第25話 君を守るため
あたし、何してるんだろう。あたし、なんで生まれてきたんだろう。
ドゼの話を聞いて思った。自分のことを道具のように感じて生きていたのはあたしだけじゃなかった。
ドゼには旧世代と交わってもイリスレインを産ませる力がある。
イリスレインとも子孫を残せるドゼはイリスの代弁者なのかもしれない。
たぶん、そういう遺伝子の組み換えみたいな力がドゼの本質だからイリスの因子もリリンの因子も操れるのだろう。
あとは、世界を見渡せる力。精神体になって世界中のどこにでも行ける。
話の中でドゼは生まれた価値なんかないと絶望して消滅を願ったと言っていた。
世界の隅々まで見てしまえば、きっと誰もがドゼのように絶望するだろう。
あたしも同じ気持ちだ。こんな世界、ぜんぶ壊したい。
それなのに、あたしは今日も部屋の隅のベッドで猫のように丸くなって何もしていない。
シーツに包まって、国連の連中をなぶって殺すこともしないで息をひそめている。
本当は違う。ドゼがあたしに会いに来てくれるのを毎日待つようになっていた。
一度だけ絡めたドゼの舌は甘くて痺れそうで泣きたくなるほど幸せだった。
ドゼの話は本当だ。ムカつくほど、あいつはあたしに嘘をつかない。
家族と過ごしてドゼが笑顔を求めたのも本当のこと。
よりにもよってあたしの笑顔を求めたことも本当のことなんだろう。
だけど、あたしはもうこれ以上心が傷付くことに耐えられない。
ハナに謝ったけど、あたしは許された気持ちになってはいけない。
もしもドゼまでハナのように殺してしまったら、あたしの心はどこにも行けなくなる。
ドゼに叱られるから悪い子なのかと思ったけど、ドゼはあたしに優しいじゃない。
きっとドゼはあたしのことを許してしまう。どんなに悪い子でも最後には優しくしてくれる。
叱られた後の優しさだって今まで知らなかった。全部壊しちゃうあたしを最後まで見守って責めない眼差しを受け止めたときの胸の苦しさも知らなかった。
ドゼだって国連の連中を許したわけじゃない。だけど、イリスレインにだって許せるほどの甘い優しさは無かったはずだ。
どうしてあたしなの。
悲しそうな笑い方なんて言われてもわからない。ちっともわからないわ。
タイミングが違えば、ほんのちょっと運命が変わっただけで、ドゼの家族を殺したのはあたしだったかもしれないのに。
コンコンと扉を叩く音がした。ミジュ様と呼ぶ声に応えるのも面倒くさくなって結界魔法を解くと勝手に中へ入るように促した。
枕を抱えて突っ伏しているあたしを取り囲むようにシスタータイプのイリスレインたちが集まって来る。
「ミジュ様。ようやく準備が整いました」
まるであたしがこの儀式を待ち望んでいたかのようにいうのね。
「ミジュ様がこの新しい世界の女神となる。素晴らしい日ですわ」
狂咲ミジュがこの世から消える素晴らしい日よね。
だから、あんたたちはそんなにも嬉しそうに笑っているんでしょう。
あたしが可哀そうだから
。
「……出てってよ。監視してなくても儀式には向かうわ」
「それがミジュ様、この記念すべき日に少々邪魔者が暴れておりますの」
それが誰なのかはすぐに想像がついた。
あたしは重たい体を起こして、シスターたちを見て笑った。
「観測者、いい加減うざいわねぇ。あたしが神になる前に殺してあげるキャハハ!」
そしてあたしは笑いながら空間を転移して飛び上がる。
あいつが本当に可哀そうで笑って笑って、
こんな姿をもう見てほしくなくて、
あたしはドゼを信じることは出来ても、
あたしはこんなあたしを信じられないから、
心が空っぽになることを願った。
空間も捻じ曲げられるあたしにすれば距離なんて関係ない。
ガラスの靴なんて穿いていないけれど、ガラスのように透明な空間の裂け目を足先で飛び跳ねて、踊るように階段を駆け上がればもうそこは教会と施設の最前線だった。
血と土の匂いが風に舞って鼻先をかすめ上空にまで砂埃が舞い上がる。
眼下を見れば驚いたことにドゼはいつになく本気で戦っていた。
教会のグールとイリスレインの因子を操り、立った一騎で戦場を蹂躙する姿はあたしとよく似ていた。
ドゼが育て上げている弱小チームの月のフクロウも、ドゼのサポートを上手くこなしている。
本気であたしを助けに来るつもりなのね。ドゼの言葉を今さら疑っていなかったけど、こうして本気のドゼを見ていると呆れてしまう。
それだけの力があって、優れた知識も持っていて、どうしてこんなに目が悪いの。
フードを目深にかぶって伸びすぎた前髪に隠れているから、目の前のあたしのことがよく見えないのねきっと。
あたしとあんたは生き方も戦い方もよく似ている。世界にも人にも自分にも絶望した。
だけど、あんたは光を諦めずに立ち上がった。あたしはもう眩しい光に自分の醜い姿が曝け出されることが怖くて闇にしがみついたのよ。
絶望を味わった後の生き方がまるで違うじゃない。あたしのことはもうほっておいて!
