第54話

「……む? 朝早くから誰かと思うたが……。何だ、フラッチェか」

「おはよう」


 寝起きの彼女は、ボサボサだった。普段は美しく整えられた金髪を、モコモコと膨らませて寝ぼけ眼で顔を擦っていた。


「ミーノから話は聞いているか?」

「ふあぁー。うむ、我と砦に向かうのであったな? 準備をするからちと待ってくれ」

「ああ」

 

 明朝、クラリスの屋敷。手早く準備を整えた俺は、彼女と合流すべく朝一番に訪ねて行った。


 朝一番、玄関の扉を開いたクラリスの出で立ちはパジャマ姿だった。彼女の寝起きは、なかなかに遅いらしい。


「んー? フラッチェさん? おはようございます」

「お、メイも泊まってたのか」

「はい。おはようございます」


 おなじく、寝装に身を包んだ妹魔術師が奥の部屋から顔を覗かせる。メイは実家に戻っていたようだ。


 そうか、レックスと俺が城壁外に出ててカリンも教会に泊まり込みだもんな。


 メイちゃん一人だけ残って、宿に泊まる意味もないか。


「流石に首だけになったクラリスは、まだ本調子ではないそうで。私に家事など手を貸して欲しかったそうです」

「成る程」


 そっちの理由もあるのか。


「それに、今日から姉さんも家を空けますから。私も久しぶりに、実家でのんびり魔道書を読破しようかと」

「そっか」

「ああ、我の鍵付きの棚は触れるなよ。冗談抜きで危険である」

「ええ。絶対触らないのでご安心を」


 そんな仲の良さげな姉妹にほっこりしながら、俺は寝巻きのメイちゃんに出された紅茶を楽しんだ。


 鍵付きの棚、ね。あそこでチェーンでぐるぐる巻きにされてガタガタと蠢いている棚の事だろうか?


 何あれキモい。絶対関わりたくない。


 
















「……我がミーノに従う理由か?」


 日が高く昇る最中。クラリスと俺はメイに送り出され、二人北砦へと向かい出発した。


 俺達に護衛は居ない。……嘘だろと思うかもしれないが、ミーノが曰く俺達は『中途半端に護衛が居た方が敵に位置バレしやすくなって邪魔』らしい。


 だからってさ、仮にも叙勲された人間をそのまま放り出すか?


 やっぱりミーノの奴は、内心で俺の事をVIPと見なしていないに違いない。


「クラリスは、あの女のやったことを許容してるのか?」

「────いや。我はあの女が嫌いだよ、死ぬほどな」

「なら、何故大人しく従ってる?」


 ミーノは冷徹無比で、極悪非道だが。何故かクラリスという少女は、彼女の命令に逆らうでもなく淡々と従っている。


 クラリスの様な、人を愛する常識人(?)にはミーノは到底受け入れられないと思うのだが。


「……一番の理由は、ペニーとエマからの頼みだな。あの二人に、ミーノには逆らうなと釘を打たれた」

「あの二人が?」

「左様。我は、あの二人は信用している」


 ……。ま、あの二人は確かに信用出来るけども。


「他の理由としては……。恥ずかしいことに、我は考えるのが苦手でな。自分勝手に暴走し、よく他人に迷惑をかけたのよ。何度も何度もな」

「クラリスが?」

「ああ。その最たるものとして、我は勘違いで何の罪もない幼子を殺しかけたのだよ」


 少し震えた声で。クラリスは悔いるように、自らの過去を告白した。


「我は自らの信じる愛こそ全てだと思っていた。何と見識の狭いことよな」

「クラリスが、人を殺そうとしたのか?」

「ああ、それが愛と思った。とある悪しき男に騙されて、良い様に使われた。間違った思い込みのまま、幼子に特大の火炎球を放った。当たれば黒焦げだったろうな」


 ぎゅ、と目をつぶり。クラリスの瞳から、小さな涙がこぼれ落ちる。


「残念なことに、我はあまり頭が良くない。自分で考えてしまえば、きっと騙される。だから、我より頭の良い人間に魔法の切っ先を任せているのだ」

「……だからってミーノなんかに」

「あやつはそうそう間違えん、悪辣であるが正確だ。……善意で動いて他者を傷付ければ、その善意の持ち主すら傷付けてしまう。だがミーノは、全て折り込み済みで我を利用している」


 ……大きすぎる力の持ち主も、苦労してるのか。力の振るい方を間違えれば大惨事になるからな。


「それに。もし我をよからぬことに利用した場合は、奴含めて悪意を持って関わった者を害する呪いをかけている。それを聞いたミーノの顔が引き攣っておったからな、まぁ大丈夫であろう」

