姫宮灯里は愛されたい
4kaえんぴつ
第1話
東陽高校一年二組の
甘やかされている。可愛がられている。ちやほやされている。――類語を列挙することもできるが、事象の呼び方など些末なものだ。重要なのは彼女が人に愛されているという事実だけ。
そんな彼女が母方の祖母から継いだ朱の混じる黒いロングボブは、絹糸の如く艶やかだ。背丈は高校一年生女子の平均値より三センチ程度低い。贅沢なものを食べつつも程よく運動をした身体は細く適度に引き締まりつつ、生物学的女性特有の柔らかさを有している。
そして、見るものをよく反射する紫水晶めいた双眸が印象的な容姿は、極めて端正だ。
先々月に入学式を終え、夏が顔を覗かせた晩春。教室中央列最後方の席にその姫宮は居た。
「姫宮さん、眠くない? 今日の授業のノートは私が取るよ!」
「あ、教室移動だよな。俺が荷物運ぶよ、姫宮」
「お昼ご飯それだけなの? 私の卵焼き食べる? あ、ゼリーもあるよ! あげるね」
「あ、姫宮ー。掃除当番、よければ代わるよ。今日は部活無いし」
――等々が、ただ席に座っているだけの姫宮に対してクラスメイトが発した言葉だった。
授業中にノートを取ろうと思えば少し離れた席の優しそうな女子生徒が代筆を志願し、一階下の物理室に向かおうと思えば端正で筋肉質な男子生徒が教科書と筆記用具を運ぶと進言する。サンドイッチにシンプルな総菜を付けた昼食を見た元気の良い女子生徒が机の上にお裾分けを置いていき、帰り際の掃除は頻繁に誰かが代わってくれる。
それらに対して、姫宮の返答は決まってこうだ。
「ありがとう! それじゃお言葉に甘えようかな」
満面の笑みでそれらを受け入れる。何故なら、人に甘やかされるのが好きだからだ。
そうして放課後の清掃という予定が無くなった姫宮は鞄を担ごうとして、その矢先にクラスメイト――唯一、気の置けない間柄である親友の少女から話しかけられる。
「相変わらずだね、お前は」
姫宮の前の席で椅子に靴底を付き、机に腰を据えるのは星川
無造作に伸ばしたロングの黒髪や眠そうな目が大雑把な印象を与える人物で、実際、性格は利己的で図々しい。反面、理知的で冷静であるが故に敵を作ることもしない、そんな不遜な友人だ。彼女は、目の前で平然と清掃作業を肩代わりしてもらった親友を愉快そうに、頬を歪めて眺めている。付き合いは中学からの三年と二か月。この高校で姫宮と最も親しい。
鞄の持ち手に両肩を通して背負う星川は、そのまま椅子に乗せた足に頬杖を突く。姫宮は足を止め、彼女の言葉に断定を含んだ疑問符を返した。
「相変わらず私が可愛いって?」
「『相変わらず自分を可愛いと思ってる』」
「事実だもの。それとも星川は自分を人間じゃないと思う?」
姫宮が不敵に笑って己の胸に手を当てると、星川は可笑しそうに笑う。
「少なくともお前は虎でしょ」
「私には尊大な自尊心しかないよ」
「李徴もお前みたいな性格なら虎にはならなかったろうね」
言いながら机から腰を落とした星川は、視線で扉を示して帰宅を促す。
姫宮はそれに応じるように帰路を辿るべく教室出口へ歩き出した。
星川くらいのものである。歯に衣着せず、容赦ない物言いを姫宮にするのは。
不条理なほど『愛される人間』というものはこの世界に存在する。姫宮がそれに該当するかはさておき、実際。彼女は大勢の人間に愛され、姫宮自身もそれを望んで生きている。
そしてそれは、さほどおかしな話ではないはずだ。人が誰かを愛することに理由など無いように、誰かに愛されたいと思うことにも理由なんて無い。悪意より善意の方が素敵だろう。敵意より好意の方が呼吸しやすいはずだ。険悪より友好な方が人はそこで過ごしやすいから、姫宮は誰かを愛するし誰かに愛される。その方が素敵な人生だろうと思っている。
教室の引き戸に指を掛けて出て行こうとしたその時だった。教室の一画で声が上がる。