「人の庭で随分と暴れてくれるじゃなぁい、観測者」
「ミジュ!?」
ドゼが驚いたような感じであたしを見上げた。マスクで表情はわからないけど。
「あんたの顔見飽きちゃったよぉ、別の着ぐるみを用意したらぁ? あんたんとこのイリスレインの生皮剝いであげよっか! アッハハハハハ!」
「ミジュ! 今なら逃げられる! 俺の手を掴め!」
「ちょ、観測者! 助けるって狂咲ミジュのことなの!?」
ほらほら、驚いているそのシーフが正解なのよ。あんた以外、この世界はあたしを助けようとしない。
「バッカじゃないのぉ。あんたのことなんか誰が信じるかっつーの!」
あたしのことなんてドゼ以外信じてくれないのよ。
「俺はミジュを裏切らない! ミジュを心から愛しているんだ!」
「うえええええええ! 観測者さん! 趣味悪すぎです!!」
ホントそこの幼女の言う通り。趣味悪いよドゼ。あんたなら可愛くて素直な良い子も選び放題じゃない。どうしてあたしなのよ。
「俺のミジュは天使だ! 最高だ! 俺が世界で一番幸せな笑顔を作れるとしたら、ミジュの幸せな笑顔を見たとき、その時だけだから! ミジュ! 俺が幸せにしてやる!!」
「うううう羨ましい! そんなセリフわたくしも言われたかったです!!」
バカバカ、人が羨ましがるような言葉なんていらないよぉ、あたしはドゼを不幸に巻き込みたくない。あたしはもうどっぷり闇に浸かっちゃっているんだから!
「うるさいうるさい!! あんたのことなんかあたしは絶対信じない! 愛も光も笑顔もクソくらえなのよ! お幸せにぜんぶ殺してあげるわよ! キャハハハハハハハハハハ!! みんな壊れろおおおおおおおおお!!!」
最大級の魔力をかき集めて、ホント、世界ごと破壊してやるつもりで真っ黒くてあたしにお似合いな闇の魔法をぶっ放した。
キイィン……!
一瞬、世界から音が消えて。
チュドオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッン!!!!
地上は大爆発。地面まで深く抉れて月のクレーターのように穴が開いた。
グールはみんな散り散りに灰となって消えていく。
教会のイリスレインたちも、手も足もばらばらに、引きちぎれて打ち捨てられた操り人形みたい。
ああ、でもそうか、操り人形。それで気付いた。あの爆発でイリスレインたちの肉体がこれくらいしか損傷していないのはおかしい。
ドゼだ。教会のイリスレインやグールたちの防御魔法と結界魔法を月のフクロウのメンバーに集中させたのだろう。
「あーあー、殺し損ねちゃったかぁ、まぁいいや、どうせ無傷のわけがないしぃ」
ドゼも月のフクロウのメンバーも、助かったとしても無傷では済まなかったはず。
それならもういい。あたしを助けに来られない。あたしはドゼを諦められる。
いや、違うか。あたしはようやく、あたしを殺してあげられる。
また、空間の裂け目を飛んで帰った。ガラスの階段を駆け降りるように、ドゼに見つからないように裸足で駆け降りた。
それなのに、
「なぁんでまたあんたは来てるのよぉ」
呆れてため息をつく。自室に戻ればドゼが精神体で待ち構えていた。
「気を失って、気付いたらここに居たんだ」
「ああそう、早く本体に戻ればぁ? あんたの大事な子たちも瀕死なんじゃないのぉ」
でも、ドゼはあたしを見つめたまま動かない。
「一緒に居るよ。ミジュが怖いときも寂しいときも、俺はそばで見ているから」
カッと頭に血が上りそうだった。あたしに殺されかけたくせに、どこまでもお人好しな奴。 文句を言ってやろうかと思ったら、また自室の扉がノックされた。
「開いているわよぉ」
「失礼いたします。っひ! 観測者!?」
「こいつのことは気にしなくていいわよぉ、ただの幽霊だものぉ。何も触れないし、何も掴めない、あたしを止めることだって出来はしないわぁ」
