黒下着


放課後。

窓を開く。

生徒の声が聞こえて来る。

下校している生徒、部活へ向かう生徒、そして、放課後の生徒活動の為に生徒会室へと向かう女子生徒の姿がある。


「まさか、そんな筈はないですよ、あの屍河しがと生徒会長が一緒に居たなんて」


女子生徒の隣には、眼鏡を掛けた男子生徒が屍河狗威を愚弄する。


「全くだ、あんなクズに、清き正しい生徒会長が付き合っているなどあり得ない…噂を流した生徒は粛清だな」


そんな事を言いながら、生徒会室へと手を掛ける。

そして扉を開けようとすると、鍵が掛かっていた。


「?生徒会長が居る筈なのに」


基本的に、生徒会長は終礼を免除される。

なので、誰よりも早く生徒会室で準備を始めていた。

それなのに、鍵が掛かっていると言うのは、なんとも不思議な事だった。


「私、合い鍵持ってるので、そちらで開けましょう」


その様な声が聞こえてくると、部屋の中で何か物音が聞こえた。


「早く服着ろ、馬鹿めッ」


「おいそれ俺のシャツッ!」


男女の声が聞こえて来る。

誰かいるのかと、鍵を指して回す。

開錠の音が鳴ると共に、女子生徒は扉を開いた。


「あれ、生徒会長?」


生徒会室に入ると同時。

屍河狗威が窓から飛び降りたのは同時だった。


「ん、あ、ああ…どうかしたか?」


嶺妃紫藍は二人に背中を向けながら、ブレザーのボタンをする。

そして振り向くと同時に、口元を舌先で舐める。

乱れる髪を指先で整えて、彼女は机に座り直す。


「ん?…なんだか、生っぽい臭い」


鼻をすんすんと動かしながら部屋中に満たされる生気の臭いに反応する女子生徒。

咳払いをしながら、嶺妃紫藍は椅子に座る。


「…あ」


そして、黒のストッキング越しから、地肌の感覚に気が付いた。

恥ずかしそうに顔を赤らめて、周囲を見渡す。


「(履き忘れたッ…私の、何処だッ)」


女子生徒にも男子生徒にもみられてはならない。

部屋の中を探している時、女子生徒が定位置に座ろうと椅子を引くと。


「あれ?なにこれ…」


黒色の布を引っ張った。


「あッ!それはッ!!」


嶺妃紫藍が立ち上がると共に、女子生徒が握り締める布を指差す。

女子生徒は布を広げて見せた。

それは、黒色のタンクトップだ。

甚平服の下に着込んでいる、屍河狗威の衣服だった。


「なんでこんな所に黒のタンクトップが?」


不思議そうな表情を浮かべる女子生徒。

自分のものではないので、安堵の息を漏らしながら周囲を見渡す。


「(何処だ、何処に…)」


必死になって、…彼女は自分の下着を探していた。


「(今日の生徒会長、何処か色っぽいな…)」


男子生徒は、嶺妃紫藍の顔を見ながらそう思った。

嶺妃紫藍の下着は、屍河狗威が持っていた。


「(慌ててタンクトップを取ったと思ったら嶺妃のパンツだったわ…やっべぇ、紫藍ちゃん、下丸出しなってんのかな?)」


そんな事を考えながら、屍河狗威は下着をポケットに突っ込んで帰路に就いた。


屍河狗威は妃龍院家へと向かう。

嶺妃家に、彼女の下着を渡せば非難されるのがオチだ。

妃龍院家ならば、妃龍院憂媚や、彼女が産んだ子が居る。

当然脱衣所には下着なども置かれているだろう。

ドサクサに紛れて、下着を脱衣所に隠そうと考えていた。


「ども」


妃龍院家の門出で待機する護衛人に挨拶をして屋敷に入った。

門から移動し玄関先へと足を運ぼうとした時。


「狗威」


その時に、名前を呼ばれて振り向く。

其処には、髪の長い男が立っていた。



「ちわっす兄さん」


妃龍院夜久光やくみつ

妃龍院憂媚が産んだ長男である。

現在では、当主候補として選ばれている。

皆は妃龍院、夜久光と言う呼び方の後ろに「様」を付けているが、屍河狗威は軟派な性格なので、彼を「兄さん」と呼んでいる。

決して、妃龍院の何れかの人間と結婚しようと考えてではない。

尊敬しているからこそ、「兄さん」と屍河狗威は呼んでいた。


「母様から聞いているか?」


夜久光は、そう屍河狗威に聞いて来る。

唐突な言葉に、屍河狗威は首を左右に振る。


「何も聞いてませんよ」


屍河狗威が此処に来たのは、嶺妃紫藍の下着を洗濯ものに紛れ込ませる為だ。


「今日、他の術師からの使者が来た、宣戦布告をしにな、当然、戦争が始まる…、そして、その相手だが…阿散花あばらばな一族だ」


