別世界談
天西 照実
第1話 入界と理解
乾いた風が、落ち葉を舞い上げる。
雨や雪のように『枯葉』という天気でもあるかのようだ。イチョウやケヤキの色褪せた葉が、曇天から降り注ぐ。
少女の横をすり抜ける風が、葉を奪われた細枝を揺らした。
「いい人って、
ふっと肩を落として、来た道を振り返る。
「あーちゃんの霊、居なかったなぁ。未練なく、逝けたのかね」
民家の庭木が、風にさらりと揺れた。
学生鞄を持ち直し、短いスカートを翻して笹雪は歩き出した。
高校の制服姿だが、下校途中ではない。友人の葬儀の帰り道だ。
「美人薄命。私も、そろそろ死ぬのかな」
――そうして頂きます。
どこからか、女の声が聞こえた。
「ん?」
振り返ってみるが、辺りに人の気配は無い。
「今、何か言った?」
と、笹雪は、どこへともなく聞いた。
風が、笹雪のセミロングのストレートヘアを撫でる。
「……言ってない? 何か、聞こえた気がしたんだけどね」
民家の庭木が、
――気のせいじゃない?
と、答えた。
「うん。そうかも」
笹雪は、向き直って足を進めた。
風や庭木に対して一人芝居を打ち始めたように見えるが、決して独り言や妄想ではない。
笹雪は物心つく前から、風や樹木、草花などの自然物と会話が出来た。
笹雪は声を出しているので、自然物の声が聞こえない人々には、独り言のように聞こえてしまうのだが。
――彼女、居なくなっちゃったんだね。
木枯らしが囁いた。
「そうだね」
――いい人だったわね。
「本当にねぇ。もったいないわ」
――笹雪と似た気をもつ娘だった。
「そう?」
背中を撫でるように、風たちが通り抜けた。
笹雪は、風や木々に励まされながら、アスファルト道路を歩いて行く。
その夜。
昼の曇り空が嘘のように、三日月が煌々と輝いている。
雲を流した風は夜が更けても荒れ続け、勢力が衰える気配は無い。
おかしいな……。
月明かりの射し込む部屋の中。笹雪は蒲団でうつ伏せになり、眠りにつこうとしていた。
体が思うように動かない。息苦しく、全身に重いような痛みが走る。
――さようなら、笹雪。
窓の外を流れる風が言った。
「え……?」
笹雪は、薄目を開けて窓を見た。
――笹雪が居なくなるなんて。
――寂しくなるよ。
――でも、仕方ないんだよ。
庭の木々も口を揃える。
「私が居なく……」
――向こうに行っても元気で。変わらぬお前で……。
庭を束ねる
笹雪の意識は途切れ、体が蒲団へ溶け込むように、深い眠りへ落ちていく。
無意識に、大きな溜め息を吐き出した。
目覚める時に気が重いのは、人生を楽しめていないという事だろうか。
それとも、現実をどんなに楽しめていたとしても、夢の世界はそれ以上の快楽をもたらしてくれるのだろうか。
いや、根本的に、眠り以上の安らぎを感じる事は出来ないのかも知れない。
目が覚めると、笹雪は真っ黒で何も無い空間に浮いていた。
「……どこ? 夢?」
近くに、人の気配がある。
「誰……?」
笹雪が顔を上げると、目の前に、白い服の女が立っていた。
女は、にっこりと優しげに微笑み、
『私は導く者。名を
と、柔らかく霞むような声で言った。
どこかで聞いた声だ。
「……私、死んだの?」
『はい。科学界でのあなたは亡くなりました』
「かがくかい?」
笹雪は、女の言葉に首をかしげる。
『神城笹雪。私達の世界へ
「なに言って……」
『これから、よろしくね――』
椿という女は楽しげに言うと、その姿は黒い空間へ溶け込んでいった。
笹雪はそちらへ手を伸ばしながらも、また体が重くなるのを感じた。
段々と、意識が遠退いていく――。
緩やかな丘の上に、歴史的価値の高そうな古い洋館が建っている。
洋館の使用人、
書斎を覗き、開けっぱなしの扉をノックする。
「
と、机で本を広げる男に声をかけた。
「ああ、はい。すぐに行きます」
と、答え、紗鞍と呼ばれた男は本を閉じた。
30代半ばに見える紗鞍は、着物とローブを合わせたような、ふんわりとした和装束を身に着けている。
扉の前に立つ長身の釣船を見上げ、
「彼女と会いましたか、釣船」
と、聞いた。
「はい。ご到着を確認して参りましたので。まだ、お目覚めにはなりませんが」
「あなたにもわかりますか、あの子の力」
「……はい。強い魔力の保有者である事はわかりますが、少し、異質な印象でした」
