第51話

 路傍に咲く紅の花が、微かな風に揺れる。


 無縁塚。それは生き残った親族がいなかったのか弔って貰うこともできず、国軍により焼葬されて打ち捨てられた『ヒトだったモノ』の行き着く先。


「────許せよ。我の力不足を」


 積み上げられた骨の山には、所々に黒く焦げた肉炭が付着している。乱雑に積み上げられた骸の山からは、禍々しい死者の無念が渦巻いているかに感じる。


 付近の生き残った住人も、その怨念を恐れ誰も近付かなくなっていた無縁塚。そこで。少女は一人祈っていた。


「その魂に救いあれ。汝の怨嗟に終わりあれ」


 金色に輝く髪を揺らす、幼い風貌の少女は。ただ一心不乱に、心を痛め死者の冥福を祈り続ける。


「案ずるな、汝の無念は我が背負って進むであろう。安らかに眠れよ……」


 ────至高の魔術師といえど、死者は蘇らせられない。


























 何もかもが衝撃だった叙勲式が終わり。俺は呆然と放心し、立ち尽くすことしかできなかった。


 ミーノによって付けられた胸の羽飾りが、ドス黒い瘴気を放って蠢いている錯覚に囚われた。


 ────レックスは正しかった。奴の言う通り、ミーノは何もかもが終わっていた。


「……」


 成程。確かにメロはどうしようもないクズだが、あの男は単に幼いだけだ。子供染みた残忍さと傲慢さを大人になっても持ち続けた、いわば大人の身体を持ったクソガキである。きっと自らの異常な才能ゆえに、誉められ甘やかされ育ち自尊心を肥大化させて育ったのだろう。


 裏を返せば、頭ごなしに叱ってくれる存在が居たら奴はまともに育った可能性があったのだ。いやきっと、今からでもきっちり教育すれば更生は不可能じゃない。


 だけどミーノは違う。


 あの女は、もう誰よりも視野が広く俯瞰して物事を考えられている。決して精神的に未熟だから凶行に走ったわけではない。アレの人格は、もう完成されている。


 あの女は、生まれついての異常者だ。他人の命を利益に変換する事を躊躇わない、人間に擬態した壊れた政治機械。


「────カリン、なんで俺様に相談しなかった」


 叙勲式場から退場し、向かった控え室の中。レックスは小さく震えた声でカリンを問い詰めた。


「ミーノの凶行、調べあげたなら何故俺様に言ってくれなかった」

「……すまん、ウチも冷静やなかった。あの話をレックスが聞いたら、怒り狂って何するか分からんと思うた。無難に事を済ませるために、王の目の前で裁いて貰おうと画策した」

「そうか」

「結果、藪をつついて蛇を出した。申し訳ない、完全なウチの失策や」

「……アイツは、ああいう女だ。次からは相談してくれ」

「……すまん」


 カリンは悄気返り、服の裾を握り締めて悔しがっている。レックスも、カリンの意図を理解したらしくそれ以上追求するようなことはしなかった。


 確かに、ミーノのあの所業をレックスが聞いたら激高していただろう。そのまま、証拠もなく首を切り落としに行ったに違いない。


 この男は昔から激情家なのだ。レックス自身も、そのくらいは自覚しているらしい。


「レックス様。一度アジトに戻りませんか? ナタルさんの情報を集める必要があると思います」


 メイがポツリと、そんな提案をした。


 確かにアジト付近で、情報を集める必要はある。ナタルの服が此処にあるからといって、ナタルが王都に拉致されているとは限らないのだ。何処に捕まっているかのヒントになるような、例えばどの方向に連れて行かれたか等の確認は必須だろう。


「……それなら俺様が一人で行く、お前らはここに残って行動できるようにしてくれ。メイド服が奴の手元にあったんだ、王都にナタルが連れ去られた可能性も高い」

「そっか」

「それに俺様一人なら、走れば半日で戻って来れるし」

「……」


 そうか、レックスは人外だもんな。俺達は数日かけて遥々やって来たのに、半日で戻れるのね。


「その間はフラッチェ、お前がカリンとメイを守ってやってくれ。お前の腕を見込んで頼む」

「ああ」

「仮のリーダーはカリン、お前だ。俺様のいない間、パーティを纏めてくれ」

「分かった、任せて。レックスも頼んだで」


 メイやカリンも、レックスの提案に賛成のようだ。


 レックスはアホなので情報集めを任せるのは少し心配だが、時間が無い事を考えるとその方が良いだろう。


 俺も出来る限りの情報を集めてみるか。……そうだ、久々に師匠に手紙出してみようかな?


