モブ女中の恋
屍河狗威は彼女との勉強会を締め括る。
「はー…タメに成ったわ」
彼としても、とても有意義な時間だっただろう。
何せ、自分の実力を更に上乗せする事が出来る様になったのだから。
彼の言葉に対して、阿散花天吏は微笑みを浮かべてみせた。
一時は、きちんと屍河狗威が話を理解出来るかどうか不安だった。
だが、それらの事は全て杞憂であり、彼女は無事に終わった事に安堵していた。
「そうですか…それは良かったです」
とすれば。
彼女は時計を見る。
程好く、勉強会の終わりは真夜中の時間帯を指していた。
彼女の浮足立つ様な動きに、屍河狗威は何事かと見つめている。
「…?」
彼の疑問を浮かべる表情を見て、彼女は黙っていた。
だが、何時までも屍河狗威が手を出して来ないので、痺れを切らした彼女は、足を崩して座り直す。
スカートが捲れて太腿の付け根まで見えた。
それだけでは飽き足らず、彼女は第一ボタンを外していき、下着が見える程にまで衣服をはだけさせた。
「ふぅ…んっ…少し、暑い、ですね」
わざとらしい咳払いをして、彼女は屍河狗威に言った。
気温は其処まで高くは無いのだが、男性と女性の体温は違う。
その事を察して、屍河狗威は周囲に視線を向けた。
彼の部屋には、空調が無かった。
「あぁ、冷房効いてねぇから、俺の部屋」
屍河狗威はそう言う。
この部屋は元々、人が住むには不向きな物置部屋の様なものだ。
適当に荷物を置かれていて荷解きはされていない。
無造作に敷かれた布団だけが唯一、彼の部屋に敷かれているだけだった。
彼女は、服の端を摘まんではためかせた。
「汗で、どろどろになってしまいそうですね…」
其処まで言うのであれば、外に出れば良いだけの話だ。
別段、部屋の中は暑い感じは無く、気温も其処まで高くは無い。
彼女が一体、何を求めているのか屍河狗威は分からず、何時もの皮肉でも言っているのかと思った。
「…?いや、勉強になったわ、悪いね、色々と、また明日、時間があったら頼むわ」
そう言って彼女の言葉の意味を理解する事無く早々と部屋から出そうとする。
彼の言葉に、火照っていた体は休息に冷めていき、同時に何故屍河狗威が冷めているのか分からぬと言った様子だった。
「…え?いやちょっと、待って下さい」
阿散花天吏は様子がおかしい屍河狗威に言う。
彼は首を傾げて、これ以上何があるのか、と言いたげに疑問符を浮かべた。
「え?」
彼の本気で分からない様子。
彼女の想定していた事とはまるで違う展開だった。
「まさか…まさか、貴方、これで終わりと、でも?」
阿散花天吏は屍河狗威に近付く。
彼は彼女が何を言っているのか分からなかった。
「ん?」
彼女は、どう説明すれば良いのか困った。
取り敢えず、彼女の考えている事を彼に伝えようとしたが。
「な、済し崩しに、ゆきずりで、…その、むりやりッ…」
それ以上口にする事は無かった。
それを口にしてしまえば、まるで期待している様に思われて嫌だったから。
だが、屍河狗威は、彼女の言葉を受けて、何を考えているのだろうか、と変な目で見ている。
「いや…勉強会だろ?…何を想像してたんだお前」
普段は変態的な行為しかしない筈の屍河狗威に、変態だと扱われる事に不満を覚えて彼女は声を荒げそうになる。
「あ、ッわ、ッ…はっ、そうですかッ、そうやって焦らすんですね、貴方のやりたそうな事、分かってますともっ!!」
顔を真っ赤にする。
屍河狗威は焦らしている。
そう思って、再び身を引いて構える。
だが。
屍河狗威は、彼女の魂胆に対して哀しい目つきを向けて言う。
「…一言、言っても良いか?」
迫る。
と彼女は思った。
身構えて、屍河狗威の前置きに答えた。
「なんですか、やはり私を押し倒そうと…」
すると。
屍河狗威は溜息を吐いた。
邪険に扱うかの様に面倒臭そうな視線だ。
「俺は真面目に学ぼうとしてたんだ、この後も予定あるし…だからお前の要望には答えられない…マジでごめん」
彼女が求めている事に対して、屍河狗威はそれには答えられないと頭を下げた。
そこでようやく、屍河狗威が、乗り気でない事を悟り、彼女は顔を真っ赤にして叫んだ。
