第二章 お前に義父と呼ばれる筋合いはない!②



 あくまで個人的な晩餐会が速やかに開始され、リフェクトリーテーブルの上座に座る父がグラスを天に掲げる。双子の弟たち以外が食前酒を味わう間、本題に入るわけでもなく。父自慢の宮廷料理番がいかに腕が良いかをジゼルは聞かされていた。

 前菜やポタージュが終わり、メイン食材であるラム肉に合う赤ワインを注がれる。透明感のあるワインには、カシスをベースに清涼感のあるハーブやスパイスが入っておりフレッシュで飲みやすいものをと皇帝自ら選んだそうだ。

 ――舞踏会の夜、あれほどまでに怒っていらしたのに。気が変わったのかしら。

 談笑する両親を尻目に、皇女の両隣に座る弟たちが居心地悪そうにお肉を頬張った。


「……あれがお姉様の恋人だなんて、なんだかムカつくね」

「ワインが飲めるからって大人ぶってるんだ。僕たちだって本気を出せば飲めるのに」


 可愛らしいやり取りに微笑むと「笑い事じゃないよ、お姉様」とますます機嫌を刺激してしまった。


「安心して、二人とも。彼とは恋人ではないわ。そうね……仲良くしたいのは変わらないけれど。お友達というところかしらね」


 ナフキンで口元を拭い姉離れできない弟たちを説得するも、納得がいかないらしく。


 ――お父様よりも二人の方が問題だったみたいだわ。


 相手は隣国の王太子。そして弟たちも次期後継者である。そんな彼らまでも諍いを持ってしまったらと心配したニーナはデザートが来るまでになんとか機嫌を戻して貰おうと向き合った。


「そんな悠長なこと言っていていいの、お姉様」

「……ええ?」

「父上、顔真っ赤にして怒ってるけど」

「え!?」


 料理に舌鼓をうち、弟たちと会話していて気づいていなかった。上座からは少し離れているせいで両親とジゼルの話が耳に入ってこなかったのだ。

 ベルナーニに指摘され見たアルコール耐性のある父の顔は、確かに目の前に注がれたワインのように赤く。少し前まで外交に関する話をしていたような覚えがあるのだが。何がどうしたらそうなるのかと継母に視線を送るが彼女は苦笑いをするだけで。

 困惑したニーナは事の経緯を聞き出そうと身を乗り出す。が、その声は父の怒声によって掻き消された。


「こっ、婚約だと!? イヴェルムルに私の娘を渡すと思うか!!」

「皇女とはまだ恋仲ですらありませんが、結婚も視野に考えております。これは決して一夜の軽い気持ちなどではなく」

「一夜ってお前……ニーナ! まさかあの夜、本当にナニかあったのではなかろうな!?」


 矛先がこちらに向いた皇女は必死に否定した。

 何がどうしてその会話になったのかは検討がつかないが、ジゼルが余計なことを言ったのは間違いなさそうだ。


「皇帝陛下に誓い、彼女には……何もしておりません。御義父上、信じてもらえませんか」

「ダーーーーーー!! お前に義父と言われる筋合いはないっ!!」

「そ、そんな……御義父上!」

「言うな! 楽しく酔わせて本性を暴き出そうとすれば調子に乗りおって……もう、私は許せん!」


 ――大人しく接待していると思えばそういう魂胆だったのね、お父様ったら。


 汽車の様に鼻息を吹かしている皇帝をなんとか継母と二人で宥め、退席させる。こうなっては時間を置くしか興奮は治らないだろう。


「ごめんなさいね、ジゼルさん。陛下はイヴェルムルの事となるとまるで子供のようになってしまうの。失礼だとは思うけれど、途中で退席させていただくわ。あの人が落ち着いたらまたお話ししましょうね。……ニーナ、あとはよろしく頼みますね。今夜はワインも飲まれていますし客室を開けておりますから、お泊まりになって?」

「……はい、承知しております」

「うふふ……まぁ、貴女のお部屋も広いですからね。そちらにお泊まりいただいても構いませんから。陛下は私が言い聞かせますので、ね。安心して」


 激昂した父の背中をさすりながら退室する継母に続いて、双子たちもデザートを平らげると両親の後をついて出て行った。

 静まり返る広い部屋に残されたニーナは、これが非公式だとしても失礼すぎやしないかと恐る恐る彼を覗う。黙々と出されたデザートを食べ、最後にワインを飲み干したジゼルは……特に気にした様子も見せず皿に手を合わせていた。


「それは、イヴェルムルのマナーなんですか?」


 作り手に感謝を述べることはあっても、エイリッヒ国では食べ終えた後食器に手を合わせてお辞儀をする習慣などはなく。イヴェルムルに長く滞在している友人。リサのそういった仕草も見たことがなかった。王族の人たちだけの特別な所作なのかと、不思議に思ったのだ。


