第5話
鏡を、見る。
ソコに映るのは、黒髪の少女だった。歳は、前の俺より少し若いくらいだろうか。
その見た目に、以前の俺の面影は全くない。猫のように大きな紅い瞳が、透き通るような肌と対照を為している。
レックスの言う通り、胸はやや平坦。だからこそ、女性の身体になってしまった時に気付くのが遅れたのだが。
そして雰囲気は凛として、見た目には真面目な堅物を思わせる。少し眉間にシワを寄せてみると、うむ、10人いたら10人が『この女に絡まれたら説教が長いだろうな』という感想を抱くだろう。
そして、ゆっくり軽く股間をまさぐる。成る程? ふむふむ、ついてなくて、穴がある。間違いなく、女性の身体だ。
────何故、わざわざ俺は女性にされたんだ?
……一つ、仮説を立ててみる。わざわざ女性に改造されたのではなく、元々女性だった身体に俺の脳が移植されたんじゃないか?
つまり、恐らくこの女の子も魔王軍に殺された冒険者だったのだ。
奴の目的を考えると、わざわざ俺の死体を女に改造して美容整形する必要はないだろう。
死体を改造する技術を持つという魔導王ジャリバ。ヤツはきっと、俺を作り上げるにあたり複数の人間の死体を使ったのだ。
その中に、この少女の死体があった。それが、この身体の素体になった。一方で脳は、たまたま俺のものが使われた。だから、自我は俺だ。
……だとすれば。ある日この少女の知り合いが、俺を見て話しかけてくるかもしれない。この娘の両親が、涙を流しながら『今まで何処で何をしていたの?』と抱きついてくるかもしれない。
────胸くそ悪い話だ。人間の死を、何だと思っている。
いつか、後悔させてやるぞジャリバ。お前の行った外道の、その報いを受けさせてやる。
鏡に映る俺の顔が、憎悪に歪む。怒りを制御しきれず、俺は拳を固く握りしめ鏡の前で小さく唸った。
「……フラッチェさん? まっ裸でなにやってるんですか?」
「メイか。自分の身体を調べていたんだ、奴等に捕まる前と何がどう変わっているかを知っておきたい」
「な、成る程? ですが、裸になるならいくら自分の部屋とはいえ鍵くらい閉めておいては?」
……む、油断していた。
ジャリバへの怒りに夢中となり過ぎて、ついつい周囲への警戒を怠っていたらしい。
いつの間にか俺の部屋に、メイが入って来ていたのだ。
「メイこそ、何の用件だ?」
「あ、えっと。レックス様が、フラッチェさんを剣の稽古に誘っています。その、今のフラッチェさんの力を確実に知っておきたいそうで」
いきなり部屋に入ってきたから、いったい何事かと思ったが。どうやら彼女は、レックスに頼まれてわざわざ、俺の自室に呼びに来てくれたらしい。本当に良い娘だ。
「場所は?」
「アジトの裏庭に、開けた場所がありますので。おそらくソコかと思いますよ」
「わかった、すぐ準備しよう」
すぐに真顔を作り、全裸のまま自然にメイに会話を振ってみる。その間にさりげなく、腕を組んで胸を隠してみる。
……うーん、どうしよう。下手をしたら、全裸で鏡に向かって唸る変な人と思われたかも。
この娘の外見で変なことをしたら、死者を辱しめる事になるかもしれない。これからは気を付けよう。
「すぐに裏庭に行く。少し待っていろと、レックスに伝えてくれ」
「分かりました!」
俺は表情を変えず恥ずかしさを堪えながら、鏡から離れて衣類を手に取った。確かに、裸になるなら部屋に鍵くらい掛けとけば良かったな。
まぁ、部屋に入ってきたのがメイで良かった。彼女ならみんなに言い触らしたりは────
「おいフラッチェ、何をもたついてんだ? 早く、来い────」
あ。
「って、わぁー!? レックス様、今は部屋に入っちゃダメですー!」
「う、うおわぁ!? す、すまんすまん、わざとじゃない!」
