第二章 お前に義父と呼ばれる筋合いはない!①
仮面舞踏会から早三日。
今夜は早速取り付けた父とイヴェルムル王太子であるジゼルの非公式会談が行われる日だ。
馬車に揺られていく彼を見届けたニーナは、邸内へ入ると頬を膨らませた皇帝に詰め寄られあって間もない王太子との“関係性”を懇々と聞かれた。人様に知られてはならない部分は省き、皇女だと周囲に露呈してしまったニーナを気を使ってジゼルが会場から連れ出してくれたのだと適当に説明したが、納得はしていないようで。
途中、あまりにも口うるさくしていた父の声に「ジーニアスとベルナーニが目を覚ましてしまうでしょう、陛下。貴方……こんな時間に何をしていらっしゃるの?」と皇帝よりも怒らせると怖い美妃の継母、ナーニャがネグリジェに羽織をした姿で現れた。そのおかげで興奮状態の父はなんとか治ったのだが、一部始終を見ていた使用人に話を聞いた彼女も、父同様に言い放ったことでニーナは数日過ぎた今朝も頭を悩ませていた。
『礼には礼をしなくてはなりせんわね」
――だから、どうして。そうなるのですか。
その夜は「疲れたのでもう寝る」そう言って両親を巻いた皇女だったが、次の日もまた次の日も、ジゼルとの関係を事細かに聞き出そうとしてくる彼らにほとほと困り果てていて。
ただ、父や継母も大国エイリッヒを担う人。
外交問題を注視していて、そのことで話し合いたいという彼の提案には賛成だった。
非公式とはいえ両国が抱える問題の先送りが懸念されている時世に、イヴェルムル国側からの歩み寄りは帝国側からしてみても有難いことで。皇帝からしてみれば外交にあたり困るのは隣国民でしかないが、自国だけが潤っていて言い訳ではないと、大陸全土において豊かに成長することを父は願い掲げている。現状、貧困化の進んでいる地域を除いては特に問題視されている案件はないがそれも時間の問題だ。貧富の差はより一層、国力の衰えを加速させていく。
個人的に歪みあっていても、そうなることを望んでいるわけではないのだと。ニーナは改めて偉大な皇帝陛下を尊敬した。
夜は王太子を交えた食事会。そして昼には舞踏会へ置いてきてしまった友人への弁明茶会の予定が組まれている皇女は、忙しなく身支度を済ませていた。
「食事会の前に一度着替えなければならないだろうから、今日は楽な衣装でお願いしたいの」
幼い頃から世話になっている東洋出身の使用人ケイコは、主の望んだドレスを衣装部屋から数着選定し並べていく。
彼女は学生時代から付き合いのあるリサのことも知っていて、宮廷内にある園庭で茶会をするときなんかは自分たちと世代が近いこともあり良く同席させていた。元々、大陸から遙か離れた東の国の出身だというケイコは帝国子爵家の容姿として迎えられ、その後、宮廷へ来た。今思えば、彼と同じ濡烏色の美髪を彼女もしている。そんな話は聞いたことがないのだが、彼のルーツにも東洋の血が流れているのだろうか。
――ヤダわ、気づいたらジゼル殿下のことを考えてしまう。
彼の性癖はさておいて、その他の部分は非常に惹かれるものがニーナにはあった。これが“恋”なのかとも思うのだが、その度に揉みしだかれた感触が蘇ってくるので納得しきれない。
「リサお嬢様は明るいお色を好まれるでしょうから……こちらの薄桃のラングレーズなんて如何でしょう? 晩餐会では銀刺繍のブロケードドレスをと皇后様に申しつかっておりますので」
「そんな仰々しい食事会にはしたくないと、ジゼル殿下も仰られていたのに。まあ仕方ないのよね。そういう相手なのだもの」
通常、銀糸や金糸の刺繍の施された豪華な衣装は式典やそれに準ずるときにしか着用しない。それだけ、隣国の王太子に対して敬意を称したいという継母の気持ちの表れなのだろうとニーナは頷いた。
「純白のドレスで食事だなんて……なんだか婚前晩餐会のようで気が重いわ」
帝国エイリッヒでは、結婚を目前に控えた両家が揃って“白色”のドレスコードの元、新郎新婦の独身最後の食事会を開く習わしがある。どういった経緯で行われるようになったのかは、建国時からのすべての歴史書を所有する皇族でも定かではなく。貴族、市民関係なしに今でも続けられている謎の風習だ。
「もしかしたら皇后様は、そのおつもりなのかもしれませんよ」
「……まさか、そんな。怒っていらしたし」
「そうですか? 私の目にはそうは見えませんでしたけど」
皇后の思惑はわからない。ひとまず、朝の支度を終わらせようと、ニーナは差し出された薄桃のドレスに袖を通した。
◻︎◻︎◻︎
国内でも指折りの庭師に剪定してもらっている宮廷庭園は、平日の日中一般開放されている場所ともあり賑やかだった。
皇女とその友人がいる一角は宮廷内に住む皇族のみが使用できるガラスドーム型のティールームがあり、亡き実母の趣味で彩られた花々に囲まれている。磨き抜かれた硝子面からの景色を背景に、頂き物の紅茶を嗜んでいたニーナは、おずおずと口を開いた。
「本当に申し訳ないと思っているわ、リサ」
まさか置いて帰られると思ってもいなかったらしい彼女もあの後にすぐ馬車に乗り込んだそうで。実はあの光景を見ていたというのだから行動力の高さに脱帽する。
「会場に置いて行かれたことを怒っているんじゃないのよ。友人である私に黙っていたことを怒っているの!」
「黙ってって……王太子のこと?」
そうは言われても、あの時は皇女自身無理矢理連行されたようなもので。
「それ以外の何があるのよ。大体、お付き合いしている人がいるなら言ってくれればいいのに。……まあ、相手がイヴェルムル王子となれば話は違うのよね。わかってる。秘密の関係だってことは理解しているつもり。けれど親友の私にくらい話してくれていても良いと思わない?」
……ん?
