Day2 喫茶店


 ほぅ……。

 密やかなため息が、聞こえた。



 ぽつりぽつり…降り始めた雨の追われて、看板の目に留まった喫茶店に逃げ込んだ。

「いらっしゃい。お好きな席へ、どうぞ」

 間接照明に照らされた店内は、背の高いスツールが五脚ほど並ぶカウンターと観葉植物で仕切られたU字ソファのボックス席が三か所――広くはないがほど良い閉鎖感に、これは良い隠れ家を見つけたのではなかろうかと心が浮き立つ。

 午後の中途半端な時間なためか、ほかに客はない……と思ったが、一番奥のボックス席に先客がいたらしい――かちゃり…カップとソーサーの触れあう微かな物音を聞き留めて、真ん中のボックスへ腰を落ち着けた。

 店員は、カウンターの中から声をかけてくれた四十路五十路と思しきマスターひとりであるようで、ほどなくカウンターの端を跳ね上げて手頭からお冷とおしぼりとメニューを届けにやってきた。入り口を入ってすぐに嗅覚がとらえたように、コーヒーに多少の自負を持つ店であるそうだ。

 コーヒー党ではあるが、銘柄やブレンドに強いこだわりがあるわけではない――おすすめをそのまま頼んだ。

 ほとんど漣のような控えめなBGMと、やがてほとほととネルのフィルターにマスターの落とす細い湯の音――それから……。


 かちゃり――。

 隣りのボックスから――ごくごく慎重にソーサーに戻されるカップの響き。


 マスターはただ、ふつふつとフィルターに膨らむコーヒーを見つめる。


 ほぅ……。

 細くこぼされる吐息は、女性のものだろうか……?


 なるほど、マスターの所作はよどみなく美しい――。

 見惚れる気持ちもわかる気がした。


 そこには、ほのかな熱さえ覚えたと……思ったのだけれども。



「ごちそうさまでした」

 旨いコーヒーを友にひと時を過ごして、雨雲の通過を潮に席を立つ。

「よろしければ、またお寄りください」

 会計をお願いしながらふと顔をあげると、レジに屈むマスターの肩越し――入店時には気づかなかったが、奥のボックス席の内が見えた。

 諾を返しながら、もう来ないほうがいい……思っていた。



 奥の席は、空だった――。




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