2章 ナタル
第22話
その少女は、決して優れた人間ではなかった。
頭は悪く、身体は貧弱。臆病な性格で、他人に強く出ることはできない。顔はよく見ると可愛いかもしれないが、不愛想でワガママな性格ゆえにあまりモテたことはなかった。
少女は小さな頃からそんな自らの欠点をよく自覚しており、身の丈にあった生活を受け入れ、実家で親の仕事を手伝いながら細々と暮らしていた。
嫁の貰い手がないのが悩みではあったが、少女の家は別段お金に困っているわけでもない。むしろ余裕を持って彼女を養っていけたので、慌ててどこかに嫁がされる事も無かった。
そう、彼女の家は裕福だったのだ。冒険者となった彼女の兄が、毎月の様に大量の仕送りをしていたから。
彼女の兄は、妹と異なり優れた人間であると言えた。剣術の才能に溢れ、努力を怠らず、それでいて偉ぶることはない。周囲から一目置かれている、有名な冒険者だった。
幼いころから共に過ごしていた少女は知っている。兄の体はもともと貧弱だったし、頭も決して良い訳ではない事を。顔立ちは平均よりは整っている方といった程度で、兄妹で生まれ持ったモノに差があるとは思えなかった。
ただ、兄は努力家だった。妹がのんびり過ごした幼少期に、兄はひたすら剣を振り続けた。その違いだろう。
妹は凡人、兄は剣豪。
妹から見れば、兄は自分の上位互換と言えた。生まれ持った才能は同じ程度なのに、兄は剣という技術を突き詰め周囲から尊敬を集めている。自分は嫁の貰い手すらなく、内職で小銭を稼ぐだけ。
羨ましかった。妬ましかった。
だから兄に対する彼女の態度は、あまり褒められたものではなかった。口を開けば文句を垂れるし、兄が言い返すと罵詈雑言が飛び交った。お金が無くなれば兄の財布を勝手に持ち出したし、酷い時には金庫をこじ開けて有り金全てを攫って行くこともあった。
そんなどうしようもない妹だったというのに、彼女は兄からも愛されていた。
「こら! 勝手に持ってくなっていつも言ってるだろ!!」
「……つーん」
「分かったから。今度たっぷり休暇を取って実家に顔を出すから。いくら寂しいからって金持って帰られるのは本当に困るんだって!」
「寂しくないし。全然寂しくないし」
兄はよく知っていたからだ。妹が極端な寂しがり屋で、自分の気を引くためにいちいちこんなことをしでかしていることを。実家に戻れば、兄から盗んだ金が手つかずで残っていることを。
妹は嫉妬の感情と同じくらい、兄に好意も抱いていたのだ。こんな自分を受け入れて可愛がってくれる、心の広い兄に。
「もしお金を返してほしければ、実家に取りに戻ってくるべきだし」
「あぁー……。防具の支払い明日だってのに、もー!」
つまりこれは、少し度が過ぎた彼女なりの甘え方だった。兄はそれをよく理解していたから、妹を笑って許した。
……そう。彼女の兄は、実に優れた人間だった。人間としての器が大きな男だった。
そんな兄の死が、
その冒険者の名前は、レックス。
「兄貴は常々、語っていた」
「……何をだ?」
「自分はまだ一人だけ、勝てない奴が残っていると」
少女は真っ直ぐ、剣聖を見つめる。その目には、確かな敵意が宿っている。
「兄貴が死んだ。世界最強の剣士のはずの兄貴が、本当に死んだ」
ふ、とレックスも目を細め。その少女の言葉を、正面から受け止める。
「そんなことが出来るとしたら、兄貴に勝てる奴がいるとしたら! それはこの世でレックスしかありえないと、兄貴はいつも言っていた!!」
「まぁ……、そうだろうな。俺様以外にアイツに勝てそうな剣士が思いつかん」
「つまり、お前が兄貴を殺した犯人だ!」
ぎゅ、と少女の手に力が入る。赤く燃え盛る炎の刃が、そよ風にゴウゴウと揺らめく。
彼女は震える手で剣を上段に構え、そして叫んだ。兄を殺した男の名を。
「だからお前を殺す、レックスッ!!」
「成程。そう考えた訳ね……」
「こんな私に優しくしてくれた兄貴を……奪ったお前を許さない!」
────その言葉が言い終わらないうちに。
少女は雄叫びを上げならレックスへと斬りかかり。そして情けなくもレックスに蹴り飛ばされ、地面へ転がった。
「良いよ。ただ、覚悟は出来てんだな? 俺様を殺すと宣言したからには、お前自身が殺されることになっても文句は言わないんだな」
「それは文句を言う!」
「……自分勝手な奴だなぁ」
顔に泥を塗りつつも、少女は起き上がった。貧弱で鍛えている様子もない細腕で、再び重い刃を上段に持ち上げて。
