第55話

 ここは、人類の敵たる魔王軍の駐屯する洞窟拠点。


「いい加減にしろよお前ら……」


 黄金に輝く長い髪。筋骨隆々の、白い肌。それは見る者全てに恐怖と羨望を抱かせる、生命の頂点。


 魔族の王、強靭な魔族をその実力で統べる化け物。それは即ち、魔王その人である。


 彼は部下を見渡し、獰猛な笑みを浮かべ、拳を握り、そして咆哮した。



「オレをそろそろ出陣させろぉぉ!!」

「また魔王様の悪い癖が出たぞ!」


 どうやら魔王様は、そろそろ出陣がしたいらしい。





「魔剣王負けたんだろ!? ってことは、結構な戦士がいる訳じゃん! 戦わせろよ、オレを!!」

「お願いですからまだ踏み留まって下さい!! まだ、一番厄介な敵を始末できていないのです!」

「我らの動きは、何故か敵に完璧に察知されています! 予知能力者か、それに準ずる魔法の使い手が存在する可能性が高い!!」

「たとえ動きを読まれようと! このオレが人類を皆殺しにすればいいだろ!!」


 全ての魔族の頂点。圧倒的な『戦闘能力』の下に、ありとあらゆる魔族が服従を誓った存在。


 そんな魔王は、必死の形相の部下に出陣を諫められ駄々をこねていた。


「魔王様、貴方が搦手で打ち取られてしまえば魔族はそれまでなんです! ご自身の身を大事にしてください!」

「このオレが人間如きにやられる訳有るか! 人間が仕掛けた中途半端な罠なんぞオレにきかん!!」

「魔王様バカじゃないですか! 引っかかっちゃいけない罠にもあっさり引っかかるじゃないですか!!」

「誰がバカだコラァ!」


 その金色の髪の王を馬鹿呼ばわりした愚かな魔族は、魔王に拳骨され地中深くに埋まった。大地の下から「タスケテー」と哀れな懇願が響きだす。


 魔王と呼ばれた彼の戦闘スタイルは、実にシンプルなものだ。近寄って、ブン殴る。彼にとって軽いツッコミのつもりの一撃ですら、屈強な魔族を大地に沈めてしまう威力となる。


 だが裏を返せば、魔王は敵を倒すためには近寄らないといけない訳で。そして、彼に魔法など人間が使う小細工の知識は一切なかった。


 更に魔王は戦うという行為そのものに関しては比類なき天才であるが、地頭は決して良くない。これまでは周りにカバーしてもらっていたが、かなり騙されやすい存在と言える。彼はただ、強いだけの存在だ。


 そんな魔王は『戦闘能力は貧弱な癖に姑息、搦手、謀略、闇討ちが得意な人族』との戦いに、致命的に向いていなかった。


「魔王様がお強いのは承知ですけど、例えば転移罠に引っかかってどこぞ遠くに飛ばされてしまわれたらご自身で戻ってこれますまい。そうなれば我らはおしまいなのですぞ」

「多分引っかからんし!!」

「だから、敵に我らの動きを読む能力者的な存在が居るんですってば! その人間を特定して殺すまで、魔王様を出陣させるわけにはいかないのです!」

「うるせえバーカ!」


 そして、彼のもう一つの欠点は『短気』である。


 今までは、『人族侵略』を目標に結託したあらゆる魔族の知恵者たちが魔王に代わって辛抱強く魔王軍を運営してきた。だが、ただ強いだけの魔王にはそれが不満でしかなかったのである。


「ものっ凄く我慢したぞオレは!!」


 元々、彼はコソコソと隠れながら王都付近まで進軍するつもりはなかった。堂々と「オレは魔王だ、人間どもの領土を頂くぞ、ガハハハ」と宣言して威勢良く、国境から進軍していくつもりだった。


 だが、知恵の回る魔族はそれを諫めた。


 折角、魔族が魔王軍という形で数百年ぶりに纏まったのに、そんな乱雑な進軍は勿体無い。魔族は知恵で人間に劣るが、だからといって馬鹿ではないのだ。


 そして、魔族達は少しづつ王都周囲に拠点を築き、味方の兵力を進めていった。人族に支配された肥沃な領土を、我が物とするために必死で知恵を絞った。堂々と攻め込みたがっている魔王を説得し、魔族は奇襲の為の計画を綿密に進めていった。


