第一章 冷酷無比な王太子殿下はむっちりぼでぃがお好きなようです①



 五日後。

 ドレス選びをするために宮廷下へ出ていたニーナは待ち人を見つけ駆け寄った。

 学生時代のおさげ姿ではなく、快活な彼女らしいショートヘアーに切り揃えた赤褐色の髪が懐かしい。

 買い物がしやすいようにと、華やかなフランセーズドレスではなく軽やかな着心地のワンピースにシュラグを併せた服が見事に丸被りで。

 思い返せば服の趣味も愛読書も似通っていたからリサとはすぐに打ち解けたのだった。色違いで着こなす姉妹のような出立ちに、互いに笑みを溢しながら歩み寄っていく。数年経とうが、一番の友人には変わりがない。一時は持病の悪化を心配していたものの、今日の彼女の顔色は悪くないようだ。


「ごきげんよう、ニーナ皇女様」

「もうっ! やめてリサ。そんな他人行儀にしないで」

「あはは。ごめんごめん」

「昔からそうなんだもの。……でも、本当久しぶりね。イヴェルムルからじゃあ長旅で疲れたでしょう?」

「少しね。でも舞踏会まで時間もないし、早いとこドレスを見繕わないと。私こそ無理を言って悪かったわ、一緒にドレスを選びたいから待っていて、だなんて。本当はこんな街へ出てこなくても宮廷に針子を呼べるでしょうに」

「そんなことないわ。ウインドウショッピングなんて滅多に出来ないから……それにリサと買い物ができるって、とっても楽しみにしていたのよ」


 しばらく街灯の下で話が進み。帰国したばかりで遅くなるのも友人に負担がかかるだろうと、目当ての衣装屋へ向かった。



 貴族御用達衣装店での注文を済ませた後。

 衣装直しが終わり次第各々のやしきへ届けられるらしく、案外早くドレス選びが終わってしまった二人は石畳の広がる商店街へ足を向けた。

 小洒落た喫茶店で一時休憩をとっていると、話は友人たちの結婚の話題へ変わっていく。


「……駆け落ちって、あの子息が?」

「そうみたい。子爵家の嫡男だったじゃない、相手はダンスパーティーで出会ったお姫様で。相手の親は当たり前のように結婚を認めなかったらしいの」

「ローレンス子爵の子息って言えば気弱で帝国図書館へ入り浸っている方だって有名だったわ。そんな人が駆け落ち……なんだか愛があって素敵」


 何を言っているんだと、凄い形相でリサに睨まれた皇女は首を傾げた。


 ――身分を捨ててまで愛する人と添い遂げたいだなんて、素敵だと思うけれど。普通は違うのかしら。


「駄目よ、ニーナ。そんなものに憧れなんて抱いては駄目。愛があってもね、所詮は他人なの。移り住んだ場所で上手く生活できるかなんて本人たちにもわかりっこない。一般市民ならまだしも、使用人に身の回りの世話をさせていたような貴族がたった二人だけでまともな生活が送れると思う?」


 彼女の言っていることは最もだった。そう言われてしまえば、ニーナは考えを改めざるを得ない。


「私なら……そうね。頑固な親をガツンと説得させるくらいの気量のある男の人がいいわ」


 ――確かに、それはそうだわ。


 特に、ニーナにとっては他人事ではなかった。その相手のお姫様が知っている方なのかはわからないが、立場で考えれば自分と一緒で。皇女であるからには両親の意にそぐわない相手を好きになったときに同じような状況になる事だってあるだろう。


