紡ぐ糸


 

仮染貂豹と屍河狗威が出会う前。

それは、彼が大蚤嶽岳の手によって死んだ所から始まる。


「ふん、最後の最後で妹に触れたか…忌々しい」


大蚤嶽岳は、彼の手が仮染雹嘩に触れていると、まるで最後には仮染貂豹が救われた様な気がして気分が悪かった。

即座に、彼の手を蹴り払うと、余興が終わった事に関して舌打ちをした。


「まあ良い、新しい女は他にも居る」


所詮、仮染雹嘩等、複数居る内の女の一人に過ぎない。

既に己の手によって破瓜を遂げ、興味が失せた。

他にも、未貫通の女が居ないかを探す。

既に、非処女である者が多いが、であればまた別の家系を陥れれば良い。


「(次は…嶺妃家と言ったか?そこを狙ってみるか)」


これから先も悪行は続く。

そしてその罰を受ける事は無いと、そう思っていた矢先。


「大変です」


奴隷の一人が声を荒げた。

その声に鬱陶しく思いながら耳を傾ける。


「土塊紅家に、侵入者…一人は創痍修略摩、そして、もう一人は、屍河、狗威ですッ」


「なに」「屍河、だと?」「独断での行動か!?」「不味い、不味いぞッ!」


土塊紅家は途端に慌てた。

屍河狗威は時空術理を扱う、と言う情報を事前に聞いている。

故に、屍河狗威の前では、土塊紅家は手も足も出せないと察していた。


「えぇい、狼狽えるな、所詮は二人だけだッ、傀儡にせずとも、術師を使い責め続ければ、何れ流力が枯渇し弱体化する、屍河狗威は功を急いだ、でなければ、表向きはを襲う理由など無いッ!!」


彼らは屍河狗威は大義名分の助太刀として活動している事を知らない。

屍河狗威は複数の家系を単独で潰したと言う話を聞いている。

そこから、より高い地位へと至る為に、単独行動に出たのだと、大蚤嶽岳は思った。


「善良である我らを一方的に攻撃すれば、大義名分を以て攻め滅ぼす口実が出来る、そうしない為に、今回の戦闘で確実に我らを潰す算段だろうが…術師の実力を理解していないらしいッ…今回の襲撃を以て失敗すれば、迷惑を被るのは奴を匿う術家だ、故に、奴は今回の襲撃は死んでも成功させなければならないと考えているッ!ならば我々は、術師を使い、奴を限界まで追い込めば良い!!時空術理など、恐るるに足りんわ!!」


