心境の変化①


日が昇る頃合い。

既に女中たちは屋敷内で家事を行っていた。

が、誰にも見つからずに、屍河狗威は客人用の部屋へと戻って来る。

音を立てずに襖を閉ざして一息吐くと、電気を点けた。


「うおッ」


そして。

部屋の中には、阿散花天吏の姿があった。

その姿を見て、彼は思わず驚いた。

寝ていない為に、脳が疲れている。

だから、気が付かなかったらしい。


「随分と、遅かったのですね」


彼女はそう言って屍河狗威を見た。

彼は心臓の高鳴りを胸元に手を置いて抑える。


「ん、だよ…居たのか」


確か。

彼女の為に部屋を用意してあった筈だろう。

けれど、阿散花天吏は屍河狗威の部屋に居る。

つまりは、何か用でもあるのかと思った。


「なんか、話でもあるのか?」


屍河狗威が聞くと、彼女は首を左右に振る。


「いいえ、別に」


目を細めた。

寝ていないのだろう。

目元に隈が出来ていた。

彼女の姿を見て、様子がおかしいと思った。


「そうか、じゃあ、俺は寝るからよ」


そう言い、彼女の隣に敷かれた布団に潜る。

目を閉ざして眠ろうとした。

しかし、耳元から、体温を感じた。

微かに、生暖かい吐息と、蜂蜜の様に甘い匂いが薫って来る。

目を開く屍河狗威。

気配のする方へ視線を向けると、阿散花天吏が目と鼻の先に居た。


「うおッ」


一体、何の用であるのか。

屍河狗威は彼女の顔を見て驚きながら思った。


「石鹸の匂いがしますね」


そう言われた。

屍河狗威は、彼女の言葉に圧を感じた。

言葉を素直に答える気が削がれる。


「あ、あぁ…熱かったからな、今日は少しだけな、だから起きて、長風呂を…」


そう言い掛けた。

遮る声が、彼女の口から出た。


「ずっと、部屋に居ましたよ、私は」


ずっと、屍河狗威を待っていたのだ。

だから、屍河狗威が、部屋に居ない事を知っている。


「話を逸らしたのは、やましい事でもあるからですか?」


屍河狗威は押し黙る。

彼女に何か言っても、そのまま言い返されそうな気がした。

だが、あくまでも。

屍河狗威は、彼女の命を握る、謂わばご主人の様な存在。

阿散花天吏は、命の手綱を屍河狗威に預けた犬の様なものだ。


「う…うるせぇな、いいだろ、別に」


「他の女の所で、楽しくしていたのですよね」


一発で言い当てられた。

いや、女遊びの激しい屍河狗威。

彼が朝帰りをして、石鹸の匂いを醸す以上は、そういう事だろう。


「…なんだよ、悪いかよ」


不機嫌になりながら屍河狗威は言う。


「…いえ、悪いとは言ってません」


ならば、口を出すなと屍河狗威は言いたかった。

だが、それを言う前に、彼女の方が先に口を開いた。


「最近は、抱いてくれないのですね」


これまで阿散花天吏は、彼に抱かれる準備をしていたが。

その悉くが不発で、不満を抱いている様に思えた。

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