土塊紅家
仮染貂豹は暗闇の最中、彷徨った。
自分がまだ生きているのが不思議な事であり、仲間を裏切ったと言う罪悪感も合わさって、地面の上では無く、雲の上を歩いているかの様な気分になっていた。
彼が向かった先は、土塊紅家の領土だった。
脚を踏み入れたと同時、彼の手足はまるで糸に操られたかの様な感覚に見舞われる。
事実、此処は殿號級術師が支配する領土であり、一度内部に入ったものは、手足を拘束されているかの様な束縛を体感で覚えてしまうのだった。
それでも、彼は迷う事無く走り続ける。
脚は走り続けて今にでも折れてしまいそうな程に疲労が積み重なっていた。
屋敷へと到達した時、門番が彼の顔を見た。
女だった。
巫女の様に赤色の袴と白の胴衣を着込み、頭部には鉢巻きを巻いている。
その手には護身用のさすまたを持っていて、彼の姿を見ると、心配そうな顔をした。
「仮染殿」
声を掛けられて、彼は息を切らしながら周囲を見回す。
門番は、二人で見張っているのだが、その内の一人が見当たらなかった。
「やめ、やめて…下さい」
庭の隅、茂みの中から声が聞こえて来る。
土塊紅家の家臣が、護衛の一人である門番を襲っていた。
もう片方の女性の顔を見る。
首元には、首を絞められた跡があった。
既に、彼女も土塊紅家の家臣に襲われた後だった。
「…佰怜は」
怒りを込み上げながら言う。
「屋敷の中、です」
そう言われて、彼は拳を強く握り締める。
茂みの中から聞こえて来るのは、自分よりも若い女の声だった。
屋敷の中へと入り込み、襖から光が漏れている。
どんちゃん騒ぎをしている中には、多くの女性を侍らしている土塊紅家の家臣の姿があった。
「最近入った、竹縄切の嫁、どうだった?」
「余程、女として扱われなかったのだろうなぁ、殆ど生娘みたいに泣き叫んでおったぞ」
「大蚤の娘たちは従順じゃのう、もっとイジメたくなるわい」
「百々露木錆坐の双子の嫁共、ようやく墜ちたぞ、奴よりも、俺の方が良いらしい」
下世話の話が聞こえて来る。
仮染貂豹はその話を無視しながら、部屋に入ろうとする。
「失礼します、佰怜殿」
襖の前で言うと、奥からくぐもった声が聞こえて来る。
言わずもがな、女性の声だった。
「…失礼します、佰怜殿ッ」
再び声を荒げて言うと、唐突に襖が開けられて、中から巨漢が現れたかと思うと、彼の顔面を蹴り上げた。
「うるっせぇなッ!こっちは今忙しいんだよ!!」
顔面を蹴られた仮染貂豹は鼻を抑えながら頭を下げる。
「申し訳、ありません、佰怜殿は、何処に…」
と、そう言うと、巨漢の男は舌打ちをした。
「あ?クソが、お前あれか、屍なんとかって野郎の情報を探りに言った馬鹿共の一人か」
彼の頭を踏み付けて蔑みながら言った。
「…はい」
歯を食い縛りながら言う。
「佰怜殿は今、創痍修のババアを調教してる、呼んでやるから待ってろ」
そう言うと、彼の頭を離すと、鬱憤を晴らす様に痰を彼に吐き付けた。
「(我慢しろ…我慢、を…これが終わったら、俺は、自由になれるんだ)」
仮染貂豹は怒りを鎮めながら思った。
此処は地獄だ。
胸を焼き付ける光景ばかり目に入って来る。
しかし、これは術師としての正しい姿でもある。
勝者が全てを得る、敗者は全てを失い、奪われる。
術師社会の縮図でもあった。
ようやく、仮染貂豹は土塊紅家の当主と謁見が許可される。
部屋の中は兎に角、異質だった。
和室に、西洋風の王族が据わりそうな椅子が用意されている。
そして、広い部屋の端側には、裸になった男性たちが正座をして座っていた。
彼らは、七つの術家の家臣たちであり、彼らの役割は見張りと言う名の奴隷だった。
そして、椅子に座る上半身裸の男性と、その隣には、着物を開けながら方に掛ける女性の姿があった。
両手を前に組ませて起立させている彼女は、恥ずかしそうに顔を紅くしていた。
「お疲れ様、仮染くん」
そう言いながら、彼の顔を見る。
金髪の青年だ、筋肉質な肉体で、女性受けがしそうな容姿をしている。
