chapter3

 日本で初めての年を越した2046年。

 僕はスナとウメダで待ち合わせ、デパートで正月用のショッピングを楽しむことにした。ふたりはそこで民衆のデモ隊と鎮圧部隊の衝突を目のあたりにする。

<No occupation More food!> 

<Fuck USA> 

<Down with KOREA!> 

<Don’t mess with Our Land>

<No more M.G.>

 手に手にそういったプラカードを掲げ、シュプレヒコールを挙げながら道路を行進している群衆。そんな彼らに向かって、デモの解散を命じる大阪府警の拡声器の声。それが何度となく周囲に響きわたると不穏な空気が漂いはじめる。占領軍は自らに国民の反感が向かわないよう、民衆の弾圧は同族の日本人警官にまかせた。

 やがて群衆をとりかこんでいた大阪府警のCombat policeが、何かの合図でデモ隊に突入すると、いよいよ現場は大混乱となった。

 放水車の放つ、青く着色された水

 催涙ガスの刺激臭と、火炎瓶から漏れるガソリンの臭い 

 道路に散乱する車とそこから立ち上る黒煙

 タイヤとアスファルトの焦げる臭い……

 二人は難を逃れてあちこち逃げ惑い、ショッピングを楽しむどころの話ではなくなった。すぐにその場を離れたくても入り乱れる群衆で身動きがとれない。

 そのうち暴徒が建物や商店のショーウインドウ、信号機などの破壊行為を始めたため、僕はピストルをヒップ・ホルスターから抜き、チェンバーに弾を装填して不測の事態に備えた。いざ暴徒の襲撃にあおうものならそれで助かるはずもないが。GHQからの支給品、SIG SAUERの弾倉には9mm弾が17発しかない。予備のマガジンまでいれたとしても、あって2~3本程度の話。スナは民間人要員だが、GHQの職員なので銃の携帯は職務命令。バッグにあったのはS&Wの38口径だったかも知れない。リボルバーだし急場でアテにできるのはせいぜい6発。

 スナと僕ははぐれないよう背中をあわせ、互いの背後をケアしながらなんとか混乱する現場を離れた。二人は人通りの少ない裏通りまで逃げきると、ハイタッチをしてその場にうずくまった。日本人を射殺することもなく、自分たちも犠牲者となることはなく、なんとか無事やりすごせたことに安堵した。

 はたして僕は、いざとなれば躊躇なく人を殺せるのだろうか? そんな度胸があるだろうか? その覚悟が求められている、と感じさせる瞬間だった。覚悟があろうとなかろうと、いずれその瞬間は来ると予感した。僕らが銃を与えられているのは、あくまで日本人を撃つことが前提だ。職務上、銃口は日本人に向けられている。

 ふと見ると、暴徒によって破壊された自動販売機がある。僕はナマぬるい缶コーヒーをそこからとりだしてスナとわけあい、二人でそれをすすった。


 その頃、日本各地で食料や医療を求める民衆のデモが相次いでいた。火炎瓶や投石、街の破壊行為にいたるまで日々過激化し、デモ隊と日本のCombat policeとの衝突があちこちで日常的に見られるようになっていた。取り締まりを強化し犠牲者が出れば、デモはますます激しくなるという悪循環だ。

 その背後では様々な運動組織が生まれては消えていた。生活支援を求めるものから占領批判、普通選挙による自治政府実現と、その要求も実に様々だ。それらのすべてが自然発生的なデモかどうかはかなりあやしい。一般民衆はその日その日を生きるのに必死で、彼らを支持している様子もなければ、関心すらなさそうだったから。G2対諜報部隊・CIC要員の仕事仲間からの情報によれば、反米諸国の資金支援で、いくつかの日本人勢力が破壊活動を行っているという。米国主導の日本占領については利権から排除された国、戦後の世界戦略上布石を打っておきたい大国、さまざまな思惑が水面下でうごめく。その企みにはGHQも神経をとがらせていた。