「な…あ、っ!?そ、何を、何を謝って…それでは、私ッ、私が誘っているかの様にッ」
腕を組んで項垂れる屍河狗威。
彼女の積極的なアプローチには、心があまり動かない様子だった。
「魅力的なのは分かるが…迫られるのはまた違うんだよなぁ…」
それが彼女にトドメを刺した。
魅力があると言っておきながら抱かないと言う事は、それは魅力が無いと言っているようなものである。
何よりも、自分が求めていたと言う事実がある為に、恥を掻かされて体中が熱くなり、恥ずかしさで一杯だった。
「さ、ッ、最低ッ!このッ」
思わず、手が伸びる。
屍河狗威の頬に向けて、割と強く顔面を叩いた。
「ぶべらっ!!」
無防備ながらその一撃を受けた屍河狗威。
布団に向けて倒れると、彼女は杖を使って立ち上がり、部屋から出ようとする。
襖に手を掛けた時、彼女は後ろを振り向いて、屍河狗威に向けて捨て台詞を吐いた。
「ふ、ふぅんッ、別にどうでも良いですが!?私もこの後、用事がありますのでっ!!」
乙女の気持ちを踏み躙った悪漢に蔑みの言葉を吐き、強く襖を締める。
襖を背に、彼女は苛立ちを覚えながら呼吸を整えるが、怒りが収まる事は無かった。
「…あぁ、もうっ!」
行き場の無い怒りに、彼女は声を荒げると、ボタンを締め直す。
その際に、彼女は自分の下着を見た。
薄く、身体の色が分かる程に透けた下着だ。
今夜、身体を貪られるであろうと想定していた為に、念の為に用意された下着である。
「(まるで、まるで馬鹿みたい、こんな、際どい下着を履いたと言うのに…くッ)」
頭が色魔にやられてしまった。
彼女は恥を噛み締めながら、杖を突いて廊下を歩く。
彼の傍から離れた事で、首輪が彼女の首回りを少し締め付けた。
この状態で術理や流力を使役すると、それに反応して首が締まる様になっている。
無論、屍河狗威の命令次第で、この縛りは多少緩まる。
屍河狗威の所有物でありながらも、彼女の功績の大きさから個室が用意されている。
なので、彼女は自室へと戻る事になった。
屍河狗威は頬に手を添える。
ジンジンと痛みを感じながら涙目になっていた。
「いってぇ…クソ、何気に強く
彼女の凶行。
手を上げると言う行為は隷属している者としては重大な罪だ。
しかし、屍河狗威は彼女の行動を不問にした。
ある意味、彼女の行動は正しいものだと考えているのだろう。
強く閉められた襖。
ゆっくりと、襖が開かれる。
阿散花天吏が戻って来た…と言う訳ではない。
「あの…」
顔を出して来たのは、女中だった。
茶色の髪に、前髪で目を隠した女中に、屍河狗威は丁度良いと言いたげに手招きする。
「んお、おぉ、ちょっと、頬赤いか見てくんない?」
屍河狗威の言葉に彼女は廊下を見た。
誰も廊下を歩いていない事を見ると、部屋の中に入り、襖を閉めた。
「あ…はい…あの」
彼女の細い手が、着物の懐に入れる。
すると、ハンカチを取り出して来た。
彼女の顔を見て、屍河狗威は名前を思い出そうとする。
「(名前なんだっけか?まあ良いか)」
が、すぐに思い出すのを止めた。
嶺妃紫藍に付いてきた若い女中の一人、と言う事だけ覚えていれば良かったからだ。
「大丈夫ですか?ちょっと、待ってて下さいね」
再び部屋から出る。
近くの水飲み場で布巾を濡らし、彼女は再び戻って来た。
そして冷えた布巾で屍河狗威の頬に当てて冷やしてくれる。
「いやぁ…悪いね、布巾、持って来てくれて」
屍河狗威は彼女に感謝の言葉を述べた。
頬に触れて、彼女は少し気恥ずかしそうに顔を赤くしていたが、自分の仕事だと照れを隠しながら頬に押し当てる。
「痛み、ますか?」
彼女の言葉に、屍河狗威は否と答えた。
「あぁ…大丈夫、いや、しかし…かっこ悪いね、こんな姿で」
自分が、阿散花天吏に打たれた所を見られて、恥ずかしいと思ったのか、彼は乾いた笑いを出した。
彼の自分を卑下する様な言葉に、女中は首を左右に振る。
「ぃえ…そんな事、…他の人は、凄く悪い風に言ってますけど…」
そして、そこから先の言葉を出すかどうか迷い、意を決して彼女は屍河狗威に告げる。
「わ、私は、かっこいいと、思います」