「いいから死ね! この私の燃え盛る剣で、貴様の身体を焼き尽くしてやる!」
「初級魔法の火じゃ俺の鎧を貫通できんと思うが……、まぁ良いや」
再度、少女は突撃する。
わざわざ少女が上段に剣を構えるのは、彼女に全く筋力が無いからに他ならない。重力の力を借りて剣を振り下ろさないと、必殺の一撃にならないのだ。
「まずは落ち着いてくれよ、と!!」
「必殺! ライジングエターナルフェイバリットォォ!!」
そのひ弱な剣が、剣聖にまで昇華された剣士に当たるはずもなく。何やら不思議な必殺技名を叫んで突撃してきた少女は、横腹をレックスに蹴飛ばされて吹き飛び、血を吐き身体をくの字に曲げ、岩に激突し気を失った。
「あ。しまった、やりすぎたか?」
「おいぃレックス! 今かなりヤバい吹っ飛び方したぞ!」
「いやだって、アイツの妹だって言うなら受け身くらい……」
「馬鹿、ズブの素人だアイツは! それくらい見てわからんのか!!」
レックスの顔が少し青くなる。流石に受け身くらいは取れると思っていたらしい。
だがその少女は完全な剣の素人だ。いや、剣術の触りくらいは兄から聞いていたが、実践したことは1度もない。
「……うん、奇麗に気を失っとるね。骨も折れとるからしっかり治してやらんと」
「うーわ、どうしよ。ある程度は受け身とか出来る前提で蹴り飛ばしちゃったけど、マジの素人なのか」
「レックス最低だな。年下の素人の女の子を全力で蹴り飛ばしたって噂、そこら中に吹聴してやる」
「マジでやめてください」
かくして、その貧弱な少女剣士の復讐は幕切れとなった。気を失った女を道端に放置したらどうなるか分からない、流石に見捨てる訳にいかなかったレックス達剣聖一行は、その復讐者を背負って半日ほど旅をする羽目になった。
女剣士はやれやれと言った表情で優しく少女を背負い、剣聖はチクチクと周囲から嫌味を言われて。
「……はっ!」
「お、目が覚めたか」
ナタルが気を失ってから、半日ほど。俺の肩に涎を垂らしながら爆睡していた残念な妹は、空が赤く染まり切ったころに目を覚ました。腹がすいたのかもしれない。
「え、あれ、私? 負け……たの?」
「お前なー、剣を握ったことも無いような人間が剣聖と勝負になるわけないだろ」
「お、妹ちゃん目が覚めたのか。さっきはやりすぎてゴメンな」
「痛いとこないか? レックスの奴手加減失敗しよったからな、割と重傷やったんやでアンタ」
そろそろ疲れてきたので助かった。俺は目覚めたらしい妹を、背から降ろしてやる。
「……レックスっ!! 兄貴の仇────」
「はい、ストップ。ちょっと落ち着けナタル」
「あー、妹ちゃん? 大事な話がある、暴れるなら俺の一言だけ聞いてからにしろ」
……やはり、妹は馬鹿だ。先ほど瞬殺されたのに、レックスを見るなり猪突猛進。これでは動物と大差ない、どうして俺の様な知的な性格に生まれなかったのだろう。
そんな彼女を諭すように、レックスは頬を掻きつつナタルの突進をかわした。
「一言だ? お前、何を言い出すつもりだ!」
「お前の兄は生きているかもしれない。敵に捕らわれて、な」
「は?」
レックスのその言葉に、妹はゆらりと瞳を動かし硬直した。うん、その通りだ。お前の兄貴は生きているぞ。別に敵に捕まっちゃいないけど。
「兄さんは、死んだって……」
「確かに、ギルドにそう報告したのは俺様だ。だが少し事情が変わってな……、アイツが生きてる可能性が出てきた。もっと話、聞きたいか妹ちゃん」
「お前が兄を殺したんじゃ、ないのか?」
「……殺さねーよ。アイツはたった一人の、俺様の親友だ。何があっても、俺があいつを殺すなんてありえない」
嘘つけ。野試合の時のお前、当たってたら死んでた威力の斬擊あったぞ。いやまぁ、俺の受け流しの腕を信頼してくれてたのかね?
「聞かせろ! いや、頼むから聞かせてくれ! 兄貴に……何があったんだ?」
「ああ」
そして、レックスは語りだした。俺が死んだ洞窟で、謎の美少女剣士フラッチェと出会い奴らが死体を生き返らせていることを知った。そして、ハンサムで滅茶苦茶強い俺の死体を魔族共が放っておく訳がなく、いずれ敵として出会うだろう操られた俺の死体を取り戻すため魔王軍を追っていることを。
あ、そうなんだ。レックスが魔王軍の依頼に積極的なの、俺の死体を探してるのも理由の一つなのね。
まぁ……その俺の死体はサイコロ火山に火葬されちゃったんですけどね! ジャリバと一緒に!