「えー⁉ ……どうしよ、どうにかお願いできないかな」
それはクラスの中でも比較的発言力のある女子生徒の集団だった。
野球部マネージャーの多田。清楚な印象を受ける濡れ鴉のストレートヘアが印象的な美形。性格の良さと物腰の柔らかさに定評があり、それでいて冗談も通じる、と非の打ち所がない。
柔道部エースの篠原。背丈の高さと筋肉質な体格、鋭い眼光から百戦錬磨を漂わせる気の強いショートヘアの少女。甘いものが好物らしいが食べ過ぎると太るからと自制している。
最後に紺野。三つ編みと黒縁眼鏡とそばかす、それから愛想の良い猫のような笑みが目を引く新聞部の部長だ。部員総数三人の野次馬根性剥き出し集団の長と言えば聞こえは悪いが、本人の気質も比較的そちらに傾倒している。
姫宮と星川は目を合わせる。そして姫宮が好奇心を剥き出しにして彼女達の方へ歩き出すと、星川は楽しそうにそんな姫宮の後を追う。彼女も大概、好奇心旺盛で面白いものが好きだ。
「どうしたの?」
「あ、姫宮さん」
多田は姫宮の姿を視認した瞬間、困り果てていた表情を微笑みに作り変えた。
まるで子供を見守るお姉さんのような眼差しで多田が姫宮を見守る傍ら、紺野が無骨な手で自身の前髪を掻き上げながら返答に応じる。
「ちょっと文化祭について話していてさ」
「い、今から? この時期に?」
姫宮が唖然としてしまったのも仕方が無いだろう。何故なら、
「文化祭。十月末だけど」
今は桜が散って間もない六月初旬。これから文化祭実行委員会や生徒会役員などの委員会決めを行って、夏休み辺りから少しずつ予定を詰めていくのが一般的だろう。高校最初の文化祭ではあるが、それでも、それくらいは分かる。だからこそ姫宮は首を捻る。
だが、三人は不敵に笑うと己の腕を見せつけるようにサイドチェストのポーズを取り出す。篠原に至っては柔道部で培った有り余る筋力をモスト・マスキュラーに注いでいた。
「僅か三年の高校生活」
「三回限りの文化祭」
「死ぬ気でやらなきゃ、一生後悔するから!」
多田、篠原、紺野が示し合わせたようにそんなことを言うから、後ろで静観していた星川がゲラゲラと笑い出す声を聞く羽目になった。姫宮は自分も大概変人だという自覚はあったが、それでも彼女達に比べると常識人なのではないかと疑ってしまう。
「ま、まあいいや。それで――何に困ってるの?」
引き攣りそうな顔を努めて笑みに押さえ込んで尋ねると、紺野が頷く。
「実は、今の内からどんな出店ができるのか押さえてこうと思って調べてたんだけどさ。なんか、ウチの学校って飲食系の出店ができないみたいなの」
姫宮は驚きに口を噤んで目を丸くし、両肘を持つように腕を組んで考える。
「……本当に? それ、どこの情報?」
「先輩経由で過去の文化祭関連のプリントを見たの。四年前からずっと禁止されてる」
「今年は解禁されるかも」
「そうだったらよかったんだけどねぇ。黒部先生に確認したら今年も駄目だろう、って」
黒部はこの一年二組の担任だ。気怠そうにしているが、適当なことをする人ではない。
彼がそう答えたのであれば、恐らく本当に今年も飲食系の出店は駄目なのだろう。文化祭における飲食の出店は保健所への申請等々面倒な手続きがあるが、それでも学生にとっては花形のような出し物とも言える。三人にとっては安易に頷けないのだろうと姫宮は察する。
「なるほど、経緯は察したよ。それで、どうするの?」
「それを話し合っていたんだよ。取り敢えず土下座が第一案」
腕を組んで力強く答える篠原に、姫宮は眉根を寄せた。「最終案じゃなくて?」と尋ねると、三人は困り顔で視線を逸らす。そういえば三人とも勉強は苦手な部類だった。
かくいう姫宮も得意ではない。こういう謀略は星川の土俵だが――