「だったら早く部屋から出ていってください!!」
ちょうど、メイが出ていって扉を閉めようとした瞬間。入れ替わるようにレックスが、俺の部屋に飛び込んできた。しびれを切らして直接誘いに来たみたいだ。
本当にせっかちだなぁ、昔から。まぁ、剣士として一秒でも早く敵と打ち合いたいって気持ちは良く分かる。
「その、俺様はあれだ、お前を稽古に誘いに来てだな!? わざとじゃない、わざとじゃないぞぉー……」
「レックス様! 早く出ていってくださいってば!」
そして、レックスは俺をガン見していた。そのまま慌てて部屋から出ていくかと思いきや、居座ってまさかのガン見である。
相変わらず女が好きだなオイ。胸が大好きだった筈だろお前、ド貧乳の俺に興奮してんじゃねーよ。結局女なら何でも良いのかお前。
「むーむむむ、せめて一言謝ってから部屋を出よう。すまんかった、フラッチェ!」
「目をバッチリ開けて言うことじゃありません!」
わざとらしく謝罪しながら、限界まで部屋に粘ろうとする
俺としてはあんまり気にしないんだが、今の俺の身体の元となった女の子が居るかもしれない訳で。その女の子はきっと、ブチキレる状況な訳で。
……うん、良し。
「お、おお?」
「フラッチェさん?」
てくてく、と無表情のまま。手に取った衣類で最低限肌を隠し、俺はゆっくりレックスに近付いた。
「お、おお、見え────」
ばちん。
「とっとと出ていけ」
俺は冷たくレックスを見下しながら、奴の頬を張り倒した。まぁ、この辺が女性として妥当な反応だろう。
頬に紅い紅葉が咲いたレックスは、しょんぼり萎縮しながら部屋を出ていった。メイは何とも言えない顔で、そんな彼を連行している。
なんであの馬鹿が俺より強いんだろう……。
「……やっぱ、筋は良いんだよなぁお前。良い拾い物したわ」
「うるさい、バカァ……」
そして、久しぶりのレックスとの稽古。と言っても、ウォーミングアップが終わった後は実践的にひたすら打ち合い続けただけなのだが。
奴の剣は、デカくて早くて重くて正確無比。馬鹿じゃねーの? 何で俺の軽く細い剣と、スピードがそんなに変わらないの?
つばぜり合いになれば、剣の重さと元の筋力が違いすぎて勝負にならない。レックスの斬撃をいなし、その攻撃で生じたわずかな隙をつくしか俺に勝ちはない。
だというのに、あんな重そうな武器を振り回しておいて隙が無い。斬った後の残身が、そのまま次の斬撃の予備動作になってやがる。
しかも、俺のこの体だ。仕方のないことなのだが、男の時より明らかに非力になっている。以前なら、レックスがバランスを失った有利な体勢なら、筋力で押し倒すことも出来た。でも今は、どれだけレックスのバランスを崩そうと、組技をかけた瞬間に筋力差であっさり逆転されてしまう。
悔しいことに、今日は一度もマウントポジションを取れてない。前までの俺の唯一の勝ちパターンが『重心の見失ったレックスを投げ飛ばして抑え込む』だっただけに、今の状況で勝てるビジョンがまるで浮かばない。
「……剣術の基本型に忠実で、それでキッチリ応用も効いている。やっぱ良い剣士だよ、心強いぜフラッチェ」
「お前は基本型を崩しきってるけどな。レックス、自分で自分に一番合う型を開発して使ってるだろ」
「俺様は天才なんでな。それを真似しようと思うなよ、お前は基本に忠実に強くなれ。それがお前に合ってる」
「言われんでもわかってるわい……。ちくしょー」
剣術の天才。史上最強の剣士レックスは、独自の剣の型を編み出して使用している。だから大剣を使っているのに隙がなく、攻めに転じる機会が読めずジリ貧になる。
これもう、一つの流派だろってくらいに完成度の高い動きだ。だというのに、それを扱える筋力に恵まれているのはこの国で彼だけである。
