たわむれ
AZUMA Tomo
第1話
知己、旧友、親友――彼との関係を表す言葉は様々に存在するが、どれもそれなりに互いのことを知った仲というものを指す言葉となる。邑神有奇とは高校時代からの友人であり大学で一度離れたものの、何の縁の巡りか、再びよく会うようになった。
――いや、僕が「何の縁」などという資格はない。彼は確実に僕のために意志を持って再び縁を繋げてきたのだが……これはまた別の話。
兎も角、成人してからの付き合いの方が今は長くなって、高校時代以上に互いのことをよく知るようになった。彼が美術や芸術に親しんでいることは高校生の時からわかっていたが、まさか美術商になるほどとは思っていなかったし、彼が古い文学や書物を愛していることも知っていたが、自身の画廊を埋め尽くすまでに古書で溢れ返らせるほどとは思っていなかった。おそらく彼は『過分』という言葉を知らないのでは。はたと心配になる程度には彼は古きものや美しきものを愛していた。
「次の駅で降りるぞ」
重く切り揃えた灰色の前髪の下に橙色のアンダーリム眼鏡を装着して、真っ黒な瞳がこちらを見ながら合図する。休日が合えばこうしてふたりで出かけることも少なくない。仕事では愛車で移動することが多いため、電車を使うのは久しぶりのことだった。
真っ暗なトンネル内で鏡のようになった窓ガラスには閑散とした平日昼間の車内と灰髪の男と、その男よりも随分身長の高い金髪で涼しげな着流しを着た男が映し出されていた。僕はその金髪の男の姿を一瞥すると車内のホログラム表示を見上げる。路線図とその線上に浮かび上がる駅名。次の到着駅は一際大きく表示されていた。そこは生活区域よりも少しだけ離れた場所であったが、よく知った場所でもあった。
「……この近辺なら別に僕が車を出しても良かったのに」
「繁華街に近いから駐車代がもったいないだろう」
「そんなこと気にしなくても」
「この辺りで一杯引っ掛けてから帰ろうと思ってたんだ。自分だけ飲むのも面白みに欠けるだろう」
「……それは確かに」
少し古い街並みの顔も残す、情緒深い商店街のある街。所謂デートスポットと呼ばれるような観光地や喫茶・飲食店も多く、僕自身もかなりお世話になった土地だ。
隣に座る邑神有奇とは長い間「友人」をしており、何かにつけて飲酒の機会を設けようとするくらいにはお互いが酒好きである。なので、彼の言い分も納得できるのだが。妙に引っ掛かるのは、彼が今日の会合の目的を未だに話さないことだった。
「……ちなみに、今日の用件を聞いても?」
「ウィンドウショッピングを、と言わなかったか?」
「いや、聞いてはいたけど……」
互いの趣味の性質上、楽しげな雑貨店や書店を歩き回るのは好きだろうことは予想できていた。僕自身、セレクトショップや工芸店を見て回ることは好きだし、お互いにおすすめの店の情報をやり取りすることだってある。だが、今回彼は「ウィンドウショッピング」以外に何も情報を語らない。ウィンドウショッピングをするにしても、目的の店が存在するはずだ。その目的の店が何か、自身の中で俄かに嫌な予感が立ち上ってきていた。
やがて電車は徐々に速度を落としていき、ブレーキによって車室が少し大袈裟に揺れ動く。しかし車内広告のホログラムはそんな揺れなど素知らぬ顔で――「そうだ、キョートへ行こう」と――まだ夏も真っ盛りだというのに秋の行楽の宣伝をしていた。
そして僕の嫌な予感は見事に的中していた。
「――君さ、まだまだ家に積んでいる本、あるよね?」
「……それが何の問題になるんだ?」
「ウィンドウショッピングって言ってたよね?」
「……必ずしも買い物をしてはいけないというものでもないだろう?」
問いに対して問いを返してくるのはこちらをはぐらかそうとする以外のなにものでもない。
現在、書籍というものは新規に発行されるものは多くはない。蒐集家やマニア向けに少数部印刷される。裏を返せば、読書家を自称する人間やマニアであれば紙の本を欲しがる。そしてその発行年数が古くなればなるほど、手に入れるのも難しく、物によっては値段も上がるものだ。
大抵の書物が(おそらく国によって選別されてから)アーカイブ化され、大抵の情報は電子上で手に入れることが可能になった今、古い本をありがたがって取り扱うような場所は古物商の認可を受けた歴とした古書堂のみとなってしまった。僕たちは今、飲み屋街から数本道の逸れた古本屋の中にいた。
旧友は普段は眠そうにしている黒い瞳をそれはそれは輝かせながら書棚を漁っている。片手には既に何冊かの古本を抱えていた。
「クリムト……!」
「ねえ、有奇くん。クリムトの作品なら国のアーカイブからも引っ張ってこれるよ。わざわざ画集を買わなくても……」
「ごちゃごちゃうるさいぞ。いつ見られなくなるかわからないアーカイブよりも画集だ。この評論家の解説が載っている画集は持っていなかったからな……」
「いや、気持ちはわかるけどさ……」
「東雲祥貴、お前も余裕があれば紙の本ばかり買っているだろう。気持ちがわかるならどうして自分にだけそんなことを言うんだ」
確かに僕自身も紙の本は好きだ。指先がページを摘み、捲る感覚。本の年齢を感じさせる紙の香り。何よりも視覚を刺激しすぎない構造になっている――かと思いきや筆者の様々な意図でデザインされた書籍があったり。とにかく紙という物理的な縛りのある中で作り手の様々な工夫を感じられる書籍を僕も愛していた。それ故に彼にそのように指摘されると閉口せざるをえなかった。
「――君の影響がなければ僕だって紙の本なんか買ってないよ」
苦し紛れに出てきた己の言葉はなんとも不恰好な物だった。
この男と居る時だけはどうしても、「餓鬼」の自我が覗いてくる。「紙の本なんか」などという表現は自分自身不愉快極まりない言葉だった。紙の本を好きなはずなのに、身勝手な気恥ずかしさのために貶める――有奇くんの前では僕はまだ「男子高校生」のままの、未熟な存在だと感じてしまう。しかし、それは有奇くんもすべてわかっている話だ。
古本屋の温かな光をメガネがきらりと跳ね返して、書棚を眺めていた目がこちらを見上げた。そして「ふふ」と満足げに笑う。
「お前さんも何か買わないのか?」
「あーあ、出たよ。自分だけ買い物するのは忍びないからって人にまで物を買わせようとする」
「あっちにお前の好きそうな海外作家のコーナーがあったぞ?」
「もうっ……見てくる」
着流しの袖が書棚に引っかからないように気をつけながら、男の指差した方向へ歩みを進める。友の行動に苦言を発したものの、本当は僕だってこの書籍の豊富さに胸が高鳴っていたのだ。
そして僕は、有奇くんを止めなかったことを後悔することになる。
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