「愛って、難しいわ」


 うんうんと頭を悩ませ、未来の自分を思い描いてみるが。互いに恋愛経験の乏しいお嬢さん二人には答えが出なかった。



「それじゃあ、仮面舞踏会当日に迎えに来るわね」


 すっかり歩き疲れていた皇女たちは街中を巡回している馬車へ乗り込み帰路についた。乗り込んだ場所から近かった宮廷で先に降りたニーナへ声をかける。


「ええ。今日は楽しかったわ、リサ。また舞踏会で」


 シュラグの裾フリルを抑え手を振ると、彼女を乗せた馬車が見えなくなるまで門の前に立っていた。

 たった数時間だが、久々に再会を果たせたことですっかり気分の良くなったニーナは、門番に見られようがお構いなしに弾みながら宮廷内へ入っていくのだった。



 ◻︎◻︎◻︎



 夜のとばりが下り、待ちに待った舞踏会がはじまる。

 すでにドレスとお揃いのサファイアカラーの仮面を装着したリサに手招かれるように迎えの馬車へ乗り込んだ皇女は、大輪を咲かせる向日葵ひまわりのような華やかなドレスに身を包んでいた。小粒のピンクダイアモンドをあしらったマスカレードマスクは装着に慣れず、いまだ膝の上に乗せている。


「そろそろよ、仮面をつけないと会場に入れてもらえないわ」


 促されるままに半顔を隠してしまうそれを身につけた。これで、誰も彼女が“ニーナ皇女”だとはわからない……というわけではないようだった。

 馬車が指定の場所へ到着すると、他の参加者とは違い主催者である公爵夫人が二人を出迎えたのだ。

 妙齢の夫人はシックな色合いに身を包み、いかにも大人の女性を嗅ぐわせている。美しさに呆けているリサを横目に正体がバレているのでは仕方ないと、皇女は差し出されたシルクの手を取った。


「ようこそおいで下さいました。本舞踏会は家名の関係のない、独身子息や令嬢のための仮面舞踏会。貴女様も殿方と素敵な夜をお楽しみ下さいね」

「公爵夫人、お招き感謝いたします。……いつ、“わたし”であると?」

「皇帝陛下からはくれぐれも変な虫を会場に入れないように、と申しつけられましてね」


 勿論、警護の関係もあるので両親に黙ってこういった場所へ来ることはないのだが。仮面舞踏会だというのに、変に気を使わせたのではないかと眉尻を下げてしまう。

 すると夫人は、妖艶に微笑みながらやや俯いた皇女の耳に唇を寄せた。


「大丈夫、ご安心なさって? 今夜お越しの皆様は良家の方達ばかり。きっと、陛下のお眼鏡に叶う殿方もいらっしゃいますわ」

「こ、公爵夫人」

「オホホ、では私は失礼を……っと、そうでしたわ」


 一度離れた彼女が再びニーナの耳元に、それはそれは小さな声で囁かれる。


濡羽色ぬればいろの殿方にはお気をつけ遊ばせ」


 丁寧な忠告をいただいた後、夫人はマーメイドラインのドレスを翻し大広間へとヒール音を響かせ去っていった。

 耳打ちが気になるようだった友人には内容は伝えなかった。別に話しても問題はないだろうが……なんとなく、秘密にしておくのが最善だとこの時は思っていたのだ。


 リサと離れ会場入りすると、一気に周囲が騒めく。それもそうだろう。一年近く社交場に姿を現さなかった“あの”皇女がその場にいたのだから。仮面をつけているからと言って彼女の素性を隠せるものでもなく。溢れ出る気品や柔らかな物腰、そして豊かな体躯はまさしくエイリッヒ帝国の愛されし皇女で間違いないと、開場したばかりで散らばっていた紳士たちは、挙ってニーナの元へ跪いた。どこかの貴族の令嬢たちも、その愛らしい姿を一目見ようと集まりはじめてしまう始末。


 ――これでは仮面をつけた意味がないわ。皇女であると知れ渡ってしまった以上、ここにはいられないかもしれない。


 せっかく匿名で参加できる社交場を提供してくださっている公爵夫人にも迷惑がかかってしまうと考えた彼女は、克明に挨拶を終えると、そそくさと会場の端へ移動する。立派な調度品の物陰に隠れた皇女は、ここなら周囲にも迷惑をかけなくて済むと胸を撫で下ろすが、当然ながら肉付きの良い身体は馬のモニュメントからはみ出ていて。

 それを見た貴族たちは「お忍びで来られているのだ」と即座に理解した。


 身分がバレてしまうと、また先程のようにみんなの邪魔をしかねない。ニーナは若干寂しさを募らせながらも、楽しそうにする友人の姿を捉えていた。


「おい」


 突然、顔を覗いてきた背の高い男性に声をかけられる。驚いて持っていたグラスを落としそうになると、すかさず横を通った給仕が受け止めた。


「ごゆるりと」


 ――えっ、た、助けてはくれないのですか!