そう思い振り返った姫宮に、会話をニヤニヤと聞いていた星川は「万事休すになるまでは口を出さない」と、ぴしゃりと言い切った。「友達甲斐の無い奴め」吐き捨て、姫宮は前を向く。
「まずは先生達に掛け合ってみようよ」
「一応、何人かの先生には相談したんだけどね。皆、難しいって。去年も先輩たちが色々と動いてたみたいだけど、それでも駄目だったみたい。やっぱ土下座か。皆の前で土下座をすれば向こうもこっちの本気具合を分かってくれるのではなかろうか」
多田が物騒なことを仄めかす。他二人の様子を見るに、あながち冗談でもなさそうだ。
このまま静観し続けてもいいが、そうすると職員室でこの三人の土下座姿を見ることになる。それは流石に忍びなく、姫宮は溜息の後に胸に手を置いた。
「分かった」
姫宮が胸を張ると、三人+薄情な傍観者一名の視線が姫宮に注がれた。
「私が説得してくるよ。任せて」
姫宮は教室に鞄を置いて身軽になった身体で、リノリウムの廊下を足早に進む。
構わず鞄を背負った星川が、それより一・三倍ほどの大股で背中を追ってくる。
「嘯いたね」
「仕方が無いよ。クラスメイトに土下座をさせる訳にはいかないから」
「勝算は?」
「先生達は無理みたいだし、下部組織から攻めようと思う」
「つまり?」
「生徒会」
教室棟三階の一画にて姫宮が足を止めると、目の前には押戸があった。
ネームプレートは『生徒会室』。姫川がそれと星川を順に一瞥すると、星川は口を噤んで成り行きを見守るべく姫宮の後ろに着く。それを認め、姫宮は生徒会室の扉をノックした。
三度のノックの後、中から「はーい!」と女子生徒の明るい声が返ってきた。
「失礼します」
扉を開けると四対の視線が一斉に注がれ、姫宮は踏み出す一歩に躊躇った。
生徒会室はまるでオフィスのような風貌だった。遮光カーテンが開放された窓から差し込む夕日がタイルカーペットを彩り、その上に普遍的なデスクが五台。回転椅子が備わっており、卓上にはノートパソコンや書類作業に必要な設備が一通り揃っている。
どうやら来る生徒会選挙に向け、生徒会役員は作業があるらしい。男女二名ずつが席に座って書類作業に勤しんでいた。温厚そうな男子生徒と気怠そうに頬杖を突く男子。それから姫宮を迎え入れてくれた小柄で愛想の良い女子生徒と、黙々と作業を進める美形の女子。
姫宮は固唾を飲んだ後、努めて愛想の良い笑みを浮かべて踏み入った。
「こんにちは、実は生徒会の皆さんに折り入って相談がありまして」
少々甘ったるいような甘える声で踏み入ると、同行した星川が背後で戸を閉める。
「相談! ほほぉ、いいね。なんか生徒会っぽい」
「だねー」
三年生だろうか。温厚そうな男子と小柄で愛想の良い女子生徒が頷き合う。
反面、気怠そうな男子と静かに仕事をしている女子生徒は愛嬌を振りまく様子もない。彼らが二年生で今年も生徒会を続けるつもりだとしたら、今年の一年生生徒会には同情する。
さておき。姫宮は本題に入った。
「文化祭の出店制限に関してなのですが、聞くところによると飲食店は駄目みたいで」
言うと、こちらの相談内容を概ね察した様子だった。応対してくれていた男子生徒が「あー」と困った様子で目を瞑り、女子生徒も「それかあ」と頬を掻く。
座ったままの対応も悪いと思ったか、その男子生徒は立ち上がって答え始める。
「うん、まあ、禁止されてるね。俺達もやりたいとは思ってるんだけど、駄目らしい」
「なんとか解禁してもらうことってできないでしょうか?」
「君がここに来たように、過去にも似たような感じで先生方を説得しようとした生徒は居たんだよね。ただ、全員軽くあしらわれて終わり。粛々と無難な出し物をしてるよ」
誰も声を上げなかったからそのままになっているとも思ったが、どうやら上げた声が然るべき場所に届いていないらしい。姫宮は口を押さえて考える素振りを見せつつ、尋ねた。