大蚤嶽岳の高説に、次第に周囲の土塊紅家の家臣たちは賛同した。


「そ、そうだ」「奴隷共を使わせろッ!」「俺は双子を差し出してやるッ!」「奴も人間、何れ限界があるッ!」「やるぞッ!」「殺してやれェ!!」


士気が高まる。

土塊紅家は屍河狗威を迎撃する準備をするべく屋敷へと戻る。

大蚤嶽岳も、同じ様に屋敷の中へと戻ろうとした時。


ふと、背後から大量の流力の気配を感じった。


「なんだッ、なに…がッ!?」


そして、振り向き。

ばらばら死体が、動き始めていた。



「何処だよ、ここ」


気が付けば。

仮染貂豹は暗闇の中に居た。

周囲を見回しても何も無い場所。

其処に一人、取り残された。


「俺…確か…あ?」


そして、生前の記憶を思い出す。

大蚤嶽岳によって肉体を複数に分断された。

妹に触れる前に、死に果ててしまった。


「俺…俺はッ、クソッ、雹嘩ッ!!」


仮染貂豹は叫んだ。

怒りのあまりどうにかなってしまいそうだった。

自分は彼女の為に復讐を遂げる事すら出来なかった。

それが何よりも悔しかった。


「ッ、ぁッ、あッ?!」


しかし。

彼は何度も瞬きをした。

その光景が決して有り得ないと分かっていたからだ。


「…」


目の前には彼女が居た。

仮染雹嘩。

妹が、兄の前に立っている。


「う、嘘、だろ?だって、だって…死んだ筈だ、俺の目の前で…」


涙をこらえて声をかすらせながら仮染雹嘩を見つめる。

ありとあらゆる可能性を考える。


「偽物か?俺の幻覚か?…同じ様に、死んで迎えに来たのか?」


仮染貂豹が自分の頭の中で鮮明に思い描いた偽物だと思った。

仮染雹嘩の懐かしい匂い。

暖かな体温。

柔らかな感触。

千年たっても一つも風化せず思い描く事ができる。

緻密で繊細な記憶が仮染雹嘩の姿を映し出したのだろう。

少なくとも仮染貂豹はそう思っていた。


「なんでも良い…これが、嘘でも、幻でも…」


たとえこれが嘘だろうと幻であろうとも彼にとってはどうでも良かった。

ただもう一度仮染雹嘩に会いたかった。

その思いが今ここに成就したのだ。


「もう一度、お前に触れたいんだ…」


涙を流しながら仮染貂豹は仮染雹嘩の元に近づいた。

自分の全てを犠牲にしてでも仮染雹嘩を助けたかった。

それができずに無念に思っていた矢先の出会いである。

兄としての尊厳をなくした状態を仮染雹嘩にさらす仮染貂豹。

その風体を見て仮染雹嘩は苦々しく笑みを浮かべていた。


「たぶん、あの世とこの世の、狭間、なんだと思う」


仮染雹嘩は空を見上げた。

見た事も無い景色だった。

世界の全てを包み込む真っ黒な暗闇である筈なのに空間全てを照らす光に包まれている。

不思議な空間に仮染雹嘩はそう言った。


「私は死んで、兄ちゃんも死んじゃって…そうして、こうやって会えたんだよ」


仮染雹嘩は自分が死んだ事を理解している。

これが仮染貂豹の妄想でなかったのだとしたら死後の世界という事なのだろう。


「…ごめんな、ごめんなッ」


彼は申し訳なさで胸がいっぱいだった。

自分の不甲斐なさ。

仮染雹嘩に何もできなかったという自責の念。

結局のところ自分は何も果たせなかったという後悔。

それら全てが自らの身に降りかかっている。


「俺は、自分が嫌って程に分かってんだ…何も成せ無い、中途半端な、ろくでも無い人間だ」


自分のために動き、友すらも裏切って逃げ延びた。

妹に対する仕打ちに憤りを覚え復讐を使ったが後の祭り。

何もできずに死んでしまった。


「昔言った事を今でも覚えてる、俺がお前を幸せにするって言ったのに」


幼少期の頃の約束。

自分がまだ何でもできると思っていた頃。

ただ一人肉親である仮染雹嘩だけは守ろうと思っていた。

しかしその約束を果たす事はできなかった。


「結局お前を、不幸にしちまった、俺が悪いんだ」


もしも自分に力があれば仮染雹嘩を守れただろう。

仮染雹嘩の純潔を守れただろう。


「俺は結局、お前の為に何もしてやれなかった」


後悔の言葉を何度も口にする仮染貂豹。

この先彼は何度も自分を責め続けるだろう。

それほどまでに仮染貂豹が失ったものは大きいものだった。

泣き崩れる自らの兄を見て仮染雹嘩は首を左右に振った。

何もできなかった筈が無い。

何もなせなかった訳が無い。

仮染雹嘩はそれを知っている。

小さい頃からずっと知っていた。


「…それでも、兄ちゃんは、私の為にしてくれた」


なぜならば妹筈っと仮染貂豹を見ていたからだ。


「土塊紅家に家を乗っ取られて、家財も術師の尊厳を奪われても」


どれほど醜い真似をしても。

どれほど奴隷として扱われていても。

仮染貂豹は兄として仮染雹嘩のために全力を尽くした。


「私の為に頭を下げてお願いしてくれた」


妹のためならばどんな事もできる兄を仮染雹嘩は敬愛し異性として愛していた。


「…兄ちゃんは何も守れなかったんじゃ無いよ、あれは…私が、兄ちゃんを守りたかったから」


それは決して慰めの言葉ではなかった。

仮染雹嘩が襲われたあの日。

門番をしていた時に男から聞かされた事。


「屍河狗威と戦い、戻って来たのなら…その時は情報云々抜きにして、土塊紅家が関与している事を消す為に殺そうとした」


そうされたくなければ抱かせろと脅迫された。

