雨の謁見


天は鉛色の曇天だった、雨が降り出していて、彼は傘も差さずに歩いている。


「…」


脳内に思い浮かべるのは、彼女の言葉。

何度も何度も言葉を思い起こして、その度に拳を強く握り締める。


「(守れなかった、あぁ、そうさ)」


まだ、彼が術師では無かった頃。

暴力の塊として恐れられた社会不適合者として名を馳せた時代。

純真無垢な、彼女と出会った。

妃龍院竜胆、術師としながらも、心の優しい子だった。

弱々しい見た目だったが、彼女は芯のある強さを持ち合わせていた。

彼女と共に歩む様になって、術師としての側面を垣間見た。

そして、彼女は幽刻一族に身柄を奪われ、そして、笑顔を奪われた。


「(俺は守れなかった、竜胆を、だから俺は)」


その場に居た筈だった屍河狗威は、何も出来なかった。

無様に倒されて、眼が覚めた頃には、人形の様に感情を喪った彼女の姿が其処にあった。

無力を感じ、絶望を感じ、弱さを感じた。


「(そうならないようになったんだ)」


本来ならば、その惨状を目の当たりにして心が折れない筈がない。

それでも、屍河狗威は拳を握った。

例え勝てない相手と分かっていながらも、戦いに身を投じた。

もう手に入らない筈の、奪われたものを取り返す為に。

そして、彼は、幽刻一族を滅ぼし、術式を手に入れた。

皮肉にも、憎々しき、幽刻一族の術理を身に刻み付けて、だ。


「(強さってのは力だ、力がある奴が望みを得る、術師としての姿を見せている)」


この力があれば、彼は大事なものを守れる。

けれど、この力がある限り、彼女は彼に微笑む事は無い。

どうしようも無いジレンマに、屍河狗威は自暴自棄になった。

そして、その結末を受け入れて、今の彼が存在する。


「(だから、仕方がないんだ、俺が、彼女に心を開かれないのは、俺が、幽刻家と同じだからだ)」


一度刻まれた時間は戻らない。

大事なものを失いたくないのならば、どれ程汚くなろうが、この力を振るい続けるしか無かった。


「(どうしようも無いから、だったら…それを貫くしかないだろ…?)」


雨の中。

歩き続ける彼と並走する車。

屍河狗威は、先程から車が隣に居る事を察していた。

ガラス窓が開かれて、其処から顔が見えている。


「…で、あんた誰?」


屍河狗威は足を止めて話しかける。

只者では無いであろう、その男は車の中から挨拶を交わした。


「こんにちは、俺は、土塊紅つちくれない佰怜びゃくれい、今日はキミに遭いに来たんだ、狗威くん」


土塊紅家の現当主・土塊紅佰怜が、直々に屍河狗威に話し掛けていた。

  