「なんで、そんなに固く禁じられてるんですか?」
その男子生徒は困り顔で答えた。
「食中毒だよ。五年前の文化祭でね」
姫宮は勇み足を踏もうとした鼻っ柱を思い切り殴打されたように、言葉を詰まらせる。
「校内公開の日に起きたのは不幸中の幸い――って言っちゃうと被害に遭った方に悪いか。症状が出たのは生徒二名。規模としては比較的小さなものだけど、それを『軽い』と表現できてしまう人は教育者に向いていない。事態を重く捉えた結果が今に繋がっている」
そう言われてしまえば、言葉を弄して彼らに説得してもらうのが悪行のように感じられる。
姫宮はその場で立ち尽くして進退を決めあぐね、言葉を探す。だが、そんな姫宮の眉尻が下がった表情を見て、男子生徒は「ま!」と明るい声で腰に手を置いた。
「とはいえ、納得できない君達の感情も分かるよ。僕達なんて過去二回の文化祭で有無を言わさず受け入れさせられたからね。だから、もう一度説得を試みるのはアリかもしれない」
「可愛い後輩に我慢を強いるのも嫌だしね」
女子生徒までそう続け、微かに光明が見えてきた姫宮はパッと顔を明るくさせる。
男子生徒は得意げに微笑むと、誇るように黙々と作業をしていた女子生徒を見た。
「幸い、ウチの生徒会には先生達の信頼も厚い有能な二年生が居る。過去にも何度か、惰性で残っていた風習を説得して破棄させた実績がある。緒方なら――」
『緒方』と話に紛れて聞こえた自らの名前に、その女子生徒は顔を上げた。
「――はい?」
上げたその顔は酷く不服そうなものだった。眉根がぐっと寄せられている。
改めて見ると、緒方はやはり整った顔立ちの女子生徒だった。
二年生だったか。目測だが背丈は百七十を超えていそうだ。細身で色白だが立ち居振る舞いや筋肉量から『繊細』よりも『鋭利』という表現が似合う、そんな風貌だ。無造作な毛先の真っ黒なセミロングはストレートに肩へと落ちている。
どうやら話は頭に入っているらしい。彼女は凄まじい速度でタイピングしていた指を止めると、皺のよった目頭に親指と中指を添えた後、迎合せずにハッキリと言った。
「やりませんよ、生徒会の業務範囲外ですし。先輩方が動く分には止めませんが」
随分ハッキリと物を言うらしい。緒方の歯に衣着せない断言に姫宮は怯む。
しかし付き合いの長い男子生徒は両手を広げて熱弁を振るう。彼は姫宮の味方らしい。
「そこを何とか! この子が可哀想じゃないか」
緒方は頬杖を突いて溜息をこぼす。そんな仕草が随分と似合う女だった。
「そんなん知りませんね」
「以前にも何度かやってたろ? ほら、無意味な近隣清掃活動の廃止とか」
緒方は随分と仕事のできる女らしい。去年までは存在したと思われるそんな厄介な作業を彼女が消してくれたのだとすれば、今回の件はさておいても感謝しなければなるまい。
「アレは私の仕事を減らすため。それから筋の通らない作業であったため。今回は私の仕事が増える上、正当性は学校側にあります。それに規模はどうあれ起きた食中毒事件に対する誠実な対応として、それ以降の食品出店の停止は筋が通っている」
聞いている姫宮が頷いてしまいそうになるほど理路整然とした反論である。
しかし、女子生徒はそれに両拳を握って反論を試みる。
「でもさ、やっぱ、今の後輩達には関係のない事件じゃん? それで割を食うのは可哀想だよ」
「そうですね。でも、学校側は自分達に飲食の出店を監督する能力が無いと認めたんです。再発防止策を講じきることができなかった。その主張を『やりたい』とか『可哀想』で否定して、また食中毒でも起こす気ですか? 向こうも、嫌がらせをしたい訳じゃないんですよ」
思考を停止した『一』の反論に充分な理論武装を施した『百』を叩き返された。
「正論だなあ」
静観していた気怠そうな男子生徒が苦笑しながら軍配を上げ、敗者三名は唸る。
