奇襲

彼が進んだのは風俗街だった。

学生でも入る事の出来るラブホテル。

彼は其処を目指している。

スマホなどの口コミで聞いた、風俗街の奥には明らかに未成年でも部屋に通してくれるホテルがある。

折角の外。

鬼の居ぬ間に休息を。

それが屍河狗威にとっては、彼女の調教である。


「ほら」


屍河狗威は、道路近くの自販機で飲料水を買って渡す。


「なんですか…急に」


優しくなった、と。

阿散花天吏は思った。

それを口にしようとした。

だが、それを遮るのが、彼の言葉だ。


「これから、一杯、色んなモンを垂れ流すだろうから、脱水症状起こす前に、たっぷり飲んどけ」


中々に恐ろしい事を言う。

あの時の事よりも、余程恐ろしい真似をするのだと、彼女は思った。


思わず喉を鳴らす。

不安を紛らす為に貰った飲料水を開けて思い切り飲んだ。


それと同時。

屍河狗威の足が止まった。

反対方向から歩いてきた者と通り過ぎた時に、何かを感じ取ったのだろう。


「何故、止まるのですか?」


彼女は不思議そうに聞くが。

屍河狗威は、面倒臭そうに耳を掻いていた。


「屍河狗威…だな」


相手側から、声を掛けられる。

名前を呼ばれる彼は振り向いた。

サングラスを下にズラして、男の顔を見る。

見知った顔、では無い。

前髪が長く、口元まで隠せそうな程の長髪。

顔が分からないから知り合いでは無い。

そもそも、男の顔などあまり覚えていない。

記憶から抹消しているのだ。

それこそ、屍河狗威が認めた男しか、記憶していない。

だから、彼は話し掛けた相手に対して初対面として接する。


「あ?おいおい、男に呼ばれる名前なんざ持って無いんだけどなぁ」


軽薄そうな笑みを浮かべると共に。

彼は、サングラスを掛け直して口を更に引いて笑う。


「あ、でも俺、案外有名人だしな…このサングラスも顔を隠す為につけてんの、ほら、天吏、俺が誰だか分かるか?」


キメ顔をしながら隣に居る阿散花天吏に話し掛けた。

彼女は彼の顔を見ながら軽蔑そうな顔を浮かべて正直に言う。


「馬鹿と言う事だけは分かります」


「裸に引ん剝くぞ?」


片手で彼女の胸部を掴んだ。

布越しからでも彼女の胸の小ささが分かる。

思い切り衣服を引っ張って胸部を曝け出してやろうとしていた。


だが、そんな事を許さない者が居る。

それはどちらかと言えば、彼らだ。

彼女の為に悪を許せぬと言う正義漢では無い。

ただ、これ以上、話す事も喋る事も意味を成さない。

目標の為に話を遮る。

計画の為に敵を見据える。

画策の為に、目的に敵意を向ける。


「悪いが、お前たちの漫才に付き合っている暇は無い」


その言葉が掛け声の様に。

何時の間にか。

屍河狗威の周囲には、七人の術師が居た。


「此処で、殺させて貰う」


彼女、阿散花天吏は彼らを見て察した。


「(この人達は…術師、それも、全員が当主…!?)」


周辺の情報を網羅する阿散花天吏。

彼らの顔は、その情報源から確認済みだった。

殆どが、外部にすら明かさぬ能力を持つ者ばかりだが。

夫々が、有数の手練れである事だけは理解出来る。


「(彼を狙っている…この人数相手にッ)」


彼女は寒気を覚えた。

七人の術師を前に戦うなど自殺行為だ。

如何に神童と持て囃される屍河狗威でも危険な状況。

怖れを抱かずにはいられない状況である筈なのだが。

彼女が、阿散花天吏が何よりも驚いたのは。


「殺させて貰う?おいおい」


絶望的状況。

それを前にして彼は、笑っていた。

サングラスを外して、甚平の内側に収納し。

指を鳴らしながら牙を剥いて笑う。


「違うだろ?これから俺に殺されるんだからよ」


