第3話 お茶会は波乱の予感
王立図書館に行った日から半月は過ぎたある日、フレイヤの元にまたもや例によって嫌がらせを画策されているだろうお茶会の招待状が届いた。
差出人は先日のボート遊びの時の主犯格キーラ・ブレア嬢だ。
因みに彼女の実家ブレア家はアイスフォード家と同じ伯爵位を賜っている。
使用人によって自分の部屋まで届けられた招待状を手にするフレイヤは、それを目の前の事務机にぞんざいに放り出すや椅子の背凭れに背中を預けた。
「はあぁ~~。ボート乗りからまだ一月さえ経っていないのに、また嘘つきばかりの集まりに行かないとならないのね。建前とか見栄の張り合いのせいで行く度に体がチクチクして嫌なのに」
フレイヤにとって嘘は害にしかならない。
だがこれまでの経験から、手紙を無視したり断ったりするとしつこく別の招待状が送られてきて参加するまでそれが続いた。参加をしなかった分だけ嫌がらせもエスカレートする。先日のボートから落とされた件がいい例だ。先々の大きな面倒を少しでも軽減するためにも目先の小さな厄介に耐える方が得策なのだ。
どうしてしつこくキーラが嫌がらせをしてくるのか、それはフレイヤが彼女の兄ヴィンセント・ブレアと婚約しているからだ。
婚約は決してフレイヤの意思ではない。
昔共に戦場を駆け抜け外敵を退けた戦友だった両家の祖父同士の決定だ。同じ釜の飯を食ったのだしどうせならマジ姻戚になろうと誓い合った彼らだが、生憎彼らの子供達世代にはついぞ縁はなかった。残念がった二人はしかし諦めが悪く、望み実現のためにそれなら早々に孫同士を婚約させてしまえと考えたのだ。
別段ヴィンセントを好きでもないフレイヤにとっては甚だ迷惑でしかなかったが、現在のアイスフォード家の財政事情を考慮すれば金銭的安泰の観点から拒否できる立場にはなかった。
温暖な領地の多いブレア家は資金が潤沢だ。
対照的に、アイスフォード家の領地は年中雪と氷に覆われた土地が多く、作物も育ちにくいために領地経営はいつの世代も厳しかった。
例外は将軍として功績を立てた祖父の時代だろう。王家からの報償金でしばらく家は潤っていたと聞く。現在ではそれももう尽きて貧乏貴族まっしぐらだ。
祖父達も存命かつアイスフォード家が破綻しかねない現状下では、政略的な側面もあって泣く泣く従うしかなかった。しかも両親は金銭面とは関係なく小さな頃から知っているヴィンセントが将来義理の息子になるのを素直に喜んでいた。とは言え退役した今でも一緒に狩りに行く祖父同士の絆とは異なり、そこまで両家は親しくしていたわけではなかったが。
とにかく、おいそれとこの婚約を破談にはできない。
何か先方に問題がない限り、或いはアイスフォード家に有効な財政再建策がない限り、フレイヤは泣き寝入り宜しく好きでもないヴィンセントと結婚するしかないのだ。
――これまでの彼女のままだったなら。
「財政事情を改善して領地経営さえしっかと行えば、結婚する理由はなくなるし、確実に破談にできるわよね」
フレイヤは椅子の背凭れから身を起こすと一人事務机に肘を突いて両手を重ねる。彼女は幸運にも前世を思い出した。そして偶然にも前世の彼女は現在の実家アイスフォード家の氷の領地にそこそこ縁があって詳しかった。
情報をもたらしてくれたのは側近のミゲルだが、彼のおかげでフレイヤは回避策を見出だせそうだ。
「ふふっ、まさかこんなところでまでミックに感謝する日が来るなんて思いもしなかった」
かつてミゲルと二人きりでいた時には気楽に愛称のミックで呼んでいた。もう公私を分ける必要がないのもあってうっかり気を抜くとその呼び方が出てきてしまう。もしも家庭教師などと歴史談義をする事があれば奇異に映るだろうから気を付けなければならない。
