彼女面



その日の朝は女中達総出で屍河狗威を引き留めようとした。

だが、彼女達が束になった所で、彼の実力の前では容易に止める事は出来ない。


「わっるーい!!マジで学校行くから、これで、あ、紫藍ちゃんに、昨日はとても良かったよ的な事を詩的な表現で出来る限り伝えてくれたら助かる、それじゃ!!」


誰よりも速くその場から逃げ出す。

そして、屍河狗威は自宅に戻るとそのまま二度寝した。



後日。

屍河狗威は学校の準備をして登校する。

彼の学校は妃龍院一族の領地に築かれた市立旭正学園である。

生徒である事を証明する腕章にシャツを着込んでいればそれ以外の服装はなんでもありと言う自由な校風が特徴だ。

黒色の学ランを羽織り、その下には和風を模した甚平を着込んでいる屍河狗威。

教室の扉を豪快に開けると共に声を荒げた。


「こんちゃーっす」


適当な挨拶と共に机に座ると、即座に屍河狗威は机に臥して眠りの態勢を取る。

彼にとっては学校とは拘束の場であり、不自由な世界から微かな自由を見つける場所でもある。

学校に通わなければならないと言う不自由から、机に座り眠ると言う自由を愉しんでいた。


「うわぁ…屍河か」「あんま関わり合いになるなよ、結構、悪い噂しかないし…」「あんなキラキラした名前つけられたらグレるよなぁ…」「そんな事言うな、殺されるぞッ」


生徒たちからの評判は不評だった。

別段、その事に関して屍河狗威は彼らをどうにかしようと等は考えてはいない。

あの程度の話は雑音に過ぎない、実害が出ていない以上、こちら側から仕掛ける事も無い。

それよりも眠る態勢を取っていた屍河狗威は、段々と眠気が襲って来る。


「(あー…これ、眠れる…ねむ、れ…)」


惰眠を貪ろうとしたその最中、唐突に教室が騒然とする。


「あれ、生徒会長」「何か用かな」「あれ?…屍河に向かっているぞ?」


騒ぎ出す生徒たち。


「おい」


目を瞑る屍河狗威に声を掛ける。

誰だと思いながら屍河狗威は目を開いた。

そして即座に眉を顰める。

其処には、昨日、屍河狗威が褒美として抱いた嶺妃紫藍の姿が其処にあった。


「(嘘だろ…)」


困惑する。

何故ならば、彼女が学校で話し掛けて来たからだ。

基本的に、妃龍院一族の家系は領地内で過ごす事になる為、領地に該当するこの私立旭正学園に通う事になる。

なので、歳の近い屍河狗威と嶺妃紫藍は同じ学園に通っているのだが。

屍河狗威と嶺妃紫藍の立場は違う。

屍河狗威は、不真面目で有名な社会落伍者である不良であり、嶺妃紫藍はこの学園で真面目な生徒会長として名が通っている。

彼女は元から、屍河狗威に厳しく言いつけていた。


『関係者と思われたくないから話しかけるな』


その言葉に屍河狗威は二つ返事で承諾した。

彼女が嫌だと言うのであれば、それを尊重したのだ。

なので、この半年間、屍河狗威から話し掛ける事は無かったし、嶺妃紫藍も人前で屍河狗威に話し掛ける様な真似はしなかった。

精々、メールでのやり取りが彼らにとっての情報交換手段だったのだが。

何故か、嶺妃紫藍が自ら屍河狗威に話し掛けている。


「…」


「(寝たふりしよう)」


既に顔を上げて、嶺妃紫藍を見ていたが、自分には関係ないと思う事にして眠りにふけようとする。

しかし、そんな屍河狗威の行動に対して、嶺妃紫藍は彼の頭を叩く。

平手で、強く、目が覚める様な一撃。

当然、悶絶する。


「痛ってぇ!、な、にしやがんだ、こっちが折角、無視してるってのに!!」


涙目になりながら、嶺妃紫藍に睨みつける。