仮染雹嘩は兄を守るためならば自らの体を捧げる事に戸惑いはなかった。


「だから、私が…兄ちゃんの為に捧げたの」


だから仮染貂豹は何も守れなかったのでは無い。

仮染雹嘩が自分で行った事だ。

それでも自責の念は途絶える事は無い。


「猶更…俺が、悪いじゃねぇか…俺は、お前を…」


結果的に見れば仮染貂豹は仮染雹嘩を守る事ができなかったのだから。

悔しくて仕方が無い兄は泣き続けている。

妹はそんな仮染貂豹を見てゆっくりと彼の手を掴んだ。

指先を広げさせて小指を自分の小指と絡める。


「…私達は血の繋がりがあって、運命の赤い糸で結ばれている」


小さい頃からの約束。

それは愛する者への将来を使うかのように。

仮染雹嘩は約束をした。

兄が自分を守ってくれるのならば。

妹もずっと兄を守り続けると。


「きっと、他の誰よりも、強くて濃くて、混ざり合っている」


そしてそれは死んだ後でも呪いとなって続いていく。


「だから、私が穢れても…兄ちゃんの為なら怖くもなんとも無い」


兄が妹を思うように妹も兄を思っている。

それはもはや一心同体。

元々一つだったものが二つに分けられたようなものだった。


「だって、きっと私と兄ちゃんは、一つになる為に生まれて来たから」


仮染雹嘩の考えには妙に納得するものがあった。

しかし現時点、この現状では意味を成さない。


「それでも…ッ、死んじまったら、意味が無いだろうが」


二人はすでに死んでいる。

それがこの現状のどうしようも無い事実だった。

しかし仮染雹嘩は仮染貂豹の言葉を聞いて首を左右に振った。


「意味ならあるよ、最後の最後で、兄ちゃんが私に触れてくれたから」


死の間際。

妹のために手を伸ばした。

首を刺して死んでしまった仮染雹嘩の体に仮染貂豹は触れていたのだ。

それが兄弟がこうして会話ができる理由なのだろう。


「私の最後を、兄ちゃんに託せるから」


仮染雹嘩の言葉に仮染貂豹は何を言ってるのかわからなかった。

次第に肉体が消えていく仮染雹嘩。

光の粒子となっていく仮染雹嘩を見てこれでお別れなのだと仮染貂豹は思った。


「死んでも幸せだよ、兄ちゃん…私は、仮染貂豹の妹に生まれて幸せだった」


涙を流して顔をぐちゃぐちゃにして仮染貂豹はそれでも仮染雹嘩を求め続ける。


「…もっと、話をしよう、どんな話でも良い、まだ…お前を喪いたく無い…」


仮染雹嘩のい無い世界など考えられ無い。

自分だけが戻るなんて嫌だった。

それでも非情な事に、彼の願いは叶わない。


「どこに行っても…大丈夫、私と兄ちゃんは、いつまでも一緒だから…」


そして。

仮染貂豹は目を覚ました。

暖かな夢を彼方に置き去り。

地獄のような現実へと戻ってきた。



大蚤嶽岳は見た。

仮染雹嘩の体内に残っていた流力が伝導し、大量の流力が仮染貂豹の切り刻まれた肉体に移っていく様を。

その後、仮染貂豹の切断面から、複数の糸が伸び出して、同じ様に切断された肉体を通過していき、糸が部位と部位を繋ぎ合わせていく。

繋がった切断された部位は、別の糸によって縫い合わされて、ツギハギを刻みながら、肉体が連結していく。


そして、全ての部位が縫合された末に、仮染貂豹はゆっくりと立ち上がる。


「ぁ…がはッ…はッ」


涙を流しながら、ツギハギだらけの顔と身体で、彼は自分の掌を見詰める。

紡がれた糸、ツギハギの体を繋ぎ止めるのは、仮染雹嘩の流力で作られた糸だった。


「(雹嘩、お前は、俺の中に居るんだな…こんな、俺の為に、傍にいてくれるんだな)」


心中、彼女の事を思う。

彼の体には、彼女の愛で結ばれていた。

もう二度と、彼女には会えないが。

仮染貂豹は、彼女の心によって結ばれている。


「貴様ァッ、まだ生きていたのか、気味の悪い術理を使いおって…今度は生き返れぬ様に、百の部位に切り刻んでくれるわッ!!」


大蚤嶽岳はそう叫び、仮染貂豹の元へと走り出す。

仮染貂豹は、そんな大蚤嶽岳など気にも留めない。


「(約束はもう果たせない、だけど…お前が悲しんだ、その全ての要因を、俺は取り除く、俺は、お前の為に、拳を振るい続ける)」


仮染貂豹の生き様は、これからも、仮染雹嘩の為にある。

彼女が与えてくれた命、仮染貂豹はそれを守る為に、危機的状況に相対する。


「死ねェェ!!」


叫び、接近する大蚤嶽岳。

仮染貂豹に触れようとする手を、彼は刀を構えた。


「(俺が割断した刀で何が出来るッ!)」


十分割に破壊された刀。

しかし、仮染貂豹はそれを振るった。

刀の切っ先が、大蚤嶽岳の首を、後ろから突き刺した。


「がッ、ぁッ!?」


何故。

後ろから刃が迫って来たのか。

大蚤嶽岳は分からなかった。

仮染貂豹は、彼女から託された恩恵は二つ。

一つは蘇生。

彼女の縫合術理により、肉体を縫われた状態で蘇生した。


そしてもう一つが、武器だった。

本来何の変哲も無い刀だが。

彼女の糸印の流力が浸透し、流力を流し込むと、糸印を発生させる武器と化したのだ。


これにより、刀の切断面を繋ぎ合わせる糸が生える様になり…一種の蛇腹剣の様に、自在に刀を動かして攻撃、奇襲を可能とした。


「金印の割断術理、流力を電気の放出状態で肉体に流す事で、割断術理を発生させるんだろ?…人位の肉体なら、錬りが無くても切断出来るだろうが…刀程の武器は、錬りをしなきゃ破壊する事は出来ない…尤も」