フレイヤはこの人生では弱き者を扶けつつも目立たず穏やかに過ごしたいのだ。
特にキーラの前で何か一つでも失態を見せれば、彼女にフレイヤを揶揄する話題を提供するだけだ。なので注意しようと気を引き締める。
まあそれ以前に彼女とミゲルの話題になるとは思わない。
ミゲル・ヒュー。
現実には最早遠い過去の人でも、まだ前世の記憶を思い出して日の浅いフレイヤにとっては褪せていない存在だ。ともすれば部屋の扉を開けて慇懃に入ってくるような気さえする程に。
「そんなわけはないんだけどね……」
一人しんみりしてしまったフレイヤははたと我に返って頭を振る。
「ま、とりあえず、お茶会を何とか無難に切り抜けないとよね」
キーラからの意地悪には無の境地で乗り切るか、とうんざりした心地で嘆息した。
彼女とは同い年で、気付けば昔から何かと折り合いが悪かったのもあって、嫌いな女に最愛の兄を盗られるとでも思っているのか、十歳の時に婚約が決まってからは特に風当たりは強くなった。
大抵キーラは彼女の取り巻き達を使ってフレイヤに面倒を起こす。
しかも周囲の大人達には嫌がらせとわからないような悪賢い方法で。うっかりしたと飲み物をこぼされたり足を引っ掛けられたりして何度ドレスを汚されただろう。とりわけ個人的なお茶会など部外者の目のない所では嫌味も露骨だった。
あのボート遊びの落水も不運な事故として片付けられていた。
騒げば逆にフレイヤの方が難癖を付けただのマナー知らずと言われてしまうのが落ちなので、もうそんな時はさっさと帰る事にしていた。
一年前、ヴィンセントがおよそ二年の留学を終えて帰国してからは、ドレスが台無しになれば彼と踊ったりする面倒をせずに済むメリットもあると気付いて、むしろ早くやって下さいと待ち遠しくさえ思うようになったのは内緒だ。
何故なら彼が社交界でも人気の高い貴公子というのが、キーラの取り巻き達がフレイヤを妬んで嫌がらせに加担する要因の一つなので、一石二鳥でもあるのだ。
女帝時代だったなら即側近のミゲルになり軍の将軍になり命じて一族郎党捕縛させて首をはねてやっていたところだ。ああ今は平和だな、とフレイヤは我ながら思ったりした。
前世で復讐を決意した当初は僅かに残っていたのだろう善良さが精神を苛んで随分と苦しんだが、何度も人の死を体験するうちに何も感じない程に慣れて麻痺していった。感動も動揺もできなくなっていたので目茶苦茶をできたのだ。周辺国は根こそぎなくなり、自国は自国で貧民も貴族も荒廃した地では身分など最早あってないようなもの、幾ら紋章勲章を掲げ振りかざそうと威光など皆無というところまで政治や経済の機能を破壊した。
ミゲルの魔法で王宮だけは廃墟のような街中にあってもそこだけ無傷できらびやかな姿を留めていたのには、当時の人の目には何ともシュールに映っていた事だろう。
王宮内は常に必要物資で満たされ、故に女帝ヘスティアは不自由のない暮らしを送っていられたのだ。
そして、もう少しで自国さえ周辺国と同じになるというところまできての、自分でも予期せぬ死。
復讐は中途半端なままだったが、周囲の国は荒野も同然となり自国も荒れてしまって弱体化していたので、死んでも死に切れない満足していないと言えば嘘だ。
とりあえずまあ許容できるレベルでは復讐を果たしたと言っていい。
「前世で死ぬ間際、私ってばそう自らを納得させていたのよねー。はあ、我ながら狂った悪女過ぎる……」
その後、圧倒的な支配者が一夜にして消えてしまった国が、滅んだ周辺国の更に周辺の国々に狙われないわけがなかった。吸収併呑されるのは必然だったろう。