釣船が難しい表情で答えると、紗鞍は深く頷いた。
「私たちは
「はい」
「科学界では、魔法界の存在すら未知のものです。きっと、何が何やらと戸惑ってしまうことでしょう。それに、今まで生きてきた世界では亡くなった事になって魔法界へ来たのです。彼女にとっては、突然の出来事のはず」
「はい」
「入界者はしばらく、置かれた状況を受け入れられないそうです。わからない事も多いでしょうから、助けになってあげて下さい」
「了解しました」
釣船は深く頷いて、一礼した。
「行きましょう。椿と共に観察してきた彼女に会うの、楽しみだったのです」
書斎を出る紗鞍の背を見送り、釣船は重厚な扉を静かに閉めた。
笹雪は、紗鞍の私邸である洋館の二階奥。落ち着いた雰囲気に装飾された寝室のベッドで眠っていた。
扉の開いた気配に、ぼんやりと薄目を開ける。
「この子が神城笹雪ですね。ああ、やはりキレイな子だ」
「……」
笹雪は、ぼんやりと天井を眺めている。
「具合はいかがですか」
小さく息を吸い込み、笹雪は、
「ここ、なに?」
と、掠れた声で聞いた。
「ここは魔法界。あなたがいた科学界とは、パラレルワールドの関係になる別世界です」
紗鞍が答えると、笹雪は眉を寄せてもう一度目を閉じた。
「まほうかい……さっきの女もそんなこと言ってた」
「椿ですね」
「風たちと話してる時に『そうして頂きます』って、会話に入ってきた声だった」
瞬きをしながら、笹雪はしっかりと目を開けた。
落ち着いた雰囲気の寝室に、大きなベッド。全く見覚えのない部屋だ。
「あなたは風など、自然物と会話が出来るのでしたね」
段々とスッキリしてきた頭を働かせながら、笹雪は、目の前で微笑んでいる男を見上げた。
「私、死んだのよね。ここはあの世? 人間て、死んだら皆ここに来るの?」
「いいえ。あなたのように魔力をもつ者だけが、呼ばれて来るのです」
「呼ばれて来る。つまり向こうでは死んだ事にして、生きたまま連れて来られてるってこと?」
「まあ、そういう事ですね。あなたからは強い魔力を感じます。優秀な魔法使いになるでしょう」
紗鞍の言葉に、笹雪は軽く頷きながら、
「あなたは誰?」
と、聞いた。
「私は、
目を細めて笹雪は、
「魔法使い。あなた、女の人?」
と、聞いた。
「いいえ、私は男です。花の桜ではなく、こう書きます」
そう言って紗鞍が宙に指を滑らせると、白い紐のような文字で『紗鞍』と浮かび上がった。
「……そう書くのね。それ、魔法?」
「ええ。簡単な魔法です」
「便利だね」
スッと手のひらで文字を掃うと、宙に浮いた白紐は解けるように消えてしまった。
「あなたは未成年なので、私が里親として保護者の立場になります」
「保護者。お父さん?」
と、笹雪が真顔で聞くので、紗鞍は、
「え、ええ。そうですね」
と、少々言葉を詰まらせながら答えた。
ゆっくりと体を起こして、笹雪は小さな欠伸をした。
「私は今まで居た世界とは違う魔法界っていう所に来ていて、これからあなたの世話になりながら暮らすってこと?」
紗鞍は、頷きながらも目をパチパチさせて、
「そうです……素晴らしい理解力ですね」
と、言った。「急に状況を受け入れるのは、難しいかと思っていましたが」
薄いレースのカーテンが引かれた窓の向こう、草原が風に揺れている。
笹雪は、窓の外を眺めながら、
「ファンタジーとか読むの好きだったから。良い所っぽいね。少し、外に出て来てもいい?」
と、聞いた。
「えぇっ? そんな……大丈夫ですか?」
明らかな動揺を見せて、紗鞍は窓の外に目を向けた。両手を伸ばし、笹雪の額に手など当てながら全身の様子をうかがっている。
「外が見たい。ここに居ろって言うなら、居るけど」
「……いいえ。少しなら、構いませんよ。初めての場所ですから、迷わないように。科学界とは、色々と勝手も違うでしょうから」
「うん」
体にかけていた毛布をどけると、笹雪は着ている服を見下ろし、
「何これ」
と、言って笑った。
白い木綿のシンプルなワンピースだ。その下に薄手のスリップを重ねているが、下着は身につけていないらしい。
「こんなの着た事ないんだけど」
「あ、着替えは、そこのタンスに揃えてありますから」
と、言って、紗鞍は壁際に置かれた洋服箪笥を指差した。「私は階段を下りた一階の書斎に居ますので、着替えたら下りていらっしゃい」