妃龍院夜久光の言葉に、一瞬、嶺妃紫藍の下着の事を忘れる。

また、新たな闘争の機会が巡って来た。

屍河狗威は、牙を剥いた。

怒っているのではない、笑みを浮かべている。


「侵略、蹂躙、圧制、…祭りの準備をしないと、っすね」


腕が鳴る。

屍河狗威は久方ぶりに暴れる事を嬉々とした。

元々、術師家系同士の小競り合いはあった。

それでも、現状を維持して、適当に戦い、決着をつける事はしなかった。

現状を維持するだけでも、それなりの恩恵があったからだ。

領地から得られる場所代の徴収により月に何千万と言う大金の所得。

根強く地中に通う霊脈の恩恵もある。

なので、欲深く無ければ、戦わずとも楽に生きる事が可能。

それでも、何れは終わりを果たさなくてはならない。

現代で、領地統一が可能になって来た。

それが、屍河狗威の登場によって、だ。


「さて…戦の準備もあるが…」


屍河狗威に目を向けて近づく。

妃龍院家は美形が多いので、その顔は誰しも目が奪われる。


「この戦いで活躍すれば…お前も妃龍院家の連中から認められる筈だ、そうなれば…嫁を貰えるかも知れない」


より強力な子孫を残す為に、外来からの血を得る事は少なくない。


「いや、俺はそういうの興味ないんで…」


抱くのは興味あるが、嫁を貰う気はない。


「俺はお前と家族になりたいと思っている」


屍河狗威の頬に触れて、妃龍院夜久光が言う。


「に、兄さん…」


「何時か、お前の敬称する言葉が、家族の繋がりとしての言葉になる事を望んでいる」


薄ら笑みを浮かべて、妃龍院夜久光は本心を明かした。




生徒会の仕事が終わる。

二時間ほどの役員活動だが、嶺妃は集中出来なかった。

嶺妃紫藍の肉体は屍河狗威の体液で満たされ、溢れないか心配していたが、何とか雑務を終わらせる。


「本日は此処までだ、お疲れ様」


ほのかに顔を赤くしていながらも鉄仮面を崩すことは無かった。

立ち上がり、本日十四回目の身嗜みを整える。


「(結局私の下着は見付からなかった…あのイヌ、私の下着を持っていったな…ッ)」


色々と探してみたが、何処にもないので、安堵と共に下着を持っていった屍河狗威を頭の中で思い浮かべて睨んだ。


けれど憎みきれない。

体を重ねて理解した事がある。

初夜から、今日の暴走を経て、やはり恋心など無い。

紛い物の感情であると、嶺妃紫藍は確信した。


「(やはりイヌはイヌだ。抱かせた事で漸く理解した…

この感情も、ただの性欲だった)」


頷き、屍河狗威など取るに足りない人物だと断定する。

しかし、そうであるならば。

この仕事の時間の間は、屍河狗威の事を考えはしないだろう。

悶々と、屍河狗威との情事を反復させては息を荒くしていた女だ、それでも、まだ素直になれていない。

二回も肉体関係に持ち込んだのに、未だに自分の気持ちを偽っている。


「あのう、会長」


女子生徒が話し掛けてくる。

嶺妃紫藍は声を掛けられて、彼女の方に顔を向ける。


「なんだ?」


「少し、噂を耳にしまして」


噂。

その言葉に嶺妃紫藍は身を強ばらせる。

噂と言えども様々だ。

術師に関係する事かも知れない。

注意して嶺妃紫藍は女子生徒の言葉を聞く。


「あの、屍河しがと生徒会長が付き合ってるって聞いたんですけど、嘘ですよね?」


女子生徒の言葉に、嶺妃紫藍は目を開いて見つめる。

何処でそんな話が生まれたのか、少しだけ狼狽した。

此処で即座に違うと言えれば良かったのだが、しかし、心の奥底では自ら否定する気には慣れず、言葉が詰まる。


「当たり前だろ」


そして、彼女の代わりに、男子生徒が答えた。

彼は、嶺妃紫藍に憧れを抱いている信者の様なものだった。

いや、彼女に釣り合うのは、自分だと思っている。

社会的地位では優秀な家柄に生まれ、顔が良く、運動神経も勉強も出来る。

女子から何度も告白される程の容姿と外面を取り繕う、完璧を自負している。


そんな彼が相応しい女性が居るとすれば、同じ、いやそれ以上の嶺妃紫藍しか居ない。

自他共にお似合いのカップルとされるだろうに、屍河狗威と恋人であるなどという噂が許せないらしい。


「短絡的思考で物事を考える社会のゴミ、暴力と恫喝でしか自己を表現できない乏しい知性を持つ輩が、嶺妃会長と恋人など、最早侮辱しているようなものだ、煩わしい、…それよりも、会長、どうでしょうか、この後は私と共に食事でも…」