大陸の地図上からは国名も無くなり、国としては滅んだ。死後に念願の復讐は完全に果たされたと言えなくもない。
現在のこの国は新たな統治体制を敷いた国の名となって久しい。文化や言語、習慣が似ていたのはこの地の疲弊した者達にとっては幸いだったかもしれない。
しかし、今のフレイヤは残虐な考え方や感覚には嫌悪し罪の意識さえ抱ける人間だ。狂ってしまった前世とは程遠い。魂は同じでも別の人生を歩んでいる別人なのだから当然だろう。フレイヤ・アイスフォードとしての確かな自己を持っている。
「もうあの頃の終わりのない絶望の世界には生きていないもの」
それに悪女な前世を思い出したからこそ、この人生は過去の業を償うべきための人生なのだと確信している。人殺しなどもってのほかだ。
だから向こう同様フレイヤもキーラが嫌いだが、別に彼女を殺したいわけではない。とは言え少しくらい痛い目に遭えばざまあとは思うだろう。
いつかどうにかして婚約を解消できるまでフレイヤは逃げ出さず耐えるつもりでいる。それくらいならできる。
何故ならなるべく関わりを持たず逆撫でせず興味を失わせるように仕向ける。それが波風が立たず後腐れのない終わりへの近道だとそう思っていたからだ。
ブレア伯爵家に招かれてのお茶会当日、フレイヤは内心で密かに呆れていた。
(はあ、またか……。紅茶に何か入ってる。ホント懲りない人達ね)
彼女はキーラ達からいつも通りの扱いを受けた。
一人だけどう見てもお茶が冷め切っていたし、色も少し悪くて異物が入っているのはわかった。無論味など期待出来るわけもない。さすがに致死の猛毒を入れて殺人に問われるような愚かな真似はしないだろうが、辛味や苦味、塩味、下剤入りなどこの手の姑息な嫌がらせは過去にもあり珍しくない。
更には、先にテーブルに集っていた令嬢達の表情からフレイヤの紅茶に善からぬ企みがあるとはバレバレだった。
内心冷めた心地でうんざりしつつ腹を下しても良いように薬を持ってきておいて正解だったと思った。下手に治癒魔法を使うと混入しているのが下剤だった場合どうして効かないのかを怪しまれるので、使わず薬を飲んでみせるのが得策なのだ。何しろフレイヤの魔法は周囲に秘密。薬が効くまでは食中り同様に苦しまなければならなかった。
フレイヤは控えめな微笑を張り付け社交辞令を口に席に着いたが、内心は幼稚さを蔑む気分で異物入り紅茶を飲む。
(うわ不味っ、案の定ね)
余程口に含んだ紅茶を噎せたふりをしてわざと吹き掛けてやろうかとも考えたが微かに眉を潜めただけだ。
しかし実のところ、キーラはそんなフレイヤの反応の薄さがかえって余裕をかまされているようで気に食わないのだとは気付いていなかった。
退屈と味覚への刺激を我慢してカップに口を付けながら、招待された令嬢達の会話に耳を傾ける。
流行のドレスがどうだの美形役者がどうだのどこの貴族がカッコいいだの好きだ嫌いだのとフレイヤにとっては極めて詰まらない話に終始していたかと思えば、何故か話題は奇しくもフレイヤの前世、女帝ヘスティアの話になっていた。
単なる偶然ではあるのだろうが、内心疲れた気分で嘆息したのは否めない。
「あんな悪女がこの時代にいなくて本当に良かったですわねー」
キーラの問いかけには伯爵家の庭先にセッティングされたテーブルを囲んだ全員が同意した。
話に交ざる気はなかったフレイヤも己の前世ながら同意見だ。
今更悪行の限りを尽くした自分をどう言われようと関係ない。心が痛んだりはしないのだ。自分でもあの頃はホントどうよと感じていたし、償うべきとまで決めている。責めるなら理不尽に死んだ者達の分までとことんやってくれとさえ望んでいた。
