黒曇天


「知るかよ、濡れたくなけりゃ、傘でも差してろ」


屍河狗威の言葉に土塊紅佰怜は冷めた目を向けながら言う。


「残念だよ、キミなら、良い駒になっただろうに…こんな形で終わってしまうなんて、本当に残念だ」


踵を返す土塊紅佰怜。

その後を追おうとした屍河狗威。


「何逃げようと…っ」


足を踏みだそうとして、屍河狗威は滑った。

雨に濡れた地面によって、滑ったと思ったが違う。


角威門尾の娘である彼女は術理を使役。

父親と同じ潤滑術理を使役している。


「(雨に流力が流れて、潤滑液が地面に流れてんのか)」


角威の娘の潤滑術理は水と融解し、効力を拡大させていた。

触れれば摩擦を零にする事が出来る術理によって倒れる屍河狗威の上に向けて跳躍する。


「はッ」


指先から流れる光熱が、屍河狗威の肉体を突き刺そうとするが。

流力を手に流し込み強化した状態で地面に指を食い込ませると腕を使い地面を払う。

すると潤滑液による摩擦抵抗が零になっているので、膂力の力によって簡単にその場から逃れる事が出来た。


地面に冠高の娘の指が突き刺さると火花が散る。

冠高刑落の娘の術理は溶接術理。

指先に集約した光熱源は、流力を溶かし接合材にする。

攻撃を受ければ彼女の流力が肉体に融解し、激痛を伴う。


「(あの手に触れたら不味いな)」


屍河狗威はそう思いながら体中に付着した潤滑液を手で拭おうとするが無駄だった。


「(あのおっさんよりかは抵抗感が少ないが…下手に動けねぇな)」


しかし、何故、冠高刑落の娘は流力が雨に解けた地面を歩く事が出来るのか疑問だった。

だが、それはすぐに分かった。


彼女が歩く度に火花が散る。

脚部から溶接術理を使役し、熱によって潤滑液ごと雨を蒸発させていたのだ。


これならば潤滑術理に左右されずに戦闘する事が出来る。


「こうなってしまった以上は仕方がないからね…キミたち、彼は敵だ、各々、考えて戦闘をしなさい、彼を殺したら、次は土塊紅家の奉仕活動だ」


そう言い残し、デパートの屋上から出ていく土塊紅佰怜。

屍河狗威は、全てこの女性達に任せて一人その場を離れていく土塊紅佰怜に憤りを浮かべた。


「(気に食わねぇな)」


屍河狗威は、彼女たちの表情を見ていた。

戦いに関して思いを馳せている様子では無い。

ただ、絶望だけを浮かべていた。

操られているこの現状を終わらせたいと思っていた。


「(どいつもこいつも、俺を刺激しやがる…)」


屍河狗威は、これ以上彼女たちの顔は見たく無かった。

だから、彼は早く終わらせる為に、流力を使役した。









「(『「 」・・・』)」













後は、簡単だった。

血を流して倒れる彼女たち。

屍河狗威は、彼女たちの血を浴びながら立ち尽くしている。


「ぁ…ぁ…」


掠れた声で、彼女たちは声を漏らしている。

最後の遺言なのだろうか、それとも、屍河狗威に対して恨み節を呟いているのか。

雨の中、飛沫が散る音と共に、彼女は呟いた。


「ありが、…とう…」


その言葉と共に絶命した。

彼女たちの感謝の言葉に、屍河狗威は歯軋りする。

彼女達は戦ったのだ。

奴隷として、身を玩ばれて、愛する人を喪い、それでも最後には、術師として戦い、死んだ。

最後の最後に、術師として矜持を取り戻せた。

だから、屍河狗威に感謝の言葉を口にした。


「術師として、逝けたってワケか」


屍河狗威は彼女達を見詰めて、そして歩き出す。

何時までも感傷に浸っている場合では無い。

彼女達が術師として死んだのならば。

屍河狗威もまた、術師として使命を全うする迄だ。


屍河狗威は、その後近くの神社で腰を下ろした。

雨の中であろうとも、人目に付く場所に移動する事は憚った。

濡れた手でスマホを使い、棺屋に連絡を入れる。


「俺俺、屍河狗威、今、閉店したデパート近くの神社に居るけど、そう、閉店したデパートの方で術師の遺体が二つ…回収を頼むよ」


死んだ彼女達の遺体を回収する様に願うと、一通りを終えて屍河狗威は微睡んだ。

精神的に疲れ切っている彼は、このまま死んでしまうかの様に眠ろうとしていたのだが。


「おい」


声が聞こえて来る。

その声に反応して目を開ける。

傘を差した嶺妃紫藍の姿が其処にあった。


「…あっれ、紫藍ちゃん、なんでいんの?」


軽口を叩きながら疑問を伺う。

彼女はスマホを彼に見せながら言った。


「棺屋から連絡があった、ついでに、何処にいるかも聞いた」


そう言われて、屍河狗威はそう言えば、神社に居ると、棺屋に言ったのを思い出した。


「迎えに来てくれたんだ、普段、つんつんしてるのに、…ツンデレ?」


冗談を口にすると、嶺妃紫藍は彼の隣に座る。


「当たり前だ、貴様は私の家来だ、貴様が私に尽力を尽す様に、貴様に、私は尽力を尽す…苦しい事も、悲しい事も、引き受けるのが、家長としての役目だからな」