「煩い黙れ、私の顔を見るな」


何時も通り、屍河狗威に酷い言葉を掛ける。

生徒たちは、その二人のやり取りを見て困惑していた。


「なんだ、二人はどんな関係なんだ?」「きっと退学を突き付けるんだよ、あいつ素行悪いから」「でも購買でパン譲ってくれたよ」


そんな話を生徒同士で行っている。


「話があるんなら…メールですりゃ良いじゃねえですかい…人目でのやり取りは嫌いなんだろ?紫藍ちゃんさ」


「ふん…今更気にする事でも無い…それに、用件はすぐに済む」


そう言って、嶺妃紫藍は屍河狗威に何かを渡す。

それは、包みに入れられた弁当だった。


「あ?ナニコレ、爆弾?」


丁重に包まれた時限爆弾かと屍河狗威は思った。


「別に、作り過ぎただけだ…要らないなら捨てろ」


用件はそれだけだった。

弁当を渡した嶺妃紫藍は教室から出ていく。


「弁当!?」「え、そういう関係なの!?」「いやいや、落としただけだろ」


その様な予想が飛んでいく。


「(何考えてんだよ、紫藍ちゃん)」


そう思いながら、弁当箱を持ち続ける屍河狗威。


昼食の時間。

屍河狗威は屋上に居た。

誰も入ってはならない、禁止された屋上。

彼は学校の施錠された鍵を持っているので、何処でも出入りが可能だった。

屋上で一息吐く屍河狗威。

嶺妃紫藍から貰った弁当を用意する。


「うわぁ…」


弁当箱を確認した屍河狗威は呟いた。

昼食代が浮いたと思う位に考えて弁当箱を開いた時。

弁当に海苔で『他意は無い』と書かれていた。

その海苔の後ろには、桃色の澱粉でハートマークが作られていた形跡が残っている。


「怖っ…」


何か変なものが入って無いか確認しながら、食べようとした時だった。

放送室から発信される、校内放送だ。


『三年、屍河狗威。至急、生徒会室へと来い、繰り返す、屍河狗威、至急、生徒会室へと来い、三度目は言わないぞ』


嶺妃紫藍の声だった。


「(なんで校内放送で呼ぶんだよ)」


そんな事を思いながら、屍河狗威は弁当箱を持つ。

妃龍院一族に対する話し合いかと思った。

その可能性も少なからずあるので、急いで向かう事にする。

屍河狗威は生徒会室へと向かった。

其処で、部屋の中に入ると、香ばしい匂いが鼻を擽る。

嶺妃紫藍が睨む。


「遅いぞ、イヌめ」


侮蔑の言葉を掛けながら、嶺妃紫藍はコップに水筒の中身を注ぐ。

香ばしい匂いの正体は、水筒の中に入った味噌汁だった。

生徒会室専用の机に置かれたコップ。

それを屍河狗威は見詰めている。


「…」


「何をしている、食事はまだだろうが…それとも、私の知らない場所で既に食事を終えたとは言わないよな?」


威圧感が凄かった。

屍河狗威は弁当箱を机の上に置く。


「あの、…紫藍ちゃんさん」


屍河狗威は椅子に座り、嶺妃紫藍を見る。

明らかに、いや、絶対的に、あの夜の事を彼女は引き摺っているだろう。

なので、屍河狗威は、彼女に対して言う。


「こういうのは、俺の格と言うか、クズとか言われそうだけど」


「…前置きをするな、面倒臭い男だな」


お前が言うな、と言いたい気持ちを堪える。

そして、彼女の言う通り、単刀直入に言う。


「彼女面するの止めてくんない?」


一晩共に過ごしたくらいで。

と、屍河狗威は彼女に言う。

そもそも、一晩限りの関係とは、彼女が言った事だ。

それを、屍河狗威は守っているに過ぎないのだが。


「は?この私が、お前を意識している様な事を?…あり得ない、鏡を見ろ」


そう言われて、屍河狗威は生徒会室にある鏡を確認する。


