第6話

 必殺、突きを空振ったレックスをぶっ殺す型。


 想定上のレックスが、俺に向けて高速で突きを放つ。その突きの弾道を見切って、俺の持つ細剣を奴の剣の背に滑りこませる。


 細剣を合わせた程度で、奴の突きの軌道は変わらないだろう。今の俺の身体では、レックスの馬鹿力をいなしきれない。


 だから、「俺の剣」が「奴の剣」を滑り台を滑るが如く弾き飛ばされる。その力に逆らわず、俺は自分から弾かれる方向へ自ら跳躍する。


 よし、レックスの突きを空振りさせた。だが、奴はここからのリカバリーが早い。僅かな硬直はあるが、突きだした大剣を力ずくで引き戻し全身のバネを使って次の斬撃を繰り出すだろう。


 だから、俺は回避の跳躍と反撃の一撃を同時に繰り出さなければならない。


 俺は跳躍に合わせ、体軸を回転させる。細剣がぬるりと滑り、小さな弧を描く。


 ここだ。レックスが大剣を突き戻すその瞬間。体の回転と共に加速した俺の剣撃が、奴の心臓を捉え────









「見事な型だな。そんな動きもあるのか」

「何見ている、この野郎」


 型の練習に夢中になりすぎて、俺は近寄ってきていたレックスに気が付かなかった。


 俺が早起きして、裏庭で対レックス専用のカウンター技を開発していた最中。その練習風景を、朝早く外出していた筈の奴に見られてしまった。


 かなりの自信作だ、絶対にこれは当たる。レックスとの次の勝負は、間違いなく1本貰った。そう思って、ほくそえんでいたのに。


 畜生、畜生……。




「レックス、お前さっき何処かへ出掛けていなかったか?」

「ん? あー、見てたのか。散歩みたいなもんだ、単なる野暮用だよ」

「……ちっ」


 昨日の敗北から、1日。それは小鳥の囀ずる、カラリと空気の乾いた心地よい朝だった。


 負けっぱなしは、趣味じゃない。レックスより格下と思われるのは、我慢ならない。だから、まずは1本取ってやる。


 そう決意した俺は、レックスの居ない隙をついてコソコソ技の練習をしていたのだった。つまりは男の意地である。


 ……それを見ちゃだめだろ、お前。俺の着替え覗くより罪深いぞそれは。だまって初見殺しされて悔しがってろよ。


「それより今日も熱心だなフラッチェ。感心感心」

「やかましい。そう言うお前は私が鍛練している間に、優雅に朝の散歩か。随分と余裕だな」

「そりゃ、お前より強いからな」

「いい度胸だかかってこい、その口切り落としてやる」


 俺の秘密を覗き見した悪漢は、ニヤニヤと笑顔のまま軽口を叩いている。


 イライラが収まらない。レックスめ、強者の余裕とでも言いたいのか。そんなに筋力があるのが偉いのか。


「こっちもそのつもりで来たんだよ、フラッチェ。俺様がいっちょ稽古つけてやる」

「稽古をつける、だあ? 何だお前? まさか私より格上なつもりじゃないよなぁ? この前はたまたま相性勝ちしただけだって、気づいてない訳じゃないよなぁ!?」 

「いや、俺のが格上だろ。剣聖だぞ、俺」

「うるさいぶっ殺す!!」


 そんなバレバレの挑発に乗って頭に血が昇った俺は、激昂して即座にレックスに斬りかかった。さっきの型以外にも、いくつか練習しているカウンター技があるのだ。


 1本取って認めさせてやる。俺は、レックスのライバルなのだ。レックスに教えを乞う立場じゃないんだ。


 俺とレックスは、同格だ!