「国賊! このアメリカの犬めらが!」

「だまれ、アホウヨ! A級戦犯!」

 国内政治や経済の路線対立だけでなく、反米か親米かでも、デモ隊同士は衝突した。アメリカの政府機関においても、さまざまな部署ごとに反米・カウンター双方の勢力を支援をし、資金を流しているらしい。CICの仕事仲間はそう教えてくれた。米軍関係者でさえ、本国の動きをすべて把握しきれてるわけではないのだ。だから問題はそう単純ではない。国際社会の政治力学、米国国内でさえ各政府機関の利害が入り乱れる。

 ゲリラ的に発生する暴動で、大阪の街はたびたび騒然となった。外国の占領によりキバをもがれた大阪府警はなすすべなく、事態をもてあましていた。


「たいへんだったわね」

 その夜、crescent814は言った。繁華街は過激派のたまり場になっているから、子供のいる彼女にとってはもう、行けるような場所ではないらしい。

「日本人が荒れるなんて1970年代以来のことね。もともと私たちはそういうことを避ける人達なんだけど……あの日から空気は変わった」

 あの日とは?

「さかのぼれば古い話ね。日本の右翼青年たちが日の丸を持って、竹島上陸をしたことがあったでしょう?」

 ああ、韓国の独島警備隊が抵抗した一人を射殺した事件だね。いつだったか……。

「そう、あれは偶発的な事故ということで外交的には幕引きしたんだけど、日本国内が荒れだしたの。在日韓国人への襲撃事件があちこちで起こって、そのうち関係ない中国人や東南アジアの労働者までテロの標的。警察がいくら取り締まろうがキリがないから、そのうちみんな慣れっこになって……またか、みたいな。犠牲者が出ると感情的になって、正論は吐きにくくなるのね。自分たち日本人に攻撃の矛先がむくわけではないし、むしろ恐いから目立たないように、暴力を批判する空気すらなくなった。そうなるともう何でもアリよ」

 当時のことは両親からよく聞いてる。

「その連中、<防人の会>っていうネット右翼団体の構成員だったんだけど、事件後、彼らがデジタル掲示板を飛び出して<さわやか維新>っていう政党を立ち上げた。尊皇攘夷、大日本帝国憲法と教育勅語の復活、核武装と自主防衛、愛国教育、帝国版図の奪還って、イマドキの人にはかなりトンデモな政策綱領だったのに、なぜかすんなり受け入れられる雰囲気になってたの。外国人労働者が街にあふれて日本人の暮らしにネガティブな影響がでたり、日本が落ちぶれてきたからみんな団結してがんばろう、みたいな愛国的な空気がでてきたり、中国や北朝鮮の軍事的脅威が連日報道されて防衛問題にリアリティが出てきたり……で、なんかおかしな空気になってきた」

 僕にはわからないけど、それは何かカッコいい言葉なの?

「要するに、1945年に消滅させられた大日本帝国の復活よ。右翼にとっては日本の原点、永遠のデフォルト。でもその実、たった77年間の自称<帝国>。最初は誰も相手にしなかったんだけど、いざ地方議会選挙となると、これが結構ないきおいで当選するわけ。かなりムカツクやつらだから、みんな触らないように遠巻きにするんだけど、熱狂的な支持者が大勢集まってワアワア言って盛り上げるの。そのうち世間知らずな若い子がついていくようになったかと思ってたら、都知事選に勝ってバラマキのパフォーマンス政治をはじめた。すると、他よりはマシかな?みたいに空気が変わってきて……」

 2000年代からの世界的傾向だね。既成政党への不満で、それに対抗する勢力がないから、相対的に極右が浮き上がってしまう。

「そうね。そうなると保守の政治家は生き残りの問題で政党の鞍替えよ。恥も臆面もなくね。トドメは年金支給額の現役給与水準の実現よ。衆議院議員選挙でそれを政治公約にしたら老人の不満票がなだれ込んだ。もういきなり憲法改正に必要な勢力を確保して、あっという間に大日本皇国憲法が誕生したってわけ。何十年かかっても成し遂げられなかった自民党結党以来の政治テーマがサクッと実現したの」

 へえ、年金の財源は?

