仮初の刃





仮染貂豹。

彼の精神は最早限界であり、目指すべき場所とは中立の領土である。

小国を管理する政府が制定した術師の為の協会であり、彼らの目が黒い内は術師と言う存在の情報漏洩を防いでいる。

それでも、民間人を利用する術師は数多く存在するが、個別依頼(多額の賄賂)をする事で術師側の法に触れぬ様に見逃される。


ただ、街中を歩くだけならば術師として問題は無い。

しかし、街中にも、術師を監視する者が多い。

民間人が術師に金を得て、術師の動向を確認する者。

あるいは、術師そのものが監視をしている場合もある。


本来ならば、他家の領域に入らぬ様に注意を払うのだが。

仮染貂豹は自暴自棄になっていた。


「…」


通り道など考えず。

最優先とされる目的の為に歩く。

何も考えず、楽な道を選んでいた。

そんな彼が他の術師に目を付けられないのは。

やはり、その精神性が表立って見えるからだろう。

自殺者と同じ雰囲気を漂わせている者に、態々、絡んでいく事も無かったのだ。


「(申請すれば、それで、俺は術師じゃ、なくなる)」


中立の領土。

術師協会の建物の前に立つ仮染貂豹。

ようやく彼が望んだものが手に入る。

いや、彼が望んだものから手が離れる。

土塊紅家からの脱退。

傀儡として奴隷として扱われた人生から抜け出せる。

術師協会に入り、脱退申請させすれば、人間として生きられるのだ。


「(そうなりゃ、もう、こんな地獄からは、おさらばだ)」


新しい人生を考える。

彼の肉体に宿る術理と流力を宿す臓器は売れる。

少なくとも、人間として生活して当面の金銭面は心配しなくても良い程に。

この地から離れた後は、何処か部屋でも借りて、人間らしい生活を行おうと、ここに来る前はそう思っていた。


「(だ、ってのに…)」


直前。

彼は、術師協会へ足を踏み込む前に。

脳内で流れる、妹との会話を想い出す。


『逃げよう』


風呂場。

身を穢された妹を前に彼は言った。

彼女は何も言わずに身を浄めている。

恐らく、彼は彼女の為に必死に説得した。

どれ程、身が穢れても、自暴自棄になる事は無い。

そう、都合の良い甘い言葉だけを投げかけた。


『お兄ちゃんだけ、逃げてくれたら、いいよ』


けれど彼女は、土塊紅家から逃げる事を拒んだ。

いや…逃げた所で、もう彼女には人並みの幸せは得られないのだ。


『私は、もう、無理だぁ…だって』


風呂場から出る。

湯気と共に妹の裸体を見る。

彼女の肉体を視て、仮染貂豹は絶句した。


『気に入られちゃったから…みて』


彼女の体。

下腹部には、彼女の初夜を奪った男の名が刻まれている。

体が濡れたままの彼女は、涙を流していた。


『名前、挿れて貰ったから、もう、絶対に逃げられない』


決して消える事の無い、お気に入りとしての刺青。

それを刻まれた以上、彼女は人としてでは無く、玩具としての生き方を定められた。


『だから、兄ちゃんだけ』


自分はもう無理だが。

仮染貂豹だけは、まだ、人に戻れるから。


『幸せになって』


彼女の言葉を聞いた後。

呆然として明け暮れ、気が付けば術師協会まで来ていた。

彼女の言葉を噛み締める仮染貂豹。

何度も何度も、自分の為に生きる選択を選ぼうとした。


「(俺だけ、幸せに…)」


だが、この男は半端者だ。

一度はその選択を選ぼうと散々焦らした挙句。


「俺だけ、俺だけが…」


踵を返して、歯を食いしばる。

半端者はようやく、その選択を否定した。


「尻尾巻いて、逃げられるか…ッ」


今更遅い選択だ。

それでもこの男は、覚悟を決めてしまった。

戻れば、最悪の道しか残されていないと言うのに。



仮染貂豹に迷いは無かった。

大切な妹を犯された。

この恨みは解消される事は無い。

始めから、この選択を選ばなかった事を後悔した。


「出て来い…出て来いッ!!大蚤嶽岳っ!!」


彼は叫ぶ。

土塊紅家に懐柔され、己の宗家を裏切った大蚤嶽岳の名を口にする。