何かがおかしいと、ニーナはティーカップをテーブルに置く。
「秘密でもなんでもないわ。わたしと殿下はお付き合いなんてしていないもの。出会ったのも、ファーストネームを知ったのだってついこの間のことで……お父様が頑なにイヴェルムル王族と交流させたがらなかったのはリサだって知っているでしょう? 一度たりとも王族に関する情報なんて調べさせてももらえなかったのだから」
普通なら国のトップの情報は親交がなくとも公開されているものなのだが。どうしても嫌だったのだろう。皇帝は隣国を気にしている娘にその美丈夫と名高い息子の情報を一切遮断していたのだ。
「あんなに親しそうにしていて? もうエイリッヒの貴族子息令嬢の間では二人が“禁断の愛、深まる。結婚も秒読み! ”なーんて噂が立っているのに!?」
「数日でどうしてそんなに話が飛躍しているのかわからないけれど、本当よ。恋人じゃないわ」
なんだ、ガッカリ。とでも言いたげに、友人は椅子の背もたれに体重を掛け仰け反る。
「あ、言っておくけれど噂を流したのは私じゃあないからね」
「そんなことは言われなくともわかっているわ。それに……あの舞踏会での現場を見ていたら誰でもそう思ってしまうだろうって、わたしも思うもの」
「知り合いってわけでもなかったんでしょ。なら尚更どうして、王太子殿下はニーナだって一眼で見抜いて、尚且つ攫ったりなんてしたんだろうね。……やっぱり、彼の方はまんざらでもないんじゃないの」
茶菓子を運んでいた手が止まる。その仕草を見たリサは、ニヤリと口角を上げた。
「ほらね」
「ち、違うったら。揶揄わないで」
「好きだって告白でもされたんでしょ〜?」
「されていないわ」
「ええ〜本当にぃ?」
――本当なんですよね。
そう、ジゼルからは欲望を吐露され触れられただけで愛の言葉など告げられてはいなかった。それでも初心な皇女はあの出来事の一連を思い出してしまい、ほんの少しだけ頬を赤くしてしまうと、目敏い友人に指摘される。
「好きだとは言われていなくても、何かは言われたんじゃない? でなきゃ、あなたがそんな反応見せるわけないし」
「……本当に、なにも言われてないのよ。ただ、その」
「言い難いことなの?」
「ううーん、そのなんて言えば良いのか…………二の腕」
「二の腕?」
ジゼルのことを思えば胸の内に秘めていてあげるほうが良いのだろうが。あれを自分一人で背負っているのは特殊な性癖を持っているでもないニーナにはまだ無理であった。
「二の腕が、い、淫猥だって……それからお、お尻が……お尻に齧り付きたいって」
煌らかな友人の表情が歪んでいく。
――ああ、やはりそうよね。その対応が普通だわ。
「これだけ聞くとね、おかしな人だと思うでしょう? でもそうでもないのよ。皇子としての職務に対する姿勢は学びたいものばかりだし、言葉はどうあれ物腰は丁寧で品があるわ。噂通りの見目に声だって素敵で……あ、あら?」
鬼でも見たような形相をしていたはずのリサが、また先程のようにニンマリと笑う。
「なるほどね」
何かを納得した様子の彼女は、ティールームの外に視線をやるとそそくさと立ち上がった。
「ごきげんよう、ジゼル王太子殿下」
いないはずの彼の名前を呼ぶ友人に驚いたニーナはガラス戸の方へ振り返る。艶やかな花の中心に立つ、漆黒の麗夫の姿に皇女は素早く腰を上げた。
会食の連絡は使用人を通して行ったため会うのは三日ぶりだ。夜会での印象とはまた違った装いで庭園に立つ彼に慌てて皇女も頭を下げようと体勢を変えるが、ジゼルによって格式張った挨拶を制されると椅子へ座るように促された。
「約束の時間にはまだ早いのですが、その、ご用件は……? 今はご覧の通り友人とお茶をしておりまして、お出迎えできず申し訳ありませんでした」
テーブルを囲う四つの椅子の内、空いている一つに腰掛けた王太子は首を振る。
「こちらこそすまない。……そちらの」
「マークイン伯爵家のリサと申します。殿下のことはイヴェルムルでは良くお噂を伺っておりましたが……ふふっ」
珍しく丁寧に挨拶をする友人が突然吹き出した。もしや自分が教えてしまった彼の秘密を反芻して笑っているのではと、横目に見やる。
「ごめんなさい、なんだが聞いていたよりも随分とお優しそうな殿方だったから。失礼しました」