レックスが編み出した、レックスの為だけの流派。それが、この男を最強たらしめる所以である。
「何時までもうずくまってないで、立てよ。稽古は終わりだ、もう帰るぞフラッチェ」
「……うるさい。放っておけ、お前の顔なんか見たくない」
「へいへい。本当、負けず嫌いだなお前」
レックスは、地面に這いつくばる俺に背を向けて立ち去った。
手も足も出なかった。かつてはライバルとして、一応食らいついていけた相手だったのに。今日俺は、レックスどんな手を使っても勝てないと思ってしまった。
レックスが立ち去った後。少しだけ、泣いた。
数分後、俺は立ち上がった。
自分に実力がないことを、いくら嘆いても仕方がない。俺は俺なのだ。
今日、勝てなかったことは受け入れろ。次までに勝てるようになれば良い。そのために、俺は立ち上がらなければならない。
俺は、レックスのライバルだ。いつか完膚なきまでにレックスを倒す男だ。今日負けたことは、その下地に過ぎないのだ。
へこたれてはいられない。
そして、誰もいなくなった道を歩き始める。レックスが一人で先に通り過ぎて行った、俺達のアジトへと続くその道を。
「あ、フラッチェさんも帰って来たんですね。おかえりなさい」
「メイか。……ただいま」
レックスは既に、アジトの中で休んでいるらしい。裏庭を出ると、機嫌よく箒で庭掃除をしているメイと目が合った。
「稽古お疲れさまでした、レックス様も誉めてましたよ」
「そうかい。ま、次は誉める余裕すらないほど追いつめてやる」
「レックス様を追いつめれるような剣士さん、この国に居るんでしょうか……?」
奴へのリベンジに息巻く俺を、メイは呆れ顔で宥める。少しそんな気がしていたが、メイの中でレックスは絶対に負けない最強無敵の存在らしい。
まぁ、無理もないか。アイツに勝てる様な存在がそうそう見つかる訳がない。きっと、メイはアイツが負けた所など見たことないのだろう。
「そのうち、私が勝つ」
「……が、頑張ってくださいね」
メイは、俺をまるで珍生物を見るような目で見て笑っている。これでも、数年前までなら極稀に勝ってたんだぞ俺。
いや。今だって男の身体で戦えば勝機はある。女の身体で弱体化してしまったからこそ、今日は苦戦したのだ。
ま、それはさておいて。メイと話していてひとつ、気になることがある。
「ところで、さっきからずっと同じ場所を掃いているけど。メイ、他の場所の掃除はいいのか?」
「え!? あー、それはですね、その……」
さっきから掃除を続けているメイだが、ずっと同じ場所を掃き続けて全く動こうとしないのだ。掃きならされたメイの足元には、サラサラの土だけが残っている。
何がしたいんだ、この女の子は。
「私の話に気を取らなくてもいいぞ? 動きたければ動いていい」
「あ、それは、その……そうですね?」
「……」
微妙にアタフタと慌てながら、メイは左右に視線を揺らしている。何かやましい事でもあるのだろうか。
そして。ふと俺は、さっきからチラチラとメイが変な方向を向いていることに気が付いた。俺と話をしているようで、俺と目が合っていなかった。
その、メイの視線の先を追うと……。
裸の男が、井戸からくみ上げた水を浴びて、汗を流していた。
「……あれ、レックスか?」
「いえあの違うんですよ? 掃除をしていたら目に入ったというかあんな場所で水を浴びるレックス様が問題があるというかでもレックス様が隠そうともしないというか」
「え、見たいのあれ?」
「見たいくないです」
「本音漏れてるぞ」
俺の天使メイちゃんは、掃除を偽装してレックスの水浴びを覗いておりました。
……何だこの、無性に残念な気持ちは。えぇー、まさかメイ、アイツに興味があるの?
