中編

 そんな無言のやりとりに気づくはずもなく、アコは『へえー!』と言いながら凛太朗に向けて前のめりになった。


「凛太朗くん、筋肉すごいもんね! スポーツってなにやってたの?」

「……あ、えーっと……そっすね……俺は……あの……」


 と、あからさまに目を泳がせ始める凛太朗。

 それもそのはずだ。

 ──凛太朗は、運動神経抜群のスポーツマンなどではなかった。

 ただの筋トレマニアのニートだ。

 中学の頃から学校に行かなくなり、高校にも進学せず、引きこもり生活を続けていたのだ。その間ひたすら筋トレをしていたところ、結果としてこの筋肉を得ただけだった。

 しかしこのままではいけないと一念発起。トモダチ代行ネットワークに登録し、社会復帰の練習としてトモダチ役を買って出ているのだった。


 ともかく凛太朗は、スポーツ経験がほぼない、珍しいタイプのマッチョなのだ。

 とはいえ、これ以上なにも答えないのは不自然だ。アコもきょとんとし始めているし、慎也も渉もヒヤヒヤした様子でこちらを見ている。

 ……なにか答えなければならない。

 しかし、下手に食いつかれても困るので、できるだけ女子が詳しくなさそうなスポーツ……。


「ボ、ボクシングっす」


 完全に凛太朗のイメージだ。ボクシングファンに怒られてしまうそうだが、スポーツに疎い凛太朗にはそれくらいしか浮かばなかったのだ。

 果たしてこの賭けが吉と出るか凶と出るか……。

 ほどなくしてアコは、『あぁ……』と少しがっかりしたような声を出してから、


「……そうなんだ。ボクシングかあ。ごめんね、アコあんまり詳しくないや」

「あ、はは……いいんすよ! なんか、こう……ルールも複雑ですしね!」


 そう答えつつ、凛太朗は賭けに勝利したことを確信した。良かった。この様子ならこれ以上は会話が広がらないだろう。

 人知れず安堵していると、アコは慎也のジュースを飲みながらつまらなそうに言った。


「うん。複雑だよね。プロとアマでけっこうルール違うし。アマは顔面をガードするためのヘッドギアがつくけど、プロはなにもつけずに試合するんでしょ? それに、プロは攻撃方法を重視されるけど、アマはいかにポイントを取られずに勝つか、っていうディフェンスの技術を重視した判定基準だもんね。ジャッジ目線で見るのがムズめ~」

「めっちゃ詳しいじゃないっすか!?」

「全然詳しくないよ~。詳しい人は本当に詳しいもん。でも、スポーツは全般好きだから、最低限のルールくらいは勉強するようにしてるんだ」

「そ、そうなんすね……」


 ……なるほど。

 この勝負、最初から凛太朗の負けだったようだ。


「それで、凛太朗くんの階級はどこだったの? その体格だとウェルター級とか!?」

「……あ、えーっと、そうっすね……」


 今度こそ詰みだった。ボクシングに階級というものがあることはなんとなく知っているが、自分の身長と体重がどこに当てはまるかなど分かるはずがない。

 と、凛太朗がコーナー際に追い詰められた、その時──。

 意外なところから、助け船がやってきた。


「……惜しいな。ライトウェルターだ。ウェルターでも十分戦っていけると言われていたんだが、欧米人が多い階級だろう? 日本人選手は苦戦しがちだとトレーナーから助言を受けて、ひとつ階級を落としたのさ。な、凛太朗?」


 流暢な口調でそう言ったのは渉だ。それまで事態を静観していた彼だったが、凛太朗が言葉に詰まっているのを察し、会話に入ってきてくれたようだった。

 凛太朗が『そ、そうっす! そうなんすよ!』と、首をぶんぶん振るのを横目に、渉はアコに言う。


「ただその時の無理な減量がたたって、身体を壊してしまったんだ。さっきボクシングのことを聞いたとき、言葉に詰まっていたろう? その時の嫌な思い出が蘇ってしまったんだと思う。申し訳ないけど、あまりその話題は振らないでやってくれないか?」

「え、あ、そうだったの!? ごめんね、凛太朗くん! 嫌な思いさせちゃった!?」


 と、慌てて謝るアコに苦笑いで手を振りつつ、凛太朗は渉のファインプレーを讃えていた。慎也も『ありがとう、ありがとう!』とでも言いたそうな熱い目で彼を見ている。

 実際、いまのはすごい。凛太朗のウソを成立させたばかりか、おかしな態度を取ったことへのフォローをしたうえ、その話題を掘り下げないように蓋までしたのだ。


 そしてなにより、ボクシングの知識があることに驚いた。

 一番スポーツに疎そうな見た目なのに、スポーツ好きのアコと話を合わせられるくらいの知識を持っているらしい。意外な一面を垣間見たような気分だった。

 ……と、いまの彼の外見を見たものだったら、皆そう思うだろう。

 実際には、意外でも何でもない。

 ──渉は、頭の良い優等生などではない。

 ゴリゴリの元ヤンで、中学校はおろか、小学校すらまともに行っていなかった。


 ボクシングに詳しいのは、某不良の格闘技大会に出るためにボクシングジムに通っていたからという、アウトサイダーな理由だった。

 ともかく、ボクシングを始めたことを機に更生。通信で高校卒業の資格を取って大学に通い始めたのち、トモダチ代行ネットワークを使って『昔からマジメな学生だった』ということを周囲の人間に信じてもらい、現在は平和な日々を過ごしているのだった。