「いや、いい。彼女の友人なのだろう。俺も、連絡を寄越さず茶会の邪魔をしてすまなかった」
吹き出したかと思えば、今度は目を丸くしている友人をテーブルに隠れた右肘で突く。ハッとしたように彼女は少し俯いたのだがその顔は笑いを堪えていて。なんだかなあ、と皇女はこの場を正すべくジゼルへ向き合った。
「それで、ジゼル殿下はどうしてこちらの庭園に?」
視線をリサからニーナへ移した男は、ちらりと彼女のそれを確認するとやや残念そうに一拍おいて口を開いた。
――絶対に二の腕を見ましたよね。……パフスリーブドレスでよかった。
友人も見ている前で揉みしだかれてはさすがに恥ずかしいと胸を撫で下ろす。否、二人きりであれば揉まれて良いわけではないのだが。
「帝国にいられるのも僅かだ。皇帝陛下に謁見したと向こうが知れば強制的にいつ帰国させられてもおかしくはない。エイリッヒに居られる間は、ニーナと時間を共有したいとそう思い立ったんだ。我ながら計画性がなくて恥ずかしい限りだが。背後からお前を見ているだけで俺は良かったのだが、そちらの霊場に気づかれてしまったのでな。そうもいかなくなった」
「そう、だったのですね」
逢いたかったから会いに来た。そう言われればときめかない女性はいないだろう。あの夜のように高鳴りはじめた鼓動がうるさい。
「……だがもうお暇しよう。俺の用事は済んだからな。また夜に」
座ったばかりだというのに組んだ足を崩したジゼルを友人が引き留め、腰を下ろすよう促した。
――なにをリサが言い出すのかが手を取るように読めるわ。もう、変な気を回さないで欲しいのに。
にっこりと笑顔を作った彼女は傍に掛けたボレロを羽織ると帰り支度を済ませた。
「いえいえ、そんな。来たばかりですのに。私はいつでも皇女とお話しできますから、ここはお譲りしなくては。ね、ニーナ」
でも……と続けた友人は、とんでもないことを殿下へ告げる。
「皇女のお尻は齧ってはダメですよ? 大事な親友なので」
「なっ……リ、リサったら……!」
やはり秘密しておくのだったと後悔したニーナだが、彼は意外にも平然としていて。それどころか「齧りたい、ではなく、噛み付きたいと言ったんだ」と訂正した。
「面白い人なのね、案外。彼なら安心だわ。……まあ別の意味で……ふふっ、心配だけれど」
去り際に耳打ちしたリサは彼に深く頭を下げると、ニーナへウインクを投げ帰って行った。
残された二人には会話はなく。けれどもどこか甘い雰囲気を漂わせていた。
会食までの間、邸内を案内したり合間に休憩を挟んだりして楽しませることに成功した皇女は、定刻を前に一旦客室へジゼルを通すと自室へ戻る。
想定よりも長く一緒にいたせいですっかり支度の時間に追われていたニーナに使用人二人がかりでドレスやヘアセットをしていく。申し訳なさを感じていると「ニーナ様をいかに可愛く仕立てるのかが本日の私の重大業務ですのでお気になさらず!」とすごい意気込みで返された。
「綺麗だ」
家族がすでに揃い踏みだという連絡を受けた皇女は、客室で待っているであろうジゼルを迎えに来ていた。扉を開けて第一声がそれで、反応に遅れる。
「あ、ありがとうございます」
彼自身は昼間の装いにこちらに併せてくれたのだろう銀刺繍の入ったジャケットを羽織った姿をしていた。
襟元のすっきりしたシャツにシルクのベスト、それと同様の黒いシルクで仕立てた細身のトラウザーを履いた形でもう一つ日中と違うのはイヴェルムルの国色である青紫のタイをしめているところか。どちらにせよ、スラリとした衣装は高身長の彼にとてもよく似合っている。
「腕を」
使用人に送り出されるようにして自室から一歩足を踏み出すと王太子が腕を差し出す。皇女は一瞬だけ躊躇うが、出されたそれに手を絡ませた。
こうして隣へ並ぶとよくわかる、彼は本当に背が高いのだと。ニーナはどちらかというと低い方なのでアンバランスではないかと心配になってしまう。
そんな彼女の心中を察してなのか。頭部二つ分ほど差のあるジゼルが見下ろすように視線を向けると嬉しそうに笑った。
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