余裕綽々。

悠々自適。

傲岸不遜。


死地である筈なのに、修羅の場である筈なのに。

地獄の縁を極楽の如く歩んでいる。

怖れなど知らずと言った風に。

彼は、この状況を楽しんでいた。


「屍河」


阿散花天吏は彼にしがみ付いたままだ。

一応は、彼女も戦闘を行おうとしているらしい。

それは、屍河狗威が死んでしまった場合、次に狙われるのは自分である為だろうと考えていたからだ。

しかし、屍河狗威は彼女の体を掴んだまま、術師達に言う。


「こいつらは俺を御所望らしい、全く、人気者は辛いね…つうワケで、お前は見物でもしてなよ」


そう言うと、屍河狗威は阿散花天吏を抱き上げた。

お姫様抱っこの様な浪漫を感じる様な抱き方では無い。

米俵を担ぐ様に、阿散花天吏を抱えたのだ。


「さっさと終わらせて、この尻を愛でてやるからよ、少し待ってな」


そう言いながら阿散花天吏の尻を撫でる。

彼女は屍河狗威の背中を思い切り叩く。


「勝手に撫でないで下さいっ!くっ、この!!」


幾ら暴れた所で無駄だろう。

彼の力の前では無理矢理離れる事も出来ない。

近くの駐車場近くに降ろすと、再び屍河狗威は彼らの前に立つ。


「随分とお優しいんだな、幾らでも隙はあっただろうに」


屍河狗威は笑っている。


「(隙?確かに…だが、それは態々作ったものだろう)」


術師の一人。

創痍修略摩はその様に思った。

隙は確かにあったが、足を踏み込む事は出来なかった。

それが罠であると予想した事もあるが。


「それとも…俺を斃す事が目的じゃねぇのか?」


相手の心を見透かす様に、屍河狗威は言う。

誰も言葉を発しないが、見事な読唇だと思った。

何も言わない彼らを前に、屍河狗威は息を吐く。


「まあ、どっちでも良いか…良いよ、さっさとやろう、こっちは我慢してんだ、女抱けねぇなら血を見せろやッ」


叫ぶと同時、彼は前進した。

そして、その一歩に対して手を出したのは、術師の内の一人だ。


冠高刑落。

彼が両手で閉じる様な仕草をすると共に、屍河狗威の動きが止まった。


「(身体が動かない、固定されてんのか?)」


前方から二名の術師が接近して来る。


竹縄切義善と角威門尾だ。


脚部が長く太い竹縄切義善の足に流力が疾走する。

大蚤麓山は全身に流力を発生させ、竹縄切義善の後に続いた。


「ッ屍河」


外部から見ていた彼女は叫んだ。

彼が何かしらの要因で動けない事は理解出来ている。

このままでは、何も出来ずに攻撃を食らってしまう、と。


「問題無し…はッはッ!!」


腕を動かす。

両隣から見えない壁で挟まれた彼は、両手で壁を強制的に押し出した。


「(鎔笵術理を、流力操作だけでッ!?)」


冠高刑落の鎔笵術理・『鋳』。

対象を見えない壁『鋳型』で挟み込む事で、対象の形状を模る事が出来る能力である。

『鋳』は対象を抑え込む事が出来るので、拘束するには便利な能力として使用されるが、まさか、流力操作のみで無理矢理『鋳』を外すとは思いもしなかった。


「だがッ」


屍河狗威は鋳を押し退けただけ。

未だ挟まれた状態であり、避ける事は出来ない。

逃げ場を塞がれた状況に、先ずは竹縄切義善が突っ込んだ。


「(踵返しッ!!)」


流力が術理によって構成。

竹縄切義善の脚部…主に踵の部分に物質化された刃が出現する。

蹴爪術理。

蹴ると言う行為に猛禽類の様な爪を生やす事が出来る。

脚部の振りに応じて流力の出力が上昇する為、流力操作によって肉体を強化した状態で脚を振る事で、瞬間的に飛ぶ斬撃として飛ばす事が出来る様になるか、足から生える刃の硬度と鋭利さを上昇させる事が出来る。


