第五章 王国に根付く影②
「俺を大公邸から連れ出そうと考えたわけか」
つまらない嫉妬心を曝け出した皇女は、彼の胸で泣き満足したのか。晴れた表情でことの次第を報告した。状況を理解したジゼルはひとまずミゲラとの間にあった会話を弁明を交えてニーナへ伝える。
「離縁というのはミゲラ様の意思ではなかったというのですか? そんなことが罷り通るなんて」
「ああ。半ば無理矢理連れ戻されたと。あちらは小国の諸侯ゆえに大公閣下に逆らえなかったのだろう。無論、あの時泣いていたのはそれが原因だ。……納得してもらえただろうか。我が愛しの皇女よ」
「……わ、わかりましたから。今はそれどころでは」
想いが通じ合った。
元許嫁との現場を見てヤキモキさせてしまったのは申し訳ないと思いつつ、王太子は密かに今一度、ニーナとの接吻を試みては拒絶されていた。
「ディックさんも置いてきてしまいましたし、脱走計画にはミゲラ様も加わっていただきましょう」
「そうだな。大公の手の内にいてはまともに行動もできないどころか、情報も遮断されてしまう。抜け出した後の企図は」
大公邸の屋敷にあった隠し扉の鍵をニーナへ授けたのは王妃だ。だとすれば、城内へ逃げ込めれば時間は稼げるかもしれないと皇女は告げる。
――父に大公の悪事を打ち明けることができればいいのだけれど。
その後、結果的に放置してしまった令嬢へ事情説明をしていたディックと合流した一行は王妃の待城へ急いだ。
「叔父様のせいでご迷惑をかけて、ごめんなさい」
小鳥の囀りのような声で謝罪するミゲラを前に、皇女はかぶりを振る。
「わたしこそ、碌な説明もせずに逃げ出して……不審に思われたでしょう」
「いいえ。ただ、“あの冷酷殿下”が血相を変えて貴女を追いかけたものだから、涙も止まってしまうほど面白かったわ」
「……その醜聞は半分はお前のせいだろう、ミゲラ」
「嫌だわ、人聞きの悪い。勝手に髪を切ってしまわれた殿下の自業自得もあると思うの」
彼らのやりとりを見ていても、あの時とは違い淀んだ感情は抱かなかった。男女の仲、というよりは本当の兄妹のような仲の良さなのだと気づいたからだろうか。
「色々解決したみたいで何よりだけど、そう簡単に屋敷からは出してもらえないみたいだぜ?」
「ニーナ……俺の後ろへ」
令嬢のお茶目な表情に緊張感が解けていると、裏口から出た先にその男たちはいた。
選ばれし騎士、とでも言うのか。一際屈強な大漢に囲まれてしまった王太子たちは行手を阻まれてしまった。
ジリジリと後退するディックとジゼルの背後で、二人の淑女はなす術もなく。視線を動かした皇女は突破口を探すが、現役騎士団長である大公の指揮下で配備された騎士たちに隙はなかった。
「帝国の皇女とあろう方が堂々と不法侵入とは。いやはや、面白いことをなさる」
「初めてお目に掛かります、大公閣下。確かに正当法でなかったことは詫びるしかありません。ですが……ミゲラ様やジゼル殿下を許可なく軟禁されていたのは事実。これについてはどうお答えいただけるおつもりでしょう?」
「姪と孫をどうしようとワシの勝手だろう。のぅ、ミゲラ」
先程まで朴直にしていた令嬢の顔がみるみるうちに蒼白になっていく。紫に変色していく綺麗な形をした唇が震え、彼に対して尋常ではない恐れを抱いているのを知ったニーナはそっと彼女に寄り添った。
おそらく、今この場で大公と話し合いをまともにできるのは皇女だけなのだろう。
彼女たちを保護するように前に出た王太子たちだが、屋敷の外は吹雪いているというのに覗き見える顔面には汗が滲んでいる。
令嬢の肩を抱いていた皇女は彼らの前へ一歩、また一歩と貫禄のある男の元へ歩み寄った。
「家族であろうと何であろうと、人を我欲のままに操るなんて許されることではありません」
「女の癖に知った口を利く。……皇女を大公邸侵入の罪で捕らえよ!」
男の号令に従い、ニーナを捕縛しようと騎士が剣を抜く。
――帝国の皇女であろうと、関係ないということなのですね。
「それほどまでに権力が欲しいのですか、大公閣下。国王が亡くなっても……それを隠蔽していたのは何故ですか」
必死に隠匿していただろう事柄を暴露された男は反論する言葉も出ず。勿論、そのような事実など知らされてもいなかった彼に従事する騎士たちもまた驚愕のあまり皇女へ向けていた剣を力無く下ろしていく。
「実力の申し分のない王太子が王座に就いては、ご自分の行ってきた悪行の全てが露呈し地位を脅かされると。国王と王妃から引き離し、殿下が城を出るように仕向けたのも幼少から国の重役達に次期国王としての素質を見抜かれていた彼をその椅子から遠ざけるためだった。陰で権力を一本化した貴方は
「ならば、おかしな話だろう。王座に就かれたくないワシが何故かわいい姪を許嫁に差し出すと思うか」
