Day15 岬
岬の先に、手を振るひとがいた。
シルエットからすると、女性――右腕を上げて、肘のあたりに左手を添える仕草は、和装の袖を押さえているのだろう。
「振り返しちゃ駄目だ――」
見てもいいが、手を振り返したり呼びかけたりしてはいけない……子供時分、父の船に初めて乗せてもらった日に、まず強く言って聞かされた。
訝しく思いはしたもの、いつにない父の真剣なまなざしと、充分な戦力としてご近所の船の手伝いに乗り込むまでは、常に父と同乗していたこともあって、面白半分に言いつけを破ってみようとは思わなかったが――自ずとその理由は知れた。
女は、晴れた日も雨の日もいつも同じ場所に立ち、同じように手を振っていた。さすがに遠目なので、正確な年の頃はわからないなり成人女性のようだったが、結い髪に丈の足りない着物姿は、テレビの時代劇で見る貧しい漁村の女の身なりに似ていた。
ほとんどの島民が漁業と近年始めた養殖業とに従事している知り合いばかりの小さな島に、該当する女性はみつからず――さらには、年長者の誰もが自分と同じように初めて海に出た時からその女はいると言い、また自身が初めて目撃した時から四半世紀を経てもなお同じ姿であり続けているからには、戯れを起こして肝試しをしていい存在ではないと思考よりも肌感覚にしみていた。
ところが、その日――漁から戻ると、小さな港はいつにない緊張感に包まれていた。
奇妙な沈黙の中心で半ば困惑、半ば憤慨していたのは、つい先ごろ養殖業に加わるため本土から移住してきた若い男だ。
自前のエンジン付きの独り乗りボートで島の周囲を見回って戻ってきたところだという男は、島に入ってからの日も浅く、養殖業の方も基本的な指導を受け始めたばかりで、古くからの住人や移住の先達たちと共に海に出たことがなかったために、岬の女の存在を知らなかったらしい。
手を振り返したと、言うのだ。
しかし、正直なところ誰も――なにが起こるのか、知らなかった。
呼ばれるのだろう……漠然と感じていただけで。
それでも、せめて何か――前もって知らせなかった自分達にも非があると、体力自慢の漁師たちで彼を鍵をかけた公民館に匿ったのだが……。
はたして、いつの間に出て行ったのか――翌朝、男は岬の下の岩礁で無残な姿を波にさらしていた。
それ以降、岬に手を振る女の姿はなくなり……。
今は、男がひとり、手を振っている。
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