接近した状態。

竹縄切義善が選択したのは後者。

確実に相手を両断する為に、接近したのだ。


「後ろも横も無理なら…前だろ」


だが。

両断する刃は足の底から先から放たれる。

見えない壁に挟まれた屍河狗威は、左右に避ける事は出来ない。

後ろへ移動すれば、相手は更に詰めて来るだろうし、その前に足から放出する斬撃によって切り刻まれる。

ならば、前しか無かった。

脚部を蹴って勢い良く前へ繰り出し、見えない壁からも出る。

刃が肉体を裂くよりも早く、竹縄切義善の前足を横腹で受けて足を捕まえる。


「足癖悪いね、あんた」


そう言うと共に、膂力の力だけで片足を折った。

枯れた大木を折る様な渇いた音が響く。


「ぐあッ」


痛みに悶え掛けた竹縄切義善の顔面に向けて拳を叩き付ける。

その一撃を以て対象の顔面は一撃で陥没した。

後頭部から地面に倒れる竹縄切義善の後から、日本刀を腰に携えている大蚤麓山が接近してくる。

刀を振り上げて上段。

上から下へ向けて斬り落とそうとしているが、その一撃を悠々と回避すると共に、大蚤麓山の顔面に向けて拳を繰り出す。


真正面、先程、竹縄切義善の顔面を抉る程の一撃、それよりも強力と化した暴力によって大蚤麓山の顔面を破壊した…筈なのだが。


「あ?」


顔面を殴られ、後退する大蚤麓山。

鼻が曲がり、血を流しているが、致死に至る程ではない。


「(まあ驚く程でも無い、術理で攻撃を和らげたんだろ、それだけ覚えてりゃ良い)」


屍河狗威の考えは当たっている。

大蚤麓山の分割術理は、自身が受けるダメージを十分の一で受ける事が出来る。

曲がる鼻を無理に治しながら大蚤麓山は寒気を覚える。


「(これで十分の一ッ?!クソ、どれ程の馬鹿力だ、この男は?!)」


大蚤麓山が刀を構えた際、その隣に下着一枚の好漢がやってくる。


「奴は、術理を使役したのか?」


角威門尾と呼ばれる男だ。

彼の言葉に大蚤麓山は歯噛みした。


「使っていない、奴はっ!!」


「ならば、使わせるまでッ!!」


角威門尾が地面を滑りながら接近する。

彼の足の裏から流力を分泌し、摩擦を零にした状態で接近していた。

角威門尾の脚部が伸びる。

彼に対して蹴りを下すが、屍河狗威は回避すると、顔面に向けて拳を振るう。


「(潤滑術理!!)」


顔面から大量の体液を分泌すると、屍河狗威は拳を当てて思い切り滑った。

掌に付着した体液を見て嫌悪感を表して叫ぶ。


「きったねぇな!!」


「(汚くて結構!やれッ!!)」


その背後、創痍修略摩が接近すると共に術理を使役。

紅い色をした硬い表面をした仮面が出現する。


「(鬼面術理ッ!!)」


創痍修略摩は鬼の仮面を操る。

人間を丸齧り出来る程の大きな仮面を生み出すと、屍河狗威に噛み付いた。

腕部から血を流す屍河狗威、彼らは彼に傷を付ける事が出来た事が嬉しいのか、歓喜の声を漏らした。


「イケるッ…行けるぞ!!これならば…ッ!」

「きっと倒せ…」


だが、彼らの希望など容易く折れる。

屍河狗威は、腕に力を籠める。

それによって、仮面に亀裂が走ると、流力の塊が鋲の如く噴出し、一撃で仮面を破壊する。


「いや…悪かったよ」


腕から血を流しながら、屍河狗威は手首を回して指先の開閉を繰り返しながら神経が切れてないかを確認しながら言った。


「流石、術師…俺も、術理無しじゃ、敗けちまうかもな?…だから、手ェ抜いて悪かった、ダセぇけどさ…術理使うわ」


恥ずかしいと、屍河狗威は目を細めて言う。

彼らは、喉を鳴らした。

彼が、これまで大掛かりな術家同士の戦闘で、術理を使役した素振りは無かった。

だから、彼がこの戦闘で使役すると公言したのが、これが屍河狗威が本気を出すと理解したからだ。


「(来るッ)」


大蚤麓山が再び刀を構えたと同時。

目の前に、屍河狗威が出現した。


「(な、速ッ…術理を使役ッ)」


分割術理を使用しようとした。

だが、屍河狗威はゆっくりと大蚤麓山から離れていく。


「(こ、攻撃、しない、のか?)」


否。

既に行動は終わっている。








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