 王都に知り合いはいないけど、師匠に誰か紹介してもらえるかも。手紙なら会わずにやり取りできるしな。


 ものぐさな師匠の事だ、冒険者ギルドの死亡者とかいちいちチェックしてないだろ。


「ウチは王都でナタルの情報探っておく。レックス、早めに帰ってきてな」

「……お気をつけて、レックス様」

「ああ、おそらく数日で戻る。その間、ミーノには絶対に従うな」


 出来ることは何でもやってやる。


 俺は一刻も早く、ナタルの無事を確かめなければならない。アイツは寂しがり屋で怖がりな女の子だ、きっと今も泣いているに違いない。


 俺にとって何より大切な血を分けた妹────



「それは困るね、レックス君。君に王都を離れられるのは、国益じゃない」


 そんなレックスの前に立ち塞がったのは、静かに微笑む国軍軍師だった。












「仕事の時間だよ、レックス君にフラッチェさん。出陣の準備をして欲しい」

「拒否する」


 ミーノの命令を、レックスがバッサリと拒絶する。だがその女の表情は、穏やかなままだ。黒い四角帽子で目元が隠れてはいるが、その唇は柔和な笑みを浮かべている。


 それはまるで、俺達が自身の部下であるような。絶対に命令に逆らわないだろう存在に向ける、上司の顔だ。


「知っているかい? 人質というのは一人存在すれば十分なんだ」

「……」

「ボクは治癒術者だからね。どれだけ人質を痛めつけても、殺すことはない」

「お前……、ミーノっ!!」

「君たちがボクに逆らうなら、翌日誰かの髪の毛が届くだろう。次の日には掌が、その次の日には腕が、その次の日には足が」


 その女は、まるで雑談でもするかのごとく。考えるだけでもおぞましい悪夢の様な脅しを、淡々と俺達に告げる。


 いや、脅しではない。この女は躊躇なくやるだろう。この女に良心の呵責というものは存在しないのだ、彼女の中にあるのは国益か否か、それだけである。


「殺す。そんな事をすればお前を殺す」

「ふふふ、選ぶのは君達さ。君達がボクの命令に従ってくれたなら、彼女は痛い思いをせずスヤスヤ眠ったままだ。さぁ、どっちを選ぶ?」

「────っ」


 醜悪。悪辣。冷徹。悪逆。


 この女を表現するのに、俺はどんな言葉を使えば良いのだろう。想像するだけでおぞましい、ナタルがこの女の都合で四肢をもがれる姿を想像すると胸が張り裂けそうになる。


 血潮が高ぶる。この女に斬りかかれと、体中の臓器が咆吼している。無意識のうちに、手が固く剣を握り締める。


 本当に斬ってしまおうか。斬って、兵士を脅して、ナタルの居場所を吐かせようか。それが一番確実な気がする────。


「ああ、フラッチェさん。ボクを殺そうとしているね?」


 そんな俺の態度を察したのか。ミーノは微笑みを崩さぬまま、少し困ったように眉をひそめた。


「それはちょっとオススメしないかな。ナタルさんが大事ならね」

「……どういう意味だ」

「ボクが死ぬと同時に、彼女を含めた人質達は殺される手筈さ。君達以外にも、人質を取られている人は沢山いるんだ。きっと、ボクを斬った君はさぞかし恨まれるだろうね」

「まともな人間が、お前の腐った命令を守る訳が!!」

「人質は国軍以外の、信用できる存在に管理してもらっているの。ボクが死んだ後に人質を殺すことにより、ボクの個人資産から報酬が支払われる契約だよ」

「自分が死ぬことも織り込み済みで動いているのかよ」

「いつ暗殺されてもおかしくないような事してるしねぇ。今は一大事だから国益的に殺されるわけにはいかないんだけど、実はたまーに早く暗殺されて楽になりたいなんて気持ちにもなる。魔王軍撃退した後なら構わないから、ボクを暗殺でもしてみるかい?」

