第2話
二重に重ねた大ぶりの紙袋をそれぞれ片手にひとつずつ、合計四つ。その内のひとつは僕自身の買い物だったが一番量も少なく、軽い。では僕がもう片方の手に持っているものは何だったかと言うと、すべて邑神有奇の購入した書物だ。人よりも大柄で尚且つ普段からトレーニングを重ねている僕だからこそ思うことだが、この量はあまりに多すぎる上に重すぎる。
「有奇くん」
「……言うな」
「ウィンドウショッピングで終わらなかったね」
「言うな……」
流石に本人も反省しているのか、それとも荷物の量に既に疲労しているのか、声に覇気もなく、こちらと目を合わせようともしない。
この男は基本的には自分のことは自分で完結させたい人間だ。古くからの友人であるとはいえ僕の手を借りている状況を自分でもまずいと思っているのだろう。
「ねえ、宅配ドローンを派遣してもらおうよ」
「無理だ。自分の不在時にその類いのものは受け付けないように結界を張ってある」
「ええ……今日だけでもなんとかならないの」
「そもそも持って歩けるんだ。宅配料がもったいないだろう」
内心、この頑固さこそなんとかならないのかと思ってみるものの、邑神有奇の頑固さは僕に負けないくらい酷い。
「妙なところでお金を出し渋るんだから……」
「節約できるならその方が良いだろう」
彼は頑固だ。その事実は曲げようもない。どうにもならないことに思考を巡らせるより、この疲労を如何に軽減させるか考えるべきだろう。
「――とりあえず喫茶店に入ってお茶でもしない?」
人間何事に取り組むにも糖分は必須だ。甘い物を補給すればこの荷物の負荷も少しは軽く思えるかもしれない。そして何よりも――。
「良いことを言うなあ、東雲祥貴。ちょうど甘い物を食べたかったところだ!」
覇気のなかった声に俄かに力が戻り、真っ黒な瞳がようやくこちらを見上げて嬉しそうに笑う。
――そして何よりも、邑神有奇は無類の甘い物好きなのだ。
平日の昼下がりであるのに喫茶店は思ったよりも混み合っている。繁華街に平日も休日も関係ないのかもしれない。幸い、窓に向かって設置されている少し広めのテーブルがちょうど二席空いていた。男とは顔も見合わせる必要もなくふたり同時にそこへスタスタと歩いて行き、どっさりとテーブルの上へ荷物を下ろした。
店を改めて見渡す。レジへと続くレトロなショーケースの中では季節のケーキや王道のショートケーキなど様々な洋菓子がホロ投影されていた。レジの中にも店員が立っている。極めてオールドスタイルの店だ。人間がまともに接客をするような店は少し値の張るような場所か、何かしらの狙いやコンセプト――例えばボードゲームカフェバー『ユートピア』のような――がある店だ。この街には至るところに古い光景が少しずつ残っている。この店はその古さを逆に売りにして観光地化しているタイプの店のようだった。
「何度もこの辺りには来ているのに初めて入ったなあ」
「そうなのか。この店のケーキは美味しいぞ」
「何回か来たことが?」
「三回目……くらいだったと思う」
昔の人々がしていたようにレジの列に並びながら男の隣でショーケースの中身を吟味する。ショーケースに浮かぶホログラムは宝石を映したように輝いているが、実際の物がそうとは限らない。だが、この男が美味しいと語るなら美味しいのだろう。邑神有奇ほどの甘い物好きの人間はあとひとりくらいしか思い当たらない。
彼の勧め通りにケーキを選ぼうとも思ったが、外が思ったよりも蒸し暑く、クリームの乗った菓子を食べようという気にはならなかった。頭を悩ませているとショーケースの端の方に陣取る茶色の輪っか状の物が見えた。
「うううん……あ、ドーナツもあるんだね。それにしようかな」
「それで良いのか?」
「うん、十分甘い物だしね」
「そうか……」
こちらの答えに少しだけ寂しそうな顔を見せながら、それでも彼はレジの店員にはクリームのたっぷり乗ったケーキと、いつも通り無糖のアイスティーを注文していた。
オールドスタイルでレジ横で注文の品であるドーナツと彼と同じく無糖のアイスティーを受け取り、席に戻る。テーブルから溢れんばかりの紙袋をなんとか店の床に置き直してトレーを置くとやっと椅子に腰掛けることができた。