 だがその最後の一歩、王都襲撃の直前というタイミングで。どこの部隊かは分からぬが、勝手に人族の街に奇襲をかけて略奪を行った魔族がいたそうな。



 それで、魔王軍の計画はすべて狂った。


 人族は臨戦態勢となり、城門の警備が明らかに増えた。そこかしこの拠点に兵が送られ、奇襲なんてものがかけられる状況じゃなくなってしまった。


「どこの種族だ、勝手に攻め込んだバカは!」

「わかりません、誰も出陣した様子がないのです」

「そんな訳があるか」


 長年の悲願であった、人族侵攻。その一番大事な一手を台無しにされた魔王軍幹部たちは頭を抱えた。


 だが、今更臨戦態勢になろうとも魔王軍は既に王都付近まで侵攻している。まだ、有利なのは魔族側のはずである。


 ならば、多少の被害は覚悟でこのまま正攻法で王都を落とすべきではないか。彼らは、そう考えた。


「人族は、数が多くて知恵が回る。見ろ、奴らこんな場所に砦を築いているぞ」

「そろそろオレも出陣してぇ」

「この位置はいやらしいな。常に背後を取られているようなものだ」

「もう、我らの存在はバレているんだ。ここからは丁寧に、確実に進軍するべきだ。まずはこの砦に兵が入る前に占領するべきだろう」

「異論はない」

「オレの出番まだ?」


 そんなこんなで、魔王軍は速度重視で慌てて砦の攻略を行った。だが、その結末は悲惨の一言だった。


「砦には既に人族が防衛網を作り上げていました!」

「凄まじい魔法の使い手で、第一陣は人族の魔術で敗走しました!」

「しかも敗走した味方は、待ち伏せされて壊滅しかけてます!」


 まるでこちらの動きを読まれていたかのような対応。いやきっと、人族の魔法にはそういった類の魔法があるに違いない。


 おそらく姑息な人間は城下町への襲撃をきっかけに、未来予知の魔法を使い始めたのだ。


「大変です、砦に救援に向かった魔剣王様が打ち取られました!」

「彼の部下が数名戻ってきましたが、皆満身創痍です」

「人族の戦闘力も侮れません!」


 悪い知らせは止まらない。


 魔王軍でもきっての猛将だった魔剣王が打ち取られ、敗走した。この事実は、魔王軍に衝撃をもたらした。


「姑息な搦手にさえ引っかからなければ、魔族は人間に勝てるんじゃなかったのか!」


 何せ、逃げ延びた魔剣王の部下の報告によると。魔剣王は正々堂々の戦いで、一人の剣士に二人がかりで正面から人間に敗れたというのだ。


 それが本当なら人間の将の戦闘力は、魔族の猛将に匹敵する事になる。


 魔族達は、人間を弱いと信じて疑わなかった。だからこそ、勝てる相手だと踏んでいた。


 その前提条件が、覆されたのだ。



「こうなれば人軍の頭を潰してから、混乱のうちに全面攻勢で一気に決着する」



 魔王軍の出した結論は、それだった。


 人族の領内に侵入して、王を暗殺し、混乱に乗じて国を取る。正面からの戦争は、少し分が悪そうだ。


「なー! だから、オレの出番はいつなんだよ!」


 魔王という存在が、今の彼らにとっての唯一の勝機。まだ、人族は魔王の存在を知らない。


 その気になれば、素手だけで一息に山を谷へと地形変動させる馬鹿げた戦闘力。存在そのものがぶっ壊れている、戦いという行為の化身。


 そんな魔王を、混乱に乗じた最終決戦で投入出来れば勝利は揺るがない。


 逆に、冷静に対策を練られてしまえば魔王は容易く処理される可能性がある。人は知恵の生き物だ、魔王が強いだけのアホだとバレてしまえばいくらでもやりようはあるだろう。


 それに、どうやら敵はこちらの動きが読んでいる。魔王を罠に嵌める事は全く難しいことではない。


「魔王様、しばしお待ちを。最終決戦のその場で、満を辞して出陣いただく予定です」

「嫌だ! オレはもう戦う! いい加減に戦わせろ!」

「お願いです、どうか!」


 だからこそ。魔王軍は、魔王の存在を隠しておきたかった。本当に信用できる魔族以外には、魔王は謁見すら許さなかった。


 それが幸いして。ミーノですら、魔王の詳細な情報を掴めていなかったのだが。



 