それだけでは、自分の気持ちが伝えられないのか。
それに加えて、屍河狗威に自らの気持ちを伝えた。
「その、憧れてます、とても、とても…」
憧れ。
意中に対する言葉。
それは即ち、憧憬よりも恋慕に勝る。
屍河狗威は彼女の言葉の意味を汲み取ったのか、目を細めて彼女に嬉しそうに言った。
「そっか、そう言われると悪い気はしないなぁ」
優しい声だった。
そんな声も出すのかと、彼女は聞き惚れる。
頬に当てる手が止まり、このまま、良い雰囲気になっていると思った。
「…ぁ、えと」
しかし、話題が無い。
あるにはあるが、興味本位の話題。
彼に取っては腹を立てる内容であるかも知れない。
だが、このまま沈黙は嫌だったのだろう。
彼女は噂を彼の前に口にした。
「あの、…あの話、本当、ですか?」
話。
屍河狗威にとってはどの話なのか分からない。
「ん?」
聞き返す。
すると、彼女は呼吸をした。
そして屍河狗威に教える。
「前に、先輩に聞いて…いっかい、その…愛して、もらったって」
性行為。
それをはしたなく言わない様に言い換えて告げる。
それを聞いて屍河狗威はその事か、と納得した。
嘘も偽りも無く、屍河狗威は気まずそうに答える。
「…まあ、一回だけね、それっきりだけど、どうして?」
何故こんな話題を口にしたのか。
屍河狗威は逆に興味を示した。
彼の質問に、彼女は心臓を高鳴らせる。
「その…わた、わたし…っ」
布巾を握り潰して拳が出来る。
緊張の為から上手く言葉が出て来ない。
屍河狗威はそんな彼女の顔に近付いて目を見て言った。
「言い難い事?」
何時間でも、言葉を捻り出すまで待つ姿勢だった。
彼の目を前にして、彼女は顔を隠す事も出来ず、恥ずかしさのあまり涙が出て来る。
「…ほ、ほんとうに、憧れてて、…でも、ダメ、ですよね、紫藍さまみたいに、綺麗じゃないし…」
嶺妃紫藍や阿散花天吏は別格だ。
十人中十人が見返る程の容姿端麗さ。
しかし、彼女もまた顔が整っている。
決して悪くは無い顔だった。
しかし、屍河狗威は、彼女が傷つかない程度に叱咤した。
「…他人と比較するような言い方は駄目だ、相手にも悪いだろう」
怒られて、彼女は気が付いたのだろう。
自分が自らの主を貶している事に。
最低な事をしてしまったと、彼女は目を潤ませた。
「…ごめ、ごめんなさい、すこし、その、そういうこと、じゃなくて」
本心で、屍河狗威の事が好きなのだろう。
自分でも何をしているのか分からない程に、感情が滅茶苦茶になっていた。
そんな彼女の気持ちを切る為に、屍河狗威は申し訳なさそうに言った。
「…悪いね、俺の心は、一人だけなんだ」
それは、屍河狗威にも、本気で好きな人間が居る、と言う意味だ。
それが嘘であろうが本当であろうが、この時点が彼女の恋は一方的なものになった。
そして、その恋は決して叶わないと言う事を指している。
「あ…え、ッ、そ、そうです、よね…わたし舞い上がっちゃって…」
顔を俯かせる彼女。
表情は見えないが、顔から流れる涙が、彼女の強く握り締めた拳に流れ落ちて濡れていく。
それを見た屍河狗威は、彼女の手に触れて自らの方に引き寄せる。
「でも…あんたが、俺の事を本気で想ってくれるのなら」
ゆっくりと、彼女は顔を上げた。
「え、ぁ」
涙で濡れた顔を、屍河狗威は愛おしそうに見つめている。
「この一夜は、あんたの為に尽くすよ」
彼女の体を引き寄せると、女中は彼の胸に体を預ける。
「ん、ぁっ」
それは禁断であると言う事は理解している。
だが、その一時を手放したくなかった彼女は、彼の言葉に飲み込まれてしまった。
あ、あまり、紫藍さま、みたいに、背とか…その、小さいです、けど。
っぁ、な、なんで頭を…、小さくてかわいいって…あの、う、うれしいです、ほんとにっ
わたし、あんまり、そういうの、わからなくて、その。
あ…その、手、おおきい、ですよね、ごつごつ、してて
こいびとつなぎ、とか…わたし、ずっと、憧れてたん、です。
えへへ…いろいろ、夢が叶っちゃいました
じゃあ…あの、おねがい、します
だ、だいじょうぶ、です、これくらい、へっちゃら…んっ
ぁっ…んゅ、んっ~~~~ッ! ぇ? にゃッ!!