「まったく――君が一向に今日の目的地を話さないから何かあるんだろうとは思っていたけど」
「お前さんもあの店を気に入っただろう」
「いや、確かに良い古本屋だったが……」
己の額にまだうっすらと汗が浮かび上がっているのがわかる。
書籍は重い。資源も使う。ちょっとずつ世界から紙という媒体の存在感が薄れていっている理由が今日の経験だけで十分に理解できる。
喉を通る冷えすぎたアイスティーが心地良い。訓練や稽古のあとの爽快感に似ていた。
隣ではクリームたっぷりのケーキにフォークを通しながら黒い瞳を爛々と輝かせている男がいた。僕とは違い、甘い物を目の前にした彼は古本屋で得た疲労がすっかり吹き飛んでしまっているらしい。
「君、確か創愛百貨店に外商担当が居たんじゃなかったっけ?」
「自分が、ではなく親……というよりは本家が、な」
それがどうかしたかと素朴な疑問を一瞬浮かべるものの、一口ケーキを含んだ瞬間には頬が綻んで全身で甘みを感受しているようだった。彼が破顔するのは珍しいことだが、甘い物の前ではいつものことだった。
「今日みたいな買い物も、外商担当に依頼すれば取り寄せられたんじゃないのかい? あそこは確か古書を取り扱う書店も入っていただろう」
「デパートの中に入っている店は興味深いが、デパートの店員は苦手だ」
満面の笑みを浮かべていた顔が一気に苦虫を噛んだ顔に激変した。彼に内向的な部分が多少ならずあることは知っていたものの、ここまで露骨に嫌な表情を見せるとは思っていなかった。
「でも注文をすれば無人じゃなくて担当付きで自宅まで荷物を運んでくれるだろう?」
「物を売りつけるために田舎の本家まで来るなんて、ご苦労なことだよ。あいつらは物を売るためならなんでもするぞ」
「酷い言い方もあったもんだね……君だって創愛でイベントを組んでもらっていたくせに」
「仕事相手なら割り切れる。客として世話になるのは面倒なんだ。こちらのペースで商品を見ることすらできないんだぞ――ちょっと物を見ているだけでごちゃごちゃと話しかけてくる。自分はその『物』を見たいだけなのに、だ。誰も人と話したいと思っているわけじゃないんだぞ」
高校時代からではあったが、彼は極端に『雑音』を嫌がる。店員の声掛けも彼の中では『雑音』にカテゴライズされているのかもしれない。
「せっかく受けられるサービスを活用しないのはもったいないなあ……」
「東雲祥貴、お前さんだってあの古本屋のことを『良い』と言っていたじゃないか。あの『良さ』がデパートにはないんだ」
お前にも当然わかるだろうという得意げな顔をしてどんどんケーキを口の中へ運んでいく。邑神有奇の言いたいことは当然、わかる。
「自分で直接見て、運命的な出会いを果たす書物というものも確かにドラマチックだし、僕もそういう体験は大切にしたいと思っているさ――でもねえ、君。君の画廊のどこにそれだけの本を置くスペースがあるって言うんだい。既に君の眠るスペースだってないくらいなのに」
その発言を聞いた瞬間、得意げな顔が再び嫌なものを見た――実際には聞いた顔に変化し、そして「はあ」とわざとらしく溜め息を漏らした。
「だからお前さんには直前まで古本屋に行くとは言わなかったんだ……母親みたいにうるさい小言を言う……」
「いやいや……事実だろう!」
あまりに自然に文句を垂れる友人に一瞬語気を弱めてしまったが、こちらは何も変なことは言っていないことを思い出して思わず少しだけ声量が大きくなった。
しかし、目の前の旧友は未だこちらを「ナンセンスだ」というような白けた目でこちらを見ている。
「本を置くスペースだなんだと。そう言うのは買ってから考えるものなんだ、東雲祥貴」
まるでこちらの常識が変だと責めを受けているように感じるほどだが、断じてそうではないはずだ。だがあまりの堂々たる振る舞いにほんの少しだけ呆気に取られてしまった。目の前で汗をかいているグラスの中身をとりあえずもう少し飲むことに決めた。
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