黒い椅子もあの頃と同じもの。
ヒサメに促されるままに椅子に座り、デスクに肘をついてコーヒーを味わうと、本当にあの頃へ戻ってきたみたいだった。
テニスに打ち込んでいたヒサメですら知らない、私とシンシアが過ごした時間に──
「シャロは優しい人よ。わたしなんか及びもしない、優しくて頭脳明晰で驕らない世界一の人格者」
ベッドの上で私の髪の束を三つ編みにして遊ぶシンシアはそんなことを呟いていた。
「くく、世界一の人格者か。そいつは新興宗教の教祖様にでもなりそうだな」
「もう、そうやって悪ぶらないでよ。ヒサメのこともいつもからかって。あの子、シャロの冗談を真に受けて最近影響され過ぎなのよ」
可愛い妹に悪い遊びを教えるなと良き姉は生まれたままの姿で私に文句を言う。
悪い女に騙されているのはシンシアの方だろう。先ほどまでの熱の名残が、まだシーツを濡らしていた。
「シャロはわたしを助けてくれた。グールに殺されかけていたわたしの前に防御魔法と結界を張り、シャロの持つ機関銃から放たれた魔弾がグールを撃ち抜いたとき、わたしは白馬に乗った王子様に出逢ったんだと確信したわ」
「実際はオートバイに乗ったメガネでちびっ子の女だけどね」
「あら、シャロは素敵よ。小さくても大人の気品と優雅な色気があるわ」
褒められて悪い気はしない。私は元々バイセクシャルだ。可愛い恋人から贈られる賛辞を喜ばないほど冷めた女ではなかった。
「シンシアこそ一人で頑張りすぎなんだよ。いくらヒサメにテニスをやらせたいからって、シンシアには戦闘向きの適正魔法がない。魔力譲渡という特殊スキルは珍しいし、補助的な役割は出来るだろうけど、自警団で稼ぐなんて無茶だ」
国連には正規の軍隊が世界一位の規模で展開されているが、保有する保護区域の広さも数も世界一位。つまり、戦闘力ではイリス教会が最も強く、最も好戦的であり、脅威とされているが、イリス教会の影響下にある土地は意外と少ない。
理由も簡単でイリス教会はイリスレインのみで構成された組織であり、彼らが守りたいのもイリスレインだけ。旧世代はグールに変えるか、排除する目的しかないので広大な土地を必要としていないのだ。
国連は一応、旧世代とイリスレインの共存を政治理念として掲げている。
実態は旧世代の覇権を取り戻そうという腹づもりだろう。
だが、イリスレインとは仲良くしておかないと、戦争をすれば負けてしまう。
しかし、それも今のうちだけだとわかっていた。私には近いうちに旧世代とイリスレインの全面戦争が起こる未来が視えている。
グールはそれだけの可能性を秘めた科学者として最大の失敗作だった。
いずれグールの力はイリスレインの力を超える。改良を求められれば結果を出す、私の研究が戦争の時期を早めているのは確かだった。
こんな女を世界一の人格者だと持ち上げるシンシアの目はおとぎ話のように輝いているのだろう。
そんな私の考えを見透かしたかのようにシンシアは私の唇を人差し指でなぞりながら囁く。
「治験のバイトなんて嘘。日時もヒサメのレッスン終わりの時間に合わせてあったし、毎日ヒサメのためにビタミンのサプリメントを飲ませていただけ。わたしは飲んだふりをして薬の成分を調べた。そして、あなたに近付いて」
すすっと口許を寄せてきたシンシアに唇を奪われる。
そっと離れた後のシンシアは呆れるほど綺麗に笑った。
「抱いてくださいって告白しちゃった」
「私はこんな性格だからね。要求はわかりやすい方が好感が持てるんだよ。相性がいいならそのまま付き合えばいいし」
「やん♪ シャロがわたしの体は最高だよって褒めちぎってるぅ♪」
実際に恋をしたのはどちらが先なんだろうか
。
シンシアが保護区域で自警団に参加して戦闘をしているとき、私は新型グールの観察目的で戦場に訪れていた。
最初に見たときから私の目はシンシアを追っていた。視えてしまったからだ。戦力として使える魔法をなにも使えないことを。私も防御や結界といったガード役としてしか戦場には立てず、火力となる仲間の援助が絶対に必要になる。
単騎では戦えない。それを知ったのは生まれたとき。だからこそ自分の能力を頭脳に全振りした。
自分の才能が埋もれるような場所は選ばない。才能は開花させ、そして結果を残す。
だけど、そんな考えをシンシアは真正面から打ち砕いてくれたのだ。
妹の才能を伸ばしてあげたい。シンシアはそのために向いていないとわかっている戦場で、命を懸けて戦っていた。
私の研究対象は命だ。命の在り方について私は常に興味を抱き、私たちイリスレインが生まれた意義のようなものを探し求めていた。
シンシアは自分の命を妹の才能のために使っていた。
それはとても美しく、尊い、ヒガンバナのように一輪で人の目を奪う鮮やかな存在に思えた。
お金ならいくらでもあった。シンシアとヒサメに援助するくらい私には募金箱に小銭を入れるほど簡単な好意にして行為。そんな簡単な好意で私に引き寄せられたシンシア。
「シンシア、私は命を生み出したい。出来ることなら、シンシアの遺伝子を引き継いだ命を」
パッと顔を上げたシンシアは目を細めて幸せそうに笑みを浮かべる。
「それじゃあ、シャロとわたしの二人の遺伝子を引き継いだ命を生み出しましょう」
シンシアは一を伝えれば十を把握する。頭脳明晰という本来の才能を開花させたシンシアは、この日から私と同じ夢を追いかけることになった。
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