フレイヤの同意が意外だったのか、発言者のキーラは少し言葉出しまで間を挟んだものの得意そうにした。
「ま、まあ躊躇いなく人を沢山殺すような女だったから、さすがに側近も嫌気が差して主君を殺したんじゃないかしら。この前歴史の先生とそんな話をしたのよ。その側近が忽然と表舞台から消えなければ今頃は英雄と称えられていたのではないかしらね」
「あら、キーラさんは側近犯人説を支持するの? わたくしも実はそうじゃないかしらって思うのよ。女皇帝の死にまつわるあれこれは未だ解けないミステリーよね」
(ミステリー、か。はは、単に酔っぱらって浴槽で溺れたのであって探偵要素は皆無なんだけどね)
内心で溜息をつくフレイヤは何も言わず不味い紅茶を我慢してまた一口飲んだ。
「真相はどうであれ、私が男ならそんな血にまみれた女なんて御免だわ」
キーラに賛同の声が上がる。
側近ミゲルが魔法使いなのも、彼が女帝ヘスティアのほとんど大半の命令において手を下したのも、二人だけの暗黙の了解で誰も知らない。実質的に手が血に染まっているのはむしろ彼の方だった。
(そっか、ミゲルは命令を黙って遂行してくれてたけど、本当は拒否したかったのかもしれないのよね。……そんな事、あの頃は考えもしなかった)
と、一人の令嬢が少しその目に憧れを滲ませた。
「ああでも悪の主君殺しの英雄なんて魅力じゃない? ねえキーラさん」
「そうかしら、理由は何であれ主を裏切って殺すような最低男なんて御免だわ」
「あ、あらそう? おほほそう言われてみればそうよね、幻滅だわ」
言い出しっぺの令嬢はころりと意見を翻し、他の令嬢達からも次々と側近糾弾の声が発せられる。結論として主君共々最低だとなった。
(ああもう、彼女達の小さな欺瞞に体がチクチクして不快~っ)
人道に悖る非道な主従への評価を、フレイヤもそこは否定しない。そりゃそうだと思う。けれど……。
「――ミックが殺すわけない。彼は殺してなんてない。受け入れ難い何かがあっても殺そうとする前に諌めるわ」
一瞬しんとした。堪え切れず口を挟んだフレイヤへと令嬢達の視線が集中する。
それまで言葉を淡々として紡いでいたフレイヤは存外強い口調になってしまったのにはっとして内心ほぞを噛んだ。しくじったかもしれない。
「あ、ええとほら、ミゲル・ヒューは大人しい男だったみたいだし、仮説よりも私は従来の浴槽事故死説を信じているから」
取り繕った笑みを浮かべて誤魔化すように不味い紅茶を口に運ぶ。今ばかりは自らへの引き締めもあり不味くて良かったと思った。
ミゲルはどこまでも寡黙で共にいるのが当たり前の影のような男だった。フレイヤは自分の中で言葉にしてそれを改めて実感する。もう二度と会えない懐かしい友。
(もしも、もう一度だけでも会えたら、その時はちゃんと感謝と謝罪を伝えるのにね)
ヘスティアを客観的に捉えられるフレイヤとなった今だからこそ、そんな感情も湧く。何だか気持ちが揺らぎそうになって堪えた。こんな敵だらけの場所で弱味を見せるわけにはいかないのだ。
「あらそうなの。相変わらずあなたって定番で詰まらない考え方をするわよね」
キーラがどうでもよさそうに嫌味を言ってきて、幾分その場は白けてしまった。
(うっかりミック呼びしちゃったけど、そこもスルーしてくれて良かった~)
俯きがちにして密かに安堵するフレイヤは、反面ではこの話題が変わるまで居心地の悪い思いをしばし我慢するしかないなと腹を括るのだった。
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