Day12 チョコミント
先輩は、チョコミントアイスが好きらしい。
誰かが買ってくれば、バニラアイスもシャーベットも食べるけれど、先輩自身の買うのはいつもチョコミントだった。
「チョコミン党…って、時どきいますよね」
まぁ、そうなんだけどね……先輩は、少し口籠ったあと。
「思い出の味……みたいな……?」
言葉尻を上げ気味に、はにかんだ。
小学三年生の夏休みだったそうだ。
先輩は、避暑がてら山々に囲まれた町の父方の祖父母の元に遊びに来ていた。
近くにある神社の裏の山は、中腹にしめ縄の渡された三つの大きな岩があり、神域であるということだったが、その岩までの道はゆるやかな登山道として整備され、地元の子供たちの遠足の定番コースとして親しまれていた。もちろん、さほど危ない箇所はない――故意に道を外れ樹々の間に踏み込んでいかなければ……。
しかし、その頃の先輩は、好奇心と無謀の塊だった。
蛇行しながら登る道を斜面を縫って登ることで近道しようとしたらしい。
ところが、どれほど登っても上を行くはずの道に辿り着かず、足を滑らせ転げ落ちたはずが元の道にも辿り着かなかった。
さすがに不安になって、声を上げながらあちらへこちらへ彷徨う内に暗くなってくる。背の高い樹々に空をふさがれていれば、夏の残照も頼みにはならない。
絨毯のような腐葉に足を取られ、何度目かの尻もちをついたそのままに、九歳になったばかりの先輩は、ついに泣き出してしまった。
そのまま、泣き疲れて眠ってしまっただけだったのかもしれないが、先輩は、くらりと気が遠くなったように感じたと言う――なにやら、いい匂いがして目が覚めると、昔話や博物館で見るような囲炉裏傍の板張りの床にしかれた布団に寝かされていた。
「坊主は、ひとりで山に入ったのか?」
祖父ほどしわがれてはいないが、父よりも年輩とおぼしき男性の声がした。
「よりによって、今日とは……困ったこと」
ため息混じりに思案するような声は、やはり祖母ほどではないが母よりは年を取った女性に思われた。
きっとこの人たちが見つけて保護してくれたのだと理解して、のろのろと身体を起こした先輩は、しかし――戸惑う。ふたいろの声は、すぐ隣までとは言わないが、どちらもせいぜいそこに見える囲炉裏の周囲から聞こえていたはずなのに、誰もいなかったのだ。
否、それは正確ではなかったかも知れない――囲炉裏に駆けられた鍋を見えない何かに操られる木製のおたまが、かき混ぜていた。
「戻れる日が来たら。送ってやる」
男性の言葉は、大人になって思い出せば、質問を返す余地があったろうとも思うのだが、その時には不思議とすんなり納得できて――先輩は、その日から一か月ほどだろうか……その家で寝起きした。相変わらず、声の男女の姿は見えなかったが、食事や風呂は垣根に囲まれた庭で遊んだり、時どき手伝いを頼まれて井戸端の笊に置かれた採れたての野菜を洗ったりしている間に準備されていた。
食べ物は、それほど特別なものには思われなかったが、母や祖母の作るものとはどれも違っていて……もちろん、味もこれまで食べたことのないものだったが、どれも美味しかった。
ただ、何度がおやつに出された冷たいクリーム状のなにかだけは、濃い甘みの中に混じったすっと鼻に抜ける薬草っぽさが……不味いわけではないのだが、子供の舌には微妙だったそうだ。
そうやって過ごした後、ある日――垣根の一部が、門のために塀が途切れるかのように開いた。
「家へ帰れ。もう、ここへ来るようなことがあってはいかんぞ」
『送ってやる』と言われたのは、『連れて行く』と言う意味ではなく、文字通りに『送る』という意味であったらしい……促されて垣根の隙間を抜けたとたん、またもくらりと意識が遠のき――気が付くと、最初に樹々の間に踏み込んだ道の真ん中に、尻をついて座り込んでいた。
間もなく日暮れ時で、帰りが遅いことを心配して迎えに来た母親に連れられて帰ったそうだが――感動の再会と思いきや淡々とした様子も通り、気候にひと月分の変化もなく、祖父母のうちの日めくりカレンダーは、出かけた日の朝めくったそのままだった。
つまりは、斜面を滑り落ちた時に頭を打って気を失っている間に夢を見たのだろうと、結論したのだけれども……。
「あの微妙に思ったおやつが、なんだかとても懐かしくてさ……」
それに一番似た味と触感を探して見付けたのが、チョコミントアイスだったらしい。
「本物も――今なら、手放しで『美味い』って思うのかな……? 食べたいなぁ」
思いもよらない昔話におののく一同を気に留める様子も見せず、先輩はまた一掬い――焦げ茶色の欠片の含まれたミントグリーンの山を口に運んだ。
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