 ……そして、数時間後。







「……くすん、くすん」

「いやー……、良い汗かいたわー」


 泥にまみれて、涙で地面を濡らす美少女がそこにいた。


 許せん、許せん……。

















「それで、レックスは朝から機嫌良かったんやなぁ。うんうん、エエこっちゃ」

「何が良いもんか。あの変態覗き魔め」


 例によってちょっと泣いた後、俺は立ち上がる。


 汗と泥にまみれているので、俺はレックスより先に屋敷に入って修道女カリンの部屋に向かった。


 俺も身体を清めたいが、外の井戸でレックスと一緒に水浴びする訳にはいかない。俺は同じ過ちを繰り返さないのだ。


「家事は大体ウチの仕事や、汚れた服とかは全部ここに持ってきてなー」

「あ、ありがとう」

「気にせんでええでー。家事は基本ウチがやる代わりに、パーティ資金から多目に給料貰っとる」


 そう言って微笑む、方言の強い修道女。明るく気さくな印象を受ける。こちらとしても、話しやすくて有り難い。


 俺がカリンの部屋を尋ねた理由は、彼女が布や衣類を準備してくれる様に前もって頼んでいたからだ。昨日の事件の後、俺はメイに凄く怒られ2度と外で水浴びが出来なくなった。


 まぁ、そもそも屋敷があるのに女性が外で水浴びする方がおかしい。そんなの、ただの痴女である。


「レックスがあんな元気になったんも、あんたが目を覚ましてからや。ウチも感謝してるんやで?」

「あの男は、年がら年中元気だろうに」

「あ、聞いてないんか。いや詳しくは言わへんけど、今レックスは結構凹んでると思うわ。あんたは何も知らんままでええから、またレックスの鍛錬につきあったげてな」


 カリンは、湿ったタオルを俺に手渡してそう言った。


 レックスが凹んでる、ねぇ。まったくそうは見えなかったが────


 やはり、昨日の一件だろうか。そんなに、●●●のサイズに悩んでいるのだろうか。


 俺自身、女性の胸の大小を揶揄するなとレックスに叱った直後である。その俺が、舌の根が乾かぬウチにレックスの股間をからかったのだ。


 昨日の件に関しては、完全に俺が悪い。よし、後で謝りにいこう。










「昨日はお前の股間をバカにしてすまなかったな。むしろ、ギャップで可愛いと思われる可能性だってある。そう気にするな」

「てめぇ、腹いせか!? 俺様にボコボコにされた腹いせに、煽りに来やがったなこの性悪女め!」

「何を、心外な。女性だって、胸が控えめな人にも需要はあるだろう。それと同じく、君の粗末なモノにも需要はあるかもしれんぞ」

「畜生、泣くぞ!? それ以上続けたら本当に泣くからな! 良いのか!? 本当に、大の男の号泣を見たいのか!?」

「もう泣いとるぞお前」


 俺が謝りに行ったら、レックスは酷く興奮して怒り出した。何がなんでも股間には触れられたくないらしい。


 今後は、レックスの股間を話題にしない方が賢明か。覚えておこう。













 そして、翌朝。やはり朝早く、レックスは屋敷を出ていった。


 何をしに行ってるんだろうか。まぁ、俺には関わりのないことだろう。俺はただ、愚直に剣を振るのみだ。


 イメージしろ。レックスの攻撃をいなす、その動きを。


 筋力差が有りすぎる相手。だからこそ間違えるな、自分の全ての力を込める瞬間を。勝負所を見極めるんだ。


 俺は渾身の一撃を、少しでも防がれてはいけない。僅かでも逸らされたらおしまいだ。


 レックスが、微動だに出来ない瞬間を狙え。いくら筋力差があろうと、動かぬ人形相手なら俺の筋肉で勝てる。


 その決定的な隙を作る。そのためには、レックスの動きを見切って、いなして、かわし続けろ。


 それが、俺に与えられた唯一の勝機だ。神様に愛された天才を倒す、無二の戦略だ。




「────また、やってるな」

「来たか、レックス」


 そして、昨日と同様に奴が裏庭に姿を現す。その手には、大剣が握られていた。


 今日の俺は動きがキレている。昨日の俺とはひと味もふた味も違う。


 貰った。今日の俺は絶好調だ。いくらレックスであろうと、今の俺を捉えることは容易ではない。


 レックスとは対照的な細く短い剣を構え、今日も俺はレックスに宣戦布告した。



「かかってこい、粗●野郎」

「てめぇ泣くぞコラァ!!!」






 ちなみに、その日も俺が泣かされました。


 悔しい、悔しいよぉ……。
















 その翌日。何時ものように庭で剣を振っていたら、やはりレックスが屋敷から出ていくのが見えた。