 濡鴉色の肩まで伸ばした髪が揺れ、困惑している皇女に寄り近づこうと腰を屈めた。


「なんだ。お前のその体型からだは」


 ――……ああ、またあの時のように罵られてしまうのでしょうか。


 ふと、他国の貴族子息に言われた言葉が蘇ってくる。仮面で表情こそ読めないが、睨んだような鋭く蒼光りした眼孔が怖い。ニーナはなんとかして行方を阻んでくる男性を出し抜こうとするが、体格の差もありなかなか思うようにいかなかった。

 威圧感のある背丈の美丈夫はニーナを壁際に追いやっていく。逃げても逃げても追いかけてくる男に涙目になりながらも皇女として取り乱さず冷静に対処しようと心掛ける。が、体躯を覆われるように壁に手をつかれれば男性免疫のない彼女の仮面の下は真っ赤に色付いていく。


 ――これがあって良かった。とはいえ、この状況はどうすれば……?


 すると、唐突に黒曜石のあしらわれた仮面を取り去った男の顔が顕にされる。

 髪色を見たその時から、おそらく“あの人”なのだろうとは推測していたが、実際に目の前にしてしまうとどうして良いやらわからない。

 困惑しながら打開策を思案するニーナに、仮面をつけていても漂う“冷徹な気配”のする例の男は、壁についた腕とは反対側の指先で彼女の丸い顎をすくった。


「……そそられる」

「はい?」

「ああ、今すぐにでもお前を連れ去りたい」


 汗が吹き出すほど脈拍が激しくなる。密着した場所から湿り気が伝わらないか不安になっていると、二人の艶やかな様子を察した貴族たちが騒ぎ立てはじめた。


「ねえ、アレって……王太子じゃない?!」

「王太子って、イヴェルムルの? 公爵夫人に呼ばれていたって本当だったのね」

「冷酷無比だって噂だけれど、あの御尊顔おかおになら冷たくされても構わないわぁ!」

「……ご一緒におられるのって、あれよね、ニーナ皇女。もしかしてこの舞踏会って“因縁のある国のお子として生まれた二人への逢引き”のためのカモフラージュだったの?」


 ――そんな、滅相もないっ!


 あられもない噂が次々へと出来上がっていきそうで、恐怖から男の身の陰に隠れようと身体縮こませてしまう。

 その様子に何故か生唾を飲み込んだ王太子は自分と同じくらい体重のありそうな皇女を軽々と持ち上げると、会場から足早に抜けていく。


 ――これじゃあ、ますます誤解が生まれてしまう!


 しかし身体を持ち上げられている不安定さから、容易に暴れることもできない。彼に何かあっては色々な意味で国際問題に発展しかねないのだから。

 どうすれば、と思い悩んでいると、視界の隅に舞踏会への招待状をくれたリサの姿を発見する。


「あ……あの、リ……!」


 これは“仮面”舞踏会。名前を呼ぶことは憚れた。

 苦しくも口を閉じた皇女は、高揚した表情を一切見せない冷徹なはずの男に声をかける。


「王太子殿下、降ろしてくださいませ。わ、わたしは自分で歩けますから」

「結構だ」

「け……? え?」

「俺が運びたい。少しでもお前に触れていたいんだ、やっと出会えたのだから。……俺の天使に」


 ニーナは恋がしたかった。友人たちの話す、甘くも苦い、恋を。

 決して、くさい台詞が言われたかったわけではない。

 誰もが羨む美貌を持っているからこそ聞ける内容だったのは間違いないだろう。見た目で判断するのは嫌いだが、この場合は仕方ないと思いたい。

 皇女は聞く気のなさそうな男に早々に見切りをつけ、出来るだけ重みを感じさせないように気を配りながらではあるが悠々と歩く王太子に身を委ねた。



「あ、あの」


 光沢のある良く磨きあげられた革靴を鳴らし、男はどこかへ向かおうとしていた。

 戸惑うニーナの言葉には答えず、ただひたすらに大広間から邸門へと続く回廊を歩いていく。横抱きに抱えられた状態では下手に身動き戻れず、黙って彼の素顔を見つめていると“無慈悲”と有名な噂を持つ王太子からは想像できなかった赤ら顔になっていた。