「それがぜんぶ国債(笑)。財務官僚が聞いたら腰をぬかしそうなハチャメチャな政策だった。けれどもう、そこまできたら誰が何を言っても有権者は聞く耳をもたなかったわ。反対するやつはみんな抵抗勢力だ、ってね」

 2020年ごろに話題になったMMT理論だね。大学の経済学の講義で出た。アメリカ左翼の経済理論が日本で極右に利用されたんだね。まあ、国家がすぐに破綻するわけじゃなし、その時点ではマガイものがどうか判断つかないからなあ。

「ところがね、憲法改正して軍需産業を支援だとか、軍備拡張とかしだしたら低迷してた経済が動きだしたのよ。おまけに給付金だとか年金支給額増額のバラマキで消費も好転したし、企業の設備投資も増えてGDPも急拡大しはじめたの。ほらみたことか、よ。財政拡張派にとってはね」

 たいていはどこかで失敗するもんだけど、うまくいっちゃったわけか。

「だからカミカゼが吹いたのよ。神国日本だから、またカ・ミ・カ・ゼ」

 あなたは当時うまくいくと思った?

「子供だったから、よくわからなかったわ。みんな熱狂して浮かれてるから文句も言いにくいし。みんなハッピーならいいんじゃない?、みたいなノリね」

 そうだろうね……さて、続きはまた明日聞くとして、疲れたからもう寝るよ。

「あ、そう。おやすみなさい」

 またね。

 僕はサイトからログオフしたが、じっさい寝るわけではなかった。スナからもメッセージが入ったのだ。二人の女性の間を渡り歩くには、頭の切り替えが必要になる。

 やあ、スナ。今日は疲れたろう?……

「そうね。あなたは?」

 だいじょうぶだよ。

「何してた?」

 いや、別になにも……そろそろ寝ようかと。

「あら、ごめんなさい。切ろうか?」

 いや、いいよ。何か話でもあるの?

「ううん、別に。どうしてるかなって。それだけ」

 なんだ、ハハハ……

「あ、そうだ……私ね、日本のコッチェビ(꼬제비/浮浪児)たちにお菓子を配るボランティアをしてるんだけど、いちど手伝ってみない?」

 僕はボランティアなんてガラじゃない。

「まあ、そう言わないで。日本ではそういうのを、ク・ワ・ジュ・ギライと言うのよ」

 ハハハ、それも言うならクワズギライだよ。高麗なまりがヒドイね。

「クワズ-ギライ? 合ってる? ヨハン、あなた在日僑胞の子孫ってほんとう?」

 ああ、そうだよ。2034年の南北統一のときに、日本での迫害から逃れて家族ともども帰国した。

「……そう。道理で顔つきが日本人みたいだと思った。日本語もネイティブね」

 日本人には韓流スターみたい、って言われるけどね。

「アハハハ。あなたには他の高麗人とは違う何かがあると思ったけど、そういうことだったのね。買いかぶりすぎちゃったかな?」

 失礼なやつだなあ。僕には関係ない話さ。ホワイト、ブラック、イエロー。今じゃいろいろな肌の色をしたコリアン・リレイテッドたちが世界中からこぞって統一高麗にやってくる。コリアンのアイデンティティなんてもう、求めようもない話。

「そのとおりね。キムチもテンジャンも苦手な高麗人(笑)。大韓民国末期は少子化で国家存亡の危機だった。だから国家統一事業の一環で、わずかでも韓国人の血をひく者たちには国籍を無条件で与えるという政策をとった……問題はこれからどうなるか、ね。純粋な大韓民国系の高麗人は、もはや少数者。北韓出身や欧米、ロシア、東南アジア系の高麗人、イスラム教徒の高麗人。ヨハンみたいな日本系の高麗人もいる。いままでどおりの統治スタイルでやってけるのかしら? ところで、どうして軍隊なんかにいるの?、弁護士さん」

 今日は質問攻めか。ああ、予備役招集されて、こっちに配属されたのさ。イヤとは言えないさ。

「予備役ショウシュウ?」

 つまりね、僕は平壌大学にある陸軍の士官養成コースに応募したのさ。特別幹部候補生養成過程、略して特幹。学費が無料になるアレさ。そのかわり在学中は軍事教練を履修すること、卒業後も定期的に軍事教練を受けること、予備役として応召義務を負わなくちゃならない。