彼の登場に関して、屍河狗威は特に驚きも見せずに彼と話を始める。


「馴れ馴れしい、勝手に下の名前で呼んでんじゃねぇ…って言いたい所だが」


少し、気分が落ちているのか、気分転換でもしたいのか。


「いいぜ、少し、あんたの戯言に付き合ってやるよ」


敵となるであろう土塊紅家の男と話をする事にした。

彼の言葉に、土塊紅佰怜は嬉しそうな表情をして車のドアを開ける。

実際に彼が開けたワケでは無く、タクシーと同じ様に、自動で開いた。


「ありがとう、噂とは違って、気持ちの良い男だね…乗りなよ、少し遠くなるからね」


そう言われて、屍河狗威は相手の車の中に乗車した。

車の中は静かだった、運転手が一人、助手席に一人。

後部座席に屍河狗威と、土塊紅佰怜が乗り込んでいる。

そして、数十分程車が移動して、その先は廃れたデパートだった。

既に人の気配が無いデパートは取り壊しの予定が建てられている。

だが、その予定日を過ぎた後も、取り壊しがされていない。

現在、取り壊しが中断され、次回以降の予定日が未定、と言う状態だった。

しかし、電気は通っている。

エレベーターを使って屋上へと移動した後に、屍河狗威と、土塊紅佰怜は、再び外へと繰り出した。

パラソルが建てられたテーブルと椅子。

近くには、メイドの衣服に身を包んだ女性が二人立ち尽くしていた。

彼女達に招かれて、椅子に座ると、土塊紅佰怜は茶を頼む。

運ばれて来る茶を前に出されて、屍河狗威は泥を見る様な目でコーヒーカップの中に入れられた茶を見詰めた。


「俺の下に居る術師が作ったお茶だ、疲労回復と勢力増強をする事が出来る代物でね…味は舌が狂う程に不味いけど、呑み慣れたら病み付きになる」


音を立てずに飲む土塊紅佰怜の所作は綺麗なものだった。

屍河狗威は、コーヒーカップを持ち上げると、そのまま地面に向けて流し込む。


「用心深いね…他人を信用してない証拠だ」


微笑みを浮かべて、土塊紅佰怜はテーブルに肘をついた。


「さて…単刀直入に言おうか、俺と一緒に、この術師戦争を征さないか?」


用件を口にする。

それを聞いた屍河狗威は、何とも真っ直ぐな質問に対して鼻で笑った。


「魅力的だな、そのプラン、俺が入るかどうかは別だけどよ」


彼の話など聞く気は無い様子だった。

それでも、彼はそれは想定内と思っている。


「いいや?キミはどう見ても此方側だ、屍河狗威くん」


フルネームで屍河狗威の名前を口にした。

男に名前を呼ばれるのは不快でしか無いが、不思議とその様な感情を浮かばせる事は無かった。

「術師の本懐とは、己の欲に従い、全てを支配する者だ、でなければこの術師戦争で、誰も彼もが戦をする理由が無いだろう?」


術師の存在意義。

それは、古くからこの地に存在する龍脈と呼ばれる万能の流気を独占する事だ。

その為に彼らは争い続け、そして現在に至るまで、その願望が叶う事は無かった。


「戦い、己の欲を満たす、そしてその先に待つのは術師統一、そうすれば、この地に宿る龍脈を手にする事が出来る」


術師として生まれた以上、誰もが夢見る事。

術師統一を成し、龍脈を手にする事は、至難の偉業である。


「この天地、全てを掌握する事が出来る万能の源、それを無限に己の肉体に供給する事が出来れば、己の術理の可能性を無限に広げる事が出来る、実質的な願望の成就だ」


龍脈を手にする事で得られる恩恵とは即ちそれだ。

術師は流力と呼ばれる力を使役して術理を使う。

流力が無くなれば、術理が使用出来なくなるのだが。

龍脈は大地から流れる無限に近いエネルギー。

一人の術師が独占すれば、術理の可能性を広げ、万能に近い力を得る事が出来る。

実質的に、願いを適える事が出来るのだ。

しかし、誰もその独占には至らない。


「この数百年、それが叶わないのは、半端者の術師達がのさばり、中途半端な願望を満たした結果、術師統一に至る事が無かった…つまりは、夢に破れた負け犬だ」


術理と己の流力で、大抵の願いは叶う。

大金持ちも他人を支配する事も、熟練の術師であればそれは叶えられる。

そうなれば、欲は満たされ現状維持をする傾向へと至る。

だから、夢は見るものだが、叶えようとするものは少数だった。


「しかし、俺は違う、術師を全て従え、龍脈を手にするっ、そうすれば、俺が求める世界を作れる、全ての人間が俺に平伏し、崇め、神として扱う」


自らの願いを喜々として語る土塊紅佰怜に、屍河狗威は下らないと一蹴した。


「俺が手伝うとでも思ってるのか?」


彼の台詞に、首を縦に振る土塊紅佰怜。


「あぁ、思ってるとも、妃龍院家、かなり威圧的な女が多いと聞く、キミ程の人間が、実力に劣る女に従順となるなど可笑しい話だ」


彼の目を見る。

まるで自分と同じだと言いたげに自分勝手に話続ける。


「本当は、犯したいんだろう?髪を引っ張り、体中に歯型を刻み、許しを乞い土下座をする頭を踏み躙りたいのだろう?」


妃龍院家。

屍河狗威程の男が、あの程度の女たちに使われている事が許せないと言う。


「キミの本心は俺達と同じだ、そして、それを否定する事は無い、こっちに来いよ、狗威」


ゆっくりと彼は手を伸ばす。

同胞よと言いたげな彼の腕を、屍河狗威は何も言わず見つめていた。


確かに。

屍河狗威の実力を鑑みれば。

妃龍院家に遣われていると言うのは可笑しな話だろう。

強い者が王となる術師の世界。

