第38話

「……じゃ、ボク達は出会わなかったって事で。明日もレックス君の前で悪い奴モード全開で現れるけど、ボロとか出さないでね」

「お、おう」

「ありがとう。じゃ、さようなら」


 結局、俺はミーノの寝言の内容をレックスに話さないことにした。最後のミーノの笑顔を見て少し信用する気になったのと、何よりレックスが怖かったからだ。


 そもそもミーノに関わっただけでも凄く怒られそうなのに、介抱したなんて言った日にはどうなるか分からない。本気で怒ったレックスは怖いのだ。


 俺とミーノは赤の他人。今後も、レックスの敵として接する。それが、一番無難だと俺は思った。


「後、久しぶりに対等に話ができて楽しかった。……みんな、ボクに媚びるか攻撃的かのどっちかだから」


 別れ際、そんな事を寂し気に呟いたミーノ。それは同情を買いたかったのか、それとも本心から零れ出た言葉なのか。


「じゃあね」

「もう会うこともないだろうな」


 その言葉を皮切りに、俺は彼女と視線を切った。


 ミーノが去った後に俺も立ち上がり、彼女と逆方向に歩いていく。今日の出来事は、墓場まで持っていくとしよう。



 深夜、人気の無いだだっ広な空間。トン、と手荷物を投げ捨て、俺は訓練所のど真ん中で剣を真正面に振りかざす。


 俺は先程の彼女との会話を心で反芻しながら、無心に剣を振り下ろした。……政治の話はよく分からなかったが、あの女が本気で国の行く末を案じているのだけは伝わった。


 実際、あの女は悪人に分類されるのかもしれない。自分でも口に出していたが、彼女は過去に何度も悪辣な手段を使って他人を騙し、国の利益としていたのだろう。


 ……でも、きっとそれはこの国を運営していく上で必要な事で。民の平和のため誰かがやらなければいけない、皆が嫌がる汚れ仕事でもあるわけだ。


 何が正しいのだろうか。何が悪なのだろうか。国益の為に自ら悪人となる行為は、実は善行とは言えたりしないのか。


 ……そういう難しいことを考えて、悩んで、突き詰めて、進んだその先にミーノ将軍やエマちゃんは居るのかもしれない。


 文官の人たちが見ている世界は、きっと俺が見ている世界とは全然違うのだろう。


「……はぁ。性に合わない事はしない方が良いか」


 だから、俺もあまり深く悩まない様にしよう。元より俺に出来るのは、剣を振って敵を斬る事だけ。


 単純な話だ、人には向き不向きがある。色々と小難しい頭脳労働はエマやミーノに任せて、「敵を倒す」と言う力仕事は俺やレックスに任されてたんだ。


 だから俺は、ただ剣を振っていればいい。


 仮想したレックスの剣筋を躱し、脚さばきだけで懐に潜り、急所を一突き。いかん、今の動きには無駄が多かった。集中しろ。


 やり直し。半歩短く右足を前に出し、体重移動を水平に正確に。剣の残身を意識し、敵から絶対に視線を斬るな。


 ああ。剣はやはり、奥が深い。もっともっと、深く。もっともっと、集中しろ。


 もっと、もっと……。



























「……で。そのまま徹夜で剣振ってたのか?」

「と言うか、私的にはもう朝なのがビックリだ。まだちょっとしか修行してない様な感じがする」

「嘘つけよ、汗だくじゃねぇか! いいから体流してベッドで寝てこい、今敵が来たらどうするつもりだ!」

「え? いや私全然疲れてないけど。いや、むしろ目が冴えてめっちゃいい感じだけど」

「それ徹夜でハイになってるだけだから! いいからとっとと寝ろ! アホ!」


 ……誰がアホだ。zzz……


「此処で寝るなドアホウ!」

「あん? 寝てなんか、私は眠たくなんか……zzz」

「うわ、冷たっ! もたれ掛かって来るなフラッチェ、俺様までビショビショになるだろーが」

「zzz……zzz……レックスぅー、ぶっ殺してやる……」

「うーわ……。これ、俺様が連れて帰らないといけないの? うーわぁ……」


 何だか、急に、眠気が、溢れて。何も、考えられない、……zzz


 でも、俺に出来るのは、剣を────


「……あ。これ、着替えさせるのも俺様か?」


 照りつける朝日が、俺の自由を奪う。陽気な鳥の囀ずりが、心地よい微睡みを演出する。


 これは、耐えられない。俺は硬く冷たい鎧に体を包まれて、そのままゆっくりとレックスに体を預け意識を失った。


「風邪ひくもんな、このままじゃ。しょうがねぇ、これはしょうがねぇ」


 何やら頭上から聞こえてくる、妙にピンクな言い訳を聞き流しながら。

