「ぐぬぬ」「ぬぬ」「ぬぐぐ」
この二人は三年生。緒方と気怠そうな男子は二年生だろうか。組織内の力関係は必ずしも学年と比例する訳ではないようだ。頼っておいて申し訳ない限りだが、実に頼りない。
やはり自分でも動かないと駄目だ。
姫宮は弱々しく握った両拳を胸元に集め、緒方を見詰めた。
「ど……どうしても、駄目でしょうか?」
きゅん、と庇護欲にでも駆られたような表情を見せる三年生二人。
しかし、緒方は呆れた様子で前髪を掻き上げて姫宮を睨んだ――なんて意図は無いのだろうが、そう見えるような眼光でこちらを見詰めてきた。
「生徒会の立場として、そういう意見があったこと自体は顧問に伝える。だけど、説得をしたいというのなら自分でやりなさい。私にそんな義務はない。もし人を顎で使いたいんなら、最低限の誠意は見せるべき。単に丸投げするんじゃなくて、貴女にできる限りのことをして、その上で不足分を埋めてほしいと頼みに来るべき」
恫喝でもなく説教でもなく、単に事実を示し合わせるような切り返しの言葉。
「違う?」
果てにそう尋ねられたら、もはや返す言葉も無い。思考を止めて感情的に言い争いをしてもよかったが、待っているのは白い目だけだろう。姫宮はガックリと肩を落とした。
「…………違いません」
「うああああああ! 何なのさ、あの先輩!」
教室に戻った姫宮は荒れていた。生徒はもう残っていない。多田達も帰宅をしたらしい。
自席に座って突っ伏して唸り叫ぶ姫宮を、鞄を背負いっぱなしの星川が愉悦の目で見下ろす。
「二年二組の緒方葉月。去年、一年生ながら生徒会の副会長に任命されたらしいね」
「そういうことを聞いてるんじゃないの! 何なの、あの言い方! ちょっとくらい優しく言ってくれたっていいじゃん! ぬうううううう!」
手の平をバタバタと机に叩きつけて内履きで床を叩く。
今まで身の回りの生徒達に優しくされ続けた姫宮にとって、あそこまで冷淡に処理されるという経験は実に耐え難い苦痛を伴った。唇を噛み締めて恨みがましく黒板を睨む。
しかし、傍観者に過ぎない星川は腹立たしいほど客観的に評価を下す。
「まあ、言い方は強めだったけど、正しいのは向こうだよ。それに、会長もお前も最初から人に頼り切る前提で話を進めようとしていた。ああいう言い方にもなるでしょ」
「む……」
言われると返す言葉も無い。
実際、彼女の言葉は全面的に正しい。――五年前に文化祭で食中毒事件が発生した。教職員は再発を完全に防止することは難しいと判断したか、或いは自粛の意も込めてか、飲食店の出店を停止した。起きた事実は覆せず、起こしてしまった事件には償いが伴う。そして『食中毒事件』という目を背けられない出来事に対して、姫宮は回答を用意しなかったのだ。
その癖して、どうにかしてくれと一方的に要求すれば不快にもなるだろう。
「会長はアレで少し腰が高かった。お前には誠意が足りなかった。違う?」
ブレザーの両ポケットに手を突っ込み、窓枠に背負った鞄を置いてもたれかかる星川。
「……違わない。けど」
「けど?」
彼女の言いたいことは分かってる。だが、それでも姫宮の胸の内は燃え盛っていた。
「こんな可愛い私を甘やかさないのが許せない!」
叫んで地団駄を踏む姫宮を、星川は暫く面食らった様子で眺める。やがて氷が解けるように仄かな笑みを顔に浮かべると、堪えきれない様子で顔を覆って肩を揺らした。クツクツと愉快そうに一頻り笑った後、大きく息を吸って口許を手で覆った。
「それで? 多田達には何て報告するの?」
肺の空気を鼻から全て押し出した姫宮は、勢いを付けて身体を起こし、両頬を己で弾いた。
「いや、まだ諦めない。どうにか、朗報を持ち帰るよ」
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