「────もう沢山だ!」


 だから、これは幸運なのだろう。


 人族にとっては、圧倒的な幸運。


「オレは出る。そもそも、こんなにコソコソ戦うのは反対だったんだ。正々堂々戦って討ち滅ぼしてこそ、魔族だろう!」


 魔王の頭が、弱かったこと。戦いに飢えて、堪忍袋の緒が切れたこと。


 魔剣王が敗れて、魔王の闘志に火が付いたこと。


「魔王様っ!!」

「教えてやるよ、貧弱なる我が同胞たちよ。真に強い者はな、策などに敗れない」


 幹部達の表情が変わる。それは、魔王が本気だろうと察したからだ。


 金色の髪を逆立てて。魔王は、悠々と立ち上がる。


「オレが、一人で突っ込む。それが、一番被害なく勝利を収める手段だからな」





 その言葉と共に。


 部下が制止する声をかける暇もなく、魔王は王座から消え去ってしまった。


 否、部下の誰もが立ち去る魔王を目で追えなかっただけである。


「……魔王様を追えっ!」

「急げ!」

「いや、もう駄目だ。魔王様が出陣されてしまえば、もう奇襲の意味が────」


 その、一瞬の出来事に魔王軍の幹部達は憔悴した。もはや彼らには、魔王が何処に向かったかすら想像が付かない。


 砦に向かったのか? 王都に向かったのか? 


 魔族にとっての最終兵器が勝手に出陣し、冷静さを欠いたまま下した部下達の結論は。


「ならば今、全軍進撃するしかないだろう! 魔王様は言わば、初見殺し的な強さを持つ!!」

「時期を待つ等と悠長な事をしていれば刻一刻と不利になるだけ!」


 魔王を追いかけての、同時出撃だった。


 そもそも、彼らは人間ほど思慮深い生き物ではない。というかそもそも、自分達の親玉が先陣切って突っ込んでしまえば、彼らに残された選択肢はそれくらいしかないのだ。


「全軍、突撃ぃ!!」


 魔王軍に名を連ねる各魔族の長達は、慌てて出陣の準備に取りかかった。


 かくして。決戦の火蓋は、魔王本人の短気によりおもむろに切って落とされたのだった。





























 醜悪。


 人類を守るべく決死の覚悟で故郷(王都)を離れ、危険な砦へと出征した兵士達を待っていたのは、見るに耐えないエロ爺のランチキ騒ぎだった。


「うひょひょ! 酒池肉林じゃぁ」


 砦の会議室では色町の女が老いた将軍目当てに媚を売り、寝室には商人が好機とばかり高い酒を売りに来て。


 本当にここは戦争の最前線か、はたまた色町か。


「あの大敗北の後じゃ、暫く戦など起きんじゃろうて。今は鋭気を養うのじゃ」


 このエロ爺は、退廃的で自堕落だ。だからこそ、国の英雄でありながらその役職を追われたと言える。


「そーれ、飲めや歌えや」


 決死の覚悟で砦へ出陣した真面目な兵は嘆いた。


 ああ。俺達は何でここにいるんだろう。


 女は老人をたぶらかし、商人はニヤニヤと商品の酒を並べ、芸人は喝采を浴びて舞を踊る。


「安心せい、安心せい。ここは国のどんな場所より安全な拠点よ~い」


 それは事実だ。防衛に特化し建造されたこの砦は、本来は国で最も堅牢な拠点である。


 そして老人には自信もあった。彼の最も得意な戦いとは、即ち防衛戦だった。


「うひょひょひょ! 一生此処に住んでいたいのう!」


 欲望に溺れた兵士は将軍とともに堕落した。その様は、まさに愚劣の極みと言えた。


 廊下には酒の空き瓶が広がり、女の蒸せるような匂いが兵舎に充満し。



『拝啓。ミーノ大将軍閣下────』



 ……その惨状を、真面目な兵士がミーノ大将軍に報告した翌日。早くも2人の新たな指揮官が砦へと派遣され、兵は胸をなで下ろしたのだった。












「────処刑」

「横暴じゃ!」


 砦の中を兵士さんに案内してもらい、クラリスが下した最初の命令は処刑だった。


 なんとこのクソジジイ、貴重な軍費を「鋭気を養う」と称し女や酒に注ぎ込んでいたのである。クラリスは珍しく激怒し、即座に処刑を決断した。


 良い判断だ。


「戦場で女を抱いて何が悪い! 明日死ぬやも知れぬ部下に女をあてがうのは、上司たるワシの定めじゃぞ! 男という生き物を理解しておらん乳臭い子供が、感情に身を任せて────」