実際、観測者はいつものようにグールを操ってあたしを拘束しようとはしない。
気を失ったと言っていたから、今は因子を操る力も残ってないのかもしれない。
「そうですか、ではその、ミジュ様。憂いを払っていただきありがとうございます。これで滞りなく儀式を進められます。湯あみをいたしましょう」
こんな穢れきった体を今さらお湯をかぶったくらいで清められるものか。
あたしは投げやりな気持ちで自室を出ていく。当然のようにドゼもついて来た。
普通のイリスレインは立ち入れない大浴場を独り占めにして、メイドタイプのイリスレインたちに丹念に体を洗ってもらう。
一応ドゼは裸を見ないように気を遣っているのか、衝立の向こう側でじっと立っていた。
泡を落としてお湯を浴びたら、清めだからと言って冷水も浴びせられた。
冷たくなった体にイリスエーテルを循環させる。一瞬で水滴は蒸発するし、髪だってサラサラに乾く。ドゼのドライヤーなんかいらないのよ。髪だってメイドたちがドゼより綺麗に結ってくれるんだから。
体がきれいになるといつもの衣装に着こんで大聖堂の奥へと進んだ。
シスタータイプのイリスレインたちがずらりと並んでいる。その数は五百名を超えている。 いくらドゼでもこれだけの数のイリスレインたちを一度に操れないだろう。
あたしはシスターたちに神のように崇められながら祭壇のベッドに横たわった。
天井には流星群のように瞬くリリンのマナが敷き詰められている。
あれ一つでイリスレインの一人の人生は隷属されたものへと変わる、あたしたちの鎖だ。
これだけあれば何万人というイリスレインを支配できるだろう。
すべて破壊の心で一つになれば、こんな世界、炎に呑まれて朽ちるだけ。
「くふ、良い眺めねぇ」
「ミジュ、怖くないか?」
誰も恐れ多くてあたしに近づかないというのに、ドゼはあたしの横に立ってあたしの手を握って来た。
「なにを恐れる必要があるのかしらぁ、あたしはイリスレインを約束の地へ導く女神になるの。最初からあたしの役割はそれだけ。さぁ早くあたしの体をリリンのマナで満たして」
ドゼは道具じゃない自分を見つけ出した。だけど、あたしは道具以上の価値なんかない。
だって、誰にも愛されないもの。ドゼはあたしに同情しているだけよ。
可哀そうな子。そう思うから、ドゼもあたしを笑いたいんでしょう。
「アッハハハハハ! 最高の気分ねぇ! キャハハハハハハハハハハ!」
ほらほらシスターたちも笑っている。素晴らしいですわぁなんて言いながら、あたしの体にリリンのマナを注入していく。
満たされていく憎悪、吐き気がするほどの悪意、こんな数の負の感情を体に入れたら意識なんかまともに保てない。
お笑いぐさよ。あんたも哀れなあたしが可哀そうでホント笑える……。
ドゼはマスクを外していた。フードも外して、こんな大勢の前で素顔をさらして、泣いていた。
「ミジュ、必ず、俺が助けに行くから、俺のことが信じられなくても助けに行くから」
──だから、負けるな!
響いた、ドゼの声。シスターたちが笑い飛ばしても、ドゼは真っ直ぐに叫んでいた。
同情じゃないの。
憐れんでいるわけでもないの。
可哀そうだからでもなかったのね。
ドゼは、あたしのこと愛してる。
あたしは──
「ドゼ……」
気付けばあたしはドゼの名前を呼んで、涙なんてあたしには似合わない綺麗な雫を一粒零しながら意識が闇に呑まれた。
☆☆☆
四章終了です。次回より最終章。
ここまで読んでくださりありがとうございます。
二人の最後を応援してくださる方は♡や☆で作者も応援していただけると嬉しいです!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます