第2話 スカウト ルカ♂の場合
*** 一年前 ミッドガルド(我々の地球) ***
―― ルカの場合 ――
「お母さん、ご飯できたよ」
ルカは貧乏な学生だった。シングルマザーに育てられた一人息子だった。母親はイラストレータの仕事をしていたが、五年ほど前に起きた事件で怪我を負い、やがて働くことができなくなった。ルカはやむをえず学校に行きながら、家事や母の世話をした。いわゆるヤングケアラーである。
「ルカ、ありがとう。毎日ごめんね」
母親は弱々しい声で言って食卓についた。
「いいよ。そうだ母さん、またネットの収入が入ったから、何か欲しいものがあったら言ってね」
「良かった。ルカが稼いでくれるので助かるわ」
ルカはITの知識が深く、最近手ごろなビジネスを始めていた。あるテーマに沿ったエピソードをネットで広く集め、ネタとして作家や脚本家に有償で提供したり、投稿者間で共有するサイトを立ち上げた。
翻訳ソフトを使って海外にも広く提供を求めると膨大なエピソードを集められるようになり人気サイトとなった。それを見た友人には微妙な褒められ方をした。
「お前は、いつもうまく人の力を使うよな。他力本願というか、他力増幅というか。隙間ビジネスやらせたらピカ一だ」
まあ、その通りだと思う。何か特別な才能がある訳では無いが、自分は勘が良く、見る目もある方だと思う。人が気付かないところに注目し活用する。他人の力や情報をうまく活かす。これでこれまでの人生のたいていのピンチはしのいできた。
―― でもこの能力は普段の生活にはあまり役立たないんだな。
ルカの学業の成績はパッとせず特技も無い。交友関係は狭く、たいした趣味も無い。と言うか趣味なんてする時間が元々無い。せいぜい短い時間にゲームをやるくらいか。学校とアルバイトに励む日々。週休ゼロだ。金も時間も無いせいか、彼女を作る気もあまりない。
「彼女を作ったところで気の利いたところに連れて行けないからなあ。車も無いし……」
やる気になればすぐ彼女を作れるような口振りだが、そもそも彼にそれほどの器量はない。ルカはその日も早々と布団に潜り込み、一日の疲れを取るべく目を閉じた。
「せめていい夢、見ないかなあ……」
その夜、その願望は実現した……かのように思えたのだが――
夢の中でルカはどこかの部屋に居た。いくつかの部屋が並んでおり、多くの人がいる。壁が一メートルくらいの高さしかなく、他の部屋も丸見えだ。部屋に居る人達は皆座ってぺちゃくちゃ話に夢中になっている。
ふと、気が付くとルカの近くに女の子が横たわって眠っていた。時々夢に出て来る子だ。ウエーブがかかった長い髪に小さな顔、優しい寝息、柔らかそうな腕と体、すらりと伸びた脚。
「この子、好み、と言うか抜群に可愛いんだよな……」
すると女の子は目をゆっくり開き、透きとおる様な美しい眼差しでルカの方を見た。寝ぼけているのか、ただ見ているだけで表情は変わらない。
(こっちを見ている! ひゃー、やっぱり可愛い♡)
ルカはまず周りの人達を見回した。みんな各々のグループの話に夢中になっており、こちらに注目しているやつは一人もいない。
(ちょっとこの子に触ってもいいかな?)
ルカは薄々これが夢の中だと分かっていた。ゆっくり、ゆっくりと彼女に近づき、添い寝の体制に入った。彼女はなおも不思議そうな目でルカを見つめるだけである。
(いーよしっ。隣に寄り添ったぞ。これであとは手を伸ばすだけだ。そして次は……うしうし)
既に目がいやらしくなっている。女の子はルカの方に顏を向けたまま今度は目を閉じた。(これは! オーケーということか? オーケーということだな)
勝手に解釈する。
まずは髪だな。手をそーっと伸ばす。もう少しで髪に触れる。
その時、背後から声がした。「ねえ、何してるの?」
ビクッ「うっ!」
ルカは心臓が飛び出るほどびっくりした。後ろは全くノーマークだった。
驚愕の表情で、恐る恐る声の方に顔を向けた。
すぐそばにメガネをかけた女性がいた。年上だろう。ふくよかな胸にビジネススーツを着込んでいる。彼女は両手で頬杖してルカをまじまじと観察していたのだった。
「しーっ。何もしてないよ。静かにして」
ルカは慌ててそのメガネの女性に言った。
「その女の子に何かしようとしてるじゃん。夢とは言え、やらし」
「静かにしてってば。誰よあんた?」
「私はアイリスって言うの。よろしくね」
ルカはアイリスを睨みつけた後、女の子を見た。良かった。まだそのまま目を瞑っている。ルカはアイリスに釘を刺した。
「ちょっと、いいところなんだから邪魔しないでくれない?」
アイリスは周りを見回した。
「ルカ君。あなたの夢って貧弱ねえ。なにこのシチュエーション、避難所みたい。女の子を口説く場所じゃないよね。どうせ夢なんだからリゾートホテルとか、高級マンションとかに設定しなさいよ」
アイリスのあまりに的を射た指摘。
「うるさーい。ほっといてくれ、そういう所は行ったことが無いからイメージできないの!」
「だったらせめて、甘い言葉で口説くとかしたら? 何なの、その何も言わないでこそーっと触ろうとする痴漢動作は?」
「言葉は要らない。これは静かに行う神聖な行為なのだ」
真面目な顔でとぼけたことを言う。
「ぶははは。それが神聖な行為なの?」
アイリスは笑い転げた。
「もういい加減にしてくれ。お願いだからこれ以上邪魔しないでよ。僕のささやかな夢なんだよ」
ルカが懇願すると彼女は何とか笑いをこらえた。
「わかった、わかりました。ごめんね、いいところ邪魔しちゃって。今度は夢の中でなくて日中にお邪魔するね。あ、ちなみに私はこういう者よ。またね」
アイリスは名刺をルカに渡してからふっと消えた。名刺にはこう書いてあった。
『WCA守護神スカウト チーフ アイリス・ゴッド』
WCA守護神スカウト? 何だこりゃ?
ルカは、はっと思い出して横で寝ているはずのお目当ての子を見て……
(いない。いないじゃん――)
慌てて辺りを見渡すと、あくびをしながら部屋を遠ざかる彼女の姿が見えた。
こうしてルカの甘い夢はあっけなく終わってしまったのだった。
(くそー、逃げられた。また今夜も未遂で終わってしまった……)
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