そして運命の日 1
「なー、鏑木。ちょっと話があるんだけど。今いいか」
「んー?」
晩飯後、畳の上に寝転んでポチポチとスマホをいじっていた鏑木が、顔を俺のほうに向けた。
「これからのことなんだけどさ。ちょっと考えていることがあって」
「これからのこと?」
「ああ。3月4日までのことについて」
今日は2月18日。その日までもうすぐだ。鏑木が察したように、スマホを畳に置き、俺のほうに座り直した。
「何か策でもあんの? てっきり3月4日まで、ここに籠城すんのかと思ってた」
「俺も最初はそう考えてたんだけどさ。もっと遠くに逃げるのも手なんじゃないかなって思い始めてさ。そんで。東京行くのどうかなって」
「東京!?」
「そう。東京の俺んち」
「東京……」
鏑木は、俺の口から急に出た東京という言葉に驚いたみたいで、ポカンとしている。
ずっと悩んでた。本当にこのままこのアパートに隠れてて、それで確実に鏑木を救えるのかって。結局、鏑木の死に結びつく根本のところを解決できてない今、このままじゃ同じことになるんじゃないかって。それで思いついた。
――親父さんたちの手の届かないところへ行けばいいんじゃないか?
ここで殺されるのを待つくらいなら、逃げればいい。
「まだ親には言ってねーけどさ。前もって言うと、なんやかんや言われそうで。だから急に帰ることになるんだけど。まあ、たぶん大丈夫だと思う」
「え、でも、東京までって、めっちゃ金かかるんじゃねーの? 新幹線って高いんじゃねーのかよ。それとも夜行バス?」
「高いけど、いつでもチケットが取りやすい新幹線がいい。それに金なら心配ない。俺貯めてたし」
「いや、でもさ……」
実は母親から、いつでも帰ってこれるようにって、往復分の新幹線代がチャージされたICカードを持たされていた。それもあるし、口座にはこれまでの小遣いと貯めてたバイト代が、十万くらいある。 だから鏑木の分くらいなら、往復分なんとかなる。
もし家に入れてもらえなくても、あっちにはネットカフェもたくさんあるし、ちょっとくらいどうにかなるだろう。
「東京行くの嫌か?」
「嫌じゃねーよ! 俺、修学旅行も行ってねーし、めっちゃ行きてーよ。……でも木嶋、あんま親に頼りたくないんだろ? 迷惑かけるし」
「お前が死ぬことを考えたら、全然マシ」
「……マジでいいの?」
「うん。25日の夜、学校終わったらすぐ新幹線に乗るから、26日から一週間学校は休むことになる。……もしかすると鏑木は、単位が足りなくなるかもしれない」
「……ま、それは仕方ねーかなって。でも今年は木嶋のおかげで、そんなに休んでねーし。たぶん大丈夫だろ」
鏑木があっけらかんとして笑う。
「誰かに知られると危険かもしれないから、誰にも言うなよ。当日は普通に学校行く感じで、最低限の荷物もってここをでて、ここには帰らず、放課後そのまま駅に直行する」
「わかった。でも木嶋、新幹線のチケットの買い方知ってんの」
「ここ来るときは自分で買ったからな。たぶん大丈夫」
「マジか。俺、新幹線初めて乗るわ。死ぬか生きるかって話なのに、なんかすっげー楽しくなってきた」
鏑木は興奮したように、「かぶきちょーとか渋谷とかに行きてー」と、のんきにスマホで行きたいところを検索し始めた。
良かった。鏑木は受け入れてくれた。もし拒否されたらどうしようかって思っていたから、かなりホッとした。
問題は、母親にどう言い訳しようかってこと。これまで音沙汰なしだった息子が、いきなり学校休んでヤンキーの友達連れて帰ってきたら、そりゃびっくりするだろうと思う。母親の旦那さんにも頭下げて、一週間なんとか匿ってもらえるようにしないといけない。
だが、やっと突破口が見つかった。なんとかこれで、この妙なループから抜け出せるはず。
――俺の中で、この作戦はきっとうまくいく。そんな確信があった。
そうして、タイムループから開放される期待と、鏑木と一緒に実家に帰る緊張とで、まるで修学旅行にでも行く前のような、妙に高揚した落ち着かない日々を過ごした。
――だが、順調だったのはそこまで。
東京へ行く2月25日当日、思ってもみない出来事が起こった。鏑木が熱を出したのだ。
これを因果律と言うのだろうか。俺をこのタイムリープという罠にはめたヤツ――神なのかどうかは知らないが――どうしても俺をこのループから抜け出させたくないのだろう。
前日は風邪の兆しなく元気だった鏑木が、翌朝起きると朝飯を食べる元気を失っていた。顔が熱く、まさかと思い、近くのコンビニで体温計を買い、それで計ると、38.5℃もあった。
昨日は元気に張り切って荷造りをしていたのに、東京に行けるとはしゃぎすぎたとでもいうのか。
――この調子なら熱は出ないだろうと、油断していた俺のせいだ。 悔やんでも悔やみきれない。
前回と同じく鏑木は2月25日に学校を休むことになったことで、俺は嫌な予感でいっぱいだった。
「ごめん、木嶋」
布団にくるまり、熱っぽくむくんだ目をした鏑木が俺に謝った。
案の定、鏑木は健康保険証を持っていなかった。持ってきていなかったというより、親父さんが、健康保険料を支払っていないのだという。だから病院には行けず、俺が薬局で解熱剤を買い、それを飲ませるしかなかった。でも前の時間軸で鏑木が熱を出したとき、夜までには下がっていたはずだから、きっと大丈夫。 大丈夫だ。
「鏑木。夜まで待って、熱が下がったら東京行こう」
「ん……」
体温計と一緒に買ってきたゼリー飲料飲ませてやると、鏑木は「冷たくてうまい」と笑い、力尽きるように眠った。
結局この日は、鏑木を一人にすることができず、俺も学校を休んだ。鏑木の熱は解熱剤を使うほどでもなさそうだったが、それでもなかなか下がらず、俺は祈るような気持ちで、すぐぬるくなる濡れタオルを交換し続けた。
すでに16時を過ぎ。もう窓の外は日が傾き始めていた。予定では、俺と鏑木は新幹線のホームに立っている時間だった。
(大丈夫だ。23時までは東京行きの新幹線がある。今日中にここを離れられたら、きっと大丈夫だ)
まだ熱の下がらない鏑木の額に手を当てて、俺は焦る気持ちを必死で宥めごまかしていた。
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