「あぁ。心底狂ってんだなお前」


 ……冗談めかして、自分の暗殺を唆す大将軍ミーノ。その口振りは飄々としていたが、目は真剣そのものだった。


 ダメだ。コイツ、殺される事を怖がっていない。自分が死ぬという事より、ミーノの死により国が被る不利益を怖がっているだけだ。


 自分の命すら、利益に換算できる資源として考えてやがるんだ。


「今日から、王都城周囲に陣地の構築を始める。今までは隣国に対する防備しかしてなかったから、王都付近はあんまり要塞化を進めれてなかったんだよね」

「……で?」

「工兵隊を奇襲されたら困るから、レックス君とフラッチェさんは土木作業をしている大工や兵士の護衛をお願いしたい。フラッチェさんは西、レックス君が中央の護衛を務めてくれ。東はメロに担当させるから」

「護衛、か」

「君達は人の命を守るのが大好きなんでしょ? だったら別に、文句はないだろ?」


 人を小馬鹿にするような言い草で、ミーノは俺達に資料を渡す。詳細はよく分からないが、期間は数日で依頼料はかなりの値段が支払われるらしい。


「君たちが職務放棄したら、国に雇われた大工や何も知らない工兵が虐殺されちゃうかもね。それは損だから、しっかり働いてよ」

「……どのみち、俺様達には断れねえんだろうが」

「そうだよ。今は国の一大事だ、レックス君の幼い癇癪に付き合っている時間はない。ボクに従ってもらうよ」

「糞ったれ」


 忌々しげに、レックスはその依頼書を受け取る。それはいつか見た、国軍の紋章入りの依頼書。


 前はこんな特別な依頼をこなせるレックスに嫉妬したりした。でも、今はとてもそんな気分になれない。


「覚えておけよミーノ、いつかお前を断罪してやる」

「断罪、ね。ふふ、ボクがそんなに憎いかい」


 薄ら笑いを浮かべたミーノは、俺達を愚かそうに見下して。


「君たちの目線は、民の目線だ。国を運営するものの目線では無い」

「何が言いたい」

「結論から言うよ。ボクが何も動かなければ、今日にはこの王都は人外の闊歩する魔族領となっていたはずだ。ボクたち人間は、奴隷のような扱いを受けていただろうね」

「……俺様がここに居るんだぞ。そんなことをさせる訳が」

「負けたじゃないか、君も一度。そもそも、エマちゃん通じて君たちを王都に呼んだのはボクだし」


 あ、やっぱりか。タイミングが良すぎると思った、エマちゃんに魔王軍が攻めて来るかもと吹き込んだのはミーノだった訳だ。


「断罪というけれど。果たしてボクは悪事を犯したのか? 犠牲を払ってでも、この国の闘志に火をつけて軍備を整え、魔族を撃退せしめたボクは悪なのか?」

「……だってお前は、罪のない人の命を」

「人を殺した。その事実だけで、君は思考を停止しボクに逆らい悪と侮蔑するのか?」


 ミーノはそう言うと、真剣な目で俺とレックスを睨みつけた。その目には、懇願に近い何かが含まれているような気さえした。


「今はボクに協力してくれ。ボクは国を守らなきゃいけないんだ。でなければ、犠牲にした命に顔向けできない」

「お前っ……」

「前に提示した条件も、本気だよレックス君。君が望むなら、魔王軍を撃退し国の平和が保たれたと判断した時点で。君に首をあげたっていいんだ」

「……」

「ボクに従ってくれ、レックス君」


 ……ミーノの言葉に、理がない訳ではない。それは、認める。


 彼女の言うとおりだとすれば、ミーノは王都を守ったことになる。


 だ、けれども。


「────なぁ、ミーノお前さ。誰かが不幸になっている姿を見て、どう思う?」


 俺は。そんなミーノに、ひとつの質問を投げかけた。


「フラッチェさん? 急にどうしたの?」

「目の前で、耐え難い不幸に遭い嘆き悲しんでいる人がいたとして。どう感じるんだ?」


 それは。俺が、ミーノを信じたかったからなのかもしれない。


 非情に徹しているが、それもまた演技の類ではないのかと思い込みたかったのかもしれない。


