第17話 ココットばあさんとの出会い 過去編

 俺は生まれたときから自分が道具に過ぎないと知っていた。


 国連も教会も躍起になって作り出そうとしている旧世代をイリスレインに変える方法、その成果物。人工的に作り出される第二世代、いや、旧世代から生まれ落ちる第二世代。


 ようは俺は子種を持っているんだ。だから唯一の男子だった。旧世代の女と交わり、子を成せばその子は第二世代イリスレインとして生まれてくる。リリンのマナにも侵されていない正常で普通のイリスレインだ。


イリスレインとの間でも人間と同じように子を成すことができる。


 恋愛を望めないことを最初から知っていた。始まりの地から今もイリスレインたちは定期的に生み出されているけれど、俺に課された役割は旧世代にもイリスレインを産ませることだ。


 他のイリスレインとは役割が違うからなのか、俺はイリスレインという存在が最初から人類とは違うものだということも知っていた。生まれてくる子供はイリスの遺伝子しか持たない。


 人類の遺伝子は排除される。そして、俺の子供たちは繁殖機能を持って生まれる。


 今度は旧世代の男性たちが遺伝子を残すための道具として使われるのだ。


 俺は空中に放り出されて、しばらく自分の役割を頭の中で確認すると、近くの森に身をひそめた。


 まずは人間とはどんな生き物なのか知りたかった。そしてイリスレインも、どんな存在なのか知りたかった。


 しかし、森で本体を隠し、精神体だけ遠くの町へ飛ばしたら早速問題が発生した。


「きゃああああ♡ お兄さんかっこいい! お茶しましょう」


 いきなり知らない娘から声をかけられた。その勢いに唖然としてしまう。


「結構だ」


「そう言わないで、あら? えええええええ!? 体が透けてる!? きゃああああああああああああ! おばけよおおおおおおおおお!!」


 速攻で本体に意識を戻した。どうやら自分の外見を過小評価していたようだ。


 他の動物たちと俺は変わらない。多くのメスと交尾して子孫を残すため、オスが美しく着飾り美しい歌声でメスを誘う繁殖行動は俺の外見にも備わっていたらしい。


 予定を変更して近くの町に姿を隠せる衣装を探しに行った。


 俺が生まれたころにはもう、世の中グールで溢れかえっていた。


 グール討伐は金になる。マスクだけは、女に追われて困ると事情を話すと衣服屋の店主が好意で先に用意してくれた。いくつかのグール討伐依頼をこなし、衣服屋の店主に代金を支払ってコートともっと安全かつ機能的に顔を隠せるマスクを用意してもらった。


 前髪も伸ばして完全に姿を隠すと、もう一度、人のいない地帯へ赴き、洞窟の中に本体を隠す。


 そうして、精神体を飛ばしながらいくつもの街を見て回った。


 保護区の人間たちは比較的安全に暮らしており、家族も恋人たちも幸せそうに日々の営みを育んでいる。


 孤独な人間もたまに見かけるが、彼らが必要としているのは愛だった。


 俺のように子種しか用意できず、種を植え付けたら他の女の元へ種を運ぶ、渡り鳥のような生き方では誰の孤独も癒せない。


 そもそも、俺の中で愛情というものが芽生えなかった。街の中じゃ幸せそうな人間たちも、戦場に出向けばリリンのマナで操ったイリスレインを道具として扱い、戦わせては殺していく。