「レックスの奴、いつも朝何処にいってるんだ?」

「え? レックス様、いつも出掛けてらっしゃるのですか?」


 その日たまたま庭の掃除をしていた、メイに話を聞いてみる。


 事情を知ってるかもと思ったが、メイもよく知らないらしい。修道女カリンなら何か知っているだろうか。


「一昨日も昨日も、この時間に出掛けていってな。すぐ戻ってきたけど」

「うーん……、ひょっとしたら秘密の訓練とかですかね?」

「何だと!?」


 ……その発想はなかった。


 そうか、俺がこっそり秘密の訓練をしている様に、奴だって隠れて鍛錬くらいしているかもしれない。


 と言うか、当たり前だ。あんなに強いレックスが、他の人と同じような修行しかしていない訳がない。きっと、物凄く特殊な特訓をしているに違いない。


「さっきレックスの奴、どっちに行った?」

「え? あの、確か郊外へ続く道だったような」

「郊外だな。よし、後をつけよう」


 人に隠れて修行とは、剣士の風上にもおけない。コソコソ隠れて強くなるなんて卑怯とは思わないのか。


 ならば、強引に突き止めてやる。こう見えて尾行は得意なのだ、ソロで冒険者をやるに当たって、賊と戦う際に寝込みを襲うのは必須だったからな。


 一定以上の距離を離して追跡すれば、いかなる達人でも察知しきれない。道行く他人と尾行の区別など、つくわけがないのだ。


「あ、私も行きたいです」

「メイちゃん、結構ストーカー気質よね」

「失礼な!?」


 尾行を開始した俺に、微妙にワクワクした顔のメイがついてきた。


 メイちゃん、気配消すの下手だから怖いなぁ。バレたら、全部メイが悪かったことにして逃げよう。








 レックスは、尾行する俺達に気が付かない。


 気付いて泳がしている、という感じではない。俺達には普段見せない鬼気迫る表情で、静かに歩き続けていた。


 あの真剣な表情は何だ。稽古の最中でも、もう少しヘラヘラしているぞアイツは。


 俺との模擬戦より、真剣にならないといけない用事って何だ。まさかこれから、誰かと戦ったりするのか?


 実は俺以外にも修行相手がいて、ソイツと毎朝戦っているとか? だとしたら腹が立つなぁ、実質浮気だろソレ。いや、例えが意味不明だけどかなり妬けるぞそれは。


 レックス、お前のライバルは俺だ。俺以外に、レックスのライバル的存在が居るのは……なんか嫌だ。


 はぁ、本当に心が狭いな俺は。



 そしてレックスは、ある曲がり角の前で止まった。



 その先には、剣を振れる場所などない。それは邪魔なものだらけの、狭くて小汚ない場所だ。


 レックスはそこに入る。そして自らの大剣を抜き、地面に突き立てた。





 ────オォォォン。




 男の叫びが木霊する。


 レックスは抜いた自らの剣を、とある墓石の前に突き立てて泣いていた。


 朝一番、誰も居ない郊外の墓地で。剣聖と呼ばれた男は、みすぼらしい墓の前で大声をあげ泣いていた。





「……そっか。戻りましょうフラッチェさん、今のレックス様のお姿を見てはダメです」

「何だ? あれは……、墓?」

「親友だそうです。レックス様の、御親友のお墓」





 汗が、吹き出てくる。


 おい、やめろよ。レックス、何でそんな大声をあげて泣いているんだ。


 そんなキャラじゃないだろう。お前はいつもキザったらしくて、間抜けでひょうきんな面もあるけど、プライドが高く意地っ張りで────




「フラッチェさん。貴女を助けたあの洞窟には、元々はレックス様の親友を探しに行ったんですよ。あの洞窟に入ったのを最期に、消息が途絶えてしまったんです」


 メイは俺の服の裾を掴みながら、早く屋敷に戻ろうと促した。


 悲痛な面持ちで、泣き叫ぶレックスを眺めながら。


「フラッチェさんが気を失っちゃった後、洞窟内を隅々まで探したんですよ。そこで、見つけちゃったんです」


 そして、俺は気付いてしまう。レックスがしゃがみこみ、呻いている墓の傍らにある折れた剣と砕けた安い防具に。


 ────前の俺が、身に付けていた愛剣と鎧だ。


「レックス様は、失ってしまったんです。生涯の、友を────」













 その言葉が、耳を通り抜けて。


 俺はただ、駄々っ子のように無様に泣き叫ぶレックスを、呆然と遠目に眺めていた────

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