「お顔が赤いようですけれど……だ、大丈夫、ですか」


 舞踏会の会場は、たしかに少々熱気が籠っていた。それに当てられてしまったのかと心配する皇女に対し、彼はますます美麗な造顔を染めていく。

 それ以降沈黙が破られることはなく、公爵夫人の用意した邸の外へ出ると待機していた馬車へ乗せられそうになった。


 ――それはさすがに、どうかと思いますっ!!


 落とされてしまうのを恐れ静かに抵抗すると視線を向けた男がやさしく口角を上げた。

 意味がわからず、困惑の表情で見つめる彼女をゆっくりと地面へ降ろした王太子は“やましい気持ちは無い”ことを証明するかのように、大きな両掌を掲げる。


「そんな淫らな姿、俺以外の男共に見せるわけにはいかない。安心してくれ。馬車の中で触れたりはしないと約束しよう」

「……どちらへ、行かれるおつもりですか?」

「宮廷だが」


 彼は皇女を他人の目に見せたくないあまり、自宅へ帰そうとしていたらしい。


 ――そうならそうと、はじめに仰られたら良いのに。


 言葉足らずの優しさを、少しだけだけ可愛い人だと感じてしまったニーナは、彼の真摯な言葉を信用し馬車に乗り込んだ。

 次に乗り込んだ王太子が天鵞絨の座面に腰を下ろすと、手綱を打たれ馬が歩き出す。石畳を蹄の蹴る音だけが、静かなエイリッヒの帝都に響いた。

 しばらく揺られたところで。皇女は先程気になった彼の言葉の意味を問いかける。


「王太子様、その……たいへん伺い難いのですが」

「ん?」

「……わたしが淫ら、だと申されたのはどういう意味なのでしょう。もしやドレスの露出が多いから、とか」


 初めて口にする単語を恥ずかしげに告げるニーナとは反対に、至って真面目な面持ちで彼は答えた。


「ドレスは素敵だ、特に太陽のように明るい色味がお前の赤みのある白い肌に似合っている。淫らなのはその身体だ。自覚がないのか?」


 ――ない、です。全くと言っていいくらいに。


「困ったな」

「何を、お困りに?」

「一から己にどれだけの魅力があるのかを教えなければならない」

「……?」

「まず第一に、その肩甲骨の見えないふっくらとした背中。そんなものを曝け出していては手を突っ込みたくなる」

「……はい?」

「第二。胸元の開かれたドレスでない事は良いことだが、その下が問題だ。クビレを強調する形は良くないな。ぷりっとした尻が熟した桃のように見えて噛み付きたくなる」

「ええっと……王太子、殿下?」

「最後が最も恐ろしいぞ」


 発言自体は極めて変態らしからぬものなのだが、神妙に己の癖を語る男を前“恐ろしい”という第三の問題点を聞き取るべく皇女も身体を前のめりになる。

 突如、音を立てて突然停止した馬車の勢いで体勢が崩れた。天鵞絨の座面から半身が浮き、あろうことか彼の胸の中へ収まってしまう。それとほぼ同時に。やや待ち望んでいた話の続きは王太子の喉元を通ることなく飲み込まれてしまった。


「きゃっ! す、すみません」

「………………いや。大丈夫だ、そちらこそ身体を痛めてはいないだろうな」


 変な間があったのは指摘しないでおこう。

 皇女は宮廷へ着いたことを確認すると押し潰すようにもたれかかっていた体躯を整える。

 改めてぶつかってしまったことへの謝罪と、受けて止めてくれた謝辞を述べたニーナは馭者が扉を開けたことに意識が向く。段差を気遣うように先に降りた男の差し伸べた手を取った。

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