「あっれ?おっかしいな…イケメンしか写って無いんすけど」


黒髪に丸みを帯びたサングラスを掛けた屍河狗威の顔が映っていた。


「知ってる」


嶺妃紫藍が即答した。


「普通罵倒しません?」


「…顔が良いのだけは、褒めてやる」


そっぽを向いて、屍河狗威を褒める。

どう足掻いても、彼女は、屍河狗威に惚れている様だった。


「(胸の動悸が激しい)」


あの日以来、屍河狗威の事を想う嶺妃紫藍。

最初は破瓜による痛み故に恨みを抱いているかと思えば違う。

自らを女にした初めての男が眩く見えてしまう。

思えば思う程に良い所が見つかる。

悪い部分を探しても愛嬌になってしまう。

心底惚れている状態だ。こうなってしまえば、最早愛し続ける他無かった。


「(イヌ風情が私の心を乱すかッ…ぐぅ)」


おのれ、と思うが、そう思った時点で屍河狗威の事を考えている証拠だった。

しかし、態度を変えるのは少し違うと、彼女は思っている。

いきなり、尻尾を振り回す発情した雌犬の様にはなりたくない。

其処だけは意志を持つ事が出来、素直になるのにはもう少し時間が必要だ。

だから、嶺妃紫藍はあくまでも屍河狗威に惚れている、などと言う真似は彼の前では見せびらかさない。

そう思っていたし、気を付けていたのだが。


「お前などどうでもいい、こっちに顔を向けるな、目に入るだろうが」


「顔面真っ赤にして言える言葉じゃないでしょ」


屍河狗威を様々な理由で誘っていた。

無自覚なのだろうが、彼女は靡いていないつもりでいるらしい。


「あのさ、紫藍ちゃんさ、そんなに意識するんならさ?自分の体を差し出すとか言っちゃダメじゃん」


「お、お前に、母様は勿体ないと思っただけだ、母様を抱かせるくらいならば、私の身を捧げる、至極当然の話だろう」


弁当箱からおかずを口にして噛んで飲み込む。

そして味噌汁を啜り一息吐く。


「こんな意識するんだったら、無理してご当主様抱いた方が良かったかもな」


屍河狗威は出過ぎた言葉を口にする。

当然ながら、そんな台詞を聞けば侮辱だと怒るのが妃龍院一族の血族だ。

この言葉に、流石の嶺妃紫藍も眉を顰める。


「おい…言葉を慎め」


屍河狗威を睨み、


「私の前で他の女の話をするな」


例え肉身であろうとも。

自らの前で話題に出す事は許さない。

握り締める箸を折りながら彼女は睨む。


「マジじゃん…」


屍河狗威は彼女の本気に対して引いていた。

そうこうしている間に昼休みが終わりに差し掛かっている。


「早く飯を食わないとな…」


屍河狗威は、嶺妃紫藍の用意した弁当を食べる事にする。


「美味いか?」


「喰っても無いのに聞くんじゃねぇよ…」


飯を頬張る。

味は中々だ、しかし、少し薄い味がする。


「どうだ?」


改めて味を聞く嶺妃紫藍。


「あぁ…うまいけど、少し塩味が効いてる方が良いな」


料理の味を素直に口にする。

すると、屍河狗威の弁当に何か黒いものが垂れて来る。

上を見ると、嶺妃紫藍が醤油を持っていた。


「では醤油を掛けて食べろ…折角の味を台無しにしながら食べるが良い」


少し怒りながら、嶺妃紫藍が言った。


「これ味覚をイカれる様にして下さいって言ってんの?」


彼女の前で、二度と料理の事に口を出さまいと思いながら食べる。

けど、丁度良いくらいに、醤油が弁当に合っていた。

食事を終えると、屍河狗威はその場から去ろうとする。


「何処に行くつもりだ」


