第18話 祭りの準備 過去編
荒廃した街跡では野菜が育たない。土の栄養が足りなくなっているのだ。
この集落は戦争から何十年と経っても、土地への愛着が強い住民たちが街を復興しようと頑張っていた。
集落の男たちは森を突き抜けて、まだ元気な土壌を探してそこで野菜を自家栽培していた。
畑仕事というものを初めてしたが、土のにおいをかいで、照りつける太陽の下、青々とした野菜が育つ姿は肌で感じると案外楽しかった。
時には森の奥へ狩りにも出かけた。さすがにグールになってしまうと食べられないが、リリンのマナを食っただけの野獣は自我を失っているだけで殺せばマナも消滅するし、食肉になった。
ココットばあさんは俺がどこに行くのにも不安そうについて来たがった。
最初のうちはココットばあさんを背中に負ぶって畑仕事にも連れてきていた。
もちろん、俺は毎日ココットばあさんの家に帰る。仕事終わりには温めてくれておいた風呂に入り、ココットばあさんの手料理をごちそうになった。
夜も当然、ココットばあさんの隣に布団を敷いて眠った。
そういった普通の日常を歩むうちにココットばあさんの不安もだんだん薄らいでいった。
「今夜はドゼの好きなグラタンを作っておくかんねぇ」
「ああ、じゃあ畑に行ってくるよ」
俺を見送るココットばあさんは目元のしわをくしゃくしゃにして笑っていた。
集落の人間とも問題なく過ごせた。何で顔を隠すのか疑われたが、大やけどを負ったと嘘の話を信じ込ませて同情まで頂いた。
俺が家に帰る時間になるとココットばあさんは必ず玄関の外の椅子に腰かけて俺の帰りを待ちわびていた。
「母さん、風邪を引くから中で待ってろと言ってるだろ」
「だって、ドゼはちょっとおっちょこちょいだから母さん心配なんよ」
「それは子供の頃の話だろう」
「あっははは、大人びたこと言っちゃってまぁ、ドゼもまだ十二歳のお子様でしょぉ」
息子のドゼは十二歳で亡くなっていたのか。ココットばあさんの老けた顔を見ていたら、なんとも言えない気持ちになった。
一体、何十年、消えた家族を探していたのだろうか。
俺にとっては何十年も、見える景色が変わるくらいの些細な時間だった。
旧世代とは時間の積み重ねもまるで違う。イリスレインと旧世代が分かり合える日など来ないのではないかと思えた。
「ドゼ、お父さん呼んでおいで。お風呂できているからねぇ。一緒に入りぃ」
「父さんは今晩夜釣りに出かけただろ」
「あら? そうだったかしらねぇ、いやだぁ、母さん忘れちゃってたわぁ、あはははは」
ココットばあさんはよく笑う。それは保護区域の人間たちの間でよく見られた種類の笑顔だ。
家族や恋人に見せる幸せな笑顔。俺はその笑顔を見る度に愛を与えるものはこうやって笑うのだと思っていた。愛を受け取る側はときには邪険にするし、必ずしも笑顔で返したりしない。
だから本当に幸せな人間とは他の人間に愛を与えられる人間だ。
ここは保護区域ではない。夜は集落の人間が交代で見張りに立つ。いつ暴れ出したグールや自我を失った野獣に襲われてもおかしくない危険な場所だった。
だが、ココットばあさんは幸せに笑う。おばあさんに場所なんて関係ない。立派な街も、立派な家もいらなかった。豪勢な食事もなくていい。家族を愛してさえいればおばあさんは幸せだった。
自分も誰かを愛してみたい。ココットばあさんを見ていたらそんな気持ちが生まれた。
風通しのいい家に帰ると風呂に入る。さすがに風呂場では俺の姿を何も隠すものが無いし、母親というものは思い立ったら掃除をしにどこにでも現れる。
何度か脱衣所でココットばあさんと出くわした。十二歳だという息子にしては育ち過ぎた俺の体を前にしても、母親というものは肉がついていないわねぇ、もっと食べなさい、背が大きくならへんよぉ、と随分デカい息子に対しても言っていくものだ。
腹も背中もパンパンとしょっちゅう引っ叩かれた。ちゃんと育っているか確認しているらしい。筋肉が付いていても、あらやぁだぁもやしだわ、と心配して明日の献立が肉で埋め尽くされる。
目が見えていないからなのか、元来母親とはこういう生き物なのか、それとも本物のドゼは俺より体格が良かったのか悩むところだ。
集落で暮らし始めてあっという間に二年が過ぎていた。
「祭りだかんね。イカだよ、おっきいのね、いっぱい釣って来てねぇ」
「わかってるよ。みんな母さんのイカ焼きを楽しみにしてる」
「あっははは、母さんイカしか焼けないからねぇ。昔は綺麗な浴衣を売ってたんよ。ドゼは小さかったし、覚えとらんよねぇ」
「作りたいなら生地くらい買って来るけど」
いいよぉ、ここじゃイカの方が喜ばれるもんねぇ、そう言ってココットばあさんは今日も周囲に愛を与えていた。
海に釣りにやって来ると、同じく祭りの準備に駆り出されているハイゼルと一緒になった。
「お、ドゼ。イカか?」
「はい。そちらは?」
「おれのうちはタコだ」
イカ焼きとタコ焼き。祭りの夜は酒好きが大騒ぎしそうだなと思った。
ハイゼルの近くに腰を降ろし、餌を付けた釣り糸を海に放った。
「ココットさんとは上手くやっているみたいだな」
家が隣に建つハイゼルはよくココットばあさんを気にかけてくれていた。
「俺は普段通りに過ごしているだけですよ」
「それがいいんだ。変に遠慮なんかするのは家族じゃない」
つんつんと釣り糸が上下に動き、引き上げると大きなイカが釣れた。