「ああ、アメリカの大学のROTC……つまりReserve officers trainig Corpsみたいなやつね」

 まあ、だいぶ内容は違うが、その<みたい>なやつね。そこで必要な成績を修めれば、卒業後配属された陸軍部隊に入営して、さらに十ヶ月間の指揮官養成訓練を受ける。それを修了して運良く最終試験にもパスすれば、めでたく将校の資格を得て予備役編入、それで兵役は免除さ。

「いきなり将校になれるの?」

 いや、入営の時点で一等卒、二ヶ月で上等兵、四ヶ月で伍長、六ヶ月で軍曹、八ヶ月目にはもう曹長だ。徴兵で18歳からだと、ここで40歳ぐらいだ。最後に軍の銓衡会議で審査を通過すれば十ヶ月で少尉に昇進、そこではじめて将校になれる。

「将校さんなんかになって、どうしようと思ったわけ?」

 まあ、僕の場合はただ、学費の免除が欲しかっただけだ。軍隊に居座るつもりなんて毛頭なかったから。ただ、合格者は一般の徴兵を免れ普通の市民生活を送れるうえに、戦時ともなれば一兵卒としてではなく、将校として応召する特権を得る。それは天国と地獄の境目だ。軍隊では将校か兵かにって支給品から食事・宿舎と何から何まで待遇が違うし、何よりあの長くて辛い、地獄のような新兵訓練とシゴキ、雑用から永遠に解放されるんだから。

「ご家庭は経済的に大変だったの?」

 そういうわけじゃない。うちは中流家庭だった。日本の工業大学を出て、財閥系のソロモン電子のチーフ・エンジニアをやってた父は、僕をどこかの国公立大学の工学部に入学させようとしたんだ。部活のサッカーをやめさせてまでね。僕は従いたくなかった。父とは折り合いが悪かったんだ。それで高校卒業までサッカーをやって、無料で入れる平城大学の士官養成コースに応募した。全寮制で家賃も免除だったから。父はもう、何も言わなかったよ。

「フフ、ヨハンらしい話。お父様はさぞガッカリなさったでしょうね。かつての金日成総合大学。将軍様がトンズラしたあとは大韓民国に編入されて、名門国立大学になった平壌大学……」

 特幹に入ってみれば、ズーズー弁の貧しい北韓子弟だらけだった。カネもコネもない彼らにとってみれば、またとない出世のチャンスだ。そのハングリーさは尋常じゃないよ。このぶんじゃ、共和国軍は北韓人が支配することになりそうだ。大丈夫かなあ。そうそう、陸軍の養成コースには外国人留学生の枠もあって、修了後は永住権の付与と外国人部隊への配属があるんだ。だから発展途上国からの高麗移住希望者もかなりいた。お気楽な、ただのK-POPファンとか含めて(笑)。

「あなたにしてみれば、苦労して代償を払い終えたと思ったのに、結局軍への奉仕を余儀なくされたってわけね」

 まさか、本当に戦争があるなんて思いもよらなかったよ。まったくついてない。司法試験に合格して、ようやくこれから弁護士の修行だと思ったら、突然招集されてこのザマさ。いったいいつまで日本の占領が続くことやら……。

「こっちの仕事だって悪くはないわ。私たちが生きている間、二度と経験できないような世界史的な体験よ?」

 さあね、やってる仕事はいずれにせよ事務職だし。キャリアだってのちのち役に立つかどうか。

「私はエンジョイするわ。今、若いうちにしかできない経験だしね」

 大富豪のお嬢様、おてんばスナらしいね。このオプティミスト。

「アハハハハ……お嬢様は余計よ」

 さあ、もう寝るとしよう。おやすみスナ。今日はお疲れ……

「そうね、ありがとうヨハン。アンニョン~……」

 二人の女性の間をネットサーフィン……ここからかなりの年月、こんな夜を幾度となく過ごすことになるのである。

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