「じゃあ私、兄貴の大事な人に喧嘩を……? え、嘘」
「あー、気にしなくていい。俺様に喧嘩売る冒険者なんぞ履いて捨てるほどいるしな、いちいち目くじら立てる気はねぇ」
「ご、ごめんなさい。勘違い、して……」
「レックスが虐めた年下の女の子に謝らせている。これは、情報屋に売ったらいい値段が付くかもしれん」
「やめろフラッチェ」
駄目です。妹吹っ飛ばされてちょっと頭に来てます、俺。
にしても、ナタルもナタルだ。我が妹ながら実にちょろい。何の証拠も無いのに他人の話を信じるなよ……。
今回はたまたまレックスが良い奴で話も真実だったから良かったけど、レックスが悪意のある詐欺師ならどんな目にあうか分からんかったぞこれ。
母さんは何やってるんだ、危なすぎるだろナタル1人で旅させるなんて。頭が弱くて世間知らずのナタルは、悪人の格好の餌食じゃないか。手早く説得して実家に帰さないと。
「レックスは、兄貴を探してるんだよね?」
「あぁ」
「……じゃあ、その、私も。私も連れていって!」
その当の妹に、帰るつもりは無さそうだが。
ナタルが冒険者稼業だ? そんな危ない事ダメに決まってるだろ、ビシッと言ってやれレックス。
「おいおい妹ちゃん、冒険者ってのは危険が付きまとういつ死んでもおかしくない職業だ。お前に万一があったら、アイツに申し訳が立たん」
「大丈夫。私だって、私だって強くなる」
「悪いけどお守りしながらこなせるほど冒険者ってのは楽な仕事じゃない。お前が強くなるのを待ってる時間はねぇな」
「雑用でいい。危険な場所には置いていってくれて構わない。兄貴が……、兄貴の情報が真っ先に入るアンタの側に居たいんだ」
大人の対応でナタルを説得するレックスだが、妹も一歩も引くつもりが無さそうである。
雑用で良いって言っても……普段ナタルは家事とかしないじゃないか。お前にゃ精々、野菜を無惨な姿に切り刻んでサラダだと吹聴する事しか出来ない筈だ。
「成る程。冒険者ではなく、メイドになると言うことか」
「メイド?」
……おい、何乗り気になってるんだレックス。
「うーん……、今まではカリンに家事を兼業させてたけど、家事専門にひとり雇うのはアリか? どう思う皆」
「ふむ。レックス、この娘連れてくつもりなんやな?」
「放り出して、他の冒険者パーティに入られても困るしな。親友の忘れ形見だ、俺様の目の届く安全なところに置いておくのも悪くないかもしれん」
「……家事とか出来そうに見えないんだが」
「で、出来るし!」
やめろ、正気になれレックス。ナタルなんぞをメイドにした日には、掃除の最中にあのアジトが爆発四散してもおかしくない。
「レックス、やめておいた方が良い。ほら見ろ、あの濁りきったメイの瞳を」
「また女の子を増やすんですね……」
それにメイが、正直怖い。
「ウチはお金貰っとるし家事兼業でもええけどね。ま、レックスに任せるわ」
「んー、あんまり皆乗り気じゃねーのな。でも、家に帰るとメイドさんがお出迎えしてくれるの、俺様の夢の1つだったんだ」
「うわキモい」
レックスキモい。よりによって、あのナタルをメイドにしようとしている辺りがキモい。
メイドさんは知的クールと相場が決まっている。ドジッ娘メイドは実際に雇うとストレスでハゲ散らかすからだ。そして、ナタルは間違いなく後者である。
「……レックス様。それくらい私に言ってくれれば」
「いや、メイは戦力だろ。ウチのパーティの最大火力はお前なんだし」
「メイド服を来ていても、魔法くらい使えます!」
「メイド服着せた黒魔導師を依頼に連れてったら、俺様は紛ごう事なく変態じゃん」
「落ち着けレックス、既にお前は変態だ」
とまぁ、こんな感じでレックスは強引に話を進め。ナタル本人の熱望もあり、我らがアジトに小さなメイドが誕生したのだった。
……どうなっても知らんぞ。
「何か異様にスカート短いし……くすん」
「レックスは生粋のスケベだからな」
そしてレックスの用意したフリフリのメイド服は、奴の性癖丸出しの恥ずかしいデザインだったという。
俺も男だが、あえて言おう。男って馬鹿だ。
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