その声によって現れるのは、土塊紅家の家臣達だった。

しかし、その顔ぶれに、大蚤嶽岳の姿は無い。


「なんだ?お前」「刀を持ってるぞ?」「謀反か」「馬鹿な男だ」


口々に揃えて彼らは仮染貂豹を罵倒する。

彼らは、土塊紅佰怜の加護を受けている。

手を仮染貂豹へ向ける。


傀儡術理は対象の肉体に植え付けられた命令針を遵守しなければならない。

傀儡術理で使役される者は絶対服従と言う命令を与えられており、傀儡術理の加護を得た家臣たちの前に、奴隷達は服従しなければならなかった。


「自死しろ」


仮染貂豹に与えられた命令。

だが、彼はその命令を受け付けず、刀を引き抜いて家臣達に切り掛かった。


「馬鹿な、命令針は突き刺さっている筈だろうがッ!」

「何故、命令を聞かないッ!?」


困惑している彼らに、仮染貂豹は自らの首に違和感を覚えていた。

肉体はその命令を遵守しようとしている、だが、意識、思考する脳に傀儡術理の効力は及ばない。

彼の肉体、その全身には縫合術理の糸印によって肉体に糸が張り巡らされていた。

糸を脳で操る事で、肉体に掛かる命令の動きを抑制し、糸を使って自分の体を動かしているのだ。


自分自身を、糸で操られる操り人形の様に操作している。

仮染貂豹によって腕を切断されるもの、袈裟切りにされるもの、腹部を貫かれるもの、と、多数の怪我人が生まれる。


「ひぃい!!」「くそっ、謀反だっ!!」「者共、出会えい!!」


叫ぶ、命令を発令。

先程まで、土塊紅家の家臣を悦ばせる為に奉仕していた奴隷の娘達が出て来る。


「ッくそっ!!」


叫び、仮染貂豹は屋根に向けて縫合術理を使役し、指先から糸を射出して縫い付けると、糸を使い、ワイヤーアクションの様に動かした。

屋根へと移動すると、そのまま走って逃走する。

彼も、彼女達も、土塊紅家の被害者だ。

彼女達に手を掛ける事は、彼には出来なかった。


「仮染貂豹めッ!!」「逃げたぞッ!あの男ッ!!」「許さん、この儂に、傷をッ!!」


土塊紅家の家臣たちは憤りを見せる。

その内の一人が、怒りを鎮める様に笑みを浮かべた。


「待て、面白い事を考えたぞ」


と、家臣たちは耳を揃えて、その男の発案を聞いて、にたりと笑った。


「それはいい」

「仮染貂豹の妹を」

「仮染雹嘩を呼べ」




多くの土塊紅家が楽しそうに叫びながら仮染貂豹を追う。

彼の背後からは、裸のままとなった奴隷の娘達が追っていた。


「追え、追えッ!」「此方へと向かわせろッ!!」


土塊紅家の家臣達は、まるで狩りをする様に楽しみながら叫んでいる。

彼らの醜悪な姿を見ながらも、仮染貂豹は歯軋りをしながら怒りの咆哮を発した。


「何処だッ!何処だ、大蚤嶽岳ッ!!」


彼女たちと戦うワケには行かない。

一刻も早く、彼は自分の復讐相手を見つけようとしていた。

そのどっちつかずの行動が、より一層、仮染貂豹を苦しめるだけだと言うのに。


「ッごめんなさいッ!!」


声が聞こえた。

姿を隠していた術師が居たらしい。

彼女の言葉と共に姿が現れる。

咄嗟、行動をするも空しく。

彼女の攻撃が、仮染貂豹の頭部に強い衝撃を与える。


「がッ。ッ  ッ」


意識が吹き飛ぶ。

長い時間、短い時間。

それすらも分からない暗黒の背景が広がる。

意識が次第に浮上してくる様な感覚を覚えた。

それは現実に向けた意識では無い。

夢であった、遡る過去を追体験している。


『どうした?雹嘩』


妹の名前を口にする。

公園で遊んでいた子供。

その内の一人の妹が転んで泣いていた。

足や鼻から血を流して手で涙を拭う。


『兄ちゃん、血、出た』


その申告を受けた彼は頷いた。


『来い、手当て、するから…』


彼女の手に付着した血を気にせず水洗い場へと移動する。

水を流して血を洗う、衣服に水と共に血が飛び散り、シミとなる。

そんな兄を見て、妹は自分と言う存在が迷惑だと泣きそうになっていた。