彼が前線へと立ち、戦い、死と隣り合わせを何度も続ける。

それが、強者としての正しい姿だろうか。

真の強者は、弱き者を扱い、捨て駒の様に扱うもの。

少なくとも、土塊紅佰怜はそう確信していた。


「…」


彼の目を見て、この男はきっと靡くと、土塊紅佰怜は確信していた。

あと一歩、彼が此方側へと付く理由があれば、きっと妃龍院家を裏切るだろうと確信して言う。


「迷うか…それは術師としてあるまじき感情だ、術師ならば、従順になれ、俺がキミを解放してあげよう」


その言葉と共に、屍河狗威の前にメイドたちが前に出る。

指を鳴らす土塊紅佰怜、するとメイドたちは衣服を脱ぎだして全裸になった。


「…」


そして、その裸体を見て屍河狗威は視線が釘付けとなった。

彼女たちの肉体には、入れ墨が刻まれている。

それは淫紋の様に書かれていて、屍河狗威の名前が刻まれていた。

彼女たちの存在が、屍河狗威の為にあるように。


「さあ、彼が新しいご主人様だ、俺が言った事、きちんと出来るだろう?」


彼女たちの体に、決して消えぬ名前が肉体に刻まれていた。


「冠高…と申します、貴方さまの為に、尽力を尽します…」


「角威、です、…私は、足を舐めるのが、得意です、なので、存分にお使い下さい」


衣服を丁寧に畳んで、汚れた地面に頭を擦り付ける彼女たち。

屈辱を噛み締めて、涙を浮かべていた彼女たちを見て、土塊紅佰怜は手を叩いて嗤った。


「うん、良く言えました、どうだい?極上の女だろう?好きに使ってくれ、殺したって構わない」


彼女たちの姿を見て。

屍河狗威は、仏頂面を解いた末に、声が浮かび上がる。


「ははっ」


笑った。

その声色に、喜々として土塊紅佰怜はプレゼントが効いたと確信する。


「これが術師か、確かに、これが術師としてあるまじき姿だな」


屍河狗威は、土塊紅佰怜の行動を肯定する様な言葉を口にした。

想像以上に好感触、思わず土塊紅佰怜は素の表情で笑みを浮かべた。


「分かってくれるかい?」


笑いながら、屍河狗威はサングラスを甚平の奥へと仕舞い込む。

そして、彼の顔を見ながら、手をゆっくりと伸ばす。


「あぁ、俺は、あんたの言いたい事が、殆ど理解出来て無かったけど、なんだ、そういう事か、あんた」


握手を求められたと、土塊紅佰怜は誤解して手を伸ばした瞬間。


「俺に殺されたいのならそう言えや」


握り拳を固めて、土塊紅佰怜の顔面に殴りかかった。

しかし、拳は空を切る、近くに居たメイドたちが、屍河狗威を抑え込んで攻撃を空振らせた。


パラソルの外へと出てしまい、雨に濡れる土塊紅佰怜。

彼の怒りの表情を見て失敗したと思った。

同時に、何故彼が怒っているのか、理解出来ない様子で見ている。


「…何がいけなかったのかな?」


首を傾げて聞く土塊紅佰怜に、屍河狗威は告げる。


「なんぼ、旨い話を語ろうが…俺のやり方は何も変わらねぇよ」


女達を押し退ける。

彼女たちの体は、土塊紅佰怜に支配されて、彼を守る様に動いていた。

それがどうにも、気に食わないらしい。


「女を犯すのも、野郎をぶっ殺すのも、俺がヤるんだ、お前がヤるんじゃねぇ」


術師として生きる。

それが屍河狗威が定めた事。

そして、奪う側へと回る事に決めたのだ。

ならば、他者から得る事は、施しでしかない。

それは、屍河狗威の進む道に反している。


「だってのに…なんで俺がテメェのおこぼれを貰わなきゃなんねぇんだよ」


気に食わない。

何よりも下に見られている。

自分よりも劣っていると思われている。

それが気に入らない。

苛立ちを覚える屍河狗威は、睨みながら拳を構えた。


「俺がツバをつけた女を抱かせてやるから、テメェの陣営に入れって話だろ?何様だ、テメェは」


流力を放出する。

完全に戦闘態勢になる屍河狗威。

彼の流力に反応して、メイドたちは構えた。


「なんで俺がテメェの下につくのか、反吐が出るし」


術師として。

屍河狗威は暴力を振るう。

だが、誰の為に振るうかは、心に決めている。


「俺の王は妃龍院家だけだ、それ以外に意味は無ぇし…俺が術師になった理由がそれだ」


全ては、妃龍院家をこの地の王にする為に拳を振るう。

それ以外に興味は無い、屍河狗威の行動理念はそれだった。


「つまり…何が言いたいかって言うと」


土塊紅佰怜を指差して、喉から張り裂ける程に声を荒げる。


「ウチのモンを馬鹿にされて黙ってるワケねぇだろ、ボゲッ!」


妃龍院家の人間を支配し、凌辱し、屈服させたい等と言う暴挙暴言の数々。

臣下として見逃せる事では無かった。


彼の言葉を聞いて、土塊紅佰怜は髪の毛を掻き揚げる。

何が間違っていたのか、彼が何が気に食わなかったのか。

話を聞いて、納得し…それら全てを忘れる。


「雨に濡れてしまった…」


無風ながら、雨の降る量が多い。

土塊紅佰怜は、雨は好きだった。

だが、濡れるのは好きでは無かった。

誰よりも容姿に優れる己が、雨一つで姿が乱れる事を嫌ったから。

彼は、怒りを込み上げていた。


「折角の男前が台無しじゃないか…何故、こんな酷い事を…こんなに、酷い男は、他に居ないだろうね…狗威」


雨に濡れながら、土塊紅佰怜は泣いていた。

しかし、雨の中では、どれが涙であるのか分からなかった。


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