釣れたイカはクーラーボックスに投げ込んでおく。また餌を取り付けて釣り糸を垂らした。
「家族ってどういうものですか?」
「なんだ、ドゼも戦争孤児か」
よっと、といってハイゼルもタコを釣りあげていた。
俺は同種でいいなら何万人といるけど、と考える。遺伝子の繋がりが家族だというのなら、イリスの遺伝子を持って生まれるイリスレインは全員きょうだいだった。
「おれもな、姉ちゃんと弟を戦争で亡くしたんだ。おれだけその頃はやり病で遠くの病院にいてな、助かっちまった。母親は弟を生んですぐに亡くなっているし、意気消沈している親父を引っ張ってこの街まで来たんだよ」
この世界では誰の命も簡単に消えてしまう。戦力の高すぎるイリスレインが生まれたことが命を散らす原因だと思ったこともあった。
だけど、なんとなく本能で知っていた。イリスレインたちは約束を果たそうとしている。
どんな約束だったのかは知らないけれど、俺たちも目的があって生まれたのだ。
それに旧世代と共に生きようとして彼らを守るイリスレインたちもいる。
イリスレインはイリスの産んだ妖精だ。妖精とは元来人間の隣で暮らすものだ。
良い奴もいれば悪い奴もいる。何年と観察した結果、人間も妖精も性質は変わらないと結論付けた。
「染め職人として親父もおれも一生懸命働いた。寂しさなんか思い出す暇もないほど働いたよ。そんで戦争で住む場所も職も失った。そしたらな、いつの間にか集落に居た染料屋の娘と結婚することになったんだ。気付けば娘が三人生まれていた」
「展開が早いですね」
「本当にあっという間だったんだよ。んでな、気付いたら親父は孫がいれば腰の痛みすら吹っ飛ぶって八十過ぎても孫と一緒に遊んで腰を痛めて幸せだなってビールぐいぐいかっこむ爺さんよ。おれは娘たちのために朝からタコを釣ってるおっさんよ」
はぁ、とわかるようなわからないような返事を零した。
「失っちまっても家族がまた再生させてくれる。奈落の底でもまた落ちる人生だ。生きる気力なんか無かったんだぜ。だからな、家族ってなんだって聞かれたら、おれは笑顔を作るエネルギーだと答える」
「笑顔を作る、エネルギー……」
なんだかその言葉は凄くしっくり来た。俺はたぶん笑顔なんて表情を作ったことが無い。
感情が乏しいのは間違いないだろうが、そもそもエネルギーが無かったのかもしれない。
二杯目のイカが釣れた。この辺りは他に街も無いから魚釣りの競争相手もいない。
考えてみれば海にも森にも食料が豊富に残された良い場所なのかもしれない。
立て続けに釣れ続けるイカをクーラーボックスに投げ込んでいると、太陽が真上に昇った。
「ドゼ、弁当は持ってきたか?」
「はい」
「んじゃ飯にしよう」
釣竿は一旦片付けて、俺たちは膝の上で弁当箱の包みを開けた。
「母さん……またグラタン詰めてる」
ココットばあさんの得意料理はグラタンだ。海鮮系も肉類も野菜がそのまま系もなんでもチーズを振りかけてオーブンで焼いてしまう。
「ドゼはグラタンが好きなのか?」
「俺じゃない方のドゼが好きだったみたいですよ」
ハイゼルの奥さんは料理が上手なのだろう。色どりも鮮やかな弁当を広げていた。
「んじゃあ、お前さんは何が好きなんだ?」
「さぁ、口に入れば何でもいいです」
じっとハイゼルはこちらを見ていた。
「口に入ればって、お前、マスクしたままどうやって食うんだ?」
「ああ、このマスクは二重構造になっていて、こうして下半分は顎の下まで下げられるんです」
鼻と口許は上のマスクの陰で隠しながら俺はグラタンを食べていった。
「……おっちゃんはなんでこんな不審人物と一緒に弁当を食ってんだろうな」
「それを言うならココットばあさんは息子だと思ってますよ」
「ちげぇねぇ、がははははははははは!」
ハイゼルも幸せに笑う人だった。笑顔を作るエネルギーに溢れているからだろう。
「ああ、そうだそうだ、ドゼ」
釣りも終わろうとしている夕方になってハイゼルは釣竿を片付けながら真剣な表情を見せた。
「昔、おれが言った話を覚えているか? 国連で妙な動きがあるから、おれたちの集落も大移動するかもって話」
俺も釣り道具を片付けながら頷いた。
「覚えている。なにかあったのか?」
「近くの集落が襲われたらしい。おれはよくわからねぇんだけどよ、国連って旧世代を守るために教会と戦っているんだよな? でもな、最近の噂じゃ国連の騎士たちは人狩りをしているっていうんだよ」
国連は正義の御旗を掲げているが、その旗が血で濡れていることは俺も既に知っていた。
「早めに移動した方がいい。それに、後ろ盾があった方が安全だ。この地域にもレジスタンスを集めた施設がある。国連の連中よりかはよっぽど血の通った人間だよ」
頷くハイゼルも顔を引き締めていた。
「施設か。近くても五百キロ先になるな。路面バスを乗り継ぐとしても、家財道具は持ち運べないかぁ」
「命を安全な場所まで運べたら上々だろ」
「ちげぇねぇな! よし、早速今夜話し合って、祭りが終わったら移動の準備を始めよう」
俺も頷き、クーラーボックスを担いで足早に家に帰った。
☆☆☆
おや? 長すぎて四話構成になってしまいました笑
過去編はあと二話続きます。
次回、主人公なのにこれが初戦闘!
なにそれ気になるという方は♡や☆で応援していただけると嬉しいです!
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