「……そんな呪いあるのか?」

「頑張って作った」

「お願いだから、その呪いを後世に伝えないでくれよ?」


 そんなん顔が引き攣って当然だわ。成る程、ならミーノもそう簡単にクラリスを悪用出来っこないか。


「ちなみに、その罪の無い幼子は、どうなったんだ?」

「────幸いにも、その子のすぐ傍らに英雄がおってな。颯爽と、その英雄が罪の無い幼子を救って立ち去りおったわ」

「英雄?」

「おおとも、まさに奴は子供好きの快男児よ。……その少女は今も、その英雄と共に道を歩んでおる」


 ……。ふと、屈託のない笑顔で笑うロリコンと幼女が頭をよぎる。


 おいおい、まさか今の話の『幼子』ってのはエマちゃんなのか。


「ペニーは凄い男じゃ。アイツに任せておけば何とかなる、そんな安心感の様なモノを持っておる」

「……ただのロリコンじゃないんだな」

「無論よ。だからペニーが先週に失踪したと聞いたが、きっと良き事をしているに違いない」

「失踪!!?」


 え、何それどういう事!? この一大事に大将軍が失踪って。


「やつが失踪する直前、ミーノに従い俺の代わりに国を守ってくれと、ペニーに頭を下げられた。ならば我は、ペニーを信じるまで」

「マジか。いや、そっか」


 こんな大変な時期にペニーが失踪だなんて、軍が混乱して結構な被害が出ないだろうか? そんな頭に浮かんだ不安を、俺は頭を振って否定した。


 ペニーにはエマちゃんが付いている。彼女は小さいながらも、れっきとした軍師だ。


 きっと、それなりの考えがあるのだろう。知的な俺でも思い付かないような高度な頭脳戦を仕掛けているに違いない。


「ならば我は、ミーノに従い国を護ろう。それが、ペニーが我に期待する仕事である」

「……そう聞くとやる気が出てきたな。エマちゃんとミーノが知恵比べしてる間、私は民を守ることに専念すれば良い訳だ」

「そうだ。分かりやすかろう?」


 俺は剣士。ごちゃごちゃ考えるのが仕事ではない。


 目の前の敵の首を落とすのが、俺の仕事だ。


「ま、我らの仕事はペニーに比べて簡単で単純だがな。砦を死守し、広域魔法で敵を殲滅するのみ」

「……ミーノの奴、魔王来るかもしれないって言ってなかったか?」

「本当に来てくれれば良いのだが。……そう、上手くは行くまい」


 来てくれるのは全然良くないです。


「敵の大将の魔王とやらは、未だに姿を見せておらん。堂々たる戦士なればきっと、陣頭にたって部下を鼓舞する筈。こそこそと隠れている大将なれば、きっと予想もつかぬ所から姿を見せるだろう」

「あー。確かに、本当に魔王とやらが強くて無敵なら、先陣切って突っ込んでくる筈だよな」

「そう。だから残念ながら、今まで姿を見せなかった魔王がいきなり砦を急襲する可能性は低い。来るとすれば、フラッチェの師匠だというあの魔族……」


クラリスはそこまで言うと、俺の目を見て不敵に笑った。


「敵があの魔族であれば、フラッチェさえいれば怖くない。だから今回は、我らは裏方に徹しようぞ。レックスが魔王を屠ると信じて」 

「ああ。私も、レックスを信じているさ」

「であろう? ならば我らは気を引き締めて、与えられた役目を全うするのみ。北東砦に集った兵と共に、魔王軍の背後を脅かす人類の要となろう」

「……任せとけ」


 北東砦における、俺の役割は『クラリスの護衛』。クラリスの見立てでは魔王が砦を訪れる可能性は低いらしい。だが、また魔族俺がクラリスを仕留めるために強襲してくる可能性は十分にあり得る。


