ふたりの同居生活

「じゃーん! 来たぜ〜〜〜!」


 正月三が日も過ぎ、学校が始まる前日、ピンポーンとチャイムが鳴ってドアを開けると、鏑木がでかいスポーツバッグとたくさんの紙袋を持って立っていた。


「無事来れたんだな。安心した」

「まーな! 上がるぜー。おじゃまー!」


 鏑木はそう元気よく、ドカドカと遠慮なく家に上がり込んだ。


 正直言って、うちに来ることを親父さんに告げて、前回の二の舞にならないかすごく心配だった。いきなり鏑木が殺されてしまうんじゃないかって、正月に鏑木を家に帰したあと、心が落ち着かず、ほとんど寝られなかったくらいだ。


 毎日鏑木からのメッセージを待ち、無事を確認してはホッとする日々だったが、これでしばらくは安心して寝られる。


「鏑木、それでなんて言って出てきたんだ?」

「んー? 好きなヤツできたから、しばらくそっちで一緒に暮らすって言って出てきた」

「はぁ!?」

「だってその方がいいだろー。勉強が〜とかよりも、わかりやすいじゃん。親父も仕事が入ったとき、すぐに連絡が取れるなら問題ないって言ってたしー」


 親父さんへの挑発ともとれる発言に、俺は頭を抱えた。

 好きなヤツって、完全に親父さんに目をつけられる状況じゃねぇか……!


「お、お前なー! 何が『なんとかする』だよ! 前回は迂闊なことして殺されたんだぞ!」

「これしか思いつかなかったんだもん。それに大丈夫。スナックのみんながいる前で言ったから。スナックのみんなも、好きな人できたんだオメデトーってお祝いしてくれた」


 そう言って「ほれ」と紙袋を俺に差し出した。

 中にはお菓子やジュース、それとなぜか新品のコンドームが一箱。


「スナックのオンナノコがくれた。仕事で持ってるっつてんのに、恋人専用のがいるでしょって。サイズ合わなかったらごめんねーだって。めっちゃ笑うし。で、サイズ合いそう?」


 どう反応していいか分からず呆然と『極うす』と書かれた箱を見つめる俺に、鏑木はヒャッヒャと爆笑していた。

 

 ……はぁ。コレ、完全に遊ばれてるってことだよな。そういうノリで済んでるなら、それでいいんだけど……なんか釈然としない。そういうノリのほうが、冗談っぽくていいっちゃいいんだけど。



 その晩、俺と鏑木は二人だけでささやかながら引っ越し祝いをした。

 鏑木の好物であるチャーハンと餃子を作り、土産にもらったジュースで乾杯して、お菓子も出してと、ちょっとしたパーティ気分だ。


 鏑木が来るまでに揃えようと思っていた布団は、新春セールでも思っていた以上に安くならず、値段にひるんでしまい結局買えなかった。これからしばらく鏑木の分の食費もかかるし、敷布団に1万円近く出すのがちょっとキツかったのだ。


 ネットで買えば、もうちょっと安く買えたことに後になって気がついたが、もう遅い。


 鏑木の「別に一緒でいーじゃん。金もったいねーし」という一言で、これからしばらく一緒に寝ることが決まってしまった。


「んひひー。なんかやっぱ楽しーな!」

「ああ、もう、布団を蹴るな」


 狭い布団の中、俺は横向きで鏑木に背中を向けていた。背中越しに「こっち向けよー」としばらく鏑木は楽しそうにはしゃいでいたが、気がついたら寝息が聞こえていた。


「鏑木……。寝たのか?」


 俺は鏑木を起こさないよう、慎重に体の向きを変え、畳にはみ出るようにして密着した体を離すと一息ついた。

 すぐ真横に、すっかり安心しきった鏑木の寝顔。

 こうしてまじまじと見ると、やっぱりかわいい。 まつ毛が長くて、鼻も丸くなくてツンとしてて形がいい。クラスの女子がアイドルみたいと言っていたが、本当にそうだと思う。


 だがなんというか、鏑木は俺が手を出さないと信じているようで、俺の好意を知っておきながら、安心しきってる感じだ。


(好きなヤツ発言とかゴムとか、すげーおちょくってくるよな。本人は何にも考えてないんだろーけどな。……だが、まあ、手を出せねーってのは当たってるか)


 経験豊富な鏑木に手を出す勇気がない、ということではなく、いや、それもあるが、そうじゃなく。今のこの状況から脱出できると確信がないと、鏑木とそういう関係になる気になれないというのが一番大きい。


(だってもし、ちゃんと付き合って、お互いそういう関係になって、もし鏑木が死んだら? 俺の心はどうなる)


 前回の最期を思い出すだけでも、いまだに心臓が痛いくらい締め付けられて、叫び出したくなるというのに。それで夜中、何度目を覚ましたことか。恋人にまでなってしまったら、その死に耐える自信はない。


(失敗する前提ってのもアレだけど、もし俺が狂ってしまったら、この世界永遠ループで地獄だな)