「いや、違うな。こうするのは母くらいか」

「そうなのですか?」

「大陸より遙か東にある国の血が流れているらしい。料理人だけでなく食材にも感謝を表すその姿が美しいと思って、倣ったんだ」


 ――やはり、東洋の血が混じっていたのね。だからこんなにも綺麗な髪色なんだわ。……それにしても。


 正直、半分冗談なのかと思っていた彼からの好意が“結婚”まで視野に入れている重いものだとは考えていなかったニーナは、なぜかそれに触れられずにいた。聞けば答えてくれるだろうことはわかっている。けれど、真意を問うのを憚られたのだった。



 ◻︎◻︎◻︎



 表情にで出ないだけで十分に酔っていたイヴェルムルの王太子ジゼルはその夜、皇后の言葉に甘え宮廷内の客賓室へ泊まっていた。自国の王家屋敷よりも広く、豪勢な邸内の下に皇女も寝ているのだと思うだけで胸が騒つく。


 ――どうしてこんなにも惹かれるのか。


 この年齢になるまでに全く付き合いがなかったわけではない。十代の頃はそれなりの女性とそれなりの関係になったこともある。けれどどこか、ぽっかりと空いた胸の内が満たされることはなく。

 イヴェルムルは大国と違い裕福な国ではなく、王族と言ってもエイリッヒの皇帝たちが食しているようなフルコースディナーなど年に数えるほどもない。貧しいわけではないが国民たちと大差のない食事が通常であった。

 元々食に関してこだわりのない国民性もあり王国では豊満な身体の女性は少ない。

 皇女の噂は隣国にも轟いていて、その慈愛溢れる精神をイヴェルムルの人々も認めていた。貴族の中には肉付きの良いことを皮肉る不届者もいたが、彼女の話を始めて耳にしたとき普段はあまり感情を表に出さないジゼルは、人生で一番と言っても過言ではない衝撃を受ける。

 溢れる母性はもちろんのこと、豊かな肉体と丸々としたフォルム。皇女に会ったことがあるという貴族から見せてもらった肖像画を複写した絵葉書を見てからというもの、それらの触り心地を想像するだけで雄の部分が猛々しく反応した。こんなことは今までなく“これが恋……否、愛なのか”とニーナに逢える日が来るのを願った。

 両国間の抱える問題上、容易に隣国へ渡ることはできなかった。

 どうにかして“個人的”にエイリッヒ帝国へ渡れないかと思案していたところに、母の元にある方から手紙が届く。それが、帝国の公爵夫人であった。

 母は懐かしむように内容を話してくれた。なんでも独身貴族令嬢、子息を集めた舞踏会を開かれるようで。それの何が珍しいのかと、初めは首を捻ったものだが“仮面舞踏会”と聞いて納得した。階級関係なしに若い貴族たちが仮面をつけて集うパーティーはその文化が廃れ、今や大陸どこを見ても催している国はないだろう。


「母上、お願いがあるのですが」


 幼少期から達観していた王太子は、母に頼み事やまして我儘などはした覚えがない。

 珍しく真剣な面持ちで頼み込む息子の願いを快く引き受けた彼女は、エイリッヒの公爵夫人から招待状を送付してもらうと「お父上には内密に」と念を押された。


「そうですね。母の故郷である東洋の島国に休暇を取りに行った、ということにでもしておきましょうか」

「感謝します、母上。このご恩は必ずお返しいたしますので」

「……実の母に他人行儀なのは少し寂しいものがありますね」

「申し訳ありません」

「何も責めてはございませんよ。……でも驚きました。あなたがニーナ皇女を存じていただなんて。一度もエイリッヒに外交へ出向いたことはなかったでしょうに」


 特に親交があるわけでもない貴族の息子に絵葉書を見せられた件を口にすると、自分と同様、表情に乏しい彼女の目が細く弧を描く。滅多に笑わない母の姿に、ジゼルは意表を突かれた。


「随分と素直に育ったようで母は安心しましたよ。女性と全く関わりを持たないわけではないのに、浮世も流さなければ興味も示さないあなたを少し心配していましたのでね。そう……ようやく腹に決めた方ができたのね。一方的ではあるみたいだけれど」

「まだ、わかりませんが。皇女が舞踏会に出席すると確定しているわけではありませんので」


 今日は機嫌が良いのか、このように一対一で話すことなど久しくなかった故に知らなかっただけなのか。声を漏らして笑う母を子供の頃ぶりに見る。


 ――父との会話などまるで機械のようで、笑った姿など指を五本折るほどもなかった。


「まあ随分と突発的な行動をなさるおつもりのようで」

「やはり偶然を装って距離を縮めるのは非効率でしょうか」

「そうですね。効率的、ではないかと。……あなたが本気で、皇女を愛せる自信と覚悟があったなら私はいつでも力になりましょう」


 二重、いや三重に驚くことばかりだ。てっきりジゼルは、母上が自分を嫌っていると思っていた。

 十四で騎士に所属すると宣言したときは大反対の上、その年の入団試験を常人では合格できないほどに難易度を上げてきたのは根に持っている。愛国心を計る筆記試験は満点でなければ実技試験を受ける資格を持てなかったし、実技は実技で、現役標章持ち騎士たちとの五番勝負に全勝しなければならないという無茶振りだった。己の頭脳や剣術に自信はあれど、あれはさすがにやりすぎではないかと騎士になった今でも思い出す。