 あの良く分からない俺の姿をした魔族を、今度こそ仕留める。それが、今回の戦いにおける俺の目標と言えるだろう。


「ああ、もうすぐ砦に着く。我が無様を晒したなつかしの砦に」

「……接近戦が不得手なクラリスじゃ無理もないさ」

「いや、次は負けぬ。……気を引き締めろよフラッチェ。裏方の役割である我らこそ、人類の存亡を担っているのだ」


 やがて。この前に俺が一人で突っ込んだ、見覚えのある古びた砦が見えて来た。


 あの時はレックスに一瞬で運んでもらったから気付かなかったけれど、この砦は王都から中々に距離が有る。そして、王都前の平野を一望できる高さも備わっている。


 遠距離魔法の達人たる、クラリスの為の砦だな。



「砦の兵どもよ!! 愛の権化、慈愛と恵みの象徴、宮廷魔術師のクラリスが戻ったぞ!! 出迎えい!」



 そう声高に宣言した彼女は、満面の笑みで高らかに両腕を掲げ─────






 その瞬間、ブワッと。彼女の身に纏っていた漆黒のローブが捲り上がり、白絹の様な肌と純白のショーツが露わになった。


「……!?」


 ─────茶巾縛り。


 どんな怪奇現象か。いきなり捲り上がったクラリスのローブは、そのまま彼女の上半身を包み込んだまま縛り上げられてしまう。


「む? む!? むぅぅ!?」


 あまりにも突然の珍事にクラリスは困惑した声を上げ、服を戻そうと躍起にもがいている。


 突然に高笑いする金髪の幼女が、歩くパンツに早変わり。そんな異常事態が呑み込めず目を白黒とさせていた俺は、いつのまにやら忍び来ていた変態の姿に気が付かず────


「ひょひょひょ……」


 下種な笑い声を聞いた俺はようやく振り向いて、視界の片隅に老人のしわがれた手を捉える。俺の腰布をいやらしい顔をした老人が掴んだその時、俺はやっと不審者が音もなく忍び寄ってきたことに気が付いた。


「おパンツ頂戴じゃ─────」





 ……その瞬間。世界が青く染まって─────

















「……クラリス。この変態どうする」

「殴る」

「そうか、好きにしろ」


 頬を真っ赤に染め、珍しく目を吊り上げるクラリス。驚くべきことに彼女にも、羞恥心は存在したらしい。


 『入り込んだ』俺は、腰布を引きはがそうと掴んでいた老人を即座に投げ飛ばした。老人は反応されると予想していなかったようで、目を丸くして地面に転がり込んだ。


「不埒者が」

「ひょっ」


 一歩。俺は倒れ込んだ老人に向かって、歩みを進める。剣を鞘から抜き放ち、重心を静かに落とす。


「……むぅ」


 スッ、と老人の目が細まった。これは撤退を決意した人間の目だ。


 このエロ爺、どうやら引き際は弁えてやがる。


「やるの、お嬢ちゃん。魔族の頭を打ち取ったのも頷けるわい……、それでは御免!」

「─────」


 やはり老人はその場から立ち上がって逃げ出した、だが、その動きは俺にとって鈍重そのものだ。


 寝転んだ人間が、立ち上がって走り出すまでの工程。手を地面につき、腰を上げて、体勢を整え、脚を踏み出し、加速する。


 こんな足腰の弱っちい老人が、この俺から逃げ出そうなんて良い度胸だ。


「……ひょ?」

「逃がすか」


 老人が駆け出そうと、一歩目を踏み出したその瞬間。俺は、その重心の揺らめきにそって体軸を回し、老人を頭から地面に叩きつけた。


「……がっ!?」

「成敗」


 こうして俺とクラリスは、出陣直後から幸先よく性犯罪者の逮捕に成功した。これから国軍の砦に向かうのだ、そこで捕虜として過酷な労働に従事させてやろう。


 ポカポカと、頬を膨らまして老人を殴る幼女の気が済んだ後に。







「ローレル様!! どうなさったのですか!?」

「老人虐待じゃ……。老人狩りに遭ったのじゃ」


 砦に連行してみて、びっくり仰天。なんとこの性犯罪者は、将軍でした。


「ワシのしもべよ、この者たちを捕らえよ。そしてパンツを巻き上げるのじゃ」

「……。ウチの将軍が大変失礼しました」

「何故、謝る!?」


 部下もこの老人の悪癖を良く知っていたようで、部屋に入るなり冷たい目で見下されていた。こんな男の指揮で戦ってたのか、苦労してたんだろうな。


「あー」


 こほん、と幼女の咳払いが砦に木霊して。


「我はミーノよりこの砦の防御を再び任された、宮廷魔術師のクラリスである!!」

「お伺いしております、クラリス様。快復おめでとうございます」

「彼女は、我の護衛役のフラッチェだ」

「なんと! 貴女があの名高い『神剣』様でしたか、お会いできて光栄です」

「よろしく頼む」


 良かった、部下の人は結構まともそうだ。こんな性犯罪者を砦の守護者にするなんて、ミーノはやはり悪い奴に違いない。


 よく見ればこの老人、前に城下町でセクハラしてきたの浮浪者じゃないか。俺の腰布とカリンのパンツ返せコラ。


「この砦の指揮権は、我にあり」

「その通りです、クラリス様」

「ならば、そこの曲者をひっ捕らえい」

「御意」

「ひょひょ!?」


 まだ少し目に光がないクラリスは、セクハラ爺を即座に部下に捕らえさせた。いい判断だ、クラリスは指揮官に向いているかもしれないな。


「待って。ワシ、ワシは前大将軍にして現総司令官の────」

「ただの性犯罪者だろうが」


 こうしてローレルは、一瞬にして砦の指揮者から独房の住人へと身分を落した。


 自業自得である。

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