レックス様とか呼んでたからまさかとは思ってたけど。嘘だろ、こんなに可愛い娘がレックスみたいなキザ野郎に?
「あー……。うん、大丈夫。何も言わないから」
「フラッチェさんが何を言っているかよくわからないのですけどレックス様はやっぱり鍛え抜かれていて力強くて頼りがいがあるからこれはレックス様にも問題があると思います」
「うん、そうだね。アイツの筋肉凄いよなぁ……」
若干暴走しかかっているメイの頭を撫でて落ち着かせながら、俺は遠巻きにレックスの身体を眺めていた。
……鎧に隠れていてよく見えなかったが、やはりよく鍛え上げられている。あの男のパワーは、あの肉体に裏打ちされているのだろう。羨ましいな、俺はなぜか筋肉が付きにくい体質だったんだよな。
あの肉体があれば、俺もレックスみたく強くなれるんだろうか……? いや、無いものをねだっても仕方がないか。
「それじゃな、メイ。私はもう行くから、好きなだけ掃除をしておいてくれ」
「掃除? あ、はい、掃除です。フラッチェさんは、自室に戻られますか?」
「いや、私も汗だくで泥まみれでな。少し水を浴びてくるよ」
そう声を掛け、俺はメイと別れた。
そして、俺は特に深く考えないまま。
レックスが汗を流している井戸に近づいて、服を脱ぎ始めた。
「-っ!!? え、え、えぇぇ!!?」
背後から、なんかすごい声が聞こえる。メイが叫んでいるみたいだ、何なのだろう。
「どうしたメイ、遠くから見るだけじゃ我慢できなくなったか? こんな近くで覗きとは大胆────」
レックスはと言えば髪を洗い流し、布で擦りながら俺の方へ振り向いた。どうやら、近づいて来た俺をメイと勘違いした様だ。
というか、メイちゃん。やっぱ覗かれているのバレてたぞ。レックスほどの腕の剣士が、水浴び中とはいえ邪な視線に気が付かないわけがない。
「私だよ。隣を借りるぞ、汗を流しに来た」
その勘違いした馬鹿男に声を掛けて。私も泥だらけの身体を清めるべく、頭から水を被った。
冷たく、心地よい。思い切り体を動かした後は、頭から水を被るに限る。火照った体を芯から冷やし、身が引き締まるのが実感できる。
フルフルと首を振って、目を開けるとそこには。
「……ごきゅ」
生唾を飲み込む、エロ猿が俺を凝視していた。
あ、しまった。
「何をしてやってるんですかフラッチェさん!? そのそれはそのちょっとその風紀の乱れです!!」
「……ごくっ」
「あー……」
疲れていたせいで、うっかりした。そうだそうだ、俺は今女の子だった。
とはいえ、これでは自分から見せに来たようなものだ。いくら凝視して生唾飲み込んでいるからと言って、レックスをビンタするわけにもいかない。
「あー、レックス?」
「何だい、フラッチェ」
俺の言葉に反応しながらも、レックスは一切顔を背けず俺の身体を凝視している。いくら何でも、童貞臭すぎるだろコイツ……。
案外、女関係は初心なのか? まぁレックスの事だ、剣に夢中になりすぎて女を一切知らないとかありえない話ではない。
なら、この言葉は効くかもしれない。
「……体はゴツいけど、●●●は子供みたいだなお前」
俺は、男心を切り裂く魔法の言葉を放った。実際、レックスの股間のアレは小さい。以前の俺なんかよりも数倍小さい。股間に指が生えている、なんて昔はからかってやったもんだ。
レックスは、号泣しながら静かに井戸に飛び込んだ。そのまま夕方まで、ずっと井戸からすすり泣く声が聞こえていたらしい。
そして、俺は物凄く物凄くメイに怒られた。修道女のカリンは、その横で延々と爆笑していた。
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