 イリスレインも自分たちの方が世界の支配者にふさわしいと主張しては、旧世代をあざ笑うように力を行使して殺戮を繰り返す。


 戦争によって家族を奪われた罪のない子供たちは国連にも教会にも保護すると言われて手を引かれ、グールに変えられると戦争の道具に使われた。


 すべて俯瞰から見つめるだけの俺は愛を与えられず、世界に渦巻く悪意から誰のことも救い出そうとしない。

 俺は神にはなれない。旧世代にもイリスレインにも愛着がわかない。


 イリスレインもグールと変わらない。増えれば世界の戦力が増すばかり。増幅していく戦争の威力はやがて大地も滅ぼすだろう。


 なんのために増やせと、道具としての役割を与えられたのかわからない俺は、生まれてくるべきではなかったと考えた。


 イリスレインには年齢という概念がない。老いることもないし、寿命もない。

 リリンのマナでもいいし、イリスエーテルを補充するだけでも永遠に生きていける。


 俺が増やさなくても、寿命のある旧世代はじり貧だ。いずれ世界はイリスレインたちで溢れかえるだろう。


 そう思ったら自分という存在がまるで意味のない、使い道もない役立たずの道具に思えた。


 生まれなくてもよかったし、必要とされてもいない。積極的に戦争に加担する気にもなれない。


 俺は自分の中のイリスエーテルが枯渇するのを待って消滅する道を選んだ。


 それまではこれまで通り精神体の姿で世界を眺めていようと思っていた。


 しかし、突然転機が訪れる。消滅を決めてから三年ほど経ったある日、突如本体にリリンのマナを注入されたのだ。


 俺はリリンの因子も操れるので、誰かの支配下になることはないが、本体に接触してきた連中がいるのは確かだ。


 防御魔法も結界魔法も張っているのに、誰がリリンのマナを俺に注入したのか。

 確かめるために意識を本体へ戻した。


 すると、目の前に居たのは涙を流す老婆だった。


「ドゼ、ドゼ、目を覚ましんしゃい!」

「……ドゼ?」


 俺の体を揺らす老婆はそれがリリンのマナだと知らないのか、籠いっぱいに紫色に光る球体を敷き詰めて俺の体の上で何個か割ったらしい。


「ああ起きた! まったく、ドゼはお間抜けさんだねぇ。こんなところで寝てたら風邪ひくんね。ほら家帰るんよ」


 一体、ドゼとは誰なのか。しかし、このとき初めて気づいたが、そういえば俺には名前が無かった。


「ほら見てよぉ、お母さんドゼの好きなメロンたっぷり取って来たんよ」


「ああ、その、それはメロンじゃなくてだな、リリうぷ!?」


 リリンのマナを口に放り込まれた。まぁこいつはどうぶつも食ってしまうくらい甘い果実と匂いもいいから食べられないこともないのだが、俺以外のやつが吸収してしまうと自我を無くしてしまう。


「うまいね?」


 ようやく気付く。手探りでリリンのマナを探すこのばあさんは目が見えていないのだ。


「そうだな、うまいから全部貰おうか」

「たくさんお食べぇ」


 さっきまで涙で顔をくしゃくしゃにして心配していたのに、今はにこにこと俺が食う様子を眺めている。目が見えなくても、気配で何をしているのかわかるのだろう。


 全部食い終わったら三年間消費していたエネルギーが満タンまで戻ってしまった。


「ドゼ、あんた土臭いよぉ。はよ家帰ってお風呂入らんと、行くよぉ」


 目の見えないおばあさんには俺が息子に見えているんだろうか。


「あのさ、俺の声、違うと思わないか?」

「あっはは、あんたお父さんと声が似てるのまだ気にしとんね」


 親子なんだから気にすんなと笑うおばあさんは、俺を息子だと信じて疑わない。


 なんだか様子のおかしいおばあさんだったが、風呂には俺も入りたかったのでついて行くことにした。


「あっと、」

「母さん、手を繋ごう。ここは足場が悪いんだ」

「やぁだぁ、もう息子に介護される年になっちゃったかねぇ」


 けたけたと笑いながら俺の手を掴むおばあさんは幸せそうだった。


 やがて近くの集落にたどり着いた。かつては大きな街だったのかもしれないが、戦争の爪痕が色濃く残る集落では建物の残骸があちらこちらで雨ざらしにあっていた。


 木の板とカーテンなどで作り上げた簡易住宅が、少なくとも広場に十世帯はある。


 そのうちの一つに入ろうとしたところ、疲れが濃く表情に出ている中年の男性に呼び止められた。


「ココットばあちゃん、どこ行ってたんだい? もうみんなして昨日から探し回っていたんだよ」


「あらやぁだぁ、あたしハイゼルさんの奥さんに息子を迎えに行ってくるってちゃんと伝言残したわよぉ」


「息子?」


 ハイゼルとやらの視線が俺の顔に突き刺さった。


 俺はちょいちょいと親指で後ろの方を指差し、ついてきたハイゼルとこそこそと話し合った。


「川向こうの洞窟で体を休めていたのですが、あちらのおばあさんに息子さんと間違われまして」


「あーやっぱりそうかぁ。すまないねぇ、あんたそれでココットばあちゃんをここまで連れてきてくれたのかい?」


「目が見えていないみたいでしたので、一人で街に帰るのは難しいかと思い、すみません。息子さんのふりをして連れてきたんです」


 風呂に入りたかったとは言わずに、なるべく好青年を装って説明すると、ハイゼルは目元のしわを丸くしてありがたがった。


「助かったよ、ありがとう。ここは昔、織物が盛んでそこそこ栄えていた街だったんだけどね、女の子たちはキラキラした衣服が好きだろう。教会はここを占拠しようとして、国連は街を守ろうとして争いが起こったんだ。結末は御覧の通りだよ」


 街は跡形もなく、興味を失った教会が手を引いたのだろう。


「長引いた戦争で多くの人が亡くなった。ココットばあさんの旦那さんも、大事な一人息子もばあさんの目の前で殺されたんだ。命からがらおじさんたちは逃げてこられたけど、ばあさんはショックが大きくてね。何日も寝込んで、目が覚めたらばあさんの目は見えなくなって、記憶も混濁してしまったんだ。旦那さんと息子さんが死んだことを受け入れられないんだろうね」


 無理もないといってハイゼルは悲しみに満ちた目をおばあさんに向けていた。


「あんた旅の人かい?」

「まぁそんなところだ」


「こんなこと頼むのも人が悪いってわかっているんだけどさ、しばらく息子のふりして暮らしてやってはくれないかな」


 元より行く当てもない。時間なら無限ともいえるほどある。断る理由もなかった。


「なら、俺のことはドゼと呼んでくれ」


「ああ助かるよ。最近、国連の動きが妙だって噂でね。もしかしたら大移動になるかもしれない。そのとき、ばあさんの手を引くあんたが、いやドゼが居てくれたら心強い」


「了解した。そのときは責任をもってココットばあさんを安全な場所まで運ぶさ」


 話し合いを終えると笑顔で俺が戻るのを待っていたおばあさんのところへ歩み寄った。


「お待たせ母さん」


「ハイゼルさんはあんたを可愛がってくださっているからねぇ。感謝しなきゃあかんよ」


「わかってるよ」


 偽物だけれど、初めての家族生活が始まった。



☆☆☆

お待たせしました。観測者の過去編です。

ここまでお読みいただきありがとうございます。

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