 だから渉には、慎也の気持ちがよく分かる。

『いま』を成立させるためには、『過去』を改ざんしなければならない時があるのだ。

 渉はトモダチ代行ネットワークに助けられて、いまの自分を手に入れた。

 だから今度は渉が、同じように困っている人を助けてあげる番なのだ。

 “ダチ”が“不運ハードラック”と“ダンスっちまう”のを、“見過ごせねえ”“のだ”。

 そんな熱い思いを携えて、今回の役を引き受けたのだが……。


「教えてくれてありがとう! 渉くん、見た目もそうだけど、やっぱり中身もマジメなんだね! クラス委員とかやってたでしょ?」


 アコの何気ない一言に、渉は一瞬だけ動きを止めてから、


「……あ、あぁ。クラス……ィーンね。クラスィーン……やっていたかもな」


 と、ひどく曖昧に答えた。もちろん気分を害したわけではない。

 クラスィーンなるものが、何か分からなかったのだ。

 渉はヤンキー過ぎて、学校に通っていれば当たり前に身に着くような知識がないのだ。クラスの中での各々の役割──いわゆる委員会や係りなどがあるということも、もちろん知らない。

 そうとは知らず、アコはニコニコとしながら渉に話題を振った。

「やっぱり! アコはね、ずーっと生き物係りさんだったんだ! うちの学校は、ウサギとか鶏とか飼ってたの!」

「……へえ。ウサギや鶏をたのか。ずいぶんアグレッシブだな」


 どうやら生き物係りとは、文字通り生き物を狩ってくる係りのようだ。

 あまり聞いたことはないが、田舎の学校ならそういうこともあるのかもしれない。

 渉がそんな風に解釈をしていると、アコは少し困惑したように、


「アグレッシブ……っていうのはちょっと分からないけど、渉くんの学校はなにを飼ってたの?」

「うちは……そうだな……」


 全く知らないが、地元では有名な不良校だったので、おそらく……。


「人間かな」

「人間を飼ってたの!?」


 アコはびっくりしたように聞き返し、慎也と凛太朗もジュースを吹き出しそうな勢いで驚いていた。

 マズい。

 どうやらおかしな回答をしてしまったようだ。渉は慌てて言葉を付け足した。


「いや人間といっても……アレだ。調子に乗ってるヤツとか、悪いことをしたヤツだぞ?」

「余計怖いよ! え、なに、悪いことした生徒を飼ってたってこと!?」

「ああ。うちの地元ではそうだったんだが……アコちゃんのほうでは違うのか?」

「いや、なにその地元あるあるみたいな言い方! どこの地元でもそんなの聞いたことないってば!」


 と、アコが声を荒げたところで、慎也は笑いながら──目は全く笑っていなかったが──大きく手を叩いた。

「あ……はは、ははは! 渉ぅ、冗談はそれくらいにしといてくれよぅ! アコはなんでも信じちゃうんだからさ!」


 そのフォローに渉はカクカクと頷いて、アコも『なぁんだ、冗談か』と、ワンテンポ遅れてケラケラと笑い始めた。


「あー、びっくりした! 渉くん真顔で言うから、信じそうになっちゃったよ! それで、本当はなにを飼ってたの?」

「あ、え、えーっと……」

「あ、アコちゃん! 飲み物なかったっすね! 気づかなくてごめんなさい! ドリンクバーは人数分頼んであるから、持ってきたらどうっすか!?」


 と、凛太朗もフォローに回ると、アコは「あ、ホントだね。じゃあ行ってこよーっと」と席を立って行った。

 彼女がこちらに背を向けるのを確認してから、三人の男はすごい勢いで身を寄せ合う。

 三人が三人とも思っていることを、実行に移すためだ。

 すなわち……。


「……今日の食事会は、中止にしましょう」


 慎也の言った言葉に、渉と凛太朗は無言で、そして悔しそうに頷く。

 お互いの素性も知らない、設定も定まっていないこの状態で、食事会を続けるのは無理だ。

 開始数分で食事会が終わってしまうこともおかしいといえばおかしいのだが、このままかみ合わないまま会話を続けて、ボロを出してしまうよりはマシだろう。

 ふたりが頷くのを確認してから、慎也はふたりに頭を下げた。


「俺に急用が入ったということにして、解散するという流れにします……せっかく集まってもらったのに、本当にすいません」

「……すいませんは、こっちの台詞っすよ。力になれずに、悔しいっす」

「……同じく。勉強不足で申し訳ない」


 ふたりも消沈したように頭を下げる。慎也は余計に申し訳ない気分になった。

 誰も悪くないのだ。ただ、成育歴がちょっとヤバめの三人が集まってしまい、そこに天然女子が起こした偶然が重なってしまった。ただそれだけで、誰も悪くはない。

 そんなことを慎也が思っていると、なぜかアコはなにも持たずに席へと戻ってきた。


「小さい子がいっぱいいたから、ジュース持ってこられなかったー。空いたらまた行ってこよーっと!」


 そう言って席に座る彼女。慎也はふたりに目配せをしてから、件の台詞を言うべく口を開いた。


「アコ、あの、来てもらって早々なんだけど……」

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