 それだけでなく、食事など一緒に摂った記憶はなく。物覚えがつく頃から乳母や使用人を相手に一人食事をしてきた。

 なのに今になって談笑、と言うよりも相談できているのがおかしくて堪らないのだ。王太子である自分がエイリッヒ帝国との同盟を強固にする材料になればと思うところがあるのなら頷ける。

 けれどどうにも、目尻の皺を深くして微笑む母親の姿を見ていると何か思惑が裏に隠れているとは到底考えられなかった。


 国王陛下の気付かぬ内にと淡々と計画を進めていき、数日。

 帝国に入る道中に、先にエイリッヒ入りさせていた使用人から“皇女が舞踏会への招待状を受け取った”と連絡が入った時は拳を握った。


 ――これで、皇女を一目見ることができる。


 はじめは本当に、今回の来訪では彼女の生身の姿を確認したい一心だった。会話などできなくてもいい。ただ一目、あの魅惑的な容貌を見られればそれでいいと思っていた。


『あれが……ニーナ皇女。なんて唆られる肉体美をしているんだ彼女は』


 駄目だったのだ。見るだけなんて耐えられるはずもなく。

 会話だけ、言葉を交わすだけで構わない。そうしてだんだんと己の欲望の枷が外れていくのを感じた。

 あの場から連れ出したのは周囲が騒めきはじめ自分たちの存在が知られてしまったこともあるが、どこか居心地の悪そうな皇女の様子を感じ取ったという正当な理由もちゃんとあった。

 言い訳はどうあれ結局、無理矢理連行した結果には変わりはないのだが。


 ――上手く、いきすぎている。同じ屋根の下に居るんだ、ニーナが。


 肖像に一目惚れし、フロアで悩ましげに肉肉しい腕を曝け出す乙女にまた焦がれ。話してみると淑やかなだけでなく自己主張も出来る自立した女性で。自国のことだけでなく、今は友好関係とは言い難いイヴェルムルとの外交にも関心を持っているその姿勢。


 ――ああ、ますます欲しくなった。


 ジゼルが行動すれば触れられる邸内にいるが、それはしない。戒めるように疼く利き手を握りしめた。


 ――どうしたら皇帝に納得してもらえる? あの夜のように黙って連れ去るわけにもいかない。


 人は貪欲だ。今まで物欲は愚か性に対する欲こそなかったジゼルは葛藤している。手に入れたい、国に連れ帰り……娶りたいと。


「彼女の気持ちはどうなのだろう」


 反応を見る限り嫌われてはいないのだとは推測できる。けれど好意的かと問われれば悩ましい。


 ――恋人になりたいのではない。添い遂げたいのだ、ニーナ皇女と。


 そうなれば彼女の気持ちが最優先である。ジゼルは晩餐会での出来事を思い出していた。


 ――話の流れ的に仕方がなかったものの、まるで政略結婚を狙っているかのように聞こえたのだろうか。あれは失敗だったな。


 ニーナの父が激昂した理由。それは“嫁にしたい”と告げたことが原因なのは王太子自身理解している。

 ただ具体的にどのようにして、両国間の同盟を立て直すつもりなのかと問われたジゼルは「まずは滞っている物流の再開の目処を立てたいと思っております。近年、農作物が寒気の影響を受け不作なのはご存じのはず。イヴェルムルはそのほとんどを帝国からの輸入で賄ってきた。しかし国王の一存で物流は停滞し、貧困かはさらにか加速している。目先の交流を改善するのは勿論ですが……それでは長い目で見て最良とは言い難い。円滑な物流、そしてまずは太子である我々、ジーニアス皇子とベルナール皇子。そして俺とニーナ皇女が親交を深め互いの国を視察し現状を理解することが大事かと」と真摯に答えた。

 ここまでは非常に好感触だった。


「若いのに良く考えておられるようだ。娘もイヴェルムルとの関係を気にしておる。視察隊を送り合うのは悪くない提案だと思うが……まあ“友人”として親睦を深めたいと言うのならば拒否する権限はない」

「友人? いえ、皇帝陛下。俺はこの件が安定次第、ニーナ皇女をイヴェルムル王国へ迎え入れたいと考えています」

「……………ん? なんと?」

「ですから、ニーナ皇女とゆくゆくは婚約を、と」


 ……あの言動は猛省している。本当なら夜の散歩にでも誘いたい気分なのだが、この間の今日でそれは良い印象を持たれないだろう。

 開けたままの窓から夜風が吹く。

 寝台に寝そべったジゼルは、窓から見える月を眺めた。


 ――もう、こんなにも逢いたい。


 月明かりのみで照らされた客賓室は、異様に静かでもの寂しかった。何年も何年も待ち続けた、子供には広すぎる寝台を思い出す。一度でいいから誰かに抱きしめられながら眠りたいと、虚になってゆく意識のなか王太子は思うのであった。

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