「はーい」
紗鞍はニッコリ笑うと、静かに部屋を出て行った。
「要観察者として見守っていましたが、やはり独特の雰囲気をもった子ですね。全く戸惑う様子が無いとは……」
扉の外で紗鞍は呟いた。廊下で待っていた釣船が首を傾げる。
「彼女と、お話を?」
「ええ。とても不思議な子です。何者にも囚われない、風のような気質をもっています」
「資料通り、変わった性格の持ち主という事ですか」
「いいえ。資料以上に独特な……これから楽しみです」
明るい表情で話す紗鞍に、釣船は目をぱちくりするばかりだった。
玄関前を通りかかった釣船は、紗鞍の書斎へ向かう途中に足を止めた。
ラフな格好に着替えた笹雪が、広々とした玄関ホールの中央階段を下りて来たのだ。
細身のジーンズに白いロングTシャツ、カーキ色のパーカーを羽織っている。
壁に掛けられた絵など眺めている笹雪に、
「笹雪様、お初にお目にかかります」
と、釣船は声をかけた。
「こんにちは。あなたは?」
「私は紗鞍様に仕えております、この洋館の使用人、釣船と申します。御用の際は、お呼び立てください」
「釣船さん。あなたも魔法を?」
「基本的な事だけです。B級なものですから、あまり大した事は出来ません」
「階級もあるんだね」
笹雪は、玄関ホールを見回した。「お父さんは何処かな」
「……? あ、紗鞍様ですね。こちらの書斎にいらっしゃいます」
階段を下りて右手前に、紗鞍の書斎がある。釣船は書斎の扉をノックした。
「はい」
と、中から紗鞍の声が答えた。
「笹雪様がいらっしゃいました」
扉の外から釣船が言うと、中からパタパタと足音が聞こえた。
「どうぞ、お入りなさい」
と、顔を出した紗鞍は笑顔で迎えた。
笹雪は、釣船が小脇に抱えていた紙封筒を指差し、
「どうも。釣船さんも、お父さんに御用があるみたいなんだけど」
と、言うので、釣船は慌てて、
「いえ、私は後程、もう一度参りますので」
早口で言うと一礼し、玄関ホールを戻って行った。
「どうぞ、笹雪さん。お入りなさい」
紗鞍に促され、笹雪は紗鞍の書斎に入った。
勧められた焦げ茶色の革張りソファーに腰掛けながら、
「お父さんでしょ。さんなんて付けないでよ」
と、笹雪は言った。「図書館みたいな部屋ね」
四方の壁を書棚で埋めているだけでは足りず、部屋の奥から背の高い書棚が幾重にも並んでいる。
紗鞍は、笹雪の向かいに置かれたソファーに腰を下ろした。
物珍しそうに部屋を眺める笹雪を見て、にっこり笑うと、
「では、笹雪。何から話しましょう。先に、聞きたい事はありますか?」
と、聞いた。
「うーん。まだ何がわからないかも、よくわからないし」
そう言って、笹雪は首を傾げる。
「そうでしょうね。これから気苦労もあるかも知れませんが、困った事やわからない事があったら、すぐに言って下さいね」
「うん。ありがとう。ちょっと、外を見て来たいんだけど」
「ええ。さっきも言いましたが、迷子にならないように気を付けてくださいね。まあ、丘の上の一軒家ですから、わかりやすいと思いますが」
と、紗鞍は書斎の窓の外を見た。
一帯に草原が広がり、他の建物は見えない。
「あまり、遠くには行かないようにしてください」
「うん。帰って来たら、また色々教えてくれる?」
「ええ。もちろんです」
「じゃあ、お散歩に行って来ます」
そう言って笹雪は、座ったばかりのソファーから立ち上がる。
「ええ。気を付けて。あ、洋服、よく似合っていますね」
笹雪を見上げて、紗鞍が言った。笹雪も、自分が着ている服を見下ろし、
「ありがとう。お父さんが選んだんじゃないんでしょう?」
と、聞いた。
「わかりますか。椿に選んでもらいました」
笹雪は紗鞍に笑顔を返すと、書斎から玄関ホールへ出た。
臙脂色の絨毯が敷かれた玄関ホールを抜けて、両開きの大きな扉のノブに手を掛ける。
「扉とか壁は普通なんだ」
呟きながら、笹雪は玄関前から伸びる通路へ歩き出した。
書斎に残った紗鞍はひとり、
「なんて、適応力のある子だろう」
と、呟いた。「この世界の事を知らないまま、外へ出して大丈夫でしょうか……」
草原の中に伸びる道を、軽い足取りで歩いて行く笹雪が窓の外に見えた。
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