当然ながら、屍河狗威の行動を先読みして扉の前に立つ嶺妃紫藍に、屍河狗威は面倒臭そうに下がった。



「き、決まってるでしょ…授業を受けるんですよ、次の授業は英語のジョンソン先生のイングリッシュでスピーチしなきゃ」


「次の授業は国語の武藤田先生のテストだろうが」


「なんで知ってんの?」


「それに貴様が受けた所で意味が無いだろ」


「なんでそんな酷い事言うの?」


中々酷い言い草であった。

事実ではあるが、否定したい気分になる。


「誰が授業をするかなんてのは、重要じゃないんだ、授業に参加してこそが、意味があるんだよ…ほら、先生の声って眠たくなるだろ?あの声を子守唄にして眠ると最高なの」


教師は寝かしつける為に仕事をしているワケではない。

生徒に授業を教える事が仕事であり、生徒は授業を覚える事が仕事であるのだ。


「貴様が逃げようとすると、追い掛けたくなる」


「狩人の性分?」


屍河狗威は後退する。


「貴様など、本当はどうでもいい、けどな…其処まで逃げようとすると、意地になるだろ」


嶺妃紫藍は屍河狗威を見詰める。


「おいおい…何度も言ってるけど、紫藍ちゃんさ、俺に執着しちゃダメよ?それに紫藍ちゃんの方から一夜限りの関係だって言ったでしょうが」


余りにもしつこい彼女に、屍河狗威は彼女の言葉を盾に突き付けた。


「…ぐう」


ぐうの音が出ていた。

嶺妃紫藍の声であった。


「…そうだ、そうだとも…一夜限り、しかし、私にとっては初めての事だ…狼狽し、心境が変わる事など、可能性があるだろう」


この感情は気まぐれで、意味などない。

そう自らが納得する為に。


「だから…貴様など、たかがイヌ、そう思えた自分に戻る為に…もう一度お前を抱く」


「なんでそうなる」


自らのスクールリボンを外して、第一ボタンを外していく。

黒色の下着を晒して、真っ赤な顔が屍河狗威を見詰めている。


「もう一度、あの夜の事をすれば、お前など取るに足りない存在だと自覚する為だ、ほら、男性器を出せ」


荒い息遣い。

にじり寄る彼女の目が本気である事を、屍河狗威は確信した。


「一回限りだからご褒美なのにさ…二度も抱いたらご褒美じゃないでしょ、それ」


「馬鹿が…私の体を二度も抱ける男がこの世に居るか…ッこれは褒美を越えた贅沢だと思え」


屍河狗威の甚平服を掴む。

逃げる事を止めた屍河狗威は嶺妃紫藍を見詰めている。

近くで見れば、彼女の綺麗な顔が良く分かる。

学園では高嶺の花、触れれば傷つく鋼の荊など、大層な呼び方をされるが、やはり彼女の容姿端麗さには、誰もが目を惹く魅力がある。


「学園で性の授業、てか?」


「どうせ、貴様はそっちの方が好きなんだろうが…変態めッ」


自ら、屍河狗威に口づけをする。

決してこの感情は恋慕ではなく、殺意と憎悪をごった煮させた感情であると嶺妃紫藍は願う。

口から舌が伸びる。熱を帯びる舌先が口の中で伝熱させていく。

屍河狗威は相手が好んでしてくるのならば、遠慮は無かった。

強く抱き締めて嶺妃紫藍の唇を犯す。

意識が悶え、熱で逆上せそうになる最中、唐突に口を離した。


「あぁ、クソ…仕方ねぇなぁ」


高潔な人間を犯す瞬間、人はけだものになる。

その一歩手前、狼になる前に、屍河狗威は彼女を見て言う。


「贅沢にも程があるだろ…」


「当たり前だ…お前も、尽くせ、私に、贅沢をッ…んぁ」


すると、顔を蕩けさせた嶺妃紫藍は舌を伸ばして、再び屍河狗威の熱を奪い出した。

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