割断した所で、糸印の流力で紡ぐが故に問題は無い。

首を刺されて呼吸が出来なくなる大蚤嶽岳は、ある意味、妹に対する意趣返しでもあった。


「雹嘩と同じだな、だが…俺は、それだけじゃ終わらせねぇ」


刀を振るう。

蛇腹の刃を鞭の様に振るい、大蚤嶽岳をなます切りにしていく。


「がヴォっ、がッ、はァッ、ああああッ!!」


何度も何度も激痛を覚え、そして苦痛の表情を浮かべた状態で大蚤嶽岳は、苦しみ抜いた果てに絶命を果たす。

刀を鞘に納めて、一つ、復讐を果たした仮染貂豹は、呆然と見ていた土塊紅家の家臣たちに視線を向ける。


「復讐はこれで果たした…けどな、もう、中途半端は止めるって、決めたんだ」


やるなら徹底的に。

仮染貂豹は刀を引き抜き、蛇腹の刃を展開させる。

土塊紅家の悲鳴が響き、多くの術師を殺害して、仮染貂豹は漸く、屍河狗威と邂逅した。




鞘を掴む仮染貂豹は、屍河狗威を見ていた。

その視線は屍河狗威にとっては敵意の様なもので、静かに流力を放出する。


「ここにあんたが居るって事は…土塊紅家の根絶か?」


仮染貂豹はその様に屍河狗威に聞いた。

絶対に質問に答えなければならない、と言う状況では無い。

このまま、問答を無視して攻撃しても良いのだが。


「だったらどうする?」


屍河狗威はその様に聞き返した。

彼の傲岸不遜な佇まいに、仮染貂豹はゆっくりと構えを解いた。


「…あんたとやり合っても仕方がねぇ」


そう呟く。

屍河狗威は敵意を抱いたまま、攻撃の態勢に移れる様にしている。


「俺も同じだ、中途半端な真似はしねぇ…土塊紅家は確実に滅ぼす」


仮染貂豹は自らの目的を口にした。

憎しみと怒りを抱いたまま、復讐の延長線を歩き続けている。


「この俺が、土塊紅佰怜を切り刻んで殺してやる」


その殺意は、土塊紅家に対するものであると察して、屍河狗威は納得した。


「…いいぜ、今回の俺は助太刀だからよ、特に土塊紅家に因縁があるワケでもねぇし…」


屍河狗威は、一つ、提案をする。


「早い者勝ちでどうだ?」


どちらが早く、土塊紅佰怜を見つけるかどうか。

見つけた方が先に斃しても良い、と言う事だ。

その提案に、仮染貂豹は乗り気だった。


「あんたよりも早く、見つけりゃそれで良いだけの話だろ?」


土塊紅家の屋敷図は頭の中に入っている。

頭首が何処に居るのか、速く見つけられる自信があった。


「なら、俺が早い」


決まりだった。

話が纏まる二人。

大広間での会話を聞きつけたのか。

廊下の奥から走って来る者の声が聞こえて来る。

土塊紅家の家臣と、その奴隷の術師たちだった。


「居たぞ、屍河狗威」「それと…仮染貂豹も居るッ!!」「囲め、両方、やってしまえッ!!」


簡単に言って退ける土塊紅家の家臣。

今回は、戦闘に備えて選りすぐった奴隷の術師を呼び寄せたらしい。


「取り敢えずは…」


仮染貂豹が刀に流力を流し込んで引き抜いた。

屍河狗威は、指を鳴らしながら全身から流力を垂れ流す。


「こいつら、片付けてから、だな」


そうして、二人は走り出す。

目の前の障壁など、壊してしまえと言いたげに。

全力で、敵と衝突した。







一方、その頃。

土塊紅家は家臣が棲む屋敷と。

当主が棲む大屋敷がある。


家臣が棲む屋敷は、女の調教部屋を兼ねた宿泊場だ。

土塊紅家当主が棲む大屋敷には、厳重な警備を兼ねている。


土塊紅佰怜が選んだ精鋭部隊が護衛を務めていた。

創痍修略摩は、此処に土塊紅佰怜が居ると思い、大屋敷へと足を踏み入れていた。

屋敷はコの字の建物であり、門を潜ると、石畳で出来た庭が広がっている。


そこに足を踏み入れて。創痍修略摩は、土塊紅佰怜を見た。

同時。


「かあ、さんッ」


創痍修略摩の母親。

創痍修緋奈燐ひなりの姿があった。




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