『ごめんね、ごめんねぇ』


何度も何度も謝る妹に、仮染貂豹は顔を曇らせながら心配する。


『泣くなよ…痛かっただろ?』


汚れる事など気にし無い。

大切な妹が泣いている方が悲しくなる。

妹想いの兄はこの時、誰よりも妹を大切にしていた。


『兄ちゃん、手、汚れてる』


『どうって事ねぇよ、お前が無事ならそれで良い』


ごめん、と。

再び仮染雹嘩は言った。

その言葉を受けて、彼は首を左右に振って否定する。


『それよりも、ありがとうって言ってくれた方が、そっちの方が良い』


自分は謝られる為にやっているワケでは無い。

全ては彼女の笑顔が見たいからやっているだけだ。

だから、仮染貂豹は妹の謝罪の言葉が嫌いだった。

それを察した彼女は、涙を拭う。

歯の抜けた顔で満面の笑みを浮かべながら。


『…うん、分かった、兄ちゃん、あのね』


そして…。

感謝の言葉は聞けず。


「―――ごめんね」


外界から聞こえて来る生身の声。

其処で、仮染貂豹は現実世界へ戻される。



仮染貂豹は酷い頭痛を覚えながら目を覚ました。


「か、はッ…」


その先の光景を見て絶句している。

彼を取り囲む様に、土塊紅家の家臣と奴隷と化した娘達が居た。

その人の輪の中心には、仮染貂豹と、もう一人、見知った顔があった。


「おお!目覚めたぞッ!」「さあさあ殺してみろっ!貂豹ッ!!」


烏合の衆。

彼らは歓喜の声を浮かばせる。

自らの妹、仮染雹嘩が、刀を握らされていた。

自らの兄の前に立ち、まるで果し合いの様に立ち尽くしている。


「…あぁ、畜生、ッ」


趣味の悪い真似だと、仮染貂豹は周囲を憎んだ。

実の妹との殺し合いを彼らは望んでいるのだ。


人の輪の中から、中年の男性が出て来る。

すると、仮染雹嘩の胸元に手を伸ばした。


「ほうれ、どうした?さっさとしろ」


強く握り締めると、思わず彼女は声を上擦らせた。


「んっ」


妹が恥辱を味わう。

それを見て仮染貂豹は怒りと共に叫んだ。


「大蚤ィ!!テメェ、麓山さんを裏切りやがって!!」


大蚤嶽岳がくがく

大蚤麓山の弟である。

土塊紅家に寝返った男でもあった。

彼の叫びに、男は挑発する様に笑う。


「ぐわぁははッ!!あの馬鹿が死んで清々したわ!!」


実の兄を裏切った事に対して大蚤嶽岳はそのように罵った。

余程痛快であるらしい。

大蚤嶽岳は周囲を見回す。

奴隷となった娘たちは大蚤嶽岳の視線に感づくと目を背けた。

その苦痛にゆがんだ表情と恥辱を思い浮かべる脳裏。

その一挙手一投足を見て大蚤嶽岳は優越感に浸っていた。


「土塊紅家は良いぞ?この儂の為に何度も何度も喘ぐ馬鹿な女共が沢山いるッ」


大蚤嶽岳が裏切る前は余程不遇な人生を歩んでいたのだろう。

重苦しい思いつめた表情よりも今の方が輝かしい喜びの表情を浮かべていた。


「あの馬鹿を裏切るだけで、この酒池肉林が得られるのならば、何度でも裏切ってやろうッ!!」


血を分けた兄弟をこれ程までに馬鹿にする。

この大蚤嶽岳の人生にとって兄という存在は邪魔なものだったのだろう。

大蚤嶽岳の狂気乱舞の声色に反感を抱いた仮染貂豹は怒りに身をまかせて立ち上がる。


「てめぇッ!」


手に握りしめる刀を大蚤嶽岳に向けた。

その刃を向けられた事で大蚤嶽岳は即座に仮染雹嘩の首を掴んで盾とした。


「おおっと、実の妹に刃を向けるか?!可哀そうにッ、女として血を流した挙句、兄の手によって血を流される事となるとは、浮かばれぬ人生よッ!!」


さすが仮染貂豹の妹の初めてを奪った大蚤嶽岳だ。

全ての言動が兄である仮染貂豹の神経を逆撫でする。


「黙ってろッ!!今、テメェをッ!!」


お前を殺して復讐を終わらせる。

そうすれば仮染雹嘩がここに残るという選択肢はなくなる。仮染雹嘩を連れてこんな地獄から抜け出してやる。

仮染貂豹は仮染雹嘩のために躍起になった。



「さあ、やれ、殺せッ!!殺せッ!!」


大蚤嶽岳が命令を下した。