 それに俺だって男子高校生らしく性欲もあるわけで、こうしてるとムラムラもする。だからといって体を離そうとすると畳にはみ出るし、いくら鏑木が細いとはいえ、シングルに男二人は無理すぎる。


(このままじゃぜってー風邪ひくな、俺)


 真冬に布団から転がり出ている場合じゃない。今すっげー寒いから、絶対風邪引く。


「ん……きしまぁ……」


夢でも見てるのか、いきなり俺の名前を呼びながら抱きついてくる鏑木。体を硬直させるしかない。


俺の体と心の健康のためにも、ちょっとくらい無理してでも明日絶対に買おう。俺はそう決意し、しがみつく鏑木の手を払いのけることもできず、朝を迎えることになった。


 


 そんなふうにして始まった鏑木との同居生活は、なかなか前途多難だった。


 これまで自由気ままに過ごしていた鏑木は結構わがままでだらしがなく、Wi-Fiのないからスマホのギガ数が足りないって怒るし、テレビもないから暇すぎて死ぬとか文句をたれる。

 その上これまでの食生活のせいか偏食も多く、野菜が嫌いで、白飯にはふりかけがないと食べられないとか言い出す始末。ふりかけがないならパンでいいとか、これまでどれだけ味の濃いものを食べてきたのかが、 よく分かる。


 いわゆる子供舌ってやつで、どうりでチャーハンやオムライスを喜んで食べるわけだと納得。


 あのガリガリの体に肉をつけるためには、ちゃんとしたものを食べさせなくてはいけないと、小さな子供をもつ母親のようにいろいろと料理を工夫するようになった。あらためて、居酒屋の厨房でバイトしといて良かったとマジで思う。


 そして何より俺が一番頭を悩ませているのが、鏑木に届く、親父さんからのメールだった。


「わりぃ。親父からの呼び出し」


 風呂にも入り、布団を敷き終え、さあこれから寝るぞというとき、鏑木のスマホから軽快な通知音が響いた。鏑木がため息交じりにスマホをタップする。


こんな感じで夕方だろうが、真夜中だろうがお構いなく、鏑木のスマホには親父さんからメッセージが届く。


「木嶋、気にせず寝といてー」

「いや、スナックまで送る」

「いいって」


 鏑木がパジャマ用のスウェットを脱いで、いつもの黒いパーカーに着替え始める。もう12時近い。一人では行かせられないとコートを手に取ると、鏑木がすごく嫌な顔をした。


「だって一人じゃ危ないだろ」

「お前なー。この時間に一人で出歩くの慣れてっから大丈夫だって。それにこれから客んとこ行くのに、お前と同伴ってヤバすぎだろ」

「同伴……ってヤバいのか? それなら、店の近くまで送る。それならいいだろ」

「……ん。あんがと」


 こんな時間に鏑木をひとりで外出させられない。俺も急いでジャンパーをはおり、2人で外へ出る。

なるべく音を立てないよう階段を降り、寒いなって白い息を吐きながらスナックへと歩く。

 街にはネオンが煌めいているが、繁華街だというのに人通りはもうそんなに多くない。東京じゃこの時間でもまだすげー人がいるんだろうけど、田舎はこんなもんだって、鏑木が笑う。


 街灯はついているが人通りのない商店街を抜け、スナックのある路地の手前に出ると、鏑木が立ち止まった。


「ここでいーよ。さみーのにあんがとな。気ぃつけて帰って。今日は、帰ってくるのも明け方かも。あ、でもあっちに泊まらず、ちゃんとこっちに帰ってくっからな」

「……分かった」

「そんな顔すんなってー」


 鏑木は顔をくしゃくしゃにして笑うと、俺の顔を両手で挟んでチュッと音を立ててキスをした。


「……!」

「ほい、サービス。じゃ、行ってくる」


「……おまっ!」っと大きな声が出そうになって、慌てて口を押さえる。


「……誰かに見られるぞ!? いいのかよ!?」

「恋人同士って設定なんだから、いーんだよ」

「同伴だめとか言ってたくせに」


 鏑木がおかしそうに声を落としたままヒャハハと笑う。


「……何かあったら絶対連絡しろ」

「わーってるって」


 じゃーなと手を振って歩き出す鏑木。一度こっちを振り返り「さっさと帰れ」というようにシッシと手を振り、俺が分かったと合図し帰るフリをすると、またスナックのほうに歩き出す。ペタペタという靴音が遠ざかり、急にカラオケの音が路地に広がったと思うと、すぐ静かになった。


――もうすぐ二月も後半に差し掛かる。とうとうあの時期がやってくるのだ。鏑木をこの歪な生活から開放してやりたいのに、何もできない自分がひどくもどかしい。


「……俺はどうやったらお前を救えるんだろうな」


 誰もいない暗い道には、少し離れた街のカラフルなネオンが反射し、より暗い影を道に落とす。俺は一人、街のネオンを背に受けながら、スナックのほうを見つめたまま、しばらく佇んでいた。

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