「お前が一番楽しんでんじゃねーかクソジジイ。何人囲ってんだよ」

「ワシだって現役じゃもん!」

「……処刑」

「賛成」

「横暴じゃあ!!」


 戦場で女を買う兵士が多いのは知ってる。俺だって男だったし、気持ちはわかる。


 ……それを、軍費でやるなという単純な話だ。しかも、自分の娯楽の分まで。


「私が首を落とそう。……苦しまぬよう、一太刀で仕留めてやる」

「いやじゃあ! ワシは巨乳に挟まれて窒息死するという夢があるのじゃ」

「悪かったな貧乳で。じゃ、首を下げた体勢で固定してくれ兵士さん」

「ひぃぃぃ!!」


 横領に加え、コイツは窃盗や猥褻の罪も犯している。メイちゃんの尻を撫でただけでも、処刑は免れない。


 俺は無表情に剣を抜き、そのまま上段に構えた。俺は非力ではあるが、真っ直ぐ綺麗に剣を振り下ろせば老人の首程度は両断できる。


 兵士により力尽くで押さえつけられ、泣きながらブンブンと首を左右に振る老人を冷めた目で見据えて────。
















 背筋が、凍りつくのを感じた。











 例えるならば、それは逃れられぬ死が眼前に迫ったのに気付いた瞬間。そんな、怖気の立方だった。


 背筋に物凄い冷や汗が滲み、小刻みに手が震え、心が極寒に塗りつぶされる、そんな感覚。


 圧迫感で息が出来ず、振り上げた剣を振り下ろすのも忘れて、俺は『その方向』へと振り向いた。



「何じゃ!?」

「……殺気?」


 遅れて、老いた変態とクラリスもソレに気付く。


 圧倒的な、その存在感に。この世の生物すべてがひれ伏すだろう、『天災』のようななにかの気配に。


 身の毛がよだつとはこの事だ。勝てる相手ではない、勝負になる相手ではない。いや、同じ土俵に経とうと考えることすらがおこがましい、圧倒的な『力』。



愛の壁スーパーシールド!」



 咄嗟に、クラリスが防壁を張った。きっとクラリスも、何かを感じたのだろう。


 防御魔法を張らねばまずいことになるぞ、という直感的な何かを。


 そして、そのクラリスの行動は正解だ。何せ、その直後に砦は半壊したのだから。




「え?」




 その轟音を認知したのは、崩れゆく砦の全てを見下ろした後。その非現実的な景色に、俺は頭を真っ白にして混乱していた。


「呆けるなフラッチェ!! 敵ぞ!!」


 城といっても差し支えない程に俺達の巨大な砦が、クラリスが防壁を張った部分以外が綺麗に消し飛んでしまったのだ。


「……」


 その攻撃の爆心地に、ソイツは居た。金色の長髪を逆立てて笑う、おぞましい存在感の『なにか』がそこに居た。


 その『なにか』は。ただ、何でもないような素振りで手を軽く振った。


 ────豪。


 振るった腕のその先は、何もかもが吹き飛んだ。子供が砂場で暴れまわったような、不細工な波打った台地が土煙と共に形成された。


 ……それはまさに、化け物と言うにふさわしい。


「……撤退じゃ!!」


 兵士が呆けて立ち尽くす中、老将軍は指示を出す。『あんな化け物に勝てるわけがない』という事実を、老将軍はいち早く察したらしい。


「囮役はワシ以外全員じゃ。お前ら、せいぜい時間を稼いどくれよっ!!」


 にゅるりと奇妙な動きで兵の拘束を抜け出した爺は、かさかさと這うようにその場からいち早く逃げ出した。そのあまりの逃げ足の速さに、金色の化け物に気を取られていたフラッチェは反応できず見送ってしまった。