それに応じて動き出す仮染雹嘩。

どうにかして仮染雹嘩を無力化させて大蚤嶽岳を倒さなければならない。

そう考えていた矢先だった。


「に、兄ちゃん…」


仮染雹嘩がか細く呟いた。

仮染貂豹は心配させまいと優しく言い放つ。


「心配すんな、直ぐに終わらせてやる、どんなに汚れても、俺が消し飛ばす程に幸せにしてやるッ傀儡人形として、殺される前に、俺が全員、ぶっ殺して…」


仮染貂豹の言葉を最後まで言う事は無かった。

涙を流している仮染雹嘩はゆっくりと刀を自らの方へ向ける。

刃が首筋に強く押し当てられる。


「ごめんね…」


そのような言葉を残して仮染雹嘩はゆっくりと刃を引いた。

瞬間的に流れ出すのは赤く繊細な色を帯びた血だった。

あまりにも一瞬の出来事に仮染貂豹は言葉を失った。

仮染雹嘩がなぜそのような行動をしたのか理解が不能だった。

地面へと倒れる仮染雹嘩。

先程まで動いていたはずの命がたった数秒で屍へと変わっていた。

もはや動かない肉の人形と化した仮染雹嘩を見てようやく仮染貂豹は言葉をひねり出す。


「っ…あ?」


しかしそれは言葉にもならない疑問の声だった。

感情を失った表情で地面に倒れる仮染雹嘩を呆然と眺めている。

仮染貂豹の中で静けさが通る。

それとは裏腹に周囲の声が高らかに響いた。

どこまでも無様な仮染貂豹をあざ笑う声だった。


「く、くわははっ!!見た、見たか、この顔」


空の表情を見て大蚤嶽岳は指をさして笑う。

何もかも失った仮染貂豹の顔はこの世のどんな娯楽よりも面白いものだった。

なぜこのような結果になったのか親切にも大蚤嶽岳は答えてくれた。


「貴様を殺した所で何も面白く無い…同胞を斬られ、その恨みを晴らす事よりも…」


ゆっくりと仮染雹嘩の方へ近づく。

大きく足を動かすと仮染雹嘩の頭部に向けて靴底を押し付けた。


「最愛の妹が、貴様のせいで自死をする結末の方が、よっぽど面白いだろう?」


全ては仮染貂豹を苦しませるために行った一芝居だ。

その結果は予想以上に大蚤嶽岳たちを喜ばせる結果となった。


「あ…ぇ、…あッ」


膝をつく仮染貂豹。

頭を押さえて現状の理解を拒もうとしている。

脳内では自分のせいだあの大蚤嶽岳のせいだと鬩ぎ合いが脳内で響いていた。


「さてはて、貴様は一体何の為に戦っていたのか?仮染雹嘩の為に戦った貴様は、その仮染雹嘩が死んだ今、何の為に戦う?」


大蚤嶽岳の問答に仮染貂豹は答えない。

答える義理が無い。

答える意味が無い。


「あぁ、浮かばれぬなぁ、雹嘩、儂に初めてを奪われた挙句、所有物として名を刻まれた挙句、兄のせいで死んでしまったのだからなぁ…」


頭の中はぐちゃぐちゃだ。

今はただこの感情を発露させたかった。

再び刀を握りしめる。

立ち上がるとともに復讐をする相手へ目を向ける。

高らかに雄叫びをあげる。

それは全ての感情を代償にした慟哭であった。


「は…ぁッ…ぐ、ぁあああああッ!!」


一心不乱に突き進む仮染貂豹。

それを見て大蚤嶽岳は御しやすいと悟ると、腕を構えた。


「術理も、流力も使わず、力任せと来たか、ならば、皆様とくと御覧じろッ!これが大蚤家の割る術理ッ!!」


まるで自分がいち舞台の主演であるかのように声を荒げると術理を乗せた流力を発生させた。


「割断術理ッ!!」


その言葉と共に大蚤嶽岳は仮染貂豹が握りしめていた刀の切っ先に触れる。

すると刀は輪切りになるかのように複数の部位となって切断された。

それだけでは無い。

さらに素早く仮染貂豹の体に触れると共に流力を発生し、仮染貂豹の肉体に流力が迸るかと思えば、肉体が切り裂かれて仮染貂豹はバラバラになった。


「(畜生…畜生ッ!!)」


大量の血液を輪切りになった切断面から流す。

彼の体は、彼女の手に触れかけた所で、意識を失う。

仮染貂豹は最後まで恨み節を口にしながら絶命するのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る