彼は頭を下げたまま、言った。
「屍河狗威と接触し、奴の術理を看破しました」
彼の言葉に、土塊紅佰怜は嬉しそうに手を叩いた。
「そう、それは良かった、彼の強さは殆どの人間の耳に入っているからね、どんな手を使ってでも俺の家来として仕えて欲しいと思っていたんだ」
「奴の術理は…」
そうして、屍河十狗狼の時空術理を、確証と彼との戦闘を詳細に伝えると、それを土塊紅佰怜は何度も頷いて聞いていた。
「成程…噂が嘘だったのなら、殺しても良かったけど…実際に七人の奴隷を壊滅寸前に持ち込んだんだ、実力は確かだろうね…これなら、争うよりも懐柔した方が良いだろう」
もしも実力が足りなければ、総力を尽して殺しておこうと考えていた。
「まあ、懐柔が出来なかったら、無理にでも操るだけだけどね」
そう言うと、指を動かす。
すると、部屋の隅で正座をしていた人間が動き出した。
そして、二人の男達が立ち上がると、共に抱き締め合って、口を吸い始めた。
男色を見ている彼は、楽しそうに手を叩いて笑った。
「ははッ、そうそう、こんな感じに、最高だよねぇ…俺に歯向かった奴らが、裸になってキスしてんだから、くくッ」
酷い光景だと、仮染貂豹は思った。
「…その、佰怜殿、お話が…」
情報を与えた仮染貂豹は、恐る恐ると彼に言う。
「あぁ、今回の仕事で生きてたら、開放するって話だろ?うん、いいよ、術師を止めて、妹と静かに暮らすって」
「はい…はいッ」
頭を下げて、彼は頷く。
一刻も早く、こんな地獄から逃げたかった。
「いいよ、中立派の組織に願い届を出して、術師として全ての関係からの接触を断たせる事を条件に、人として生きれば良い」
その言葉を受けて、心の底から歓喜を浮かばせる。
「(やった…やった…ッこれで、ようやく、こんな地獄から)」
抜け出せると思った。
「妹さんを呼んでもらおうか…確か…キミの妹の今日の担当場所は…門番係だったね」
そして、悦びは一瞬で途絶えた。
彼が何を言ったのか、理解出来なかった。
「彼女、君が必死にお願いして、手を付けないで欲しいって言ってたよね?いやあ良かった、血の気の多い連中だけど、彼女だけは貞操を守ってあげたんだろう?本当に良かったね、仮染くん」
何も聞こえない。
茂みの中で、門番が一人襲われていた事だけを思い出していた。
自分の妹では無いと必死に言い聞かせていたが、そんな甘い話がある筈が無かった。
全ての話を聞いた後。
狼狽えを隠せない嶺妃紫藍。
口元を抑えて、嫌悪感を表している。
術師として全ての尊厳を奪われ、奴隷として使役されている。
非人道的な真似は、覚悟しているつもりだった。
だが、此処まで非道な真似が出来るとは思っていなかった。
土塊紅家の実体を聞いて彼女は後悔している様に思えた。
「んで、お前さん、俺に何かお願いがあるって言ってたよな?それって何?」
屍河狗威は創痍修略摩にお願い事を聞く。
彼は、彼の目を見た末、頭を地面に擦り付けながら懇願した。
「どうか…どうかッ…屍河狗威、様々な術師の家系を滅ぼした、その実力を見込んで、頼む…どうか、土塊紅家を…潰してくれ」
「え?嫌だよ、なんだってそんな真似を俺がしなくちゃならねぇんだよ」
二つ返事で屍河狗威は彼の願いを踏み躙る。
「そもそも、俺は、土塊紅家のやり方は至極当然だと思ってんだ、弱い奴が悪い、だから全てを奪われる、それがこの世界の全てだろ?」
彼の物言いに、嶺妃紫藍は反感を覚えた。
「確かに、昔の頃ならばそれが当たり前だと聞いているが…だが、貴様は、胸が痛まないのか?」
「痛むだろうな、紫藍ちゃんが他の男に抱かれちまったら、怒りのあまり全員ぶっ殺しちまいそうだ、だから、奪われない為に強くなるんだろうが…それが出来なかったのは、全て弱者の責任だろ」
彼の言葉に彼女は台詞を口に出す事が出来なかった。
「俺は正義の味方じゃない、術師だ、この道を選んだからこそ、俺は己の強さを示す、示し続ける、それが、俺を拾った人に対する恩義だからな」