「……愚かだと思うね。あらゆる不幸は、回避する努力が出来る。その努力を怠った者の末路など、侮蔑の対象でしかない」

「なら、お前にはそういった経験がないのか?」

「有るさ。その度自分の無能を侮蔑し、反省し、そして成長している」

「そっか、お前にはそれが出来るんだな。……でも、それに耐えきれない様な弱い存在も沢山居るんだ」


 だけどミーノから返ってきたその答えは、嘘には聞こえなかった。彼女は心から、弱者を侮蔑しているのだろう。


 だから、彼女は努力した。俺と同じ様に、弱い自分を許容出来なかった。そして成長を続け、今の地位に立っている。その努力はきっと、並大抵のものではなかったはずだ。


「ミーノ、これだけは言わせてくれ。お前は政治家としては正しいんだろうよ、きっと。でも────」


 正しいのだろう。彼女の考え方の根本は、決して的はずれではない。


 むしろ国を運営していく上で、有能な人間を重視し無能な存在を切り捨てていくやり方は、きっと今のこの国には必要なモノだ。


 だけど、そうだとしても。


「────お前は人間として、間違っている」


 そんな存在は、人間と言えない。人間として認めたくない、


「……傷付くね」

「私はお前のやり方を認めない。もっと良い方法は無いのか、もっと悲しむ人が少ない結末は無かったか。それを探し、実現する。私の剣は、そのための剣だ」


 決別だ。


 俺は、ミーノのやり方を受容しない。きっと、俺の感覚は文官の連中からしたら『幼い理想主義』なのだとしても。


 俺が剣を振るうに至った最初のきっかけは、『目の前の誰かを救えるように』だからだ。


「お前の考える最善手が誰かの犠牲の上に成り立つモノなら、そんなのは間違っている」

「夢見がちだね。誰かの犠牲無くして、大事を成し遂げる事なんて夢の世界さ。君は獣を殺生することなく、肉を手に入れることが出来ると思うかい」

「その理想を追う努力を、お前はしているのか?」


 ────俺は、その理想を追うために剣を振る。

 

「私の剣は、目の前で泣いている誰かの為の剣だ。お前とは相容れない」

「……ま、元より理解してもらおうなんて思っちゃいないさ。ボクはボクのやり方で王都を守る。君は僕の指示通り、駒として働いてくれたらそれでいい」

「分かった。ただしナタルが見つかった瞬間、お前の首を飛ばしてアジトに帰るからな」

「そっか、ならナタルさんだけは厳重に監禁して貰わないとね」

「冗談ではないぞ。お前は、斬られた事に気付かぬままに即死する」


 カチリ、と刃音を立ててミーノを威嚇し。俺は奴に背を向け、割り振られた戦場へと歩き出す。


 ミーノが間違っているのか。俺が間違っているのか。


 それはきっと、この戦いの結果が証明してくれるはずだ。


「……待って、フラッチェさん」

「待たん。これ以上お前の言葉に、耳を貸す気はない」

「いや、ちょっと」


 今だけだ、ミーノ。俺が、お前の駒となるのはナタルを押さえられた今だけ。


 守ってやるさ、工兵達とやらを。お前の考えたことだ、きっとその方針は正しいんだろ。


 だけど。俺は絶対に、お前を認めない。お前は間違っている────


「そっちは東側。メロがもう布陣してるから。フラッチェさんの担当は西ね」

「……言えよ」

「えっ」


 どうやら俺は方向を間違えたらしい。


 いや、あの後にレックスに教えてもらったし。確か太陽の上る方向が、西だったっけ。今は太陽が動いていないから、方向を間違えても仕方がないじゃないか。


 そんな下らない事でマウントを取ろうとするなんて、やはりミーノは嫌なやつだ。


「……人の揚げ足を取るのだけは1人前だな、ミーノ」

「は、はぁ」


 俺はミーノに嫌みを返し、プリプリと怒って立ち去った。


 全く腹立たしい。


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