 窓から放り込まれた紙屑を拾い上げ、そこに記された文字に目を通す。それは、彼女の日課のひとつだ。


「潜伏命令ねぇ」


 彼女ミーノにとって魔王軍の動きを読む事は、決して苦ではなかった。


「成る程。……相変わらず仕事が早いなぁ、流石コウモリの魔族」


 調略、謀略はお手の物。ミーノ将軍の政治力は、決して人間だけに通用するものではない。


 我が身可愛さに、或いは魔族間での権力争いの為に。人間側と通じて便宜を図ってもらおうとする小賢しい魔族の裏切り者も居るのである。


 そんな人族にとって都合の良い「魔族」を、ミーノが利用しない筈はなかった。


「そんな命令が出されたってことは、次の魔王軍の攻撃目標は砦かな。そこそこ頭が切れるのも居るんだね」


 ミーノは人族に通じたスパイに交渉し、魔王の命令の内容を知ることが出来る。だからやろうと思えば、彼女は魔王軍に対し常に先手を取り続けることが出来る。


「でも、何でもかんでも未来予知してたら裏切り者スパイの存在がバレちゃうよね。砦はクラリスに任せて、援軍は出さずにおこう。で、次の一手は……うん、決めた」


 敵の動きを予測するのに、不確かな勘は必要ない。虚実入り交じった情報戦を制し、確からしい情報を選択して行動する。それが、大将軍ミーノの戦い方だった。


 戦争とは、肉弾戦ではない。軍師による読み合いでもない。戦争とは、突き詰めれば政治戦である。


 武官など、政治戦の駒の1種でしかないのだ。


「となると、早速レックス君には働いてもらわないといけないね。……よし、顔を出すか」


 巨大な国を影で支える、若き策謀の女ミーノ。彼女の明晰な頭脳は、その時その時に出来る最善を導き出す。


 彼女は常に恐れている。自分の出した答えが正しいのかどうか、もっと良い方法があるのでは無いかと。正しい答えはきっと、数百年後の未来の歴史学者が判断する事だろう。


 だが彼女は迷いながらも決して歩みを止めない。失敗を恐れ何もしないより、失敗であろうと最善であろう行動を取り続ける。それが、彼女の矜持であった。


 下衆と罵られる覚悟もできている。政治戦に読み負けて、国を滅ぼした戦犯として100代語り継がれる覚悟もある。今現在、国を守れる政治手腕の持ち主は彼女だけなのだ。


 彼女がやらねば、誰がやるのか。


 やがて、彼女の足はレックスの宿泊する宿の前で止まる。昨日の彼は、依頼があれば来いと言った。だから翌日に訪れようと、文句を言われる筋合いはない。


「……失礼するよ! レックス君、早速で悪いけど君に仕事を依頼────」


 そのか細い両肩に王国の民の命や生活を背負い込み。ミーノ大将軍は、敵視されている最強の剣士レックスの部屋に押し入った。













「……zzz」

「あっ」


 それはタイミングが良かったのか悪かったのか。


 剣聖レックスは、誰もいない室内で意識のない女性フラッチェの服を脱がしているその真っ最中だった。


「……」

「……」


 ミーノの顔が、笑顔のまま青くなる。クリティカルな性犯罪の現場に出くわし、思ったより動揺したらしい。


「婦女暴行……」

「違う。いや、違うぞ。本当に違うぞ」

「同意の上には見えない……」

「いやだって、コイツは寝ちゃってる訳で」

「昏睡した女性を……了承も得ず……こんな頭の弱そうな娘を……」


 何だかよく分からない内に、ミーノ将軍は剣聖レックスの致命的な弱味を握れてしまった。当然、ミーノ将軍が特に狙った訳ではない。


「く、くず剣聖……。女の敵、強姦魔……」

「だから誤解だって言ってんだろうが!! そう言うお前こそ何の用だよ!! 他人の部屋にノックも無しに立ち入るなんて無礼じゃねーか!」

「いや、その。ボク悪人だしその辺は……」

「そっか、お前悪人だもんな……。この悪魔め!!」

「今の君に非難される謂れは無いかな!?」


 ミーノを罵倒するレックスの目前には、平坦な乳房を露わにした女剣士がスヤスヤ寝息を立てている。どう見ても強姦魔とその被害者だ。


「……ペニー将軍に出頭して、罪を償おうレックス君。ボクも付いて行ってあげるから」

「ふざけんな!! 囚人扱いになったらお前の良いコマにされるだけだろうが!! 俺様は認めねぇぞ、俺様は悪くねぇ!」

「うーわ、見苦しい……」

「だから俺様は服を着替えさせていただけだ!」


 ぎゃあぎゃあと騒ぐ、剣聖と大将軍。ミーノもこんなしょうもない弱味を手に入れられるとは思っていなかった。下手な情報収集をしなくても、これ一本でレックスを好き放題脅せるネタだろう。


