Day24 朝凪


 やがて、海から陸へと――。


 生まれ育った漁師町の小さな神社には、人魚が祀られている。

 お寺のように御開帳があるわけでなし、代々の宮司だけが代替わりの際にほんのひと目、見ることができた。

 断言できるのは、他でもない――現在の宮司が、僕だからだ。

 かつては、僕も「らしい」としか言えなかった。

 しかし、今は知っている。

 社の奥――祭壇の奥に鎮座する古めかしい木箱の中に、それはいる。

 予想に違わず、ミイラであったが――ひどく瑞々しくも感じられた。


 出して――!


 先の宮司が箱を開け、を包んでいた古布を開いた瞬間――頭の中に、響いた声。

 顔を両手で隠し、尾を腹に引き寄せるように折りたたんで身を縮込ませた人魚は、既に黄ばんだ細い細いこよりに束縛されていた。

 幾枚か貼られた御札は、封じの札であろうか……?


 帰して……!


 同時に――茶褐色に乾燥したミイラに重なって目に浮かぶ、泣き叫ぶ美しい女の姿。

 再び布に包まれ、箱の蓋に新たな封印が施されたあとも――僕の脳裏に、声も姿も鮮明だった。



 それから毎日毎晩、彼女の声と姿が――頭を離れなかった。

 もう一度、会いたい……。

 思いはやがて、会わねばならない……使命感とも義務感ともつかぬ思いに変わった。


 おそらく、薄情にも――彼女の願いをかなえてやることより、自分が彼女に会いたいばかりである自覚はあったが。


 あらゆる扉の鍵は、宮司である僕が持っている。

 ひとり、夜更けの社に向かった――。

 祭壇の奥、彼女の入った箱の封印を切る。

 包みごと箱から取り出し、色褪せた古布をがきとれば――初めて見た時と同じ姿の彼女がいた。

 震える手で、戒めのこよりを解いた。


 顔を覆う指の隙間を通して、目が――あった。


 ミイラは、いつの間にか白い肌と虹色に輝く尾を持った、あの日、重ね見た女の姿を取り戻していたが――涙にぬれる瞳は、暗い憎悪の炎に揺れていた。

 尾でしたたか打ち据えられ気を失った僕が目覚めたのは、間もなく夜明けを迎える頃。

 開け放たれた社からは、小さな町並みと――その向こうに、静かに凪いだ海が見える。

 彼女は、この町を飛び越えて行ってしまった……否、帰ってしまったのだ、海へと。

 遠くなる意識の最後に聞いた、彼女の声がよみがえる――。


 しかるべき、報いを――。



 あぁ……。

 やがて、海から陸へと――風が吹く。





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