回りくどく言っているが、結局の所、彼女は心配しているのだ。


「…少し、気が立ってたんだ、あんなこと、言うつもりじゃなかった…ごめん、紫藍ちゃん」


地下牢から地上へ出るまでの合間。

屍河狗威が彼女に向けて言った事を思い出して謝罪した。

その謝罪を聞き入れた彼女は二つ返事で許した。


「あの野郎…創痍修略摩、あいつは、なんというか…まるで俺を見てるみたいで、腹が立ったんだ」


自分の弱さのせいで、大切なものを奪われた気持ち。

それが分かるからこそ、過去の自分を見ているようで、否定したかった。


「腹が立つのは…竜胆を、守れなかったからか?」


今度は、腹を立てる事無く、頷いた。


「…俺が弱かったから、ああなった、結果的に言えば、俺が悪い」


幽刻一族にて、妃龍院竜胆は身柄を捕らわれ、其処で過酷な体験を受けた。

その場でゴミの様になりながら、屍河狗威はその惨状を見続けていた。

彼女の笑顔は誰よりも、自分が守るべきなのに、その掌は彼女を救う事が出来なかった。


後悔して、そして屍河狗威は復讐を抱く。

何よりも、彼は自分が許せないのだ。


重い過去を、今も引き摺る屍河狗威は、一息吐いた。

そして、その表情を何時もの様に軽蔑される様な顔を浮かべて嘲笑う。

その表情は誰に対してでは無く、自分に対してのものだった。


「だから俺は、強くなった、でもそれじゃあ足りない、奪われない為に、俺は誰かから奪い続ける、女も誇りも、強さを誇示すりゃ、それが出来る…だから」


胸倉を掴まれた。

そして引っ張られる屍河狗威。

彼の自分を卑下する言葉を喧しく思ったのか。

彼女の唇が、屍河狗威の唇を塞いだ。



唐突な行動に思わず目を丸くする屍河狗威。

唇が離れると、嶺妃紫藍は彼の目を見て言う。


「貴様が余りにも貴様らしくない事を言うから…口を塞いだ」


彼女なりの慰めなのだろう。

顔を赤く染めながら、彼女は顔を背ける。


「貴様の力も想いも知っている、だからこそ許せない」


屍河狗威の顔を見詰める。

彼が自分自身を責めている。

その傷は深いものだろう。


「貴様を見下して良いのは私だけだ、貴様を叱って良いのは私だけだ、他の誰にも…」


だからこそ。

彼が自分を責めない様に。

代わりに嶺妃紫藍が責め立てる。

自らの妹を救った者が、自分自身の罪で潰れてしまわない様に。

その代わりに、嶺妃紫藍は屍河狗威に厳格であり続ける。


「貴様自身ですらも、そこだけは譲れない」


彼女の言葉に、屍河狗威は思わず笑ってしまう。


「…たはっ、だからって急にキスすんの、ちょっと違うでしょ」


顔を俯かせて、誰にも見せない様に。

感情の昂りを、涙では無く、笑いとして消化していく。


「勘違いするな、それ以上の意味など無い…本当だからな」


例えそれ以外の他意が無かったとしても。

彼女の精一杯の目逸らしは愛しく思えて、性的興奮を隠せない。


「つまり元気出せって事?アンニョイな俺よりも、少し陰のある爽やかナイスガイな俺の方が好きって意味?」


顔をあげる。

何時もの調子に戻る屍河狗威。


「…調子に乗るなよ、イヌ」


彼女はそんな彼を叱咤する。

ドスの効いた声、恐ろしさすら込み上げる。

それでも、彼女の気持ちを理解している。

だから軽口を叩く、叩くべきだと、屍河狗威は思った。


「乗らせてくれたのは紫藍ちゃんでしょうが…」


曇天を見上げる。

雨の降る量が少なくなっていた。

小降りの雨に晴れの兆候が出る。


「うん、だから、元気出た…俺は俺の選択に後悔なんてしてないし…これから先も、術師を選んだ事を、間違いとは言わないよ」


階段から腰を上げる。

予想通り、小降りの雨は止んでいた。


「さあって、帰りましょうかね、これからはきっと、土塊紅家との戦いになるから、備えておかねぇと」


そうだな、と微笑を浮かべたと同時。

違和感を覚える嶺妃紫藍は、彼の顔を見て言う。


「…待て、貴様、何故そこで土塊紅家の名前が出て来る?」


彼女の言葉に、屍河狗威は首を傾げて、そしてあ、と口にした。


「え?あ、そうか、言うの忘れてた…つい数時間前に…」


土塊紅家と接触。

其処で戦闘をした事まで告げると。


「き、さまッ…何故、その事を早く言わないッ!!」


彼女は当然の様に怒り狂った。

また、屍河狗威が面倒毎を引き攣れた。


彼女の顔を見て、大変な目を覚える彼女に、屍河狗威は言う。


「大丈夫だって、紫藍ちゃん」


心配する事など無いと彼は胸を張った。


「俺が居るからさ」


どれ程の強敵が来ようとも。

屍河狗威は勝てると考えている。

彼女達が居る限り、敗北は許されない。

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