「七歳で城を追い出し、両親との執拗な接点を絶った貴方の思惑は外れたからです。噂に惑わされず、民と向き合い守るために騎士という道を選んだ彼の支持率は下がるどころか上昇した。イヴェルムル国内における貧困の解明、そして大公閣下の一声で滞った近隣諸国との外交に疑問を感じ解決に動いていた王太子の姿を、民は見ていた。稀に見る難関試験を王太子という立場を振りかざすことなく、実力で突破したジゼル殿下を国民は待望した。彼こそ国王に相応しい、と。だから自分の血縁者であり、殿下と仲の良かったミゲラ様を無理矢理婚約者として仕立て上げた」
食いしばった歯がギリギリと不協和音を奏でる。
大公閣下はニーナが自らの足で調べ上げた内容に異を申し立てはしなかったが、認めることもなく。
あろうことかその場から逃げ出そうと老体を酷使した。
唖然とする騎士達を他所に、それまで黙って皇女の口上を聴いていた王太子が猪首の男を文字通り身を擲って押し倒す。情けのない声を上げた大公だが、幸いにも降り積もった雪のおかげで怪我はないようで。
「ディック!!」
友の名を叫んだジゼルはなおも抵抗を続ける男の腕を捻り上げると、甲冑下に装備された手枷をディックに投げさせそれを大公の剛腕に突き当てた。
「国家反逆罪で、お前を連行する」
王太子と、男の腰元に装着された拳銃を奪い取った彼の友人に見下ろされた大公閣下の腕が力無く白積に落ちる。
それを面前で見ていた騎士達も剣を下ろし、帯剣していた者はそれを地へ捨てた。国王の死を隠蔽し、権力保持に躍起になっていた大罪人を支持していた自分たちも同罪だとジゼルに身を差し出すが、王太子がそれを拒む。
「王太子として追って処分は言い渡す。が、お前達も大公閣下の被害者に過ぎないのだろう。……騎士が簡単に剣を捨て置くな」
捕縛した大公をディックや今の今まで支配下にあった騎士達に託したジゼルは呆然と、しかしどこかすっきりとした面持ちの幼馴染へ近づく。
しかし令嬢は首を振り、叔父の掌中から逃してくれた彼女へと視線を向ける。
「ニーナ」
王都のご婦人に聞かされた真意の定かではない訃報について独自に調査していたニーナは、たどり着いた真実を息子であるジゼルに打ち明けることが出来なかった。
――もしあのとき話せていれば。
もっと早くに伝えていれば、ミゲラ令嬢にもディックにも迷惑をかけることなく、厳かに大公閣下を追い詰めることが出来たのではないかと思っていた。
そうしなかったのは、ふとしたとき寂しげに城を見つめる彼を見てしまったから。帝国で自分の両親と楽しげに話している彼が頭の片隅にあったからだった。
今となっては全部言い訳に過ぎない。
ニーナは大公を前にあれだけの啖呵を切ったにも関わらず、慈しみを孕んだ男の視線から逃れようと俯いた。
「――ニーナ」
再度、囁かれた声は二人にしか聞こえない。
すでに城へと向かった大公を連行する騎士らと、諸侯の元へ帰ることの許されたミゲラを連れ立ったディックの姿はもうそこにはなかった。
夜明けも近い。
「ごめんなさい、ごめんなさい殿下」
「……今日は謝ってばかりだな、お前は」
「ごめ……な、さ……」
「言えなかったのだろう。父上が数年前すでに病で他界し、王妃もそれを知っていて被隠していたことなど。全てが大公の仕業とはいえ、ニーナが俺に伝えられなかったという気持ちは痛いほど理解できる」
「どうして、隠していたのはわたしも同じで……!」
「アイツとお前では意味が違う。そうだろう? 俺はお前に感謝こそすれ、責めることなどできないな」
これから、イヴェルムル王国はどうなるのだろう。かつて国を統治していた者たちは王都にはいない。
大公には相応の処分が降るだろうが、酌量の余地あれど国王逝去を隠し閣下の言い成りだった王妃にも何かしらの対処がされるであろう。
王国のためとはいえ、自分が暴いた事件の大きさに皇女は震えた。
「余罪は多くあるだろう。それを明るみにするには御義父上の力も、ニーナの力も必要だ」
「お父様の?」
帝王学を学んでいるとはいえ、騎士として長いこと務め城から離れていた王太子だけでは腐っていた国を再建するのは一苦労だ。
それには大陸の繁栄を願い、個人の、国民の意思を重んじる皇帝陛下の力添えが必須なのだとジゼルは説いた。
「だからそう、いつまでも泣くな。……これでは一国の皇女を泣かす“冷酷無比”な男に見えてしまう」
「ふふ……そう、ですね。わたしが泣いていても何にもなりませんものね。ですが、どうしてでしょう。涙が止まらないのです」
「泣いた女の涙を止める方法は、ひとつしか知らない」
豊かな頬から落ちた雫が積もった銀雪に触れ、溶かしていく。ぽたぽたと垂れ落ちていたそれは、ジゼルが掬い取ることで治っていったのだが。
「……今、舐めましたよね?」
「涙を止めただけだ。他意はない」
「もう泣いてませんよ。それに、おでこは関係ないですよね、殿下。もう大丈夫ですから」
「駄目だ。まだ、ここが濡れている」
乾いた瞳から、頬、額。そして桃色に色付くぽってりとした輪郭を撫でた王太子は、柔らかなそれに唇を這わせたのだった。
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