「頼んだぞ、後は任せたぞい!」

「ちょっ……逃げるなクソジジイ!!」


 逃げ出す老人を見て少女剣士は絶叫するが、凄まじい威圧を放つ『なにか』に目を奪われ追いかける余裕がない。


 軍の金で酒池肉林を楽しみ、いざ戦が始まるといの一番に逃げ出した老翁に閉口しながら。フラッチェとクラリスは、静かに覚悟を決めて得物を構えた。


「逃げ行く者は放っておけフラッチェ。……それより、正念場の様だぞ」

「……みたいだな。ついてねぇ」


 そう、構えなくてはならない。


 何故なら、これは理論上幸運な事であり。


「人族で最も強力な対個人戦闘迎撃は、すなわち此処ぞ」


 ここに『化け物』が来てしまった以上。奴を仕留めるのは────




「私達で、奴を狩る」

「おう」



 












 老人は逃げる。気配を消し、小動物のごとく怯えながら、林に隠れ道なき道を進み王都へと駆け出す。


 やりたい放題をした挙げ句、無様に逃げ出した老将。きっと、砦の兵の彼に対する評価は氷点下だろう。


 ああ、無様。果たして彼は、将の器たる人物だったのだろうか。命惜しさに逃げ出して、果たして人傑と言えるのだろうか。


「……あ、あんな化け物が敵なんぞ聞いておらんわい」


 冷や汗を吹きながら、老人は走る。助かるために、生き残るために。


 老い先短いだろうわが身が、惜しくて仕方がないゆえに。



 ……否。




「折角、こんな老骨に再び出番が貰えたのじゃ。役目は果たさせてもらわんと死にきれん」


 この老人は、我が身可愛さに逃げだしたわけでは無かった。真に、『人類の勝利』の為に拠点を捨てて逃げ出した。


「ワシがあの場に居ても、ちり紙ほども役に立たん。それよりも────」


 老人は、観察眼に自信があった。敵を分析し、理解し、対策を練るのが得意だった。


 壮年期の彼の活躍を支えたのは、剣の腕でも軍略の鋭さでもない。他の追随を許さない「見」の能力の高さこそ、彼の神髄であった。


 あの国益の化身ミーノが国家の一大事に、こんな助平で身勝手な老人を頼った理由もそこにあった。自らの状況を把握し、敵を知る達人である老将軍。それは、ミーノとは別ベクトルで完成された一つの「軍略家としての極致」と言えたからだ。


 ミーノは「事前に集めた情報を纏め上げ吟味し、最適解を模索する」のに対し老将軍ローレルは「敵を知り、己を知ってその場で最適解を選んでいく」。何も情報のない戦場では、きっと彼はミーノより優れた軍師足り得るのだ。


 その老人が、突如襲撃した『なにか』を見て理解したことは。



・あの『なにか』はおそらく魔王である。三下であるなら、今の今まで温存する理由はない

・あの『魔王(推定)』は、魔法を使えない。魔法が使えるなら、クラリスの防壁の存在に気付いて対策をしたはず

・そして、あの『魔王(推定)』は────



 彼の観察眼は、その『なにか』という存在を丸裸にした。一瞬、その挙動と周囲の状況を垣間見ただけで。



・────あの『魔王(推定)』は、部下を引き連れず出現した。つまり彼は『身勝手で短気』な性格。

・そして、あれだけ圧倒的な力を持っているだろう『魔王(推定)』が温存されていた、それはつまり。



 戦いのみに明け暮れた人生を送った老人だからこそ。その価千金の『情報』を理解したのだ。




・『魔王』には搦手が有効である可能性が高い────




 持ち帰らねばならない。この情報を、ミーノに伝えねばならない。


 老人は、一人情けなく逃げ出した。自分よりずっとずっと若いだろう兵士に戦場を任せ、きっと敵前逃亡だのなんだので罪に問われることも察した上で逃げ出した。


 今、この目で見た魔王側の『急所』たる情報を持ち帰るためだけに。


「許しとくれ、あの化け物は底が見えん。きっとお前らじゃ勝てん」


 老人は、後悔と懺悔の念に囚われながらも逃げることをやめない。


「じゃがお前らの犠牲は無駄にせん、必ず役目は果たすからの────」


 その時、老人が走り去るその背後で、凄まじい轟音が響き続けていた。

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