言葉が詰まる。

嶺妃紫藍の睥睨が男子生徒を射殺そうとしていた。


「お前ごときが、私のイヌを侮辱するな…っ」


屍河狗威を悪く言われて虫の居所が悪くなっていた。

威圧されて尻餅をつく男子生徒。

女子生徒が恐る恐る聞く。


「あの、あの噂って、本当なんです?さっきの台詞も…」


聞かれて、我に返る嶺妃紫藍。

首を左右に振る。


「そんな筈無いだろ、…ほら、帰るぞ」


否定をするが、それがより一層怪しく思えた。

スクールバッグを肩に担ごうとして、ポケットから携帯電話が震動した。

不意を突かれた末に、彼女は驚き、身を縮ませたが、即座に携帯電話から着信が掛かって来たのだと悟ると、誰からの電話であるのか確認する為に携帯電話を取り出す。


「えぇと…えっと…えぇ…?」


彼女は目を細めて携帯電話を弄っている。

電話では無い、どうやらメールが来たらしいのだが、彼女は携帯電話と言うものがイマイチ扱い切れていない。

メールを開くのも一苦労であり、何とかその内容を知った時、彼女は下着を着ていない事も忘れて走り出した。





妃龍院憂媚から招集が掛けられる。

屍河狗威やその他の術師が会議場へと集う。


「あ、紫藍ちゃん」


屍河狗威が嶺妃紫藍を見つける。

ポケットには未だ、嶺妃紫藍の下着が握られていたのでそれを取り出す。


「ほらこれぇヴぉッ!」


下着を返そうとした瞬間に一瞬で屍河狗威に詰め寄った嶺妃紫藍の拳が屍河狗威の腹部に減り込んだ。


「な…お前…」


屍河狗威は腹部を抑えながら信じられないと言った具合に彼女を見詰める。


「公の場だ、…それを手渡そうとするな痴れ者ッ…よほど私を貶めたいのだな、この変態めがッ」


顔を真っ赤にしながら屍河狗威を怒る嶺妃紫藍。

屍河狗威は腹部を抑えながら悶絶する。


「いや…ワザとじゃないって…え?紫藍ちゃん、まだ下履いてないの?」


「母様から招集を掛けられたのだ…当たり前だ、服を着替える暇すら無かった」


嶺妃紫藍は未だにブレザー服だった。

当然ながら下着も履き替えて無いらしい。


「いや…変態的な事だと思う、聞いた所でヒかれるのはオチだと言う事も分かるけどさ…下半身今どんな気分?」


今度は嶺妃紫藍の拳が屍河狗威の右頬を撃ち抜いた。


「くたばれ狗威ッ」


そう罵って嶺妃紫藍は先に会場へと向かう。

地面に倒れる屍河狗威は頬を撫でながら彼女の言葉を反復した。


「さりげなく下の名前読んでんじゃんか…距離、縮めすぎで逆に怖いよ…」


頬を擦りながら屍河狗威もゆっくりと歩き出した。

彼のポケットの中には未だに嶺妃紫藍の下着が押し込まれていた。


会場となる大広間には、首席に座る妃龍院憂媚の両隣に妃龍院夜久光ともう一人の娘が座り、二列に座る先頭には嶺妃紫藍が座り、前回、十家の一角に大打撃を与えた屍河狗威は嶺妃紫藍の隣に座る。


「皆、良く集うた…今回、話す事は、妾らの躍進についての話…明日の朝より、阿散花家との合戦を始める」


妃龍院憂媚は、自らの横に置いた代物を取り出した。


「では、お前ら、すまほうと言うものを出すが良い」


其処で妃龍院一族はざわめいた。

まさか、アナログ人間である妃龍院憂媚が最新技術であるスマートフォンを取り出せと言っているのだ。


「なんだお前ら…誰も、このすまほうを持ってないのかえ?」


「いや…我々は、由緒正しき妃龍院一族、浮世の技術物など使わずとも」


時代を受け入れずに過去を尊重する家臣達に向けて、屍河狗威は唐突に立ち上がった。


「情報弱者がッ!!」


屍河狗威が叫んだ。

妃龍院一族の頭の固い連中に対しての叱咤だ。


「時代は変わる、そうすりゃ戦略も変わる、エロ本を漁る時代は既にエロサイトで買う時代になってんだよ!!時代遅れどもがッ!だからいつまで経ってもゆで卵みたいな固い頭をした連中がのさばってんだ!!新しい時代に役を渡せやッ!!」


そう叫び、屍河狗威は一呼吸置く。

そして妃龍院憂媚の方に手を向けると。


「…っと、ご当主様が申しておりました」


最後にそう付け加えた。


「(ウソを吐くなッ)」


嶺妃紫藍は内心そう思ったが、妃龍院憂媚は微笑みながら頷いていた。

何かと、屍河狗威に甘い女だった。


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