術師としての志を持つ彼は、女にだらしない普段の姿とはまるで違って見えた。
「そうか…そうか、そうだよな…」
創痍修略摩は俯きながらか細く口にした。
最早、絶望しか抱いていない様子で、彼の姿を見て嶺妃紫藍は少しだけ同情を浮かべつつあった。
「…確かに、貴様の願いは聞けない、だが…土塊紅家がイヌに接触して来たと言う事は、少なからず、奴らは我々と衝突するだろう、そうなった場合、生き残るのはどちらか、と言う事になるな」
それは、ある意味、創痍修略摩を慰める為の言葉だった。
彼は、視線を彼女の方に向けたが、その目の色は希望に彩られていない。
「話は語った…土塊紅家の情報は殆ど、奴隷の俺達には知らされていない…出来る事ならば、このまま、殺してくれ、もう何も考えたくないんだ…」
懇願する創痍修略摩に、嶺妃紫藍の肩を抱いて屍河狗威は言う。
「なんで、お前の言う事を聞かなきゃならねぇんだ、敗者が一丁前に語るな、願うくらいなら、自分で掴み取れ」
最後まで、一貫して、屍河狗威は彼に厳しい言葉で攻め立てた。
地下牢から地上へ続く階段を昇る屍河狗威。
彼女は言葉を殺して彼の背中を見ていた。
明らかに、彼は気が立っている。
その理由を何となく知っている、だからこそ、彼女は屍河狗威に言う。
「流石に、あれは言い過ぎじゃないのか?」
声を漏らしてその様に言うと、屍河狗威は笑いながら首を左右に振った。
「いいえ、全然?あれくらい言わせて下さいよ」
むしろ、言い足りない位だと、屍河狗威は思った。
あの男、創痍修略摩を見ていると気分が悪くなる。
まるで、まるで、と。
屍河狗威は思い詰めて、それ以上先を考える事を止める。
「だが…あそこ迄、心を折る様な真似を」
きっと、あの男も、屍河狗威の強さに惹かれた。
この男ならば、復讐の相手すらも倒せると一縷の希望を見出した。
だがその結果は悲惨なものであり、屍河狗威は彼の願いを否定してしまった。
挙句の果てに自らの命を絶って欲しいと願う程に、弱弱しく目に映った。
彼女の相手を思いやる言葉に、屍河狗威はむっ、としながら言い返す。
「弱い奴に弱いと言って何が悪いんだよ」
そのキツイ言い方に、少し嶺妃紫藍は気圧される。
「…貴様」
彼が強さに執着する様は久し振りだった。
自暴自棄に陥っていた時の事を思い出して、内心、冷や汗が流れている。
彼は自分の拳を見詰めていた、綺麗な手だったが、彼の目には、赤黒い色に濡れた手に見えた。
汚れ切った手を、何も掴めなかった手を、今一度、強く握り締める。
「俺はそうはならない、そんな風にはならない、そう決めたのが俺だ、誰であろうと、それを否定する事はさせない」
彼の思いに反応して、嶺妃紫藍は、ある事を思い浮かべて彼に言った。
「…それは、守れなかった、自分に対して言っているのか?」
その言葉を聞いて、屍河狗威は目を開く。
過去の事を反復していた、どうしようも無い絶望を噛み締める。
そしてゆっくりと目を細めながら、嶺妃紫藍の方を見た。
うんざりとした表情で、彼は彼女に言った。
「…はっ、紫藍ちゃんさ」
それはどれ程暴力を振るわれても、嫌悪感を示す様な真似はしなかった彼が、見せる憎悪。
「少し黙っててくんない?」
敵を見据えるかの様な冷めた表情に、彼女は何も言わない。
ただ、呆然と立ち尽くしていて、彼に同情的な表情を浮かべていた。
「…」
自分が、何を言ったのか。
屍河狗威は、口元を抑えて、自分の表情が笑っていない事に気が付いた。
そして、何時もの調子で笑おうとするが、どうにも表情が言う事を聞かなかった。
こんな姿は、彼女に見せられないと悟った彼は、足早に階段を昇っていく。
「…あぁ悪い、いや、ごめんね、紫藍ちゃん、ちょっと、一人にさせてよ」
そう言って、屍河狗威は地上へと出た。
そのまま屋敷を後にして外へと向かう。
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