 と言うか、ミーノは現在素でレックスを軽蔑していた。


「コイツはバカだから徹夜で剣振ってて!! 汗びっしょりで眠りこけやがったの!!」

「誰が馬鹿だぁ……zzz」

「何で仲間の女の子に着替えを頼まなかったの? 君のパーティメンバー、女の子ばっかだよね」

「い、今あいつらは席を外してて。ビショ濡れだし魔王軍迫ってるし風邪引かせるわけにはいかないし!? だから急いで着替えさせてやった方が……」

「……ちなみに私は風邪引いたこと無いぞぉ……zzz」


 実際フラッチェは生まれてこの方、一度も風邪をひいたことはない。正確には、風邪を引いた事に一度も気付いていないだけである。


 つまり、馬鹿は……


「……」

「……」

「……どうだぁ、レックスぅ……。私の勝ちだぞぉ……。どやぁぁぁぁ……zzz」


 その幸せそうに半裸で眠る少女は、お花畑な寝言を垂れ流し眠っている。その様子に毒気を抜かれてしまったミーノは、静かにフラッチェにシーツを被せて寝かしつけてやった。


 彼女の仕事は山積みだ。これ以上フラッチェに言及するのは時間の無駄に思えたのだ。


「えー。用件だけ言います。レックス君、ボク達は西の森林付近に陣取るから追従して」

「は? お前が出陣するのか?」

「うん。ペニー将軍は遠征中だし、メロは集団戦の切り札なので王都城から出す気はない。となるとボク自ら出陣するしかない訳で。となると戦力が不安なので、レックス君も追従して欲しい」

「……どういう意図の出陣だ」

「軍事機密。……言える範囲で教えると、迎撃遭遇戦の予定」

「お前自ら出るって事は、それなりに読みに自信が有んだな?」

「まぁ、戦のいろはも知らないレックス君よりかは……自信があるね」


 キラリ、と怪しげに瞳を光らせるミーノ将軍。値踏みをするかのように、そんな彼女を睨みつける剣聖レックス。涎を垂らしながら「やーいやーい負け犬レックスぅー……zzz」と寝言をほざく女剣士。


 場には緊張した空気が漂っていた。


「くだらない事をしたら、叩き切るから肝に銘じておけ」

「おぉ、怖い怖い。ボクは小心者なんだ、あんまり怖がらせないでくれ」

「首元に剣を押し当てられて、顔色一つ変えない奴が何を言う」


 剣聖は静かに眠っている女剣士の頬をつねり、吐き捨てるようにそう言った。


「出発は何時だ」

「明後日の予定だよ。こっちも準備がいるからね」

「……急だな」

「うん、時間との勝負さ」


 これで、ミーノ将軍が告げるべきことは告げ終わった。彼女はローブを翻し、レックスに背を向ける。


「君の活躍を期待しているよ、剣聖」

「俺様を追従させたこと、後悔すんなよ」


 そんな会話を最後に、ミーノ将軍はゆっくり退室して……





「ミーノまたなぁ~、むにゃむにゃ」


 寝ぼけた女剣士から、気軽な挨拶が飛んできた。


「……おい、お前ら知り合いなのか?」

「え? い、いや別に!?」


 ミーノの額から汗が噴き出す。寝ぼけたフラッチェが、自分との関係を露呈させる可能性は考えていなかったらしい。


「苦労してんだなぁ~、お前も……zzz」

「何の話だ? これ」

「ひ、人の夢の話なんかボクが知るもんか! その娘は君の仲間だろう? 君の方が詳しいんじゃないのか?」

「ミーノのおっぱい柔らかい……」

「本当に何の話だ!?」


 こうして女剣士フラッチェは、熟睡したまま最強の剣聖と参謀の大将軍を窮地に追い込んだのだった。


「レックスのチン●はちっさいなぁ……zzz」

「え、見せたことあるの!?」

「見られたんだよ畜生!」

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