はっ…ぁっ…はッ…っ…ぁ、の…いっかい、もっ、もういっかい
っ、はっ、ごっ、ごめんなっ、なっ、さいっ、しあんっぁ、さまっ、しぁんさまっ、ぁッ
ことを終えた後。
既に日付は跨いでいた。
着物を着直す彼女は、前髪の隙間から彼の顔を見た。
「…狗威さま、今日は、ありがとう、ございました」
頬を赤く紅潮させ、幸せな夢を見たかの様にうっとりとする彼女。
出来る事ならば、このまま朝まで迎えたかったが、そういうわけにはいかない。
「…ずっと、ここに居たいですけど…他の人に見つかると、不味いですよね、…それに」
彼女は女中である。
そして屍河狗威は、嶺妃紫藍が大事にしている存在。
叶わぬ恋であり、叶ってはならぬ愛だった。
だから、本当ならば有り得ない一瞬を、彼女は触れる事が出来た。
「一晩だけ、ですから…一夜だけ、ですけど…愛して下さって、ありがとうございます」
何度も口にして、自分に言い聞かせている。
襖に手を伸ばす、襖を開けて、彼女は振り向いた。
「忘れませんから…だから、出来れば、偶にでも良いから…っ」
どうか、自分の事を思い出して欲しい。
なんて言葉は、彼女は口にはしなかった。
それ以上は出過ぎた真似であると理解していたから。
「いいえ、なんでも、ないです…では、失礼します狗威さま」
哀しみを抱きながら、彼女は部屋から出ていく。
一人になった屍河狗威は、天井を見詰めながら、彼女の事を思い出す。
「…あー、」
天井に向けて手を伸ばす。
そして、頭の中に反復するのは、これまで彼に迫って来た女中の数だった。
何度も何度も指折り数えて、屍河狗威は数を数えた。
「(えーっと…これで十人目か)」
十人。
これまで屍河狗威に迫って来た女中の数だ。
屍河狗威の何処に惚れたのか。
大部分は顔だろう、そして性格を見ている人間は居ない。
屍河狗威と言う存在に幻想を抱いている。
偶像を崇拝する様に、特別な感情を抱いている。
「(なんか、極端に好かれる時があるんだよなぁ)」
それが悪い事ではない。
こうして、女中を抱く事が出来る。
しかし、一度きりではあるが。
「(まあ、その方が俺も好都合だし良いけどさ)」
体を起こす。
体の汗を拭う為に廊下へと出る。
もう一度指を折って、屍河狗威は数を数えた。
今度は、指の動きは七を示していた。
「しかし…
当たり前な事かも知れないと、屍河狗威は思った。
阿散花天吏の様な女性は、滅多に表れないのかも知れないと、仕方が無く納得する。
そして、最後に抱いた女中の事を思い出した。
「…あ、名前くらい、聞いておけば良かった」
今後出会う時に、名前を呼べば、その女中も喜ぶだろうが。
名前を聞いてない以上、それは叶わない事だった。
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